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 違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

個性やオリジナリティは本人には見えない

伝統芸能の世界では、例えば歌舞伎の世界では、そもそも世襲で入り口が極端に狭い。

 

そういう世襲の世界に生まれた子供は、幼少期からその親が受けたのと同じ教育が10年、20年と施されるということを繰り返している。

 

一見、個性やオリジナリティを重視するという最近の考えの正反対のように見えるが、実際にそうやって育った人が大人になったら個性やオリジナリティはどうなるだろうか。

 

天皇家や皇室の人にも当てはまるかもしれないが、同じように育てられても明確に違いがわかる。

 

つまり、ちゃんと個性があり、オリジナリティがあるのだ。

 

ものまね芸でもそうだ、外見やしゃべりを究極まで似せようとしても、同じになんかならない。

 

こういうことを考えていると不思議に思うのが、個性やオリジナリティに拘る人が、一生懸命「違いを示すこと」でオリジナリティを主張しているのに、受け手の我々の目には”なんか前にも見たことあるな”と映ったりすることがあることだ。

 

同じことを同じようにひたすら繰り返すのに、違いが宿ることがあるかと思えば、一方ではひたすら違うことを目指すのに同じ印象しか与えないということがある。

 

漫才などで顕著なのが、オリジナルに拘った創作ネタ。

 

ヒットして一気に知名度が上がっても、次が出せず一発屋として消えていく。

 

【懐かしい!?】今まで誕生して消えていった一発屋芸人・一世風靡した有名人・歌手・動物たちのまとめ

 

オリジナリティや個性をネタで表現しようとする人は大抵消えてるようだ。

 

生き残る人は、一過性のネタではなく、普遍とまでは言えなくても連続性や継続性が保ちやすい分野を見つけている。

 

連続性や継続性が得やすいネタに地元ネタというのがある。

 

「福岡はお笑いの本場」説は本当か 吉本進出から28年 “起業家魂”で挑む若手芸人たち

東京のキー局ではビッグスリー(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)に続き、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンが台頭。

 

 

90年代に入ると「タモリのボキャブラ天国」「進め!電波少年」「めちゃ×2イケてるッ」などお笑い芸人“量産”の時代へ突入し、2000年以降には「エンタの神様」「お笑いオンエアバトル」などのネタ見せ番組が大ブレーク。芸風が多様化する中、腕を磨く無名の芸人に感情移入して応援するファンも徐々に増えた。

 

 

一方、地方民放ではキー局に依存しない番組制作を目指す風潮が強まる中、身近なお笑い芸人へのニーズが高まっていたという。

 

 

スポーツの競争のような誰の目にも明らかな状態で決着がつくわけではないことが残酷でもある。

 

東京のキー局で通用するということは、野球に例えればプロ野球だろう。

 

そこでは、入団できたら一軍に上がるための競争があり、一軍に上がれたら、レギューラーになるための競争があり、レギュラーになったらチームの成績と個人の成績の競争がある。

 

 

 

ネタで勝負してる新人のファンには、高校野球のファンのような心理が働いているかもしれない。

 

芸能の世界でも、スポーツの世界でも、そしてビジネスの世界でもファンの獲得を目指して皆頑張っている。

 

そして、少しファンが増えたら更に増やしたいと思うが、ファンの側は思い通りには動いてくれない。

 

バカリズムが語る、売れないアイドルを応援したがるファンの矛盾した心理

お笑い芸人のバカリズムが、売れないアイドルを応援しているファンの、「売れて欲しいけど、売れてほしくない」という矛盾した心理について語っていた。

 

お笑いファンの人でも、いると思うんですよ。チラホラ、テレビに出てる頃は、そのチラホラのテレビ出演を「絶対に観ます」とか言っていたけど、ゴールデンタイムに出たり、ファンの人たちの数だとか、知名度が上がってくると、「変わっちゃったな」とか言いたがる、みたいなね。

 

実際に、個性やオリジナリティを感じる人はどんな人だろうか。

 

「個性、オリジナリティ、有名人」で検索すると、芸能人がいっぱい出てくるのは当然だろう。

 

特徴は、ルックスやファッションという外見がその印象を与えているということだ。

 

ついでに言うと、良い意味でマイペースを持ってそうなこと。

 

やりたいからやってる、好きだからやってる、その積み重ねが勝手に個性があると言われたり、オリジナリティがあると言われてるように見える。

 

考え方や行動は時間の経過で変わるかもしれないが、動機が同じならば、その積み重ねは個性やオリジナリティとなるのだろう。

 

個性やオリジナリティは生き様に通じるが、それを評価するのは他人だから意図して作り上げようとしても全く違ったものになるだろう。

 

 

個性やオリジナリティが求められるのは、アンチ予定調和なのだろうが、それを産み出すことに繋がるのは、好きなことや興味のあることをマイペースで続けることによってだろう。

 

「個性は他人が決めるもの」

先日次男坊の通う中学校で講演を頼まれたのだが、

後日カミさんがプリントを取りに行った時、先生方が特に関心を寄せたのが、

「個性って何ですか?」と生徒から問われた時の俺の答えだったとのこと。

 

 

「ご主人の講演は素晴らしかったです」

「あの人、落語家ですから。口から出まかせですからw」

と答えたカミさんのセリフこそ俺の個性だ。

やはり談志という天才に振り回され続けてよかったと思う。それが俺の「個性」となった。

 

