違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

バベルの塔が壊れても、張られた伏線が奇跡を起こす

今回の人生は失敗だったなと思うことの多い今日この頃だが、なかでも最大の失敗は日本語しかできないことだ、中途半端に勉強することが数度あった英語だが、具体的な目標があるわけではなく結局身につかなかった。

 

もし世界の言語が1つになるような時代がこれから訪れるとするならば、英語になるのかなと思う。

 

日常会話では、英語人口は1番多いわけではないが、それにプラスでビジネス会話やプログラム言語まで含めると英語人口が1番になるだろうから。

 

世界の言語が1つになるということを考えていたら、思い出したのが”バベルの塔”だ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの塔

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バベルの塔の絵を見たことがある人は多いだろう、漫画なんかでも取り上げやすいし。

 

バベルの塔を拠点にした漫画で有名なのが横山光輝の”バビル2世”だ。

 

そんなバベルの塔は、神に逆らった人間が受けた罰の成れの果てだと伝えられてる。

 

当時世界中の人間は一つの言語を話していた。

 

世界中に散り散りになってる人を一箇所に集めて生活するのが良いのではないかと考え、世界中の人が集まって暮らせるように高い塔を作り始めた。

 

天高くそびえる塔が出来上がる様子を見ていた神は、これ以上人間を調子に乗せたらダメだと考え、塔を破壊し、地域ごとに違う言語を与え、世界の人が全員で統一された目標に向かえないようにしたと伝えられている。

 

 

英語ができないコンプレックスを考えていて、思い出したバベルの塔の話しが思い出させてくれたのが、数ある言語のなかの一つの言葉しか話せないというのはそんなに悪くないかもということだ。

 

これから世界で起ころうとしてることは、調子に乗りすぎた人間に対する神様の罰かもしれない。

 

「世界は閉じた地域帝国に再編、経済成長は終わる」水野和夫氏に聞く

──資本主義が行き詰まり、国民国家との関係も変わったということですか。

 

歴史的に位置づければ、国家というものの下で、民主主義と資本主義をベースに成り立っていた「近代」システムが制度疲労を起こし、次の段階に入り始めたということでしょう。

 

 

 

「定常経済」と言われる利潤や成長を求めない経済では、市場は、資本の利潤を生む場ではなく、単純に資本やモノを交換する機能だけでいいと思います。地域で得られる原材料や食材などをもとにした生産品や、地域の労働力を使ったサービスをその地域で提供して、それで得た所得を地域で消費する循環型の経済を目指すことが重要なのです。

 

 

また、リーダーと言われる人達が、明るい未来を提示できなくなっているように見えるし、リーダーもそのことを自覚している。

 

経済は選べるようになるか?個人が主役の『時間経済』の試み

経産省が作ったペーパーにこんな一文がありました。

 

みんなの人生にあてはまりみんなに共感してもらえる「共通の目標」を政府が示すことは難しくなっている。

 

昔はこの「共通の目標」を作ることが政府の役割でしたが、今は統一した価値観を形成することの意味は薄れてきています。むしろ反対に、多様化した世界をありのまま受け止めて、社会の多様性を失わないようにすることが行政の役割になってきているとすら感じています。そのために必要なテクノロジーは十分発達しています。

 

 

バベルの塔と言ったら個人的に絶対外せないのがドラマ相棒のseason5の11話。

 

http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_05/contents/story/0011/

元日スペシャル「バベルの塔~史上最悪のカウントダウン!爆破予告ホテルの罠」

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ゲスト:大塚寧々 遠藤章造 寺島進 杉本哲太 冨家規政 中村綾 梨本謙次郎 佐々木麻緒 

 

脚本:古沢良太

監督:和泉聖治

 

 

 