 

 

個性やオリジナリティが評価されるというチャンスは、きっと自分が思ってるのとは違う方向からやって来るのだろう。

「共感」の時代だと言われるが、勝ち組のサイコパスは決して共感しないと言うことを知っておいた方が良い

 

前回サイコパスについて触れたが、これまで特に関心を持ったことはない分野だったので少しばかり刺激を受け考えるようになったら、これからの時代がどう動くかを考える上で、大切なキーワードになりそうな気がしてきた。

 

なぜなら次世代はサイコパスが拓いていくだろうからだ。

 

もちろん、ここで言うサイコパスとは直接犯罪に繋がる行為をする人を意味してはいない。

 

最大の特徴は、「他者と共感しない」ことにあると感じてる。

 

これまでブログを書いていて、これからの時代は「共感」がキーワードになると感じていたので、そういうことを書いていたが、表面的なことしか見えてなかったのかもしれない。

 

しかし実際に「共感」を得ることを目的に展開されてるビジネスやコミュニケーションが多いようにも見える。

 

だからこそ意識しなければいけないのは、そういう「共感の獲得」を仕掛けてるキーマンは、共感力を全く持ち合わせてないかもしれないということを。

 

共感することは悪くないと思うが、「仕掛けられた共感」であることは理解する必要がある。

 

「仕掛けられた共感」に共感するということは、誘導されるということだから。

 

誘導されるということは、操られるということになる。

 

wikipediaではサイコパスは精神病質者と呼んでいる

 

 

ケヴィン・ダットンの調査による、サイコパスの多い職業の上位10位は次のとおり

CEO

弁護士

テレビラジオジャーナリスト

小売業

外科医

新聞記者

警察官

聖職者

コック

軍人

 

 

共感力が必要に見える職業に、サイコパスが多いことが考えさせられる。

 

サイコパスに興味を持たなければ気付かなかった現実だ。

 

 

「共感」という価値観は、SNSの「いいね」が顕在化させたものかもしれない。

 

 

facebookのlike(いいね)ボタンの意味

いいねボタンについて、私は「共感」という意味を持つと理解しています。すなわち、"いいね=共感、同意"という意味。

 

  1. 友達のコンテンツをちゃんと見ました!という意味
  2. 友達への挨拶代わり  おはよう、とか、チャオと手を振る意味
  3. 友達が制作したコンテンツに共感したことを示す意味
  4. 友達の意見に対して、同意したという意味
  5. 戦略的な意味

 

 

一見悪いこと無さそうな「共感」だが、苦しんでる人もいるようだ。

 

共感疲労の症状・特徴となりやすい人、共感疲労対策法6選

普通に生きていると他人に共感して悲しんだり喜んだりということはよくありますが、それが自分自身の心にひどい疲れや倦怠感、不安を呼び起こす状態が問題となっています。

共感というのは、受け身の感情のように思えるが、結構エネルギーの消費が多そうだ。

 

共感とは、相手に対する感情移入だ。

 

だから疲れるのだ。

 

 

真の共感というのは、感情移入よりもっと高度なものかもしれない。

 

“No.1学長”の山極京大総長「『いいね!』共感だけじゃだめ」

対話は、相手に「おもろい」(関西弁)と言わせないと成功しない。標準語の「面白い」ではありません。

 

 

前回取り上げた『超一極集中社会アメリカの暴走』の中では、アメリカでは0.1%の勝ち組と99.9%の負け組に別れると書かれてる。

 

勝ち組となる0.1%のエリートサイコパスと99.9%の負け組について考えていたら、

”女王蜂と働き蜂”、”女王蟻と働き蟻”の関係に思えてきた。

 

エリートサイコパスが「女王」であるならば、求めているのは「働き人」となる。

 

これってまさにブラック企業やブラック労働に通じる価値観だろう。

 

求められてる「働き人」は、やがて自動化、機械化、AI化で置き換えられ、人である必要がなくなることを目指すのだろう。

 

では、99.9%の負け組は何を目指してるのだろうか?

 

大きく2つある。

 

・勝ち組になるよう頑張る

・負け組として生きる

 

どちらを選んでも生き方は無限だ(考えるだけなら)。

 

ただ、どう生きるにせよ「頑張る」を選択する人は多いだろう。

 

頑張ることを選択する人が注意しなければいけないのは、「働き人」として頑張るのか、別の自己実現を描くのかを、きちんと区別することだ。

 

頑張ろうとする人は、安易な道を選ぼうとする、その安易さは効率や生産性と言われる。

 

この頑張りも、サイコパスとそうでない人とでは、受け取り方や反応が違うだろう。

 

サイコパスでない人の多くにとって、頑張るとはプロセスに費やされた時間やエネルギーやお金になるだろうが、サイコパスにとっては結果がすべてだ。

 

しかし、このプロセスに対して頑張れる人は、「働き人」にふさわしい資質なので、サイコパスは見逃さない。

 

ビジネスにしろ何にしろ正解が不明の時代になってきた。

 

そんな時代にサイコパスが適しているのは、冒険に立ち向かうようなものだから、チャレンジが苦もなくできる資質が向いているからだ。

 

一方99.9%を占めるその他の人は、答えを教えてもらおうと躍起になる、その行為は学びと言われたり、勉強と言われたりする。

 