まるで現代のバベルの塔のような超高層ビルを見上げた右京。楓親子に視線を移すと静かにつぶやいた。

「昔、世界の言語は一つだったそうです。人々は高い塔を作って住もうとしましたが、神の怒りに触れ、言葉を通じなくされました。お互いを理解できなかった人々は散り散りになったという話です。ところが今日、言葉をしゃべらない少女によって、バラバラだった人々の心があのように…」。

 

 

年末の夕方からの数時間のできごとを2時間半のドラマにおさめている。

 

幸せの頂点を迎えるはずの楓(大塚寧々)が、ほんの数時間で持ってた幸せを全て失い絶望するさまが、これからAI時代が始まり、資本主義がダメになり、どうしようかと焦ってる姿とダブる。

 

しかし、生きていると知らないところで伏線が張られていたことに後から気付くことがある。

 

このドラマにもさまざまな伏線が張られていて、すべてを失い絶望し死を選ぼうとする楓に奇跡を起こす。現象だけ見ると奇跡でも、起きるべくして起きる奇跡はごく自然な流れで起きる。

 

いや奇跡は起きるのではなく、張られた伏線が起こすのだ。

 

 

 

全てを失ったはずの楓が、全てを手に入れていた。

 

手に入れた幸せは、数時間前に夢見ていた幸せとは全く違うものだった。

 

手に入れた幸せは、数年前に諦めた幸せであり、捨てた幸せだった。

 

 

誰でも生きているだけで、張られている伏線を持っている、これは努力や頑張りとは違う種類のもので自分ではわからない。

 

張られた伏線が奇跡に繋がるかどうかは、神様次第だ。

 

念のため書くが、ここで言う神様は宗教が嫌いな神様だ。

 

そんな神様に好かれた人に、張られた伏線が奇跡を起こす。

 

 

 

冒頭で今回の人生は失敗だったかもと書いたが、そうでもないかもしれない!

AI時代は悩むことを楽しむ時代

AI時代を迎えるという危機感を語る記事やブログが増えている。

 

AI時代にまったく備えないその日暮らしの日本人たちよ

日米とも1000人以上に聞いてるのでかなりの精度なんですが、アメリカの就労者の8割近くがきたるAI時代に備えて知識を学んだり転職を考えたりいろいろしてるのに、日本は過半数が出たこと勝負・・・・・

 

1年くらい前からAI時代に備えるというキーワードが増えてきて、これまでの時代と何がどう変わるのか、どう対処すればよいかを語る記事が増えてきた。

 

AI時代に「勝ち残る子」を育てる

このコラムについて

AI(人口知能)が人間の仕事を代替する社会が現実のものになろうとしている。子供たちをAI時代でも求められる人材に育てるためには、どんな教育が必要なのだろう。親世代が受けてきた教育は、もはや時代遅れになっているかもしれない。このコラムでは、リクルート出身で「教育改革実践家」として活動を続けてきた藤原和博氏と、高校の英語教師で、アクティブ・ラーニングを授業で実践している山本崇雄氏の対談を通してこの問題について考える。企業や組織の人材教育にも必要な視点が見えてくるはずだ。

 

 

 

AI時代到来と言われ始める一足前からビジネス界ではプラットフォーム競争が顕在化している。

 

元々はベースとなる場を意味したプラットフォームだが、最近はそこから派生したベースとなるシステムなど、ビジネスや社会インフラの土台となる新しい仕組みを意味する使いかたが主流になっている。

 

一度定着すると長期に渡り運用されるので、木に例えるならば根や幹となる。

 

ごく普通の人がビジネスを語る時、暗黙のうちに枝葉のことを語っている。

 

 

AI時代が到来するとは、根や幹が変わることを意味する。

 

当然葉や枝もそっくり入れ替わる。

 

実際のAI時代がどうなるかはわからないが、プラットフォームの見え方が変わるという経験を我々は過去(と言っても最近)にしているので、そのことを思い出してみたい。

 

自由化や規制緩和で開放された事業のうち、立ち上げてしばらくは莫大な投資が継続的に必要となる事業があった、代表的なものを挙げると。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/規制緩和