 

大学進学率の推移

  

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グラフの引用はここから

 

奨学金がサラ金化してるが、国は改善する気が無さそうだ。

 

事実上の借金、卒業後に授業料を納付する制度!自民党が首相に提言!自民「これで授業料無償化」 2017年5月23日

自民党が授業料無償化の案として、卒業後に授業料を支払う制度を安倍首相に提言しました。報道記事によると、この案では大学などに在学している間は授業料を無償化し、卒業後に給料から差し引く形で支払う事になるとのことです。

 

 

本当に共感するなら、そして財源が無いならば、大学進学を勧めないことも1つの答えのはずだが、そうはしない、国もサイコパスだからだ。

 

国は、サイコパス経営者のために「働き人」を供給するシステムを支援する。

 

「働き人」が借金を抱えていればなお好都合だ、逃げられないのだから。

 

 

サイコパスは脳の構造的に罰を理解できないことが判明(英・カナダ研究)

共感能力の欠如、罪悪感の欠如、衝動的、人を巧みに操る、表面的にはチャーミングなどの特徴を持つサイコパス(精神病質者)。もちろんサイコパス気質のある人でも、健全に社会生活を営んでいる人も多いのだが、犯罪に走ってしまったサイコパシー傾向のある者の脳は「罪と罰」の概念が理解できず、ゆえに矯正プログラムなども効果を発揮しないことが、新たな研究結果によって明らかになった。

 

0.1%のサイコパスが、世界をリードする時代からは逃げられないかもしれないが、であれば1人1票持つ民主主義は対抗手段として重要だろう。

 

もっと重要なことはサイコパスに振り回されない生き方を自分なりに見つけることだ。

 

「生きてるだけで丸儲け!」と言う時代がやってきた

日本にもやってくる「理不尽な社会」を生き抜くための最強の武器  :フォーブスジャパン

小林由美さん。

ベンチャーキャピタル投資やM&A、不動産開発などに携わってこられた在米36年におよぶトップアナリストである。

 

 

 

そんな小林さんがひさしぶりに新著を上梓した。

 

『超一極集中社会アメリカの暴走』(新潮社)

 

 

 

前著から10年。この間のアメリカ社会の変化は彼女の目にどう映っているのだろうか。トランプ大統領の誕生でアメリカへの注目度は高まる一方だ。トップアナリストがいまのアメリカやこれからの日本をどう見ているかをぜひ聞いてみたいと思った。

 

意外なことに、本書で小林さんが提案するのはスキルやノウハウなどではない。この理不尽極まりない社会にあって、最終的に自分を支える最大の武器となるもの──。それは「幸せの記憶」だというのだ。

 

この取材の中で小林氏が語っている「幸せの記憶」について興味を持ち読んでみた。

 

「幸せの記憶」については、ほんの数行書かれてるだけで、本を読んだだけだと、著者が力説したいポイントにはとても思えない。

 

肝心なことというのはそういうものかもしれない。

 

それよりも、おもしろいと感じたのは、現在のビジネス(アメリカのことだが)は、”商品に客を売る”ビジネスになっているということだ。

 

 

米ユナイテッド航空「乗客引きずり降ろし」問題、従業員擁護したCEOの失態

 

過度に投資家やファンドが力を持ったために起きた、日本では違和感を感じた人が多かった記憶に新しい上記事件は、起きるべくして起きたということだ。

 

 

 

なお、ユナイテッド航空の件は、株価が5%下落したことであわてて責任を認め、怪我を負わせた乗客と和解したが、意識してるのは世間や客ではなく、投資家の動向だけであるのは疑いない。

 

今後、日本もそのベクトルが働くことになるのだろう。

 

日本流のガラパゴスがどこまで抵抗できるか見ものだ。

 

 

最近多い詐欺や詐欺まがいビジネスは、「商品に客を売るビジネス」なのだろう。

 

従来型の”客に商品を売る”ことをビジネスだと思ってる人は生き辛くなるかもしれない。

 

ちなみに、「商品に客を売る」場合に重要なのは個人情報だ。

 

名簿屋的な個人情報ではない。

 

 

そういう動きと歩調を合わせるように増えるフリマアプリ上で展開される個人対個人の取引というのも、「商品に客を売る」ビジネスに該当するのだろうが、ビジネス意識が希薄で、個人情報に対するセキュリティもずさんに見える。

 

このフリマアプリの主人公は、アプリ運営会社であり、そのアプリ運営会社への投資家であって、決して取引の当事者達ではない。

 

 

超一極集中社会アメリカの暴走

超一極集中社会アメリカの暴走

 

 

 

『超一極集中社会アメリカの暴走』の中で、アメリカでは0.1%の勝ち組と99.9%の負け組に別れると書かれてる。

 

現在、自分は勝ち組だと思ってる人の90%以上が負け組になるらしい。

 

ここでいう勝ち負けは金銭的な意味であり、幸不幸ではない。

 

金銭的には負け組でも、幸せになれる生き方を早く身につけ、ライフスタイルをシフトするほうが、勝ち組を目指すよりよっぽど賢いかもしれない。

 

明石家さんまの名言に「生きてるだけで丸儲け」というのがある。

 

娘の名前の由来にもなっている。

 

ささやかなことに喜べるのは、簡単なことではないかもしれない。

 

だから、小林由美氏は「最大の武器は『幸せの記憶』」と言ってるのかもしれない。

 

 

【感動】生きてるだけで丸儲けの本当の意味!明石家さんまの壮絶過ぎる人生とは!?

実母が病死

弟が焼身自殺

大飛行機事故便に乗る予定だった

これを聞いたら「生きてるだけで丸儲け」の本当の意味が分かる!

 

 

 

「商品に客を売る」、そんなビジネスを展開できる経営者はおそらくサイコパスと言われる。

 

良いイメージのない言葉だが、特殊な才能を持ち、その才能が時代にマッチしてるようだ。

 

身近な「サイコパス」から身を守るための知識

 

サイコパスの特徴

 

・外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである。

・恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える。

・多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり危険に思ってやらなかったりすることも平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える。

・お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のような取り巻きがいたりする。

・常習的にウソをつき、話を盛る。自分をよく見せようと、主張をコロコロと変える。

・ビッグマウスだが飽きっぽく、物事を継続したり、最後までやり遂げることは苦手。

・傲慢で尊大であり、批判されても折れない、懲りない。

・つきあう人間がしばしば変わり、つきあいがなくなった相手のことを悪く言う。

・人当たりはよいが、他者に対する共感性そのものが低い。

 

サイコパス』(中野信子著、文春新書 7~8ページ「はじめに 脳科学が明らかにする『あなたの隣のサイコパス』」より)

 

 

 

共感性が低いにもかかわらず、サイコパスが他者を騙して利用したり、詐欺を働くことができるのには理由がある。サイコパスは、相手の目つきや表情から、その人が置かれている状況を読み取る才能が際立っているというのである。

 

有能な経営者は、同時にサイコパスという時代になっていくだろう。

 

今の日本でも、その傾向は出ている。

 

 

その場合、大多数のサイコパスでない人々は自分の幸せの原点をはっきり理解しておかないと、サイコパスに振り回されてしまう。

 

振り回された挙句に負けるのは見えている。

 

サイコパスが才能であるように、自分の幸せに気付けるのも才能だ。

 

サイコパスが、ビジネスの世界で活躍できるということは、ビジネスが冒険の世界と共通する真に未知の要素が増え始めてることを意味するだろう。

 

 

 

人生を振り返ると、あの人はサイコパスだったんだと思える人物が一人いる、ある分野で世界を極めた人だった。

 

若干情緒不安定だったが、才能に溢れた人で、経営者であったが芸術家タイプだった。

 

そんな人と知り合い、意気投合し、請われていっしょに仕事をするようになった。

 

チャンス到来と思ったが、行動をともにするようになったら意気投合したことがウソのように全然うまくいかなかった。

 

あんなに一致していた言葉が、全く噛み合わなくなるとは思わなかった。

 

当時サイコパスということばを知らなかったので、反省点は「急速に結びつく人間関係には気をつけろ」としていた。

 

このブログを見るような人は、サイコパスの才能はないはずだ。

 

 

そんな方に贈る言葉は、

 

 

生きてるだけで丸儲け!

 

あなたは、どこに立っている?

情報の「のどごし」についての3回目になる。

 

「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて

弊誌のあるスタッフが「バズ」という現象についてうまいことを言っていた。記事が食べ物だとするなら、いま「読まれる記事」は、とにかく「のどごし勝負」だと言うのだ。栄養価でも、味でもなく、ただひたすら「のどごし」のいいもの。それだけが読まれ、消費されていく。

 

最近、情報の「のどごし」について考えているが、「のどごし」を求める人の特徴が受け身で行動することにあると思える。

 

受け身で行動する前提は、立場で行動することが関係してるかも。

 

ポジショントークとは、株式・為替・金利先物市場において、買い持ちや売り持ちのポジションを保有している著名な市場関係者が、自分のポジションに有利な方向に相場が動くように、市場心理を揺さぶる発言をマスメディア媒体などを通して行うことを指す和製英語[1]。有価証券の価格変動を目的として行われる「風説の流布」は虚偽の情報を流すことを指しているが、ポジショントークは「虚偽」ではなくあくまで「市場予測」であるため、これをもって風説の流布として摘発された事例はない。ただし明白に虚偽とは言えなくとも、合理的な根拠のない情報であれば罰せられるおそれがある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ポジショントーク

 

 

元々の意味は限定的だが、すべての人には、仕事や趣味や遊びなどを通じての価値観や人間関係があり、それらが総合して独自の世界観をつくりだす、その世界観がポジションとなるという意味では、人がする発言はすべてポジショントークとなる。

 

ポジショントークは、自分の立場が都合よく反映されるので次のような特徴が生じる。

 

・相手には義務の履行を強く求めるが、自分は義務の履行に熱心ではない 

 

・自分の権利は強く主張するが、相手の権利主張には無頓着 

 

・自分の価値観は尊重してほしいが、相手の価値観には鈍感 

 

・自分の感情やプライドには配慮してほしいが、相手の感情やプライドにはあまり配慮しない

 

引用:http://globis.jp/article/1774

 

 

発言はすべて何らかのポジションに基いてなされるという意味では、公正中立な情報は無いということになる。

 

だから、どういうポジションから発せられたのかを考える必要がある。

 

その情報に関連する登場人物(機関)は誰なのかを考える必要がある。

 