 

日本電信電話公社民営化

国鉄民営化

電力自由化

 

 

利用者にとって規制緩和のメリットは料金が下がることで、それ以上のことに関心を持たないが、上記事業の根や幹にあたるのは、日本全国に網を巡らせるということだった。

 

しかし多くの利用者にとっては根や幹は日常意識しない。

 

 

この根や幹にあたる網の部分は、規制緩和されても競争対象にはならない、真の意味での公共財となるので、コストは無視できないが必要なスペックを備えるものが採用される。(安かろう悪かろうは基本ありえない)

 

競争原理に晒されるのは枝葉の部分となる。

 

とは言えJR北海道などでは必要なスペックの維持が困難になりだしたりしてるので例外は発生しうる。

 

規制緩和の促進は、網を巡らすという投資が終わったからとも言えるので、無料開放すると言いながら開放されない高速道路には闇を感じる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/高速道路無料化

 

 

来るAI時代を考えるのに、電力の自由化が参考になるような気がするので振り返ってみたい。

 

電力の自由化が真の意味で行われる時は、発送電の分離が行われる。

 

現在は自由化は表面上完了してるが、発送電は分離されてない。(2020年予定)

 

発送電が分離されてない状態では、電力は発電所という上流から、利用者という下流へ流れるイメージで捉えることが多い。

 

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図の引用:電気事業連合会ホームページより

 

この図で見ると、プラットフォームは、発電所や変電所であり送電網は意識されない。

 

 

しかし発送電分離が完了すると下図のように、実は根幹は送電網だということが見えて、発電所も変電所も利用者(需要家)もすべて送電網という根幹にぶら下がった枝葉に見えてくる。

 

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図は経済産業省が定義したスマートグリッドの構成要素

 

 

この100年間人間は、上下の序列を付け、上なのか下なのかばかりを気にして、少しでも上をと目指して生きてきたが、次世代プラットフォームは上下で位置づけるのではなく、上下のように見えていた位置関係が実はループ(輪)を描くようなものだったということに気付かされる時代になるような気がする。

 

これからAI時代を迎えると、人の居場所が無くなると言われるが、元いた場所がなくなるだけで、何も無いように見えていたところに開いてるスペースがあることに気付くような時代になるだろう。

 

正解や模範解答のような予め準備されたことが意味を持たなくなる。

 

正解が準備されてるということは、問題も予め準備されてるということを意味する。

 

だから予定調和が成立した。

 

AI時代には、正解がある問題の多くはAIが担当する。

 

人間が担当するのは、問題が何かは前もってわからないことや、正解がないことになりそうだ。

 

だから、生産性や効率を求める人にはツライ時代になり、試行錯誤を楽しめる人が強い時代になるだろう。

賢い人はコストパフォーマンスを求めない

コストパフォーマンスという考え方がある。

 

最近では略してコスパでも通じるくらい一般的な言葉になった。

 

いつ頃から使われたのか少し検索すると、

 

コスパ(コストパフォーマンス)という言葉はいつから

質問者が選んだベストアンサー

もともとは自動車業界で「価格性能比」という言葉があったのですが、自動車雑誌系、なかでもカタカナ名称の雑誌系が価格性能比をわざわざ言い直してコストパーフォーマンスと書いていたのを覚えております。二玄社という雑誌社に小林彰太郎さんという編集長がおりまして、この方は英語も堪能だった(である)方ですので、この小林さんあたりが流行らせたのではないかと想像しております。やはり1970年代前半です。

 

質問者はオーディオマニアのようで、オーディオ界では1970年台半ばにコストパフォーマンスという概念が生まれたと記憶してるようである。

 

自動車もオーディオ(家電)も、日本の成長とリンクし商品ラインナップが急拡大していた時期と重なっている。

 