今、詐欺を含めて全てのビジネスが、「考えない人」をターゲットにしている。

 

「考えない人」の中には、考えてるだけで行動しない人も入ってる気がする。

 

行動するとは、体を動かすという程度の意味だが、それすらしない人が増えている。

 

 

「のどごし」とは、都合の良さの「つまみ食い」かも。

 

たまたま、自分の考えと似た情報に出くわすと、「やっぱり私は正しかった」とばかりに、無条件に信じてしまったりしてるのではないだろうか。

 

私自身にも当てはまる。

 

これは現代社会の落とし穴で、SNSやネット上で自分が選択した情報がタイムラインで流れる中で生活してるので、自分の偏りに気付かなくなる。

 

自分や自分が賛同する意見や考え方がメジャーであると勘違いする傾向にある。

 

これは、自分自身が陥る錯覚であるし、付き合ってる人がもたらす錯覚でもある。

 

現代社会では、好きな情報を「狭く深く」求めがちだが、並行して「広く浅く」という視点も必要になる。

 

 

自ら広い情報を求めるのはけっこう大変だし、そもそもアンテナが機能しないだろう。

 

だから、なんでも良いから誰か広く情報アンテナを張り巡らしているネット上の人を複数フォローすると良いかもしれない。

 

人間関係とコストのしがらみがないのがメリットだ。

 

デメリットと言うか注意点が一つある。

 

自分のリテラシーを高めてないと変な人を選択するかもしれない。

 

今という時代は、意見が異なると不快感を感じることが多いが、意見が異なるお気に入りの人を見つけられれば考え方や感じ方の幅が広がり、許容範囲が広がる。

 

ポリシーだと強く思ってる価値観も、たまたま所属してるポジションに迎合してるだけの場合が多いかもしれない。

 

自分自身の、立ち位置の確認は大事だ。

「のどごしの良さ」には気をつけろ!

「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて

弊誌のあるスタッフが「バズ」という現象についてうまいことを言っていた。記事が食べ物だとするなら、いま「読まれる記事」は、とにかく「のどごし勝負」だと言うのだ。栄養価でも、味でもなく、ただひたすら「のどごし」のいいもの。それだけが読まれ、消費されていく。

 

ここに出てくる「のどごし」について、今日は考えてみた。

 

のどごしの良さは、経験したからわかる感覚であるので、初めて経験する人には、その手前の段階にハードルがある。

 

経験した人には、良かったという記憶があるのでハードルが低くなるか無くなる。

 

経験者がアドバイスすることで、未経験者のハードルも下がるだろう。

 

口コミやSNSや検索で得られる情報も、この経験者のアドバイスと同じ役割を果たす。

 

 

普通に使う「のどごしの良さ」にネガティブなイメージはないが、今回は悪い意味で使われている。

 

ここで語られてる「のどごし」は情報の摂取に関してだから、そこを意識してみたい。

 

 

その昔、情報の入手や蓄積は簡単ではなかった

 

昔は、情報を入手することは勉強と呼ばれていた。

 

その時代の情報は、辞書や百科事典や図鑑や専門書がもたらしていたような気がする。

 

もちろん先生という存在も大きい。

 

これらの書物は、面白おかしくというような作り方はされてなかった。

 

必要な事柄だけが、紙面の許す範囲で記載されていた、だから解説の度合いも薄かったような気がする。

 

その薄さが疑問や質問を生み出し、想像力を掻き立てていた。

 

昔は、疑問や質問は、謎や不思議が生み出す好奇心が原動力だった。

 

だから、わからないことに取り組み、わかるようになるという喜びを知った。

 

と同時に、わかるということは簡単ではないというジレンマもあった。

 

わかるためには、手間暇と時間がかかっていた。

 

その手間隙や時間は、プロセスと言われ、かかるのは仕方ないことだと理解していた。

 

コストも掛かるが、それ以上に環境の影響が大きかった。

 

物知りで、知識が豊富な人はとても高く評価されていたし、洞察力も優れていた。

 

 

 

現在の情報の入手の仕方がもたらしたもの

 

現代人の知識の量は、昔の人より遥かに多いだろう。

 

現代と昔の間には数十年の時間があり、変化は緩やかに起こっていた。

 

最初の変化は、ビジネスの場で起き始めた。

 

プロセスより結果が重要視されはじめ、やがてプロセスは無駄なものと扱われるようになった。

 

ビジネスの場で起きた「即戦力指向」という変化は、受験中心の教育界にも浸透し、やがて趣味嗜好の世界にも浸透していった。

 

なんでもかんでも即戦力が求められ、すぐに結果を出すことが要求されたし、遊びや趣味の世界でもプロセスを楽しむ人が減ったように見える。

 

疑問や質問は、プロセスを省略するために正解を求めてなされている。

 

プロセスを省略して、すぐに結果を出すことは「生産性が高い」と言われている。

 

多くの人は、なんとなく気付いているが、プロセスを省略した先に正解なんて存在しない。

 

あるのは、「勝てば官軍負ければ賊軍」の世界観だけだ。

 

昔、知識がある人や勉強ができる人は、高い洞察力を持っていた。

 

しかし現在では、知識があり勉強ができる人は、正解があることに正解を出せるだけの存在にしか見えない、洞察力を身に付けているように見えない。

 

 

 

プロセスが省略された情報とは

 