そもそもコストパフォーマンスとはどういう意味かというと、

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/コストパフォーマンス

  • コストパフォーマンスが高い、コストパフォーマンスが良い(支払う金額よりも価値が高い)
  • コストパフォーマンスが低い、コストパフォーマンスが悪い(支払う金額よりも価値が低い)

 

商品ラインナプの急拡大と商品価格のバラつき幅に消費者が戸惑っている様が想像できる。

 

暗黙の了解で、高性能な製品やサイズが大きいものが高級で価格が高いとされていた時代だったので、選択肢が多い中から低価格帯商品を選ぶことにコンプレックスを感じさせる時代でもあった。

 

自動車やオーディオと言うジャンルは高所得者向けだったが、1970年台は庶民への普及を業界が意図し始めた転換の時期でもあった。

 

高級だから値段が高いと思われているジャンルの値段の安い商品を、見栄え良く演出するために用いられたのがコストパフォーマンスという概念だったのだ。

 

”この安い商品を選んだあなたは賢いんですよ、だって得してるんだから”という気持ちにさせるために用いられた。

 

そのためにカタログの充実が図られた。

 

美しく作られたカタログは収集の対象にもなり、商品の比較が容易にできるようになり、価格差を生み出す違いが何なのかが消費者にも見えるようになってきた。

 

スペックだけでは価格差を正当化出来なくなると、デザインの差別化が行われ、値段が高いものは美しくかっこ良く見えるようになっていった。

 

商品比較を行う事に慣れた消費者は、豊富な知識を持つようになり、メーカーはレベルの低い商品を作れなくなっていった。

 

このような流れを繰り返すうちに高級という価値観は、高性能というよりは希少性にその拠り所を求めるようになった。

 

希少な材料を用いたり、生産数を限定することで希少性を出したりすることで、もはや高級にはコストパフォーマンスという考えは全く当てはまらなくなった。

 

 

コストパフォーマンスという価値観は、つまるところ”得をしたい”となり、全てのジャンルで求められるようになった。

 

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9310984.html

質問

やたら大盛りを得意げにする店って有りますよね

 

そんなに食えね~し とか そんなに旨くもねーし

 

どうなんですかね 大盛りってそんなに嬉しいものですかね?

正直 味の自信の無さが現れているような

 

学生街の飯屋は勿論違いますよ

 

体が求めている20歳未満は回答除きが希望です

 

 

回答(3人の回答の一部抜粋)

結局彼らの「美味しい」という基準は美味なのではなく「いっぱい食べられる」「満腹になる」という意味だと分かりました。いくつになってもそういう人は確実にいて、それほど美味しくない料理をたくさん食べて満足なのです。

 

味に自信が無いに同意します。

 

もう50ですが、大盛り嬉しいです。

ハッキリ言って普通では全然足りない。

ほとんどの普通盛りが誰に合わせて言っているのか判らない。

 

 

 

商品でないものもコスパで判断されるようになっている。

 

「結婚ってコスパ悪いよね」論には、われわれ大人世代が反省すべきでしょう

○○をするのはコスパが悪い」はいつから定型句になっただろう?AERA 6月号で「結婚はコスパが悪い」と特集が組まれる前からネットでは似たような言説が出ていた。ざっくり纏めると、こんな論旨だ。

 

結婚はコスパが悪い。結婚しても離婚するかもしれないし、相手の隠れた悪癖が見つかるかもしれない。

子育てはコスパが悪い。学費は無尽蔵に増える課金ゲームだし、学歴を担保しても仕送りや介護をしてくれるとも限らない。

 

 

 

 

そして最近では、こんな話が増えてきている。

 

養老孟司 90万部『九十歳。何がめでたい』が売れる時代に危惧

「例えばこんなくだり。佐藤さんがテレビの不調でなじみの電気屋に連絡すると、頼んでもないのに出張修理の人が駆けつけてきて、リモコンをチョコチョコして直しただけで4500円も取られたというエピソードです。

 