「のどごし」をキーワードに考えていて思いついたのがスポーツ界の有り様だ。

 

スポーツが体育と言われていた頃、根性論がまかり通るなど間違った点もあったが、この世界でも即戦力が評価されるようになると、プロセスの省略のために体育の分野に医学が大きく介入するようになった。

 

大きくプロセスを省略するためにスポーツ界に介入した医学が追加したプロセスがある、それが薬だ。

 

スポーツ界に持ち込まれた薬の負の部分はドーピングと呼ばれている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ドーピング

スポーツなどの競技で運動能力を向上させるために、薬物を使用したり物理的方法を採ること、及びそれらを隠ぺいしたりする行為。

 

ドーピング禁止理由

 

スポーツの価値を損うため

ドーピングは、競技の楽しみや厳しさを奪い、結果としてスポーツの価値を損なうことになる。

 

フェアプレイの精神に反するため

スポーツは統一したルールのもと、公平に競い合うことが前提となっているが、ドーピングは公平性と真っ向から反する行為。

 

健康を害するため

ドーピングは、使用者の心身に悪影響を与える副作用が確認されており[4]、競技者等の安全や健康を守るためにもドーピングは禁止されている。

 

反社会的行為であるため、社会や青少年に悪影響を及ぼすため

選手がドーピングに手を染めていれば、ドーピングをよしとする風潮が蔓延してしまう。

 

 

 

プロセスが省略されることは、生産性が高く合理的だと考えられるが、良いことばかりではなく、トレードオフが発生することを忘れてはならない。

 

トレードオフしたものが何なのかは、個人差が大きく、顕在化するのに時間がかかるケースが多い。

 

だから結果が出せるというモチベーションが上回る。

 

上記のドーピング禁止の理由で挙げられてる項目は、学問の場や、ビジネスの場にも当てはまることが多い。

 

 

これらのドーピング的なことは、継続して意味を持つから、続く仕組みが必要になる。

 

それが「のどごし」だ。

 

意図的に仕掛けられた「のどごし」もあれば、たまたま「のどごし」が良いから、だらだら続けてることもある。

 

いづれにせよ、そこには気持ちよさがあるはずだ。

 

「のどごし」という単語にあまり拘る必要はないのだが、念のために検索すると、当然のごとくビールのことが上位にヒットする。

 

そんななかににちょっとおもしろいものがあった。

 

のどごしとはどういう意味でしょうか?ビールの飲めない友人に説明を求められ、あの微妙なニュアンスを伝えられません。

ベストアンサー

 

ビールを飲み込んで食堂のあたりを通過するときのあの感覚です。

シュワットした炭酸が刺激しながら通っていくのが快感ですよね。

ビールが飲めない人でもキリンレモンで試せますよ。

 

 

皆さんありがとうございます。

友人に伝えたところ、炭酸も苦手だということがわかりました…

 

 

 

のどごしの決め手は、「炭酸」かもしれない。

 

炭酸水のメリット、デメリット ダイエットや美容に効果的な5つの理由とは

ここでは炭酸ガスによる効果・効能をご紹介します。

 

確かに、炭酸水は喉がスカッとする反面、

何か他に食べ物を欲する感じがします。

 

砂糖たっぷりの市販炭酸飲料を飲んでいると

意味が無いですしね。

 

 

 

病気で入院した後、退院後の注意点として「炭酸飲料を飲まないように」と言われたことがある人は多いかもしれない。

 

私も言われたことがある、炭酸が良くないのかと思ってドクターに質問すると、炭酸飲料には過度な糖分やアルコールが入っているからということだった。

 

私は只の炭酸水を飲むだけだったのでその旨を告げると、それだったら構わないとのことだった。

 

 

 

かっぱえびせんが「やめられない、とまらない」理由

かっぱえびせんには1袋まるまる食べ切ってしまう魔力があります。

 

その疑問の答えについて、味覚学上では、一応の結論が出ています。

それは、脳の「報酬系」と呼ばれる神経に関係しています。

かっぱえびせんを食べると、脳の「報酬系」が刺激されるようなのです。

言葉を換えると、脳内麻薬によって中毒症状を引き起こしている、ということです!

 

脳の報酬系を刺激するのは 味覚だけではない。

 

 

脳の報酬系を刺激して、心にポジティブな影響を与えよう!

人は脳の報酬系が活性化できれば快感を感じ、習慣化できるようになります。

楽しいと思える行動をすると快楽物質のドーパミンが分泌されます。

これがとても心地よく、またやってみたいと思うようになるのです。

 

 

 

脳の報酬系をうまく活用しポジティブに、を合言葉にするような話は耳心地も良い、これが情報の「のどごし」に繋がるかもしれない。

 

即戦力ばかり求められる今という時代が生み出すストレスと折り合いを付けるためには「のどごし」が必要かもしれないが、それではストレスは解消されない。

 

 

即戦力の弊害

 

日本発のノーベル賞は減っていく……」 科学界に不安が広がる理由 2016/10/06

今年、ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典さん(東工大栄誉教授)の発言が注目されている。基礎研究についての発言だ。

「『役に立つ』ということが、とても社会をだめにしていると思っています。科学で役に立つって『数年後に起業できる』ことと同義語のように使われることが、とても問題だと思っています」

 

 

 

最近詐欺ビジネスや詐欺まがいビジネスが多い。

 

検索すれば山のように出るから引用しないが、最初から詐欺を意図したものは別にして、多くの経営者やビジネスマンが詐欺をお手本にしようとしてることは間違いないだろう。

 

詐欺師は、中身のない商品や劣悪なものを高値で売っている、そんな現実を知った時、扱ってる商品の良さに自信を持ってる人だったらこう思うだろう、「詐欺師のテクニックがあれば、この商品はさぞかし売れるだろう」と。

 

おまけに、やってることは詐欺にならないしと。

 

こういう動機で、詐欺ビジネスのノウハウを研究する経営者やビジネスマンは多いはずだ。

 

 

詐欺ビジネスのノウハウの要は、コミュニケーションのノウハウでもある。

 

そこには今風に、SNSを絡めたり、文章だけではなく、絵文字やアイコンやスタンプなどを効果的に活用することも含まれてくる。

 

こうして、やってることは正しいと思いながら、詐欺師と同じ匂いを発する人が街に増えてくるようになる。

 

 

のどごしに気をつけろ

 

敵は、脳の報酬系に作用し、「共感」を得ようと仕掛けてくる。

 

いったん「共感」を感じたら洗脳完了だ。

 

そこから抜け出すのは大変。

 

 

人間や動物には、危険を察知する能力がある。

 

だから情報も飲み物や食べ物も、入り口で選別している。

 

害があるものには、特有の味や臭いや食感や雰囲気がある。

 

だから、入り口でシャットアウトできていたのだが・・・。

 

 

のどごしの良さには要注意だ。

 

のどごしが良いものは疑ったほうが良い。

「のどごし」ってなんだろう?

ブログを始めるにあたって一番意識していたことは、自分の言葉で表現しようということだった。

 

仕事がらみでプレゼンなど表現することはあっても、プライベートな考えや思いを表現することを全くしない人生だったので、ブログを始めることはとてもハードルが高かった。

 

ブログを始める前から、好きで読むブログに一定の傾向があることから、自分の興味の守備範囲はうすうすわかっていた。

 

世間で起きるできごとを通じて、考えたことや思ったことを書いてきたが、やっていたのは書くことを通じての自分探し(自分確認)だったような気がする。

 

ブログを書くようになって一番の収穫は、意識して文を書けるようになったことであり、書いてる自分がそれなりに気持ちよさを感じられるようになったことだ。

 

文を書く習慣が全く無かったので、以前はやたらに丁寧な言葉を重ねてくっつけるような文しか頭に浮かばなかった。

 

例えば、「・・・ですますございます」みたいな。

 

あれも言いたい、これも言いたいと思い全部詰め込み、結局何が言いたいかわからなかったりしていたが、語尾を言い切る形や、体言止めのように終わらせるとクドさがなく自分自身がすっきりして気持ちいいことに気付いた。

 

こんなことを書いてみようと思ったのは、以前にも書いた想田和弘監督の「観察映画の十戒」を最近強く意識するようになってきたからだ。

 

 

カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論 (知のトレッキング叢書)

カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論 (知のトレッキング叢書)

 

 

 

(1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。

(2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。

(3)台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。

(4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。

(5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。

(6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。

(7)編集作業でも、予めテーマを設定しない。とにかく撮れた映像素材を何度も観察しながら、自分にとって興味深い場面をピックアップし、場面ごとにシーンとして構築してみる。シーンがだいたい出揃ったら、それらをパズルのごとく順番を並べ替えたり、足りたり引いたりして、徐々に一本の作品としての血を通わせて行く。その過程で、一見無関係なシーンとシーンの間に有機的な関係を見出したりして、徐々に自分の視点やテーマを発見して行く。発見したら、それが鮮明になるように、更に編集の精度を上げて行く。同時に、映画として見応えがあるように、編集のリズムやドラマティックな構成を整えて行く。

(8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。

(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。

(10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

 

「観察」という観点で世間を見るのもおもしろいかもしれない。

 

 

これまでは、世間に眼を向けながらも、見てるのはあくまでも自分自身だった。

 

また、日本や世界や地球という大きな括りで見ることはしてきたが、個人としての他人にはあまり眼を向けなかった、眼を向けた個人は著名人や好きな人だけだったが、名もない市井の人に眼を向けてみたいという考えが出てきた。

 

世の中がどう変わろうと、人間同士のコミュニケーションが重要な事に変わりはない。

 

 

世間の多くの人はなにに反応してるのだろうか?

 

今年(2017年)の正月に出た下記の記事。

 

「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて

弊誌のあるスタッフが「バズ」という現象についてうまいことを言っていた。記事が食べ物だとするなら、いま「読まれる記事」は、とにかく「のどごし勝負」だと言うのだ。栄養価でも、味でもなく、ただひたすら「のどごし」のいいもの。それだけが読まれ、消費されていく。

 

ここで指摘されてる「のどごし」は多くの事柄に当てはまっているかもしれない。

 

「のどごし」の反対に位置する価値はなんだろうか?