これ、ぼくにも似たような経験があります。ぼくの家には、某通信会社と契約しているWi-Fiがあるんですが、ある日、その会社が『総務省のお達しにより、より安全なWi-Fiに取り替えます』と言ってきたんですよ。しかも、それが月々3000円かかるという。そこでぼくが『これまでは何が危険で、今後はどう安全になるんですか?』と聞くと、担当者は答えられない。

 

ある意味詐欺なのだが、それはユーザー目線で見るからかもしれない。

 

従来のコストパフォーマンスというのは、ユーザーにとっての話だったのだが、最近では、売る側もコストパフォーマンスを求めるようになり、その際にユーザー側への配慮が殆どなされない。

 

上記のエピソードのどこがコスパの高さに繋がってるかというと、営業経費が0円だという点だ。

 

ビジネス的な言い方をすると、既存顧客をリピーター顧客に仕立て上げようとしているのだ経費0円で。

 

コストパフォーマンスという価値観は、究極的にはすべての人を対立関係に導く。

 

コストパフォーマンスの追求の現れの一つが大盛りや大食いにつながってるとすれば、その数年後数十年後に大きなツケが回ってくる。

 

行き過ぎた現在のコスパは、得をしてるようで不幸せに向かうものに見える。

 

賢い人は、コストパフォーマンスという考えから離れているだろう。

予測力を高めても儲からない

 

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

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超予測者は、空いた時間に手に入る情報だけを頼りに世界の出来事を予測してるアマチュアである。

2013年ワシントン・ポストは、超予測者は「傍受通信をはじめとする機密情報を利用できるインテリジェンス・コミュニティの分析官の平均を役30%上回るパフォーマンスを示した」と報じた。(P132)

 

 

計算できるものやことのことを線形性があると言う。線形性があるとシミュレーションが可能となり、その延長線上に予測が成立する。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/線型性

線型性をもつことで、物理学や工学においては初期値を与えてやればその後の挙動の予測が単純化できるという利点がある。

 

線形性が成立する分野に関して、人間は高度に技術を高め発展してきた。

 

今行き詰まりを感じさせている世界は、この線形性が成立する世界だ。

 

これに対し、予測が不可能な世界をカオスと言う。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/カオス理論

カオス理論(カオスりろん、chaos theoryChaosforschungThéorie du chaos)は、力学系の一部に見られる、数的誤差により予測できないとされている複雑な様子を示す現象を扱う理論である。

 

カオス理論のわかりづらさを説明する時に用いられるのがバタフライ効果。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/バタフライ効果

気象学者エドワード・ローレンツによる、がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、という数値予報の研究から出てきた提言に由来する。

 

これからの時代は、予測が困難なあるいはできないことを予測することが求められる。

 

予測には大きく二つの種類がある。

 

人間にはどうしようもない大自然や宇宙の理屈で動いている事柄と人間の利害関係や活動に起因する事柄。

 

地震や大災害は、起きることや起きた場合の規模は予測できても、いつどこでが予測できない。

 

人間活動では、予測を求めるのは政治経済のリーダーだ。

 

一般社会では会社経営者もリーダーに含まれるので、かなり多くの人がリーダーとして存在してる。

 

リーダーには断定する強さと、一旦断定したらそれを貫く強さも求められる。

 

それができるから皆リーダーに付いて行く。

 

一方で、リーダーには先を見通す高いレベルの予測力が求められるが、予測は新しい判断材料が得られるたびに修正されなければならないということは、一回断定した判断を、条件が変わるたびに変えていかざるを得ないというリーダーの資質と矛盾する行動が要求される。

 

あまりにも複雑な現実を踏まえ、超予測者になるために必要とされる資質は「謙虚」。

 

だから、予測者として優れたリーダーは、リーダーとして優れてるとは評価されないかもしれない。

 

絶えず予測の修正が迫られる現場では、意思決定の判断は現場に委ねられねばならない、だから「司令官は部下に目標を伝えるが、その達成方法は支持しない」という戦争や軍隊に見習う戦術が適用される。