 

簡単に浮かぶのは「噛みごたえ」のような気がする。

 

「のどごし」を求めてる人も、その自覚はない可能性が高い。

 

だとすればそれは時代のせいだ。

 

個人的には「噛みごたえ」にこだわりたいが、それだけでは伝わらないだろう。

 

次のブログは「のどごし」という観点で世の中を見て、考えてみたい。

ネット通販よりリアル店舗が良かったこと

時々ネット通販を使うが、使用頻度はさほど多くないかもしれない。

 

価格(相場)の確認のためにアマゾンや価格ドットコムを見て、リアル店舗の価格と比較すると、ネット通販に魅力を感じることもあるが、ネット通販をためらう商品カテゴリーがあるという話をしてみたい。

 

ズバリ言うと制御が複雑で高度な電化製品だ。

 

不具合の発生が目視では判断できない商品だ。

 

つまり一番怖いのは初期不良の発生と、その後の手続きのストレスだ。

 

今から8年くらい前にPCとテレビをネット通販で立て続けに買った時、買った後に急に不具合を起こしたらどうすればいいんだろうと考えた時、すごくストレスになったことがきっかけだった。

 

購入前に初期不良についても考えたが、今時の電化製品の初期不良の発生なんてほとんどないだろうとたかをくくったことを覚えている。

 

幸い、PCもテレビもトラブルを起こすことは無かった。

 

実はその後制御が高度な電化製品は、リアル店舗で買っていて3回初期不良の発生に遭遇している。

 

内1件は昨日経験したのだが、過去の初期不良について書いてみたい。

 

最初はipodtouchだった。

 

購入はappleストアだった。

 

保証は購入後1年という状態だったが、間もなく1年経つという頃に急にバッテリーの持続時間が短くなってきた、使用頻度は多くなかったので我慢しようかと思ったが、appleの対応を試してみようと思い連絡を取った。

 

実に気持ちいい対応で、一切のストレスがなく、宅配業者が商品を取りに来て、後日「バッテリに不具合があったので修理ではなく、代品を送ります」と連絡があり、戻ってきた。

 

この時は費用は電話代を含めてゼロだった。

 

次の初期不良もappleなのだが、macbookairを購入したときだった。

 

この時は初期不良についてはっきり心配していたので、店頭で初期不良の対応は確認していた、買ったのは大手量販店。

 

その時は、買って1ヶ月以内くらいだったら店頭で対応します、それ以降は窓口はappleになりますとのことだった。これは2013年の話で現在は最初から窓口はappleになるらしいと聞いてるが店舗により若干違うだろう。

 

購入したのはairの11インチで、はじめてのmacだったが、すぐに慣れた。

 

しかし11インチはちょっと小さく感じ、13インチにすれば良かったと、その点だけ後悔を感じていた購入後三日目に突然起動しなくなった。

 

ネットで検索し、ユーザーレベルでできるすべての復旧を試みたがダメだった。

 

試みた方法を紙にまとめたものと購入時のすべてを持参し買った量販店に出向くと、担当者が同様の作業をしていたが、初期不良を認め交換に応じてくれた。

 

この際に差額を払うから13インチに変更してくれとお願いすると、これにも応じてくれた。

 

サイズに不満を感じていたので、この初期不良のおかげでむしろ結果オーライになった。

 

リアル店舗は上手に使うとストレスが少ない分だけ良いかもしれないと感じているところに、またその思いを強くさせる出来事を経験した。

 

最近撮影に関心が出てきたら、どうせだったら音もリアルに録ってみたいと思うようになり、レコーダーに関心を持つようになってきた。

 

自然の音をリアルに録ることが目的だ。

 

候補に挙げたのはこれ。

 

 

TASCAM リニアPCMレコーダー DR-05VER2-JJ

TASCAM リニアPCMレコーダー DR-05VER2-JJ

 

 

macbookairを買った量販店とは別の量販店で5月13日の午後購入。

 

自宅の室内で動作確認を行い、きちんと動作することを確認する。

 

このTASCAM-DR-05の購入に当って、一つだけバクチの要素があった。

 

この機種は、基本単三電池2本で動作させるのだが、USBによる給電でも動くので手持ちのモバイルバッテリーが使えればありがたいと思っていたし、ネット上で同じようなことを考え、うまく行ってる人の書き込みも見つかったので期待していた。

 

自宅での動作確認ではこれがうまくいったので満足していた。

 

なお電池で動作させると画面右上に電池マークが出る、電池を外しモバイル給電の場合は右上にマークが出る。

 

 

翌14日近所の山に森の音でも録ろうと思い出かけるが、モバイルバッテリーのみを繋いでいるのに右上に電池マークが出る、まあうまくいくならかまわないので録音をスタートするが勝手に電源が落ちる。

 

設定の問題かと思いいろいろ試すが改善せず。

 

PCと接続するとなんとかなるかもと思い、とぼとぼと家に帰りPCと接続するが別に新たに打つ手はなく、またこの際もUSB給電なのでマークが出なければいけないのだが電池マークになっていたので購入店に持って行った。

 

購入店ではすぐに交換に応じてくれ、念のためにPCにつなぎ、マークが出ることを確認してくれた。

 

なお、購入価格は税込み¥12,020−でポイントが10%ついたので価格も高くないし、量販店までは自転車で行くから別途費用もかかってないし、むしろ運動になって良いくらいだ。

 

初期不良が心配なものは、信頼できるリアル店舗で買うのが1番ストレスが少ないだろう。

 

この信頼できるって部分は、現場では個人的な資質にかなり依存するので、人を見る目が問われるし、逆に自分も同じ目で見られているだろう。