 

これを聞いて思い出したのがディズニー商法。

 

これがディズニーの哲学!アルバイトのキャストが取った行動

ディズニーリゾートで働くスタッフの9割がアルバイト

東北地方太平洋沖地震が起こったあの日、キャスト自らが判断し行動したことに、ガチで感激しました。

 

こんなこと、アルバイトが判断できるとは到底思えません。でも、彼らはそれを自らの判断でやってのけたんです。

  • パーク内のおみやげ用お菓子を食料としてゲストに配る
  • ダッフィーの大きなぬいぐるみを防災ずきん代わりに配る
  • おみやげ用のビニール袋を寒さ対策に配る
  • いつ落ちるかわからないシャンデリアの下に立って、「私は、シャンデリアの妖精です。」とゲストを安心させる。
  • おみやげ用の袋に隠れミッキーがいますとゲストを楽しませる

 

 

ディズニランドでは自然な流れで9割を占めるアルバイトですら判断できることは、ディズニランドだからできると例外扱いを受ける。

 

ディズニーが見事なのは、現場で要求される判断が高度で特殊なものにしてない点だ。

 

現場で事態に直面したキャスト(ディズニーのスタッフ)がやりやすい行動が正解になるように仕組みづくりがされてることだ。

 

このディズニー流のやり方を真似る企業が思い浮かばない。

 

わかっているだけではできないのだろうし、多くの経営者が予測力を持ち合わせてないことを示しているように見える。

 

いや予測力を持ち合わせてないのではなく予測の仕方が身についていないのだろう。

 

『超予測力』のなかで、超予測者を目指すための10の心得が挙げられている。

 

  1. トリアージ(努力が報われそうな質問を選別し格付けするという意味)
  2. 一見手に負えない問題は、手に負えるサブ問題に分解せよ
  3. 外側と内側の視点の適度なバランスを保て
  4. エビデンスに対する過小反応と過剰反応を避けよ
  5. どんな問題でも自らと対立する見解を考えよ
  6. 問題に応じて不確実性はできるだけ細かく予測しよう
  7. 自信過小と自信過剰、慎重さと決断力の適度なバランスを見つけよう
  8. 失敗した時は原因を検証する。ただし後付バイアスにはご用心
  9. 仲間の最良の部分を引き出し、自分の最良の部分を引き出してもらおう
  10. ミスをバランス良くかわして予測の自転車を乗りこなそう

 

 

2016年10月に日本語版が出版されたこの本で一つだけガッカリだったのは、イギリスのEU離脱やトランプ大統領誕生(大統領選の最中)には全く触れてない点だ。

 

予測は日常生活のなかにも政治経済の最先端でも行われている。

 

正解は結果で示されるという意味では、

 

当たるも八卦当たらぬも八卦であり、

 

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるでもある。

 

しかし、予測の的中率が高くかつその予測理由が理にかなってる人には見習う点があるのは確かだろう。

 

予測を当てるということを真実を見抜くという意味で使うならば、障害になるのは嘘や間違った情報であり、それらの元になる雑音情報だ。

 

予測とは、雑音情報の消去から見えるものは何かを当てるゲームだ。

 

しかし、雑音情報は無くても、そもそも情報自体が少なければ何も見えてこない。

 

だからといって、情報を多く求めると雑音情報が増えるというジレンマも生まれる。

 

雑音を含めて情報はすべてポジショントークだ。

 

歴史を振り返ると、人間は同じことを繰り返しているように見える。

 

含蓄のある先人の知恵である諺には、それどっちが正しいいのと思える正反対の意味の諺がある。

 

ことわざの反対語

・「善は急げ」⇔「せいては事を仕損じる」

 

・「三人寄れば文殊の知恵」⇔「船頭多くして船山に上る」

 

・「渡る世間に鬼はなし」⇔「人を見たら泥棒と思え」

 

・「二度あることは三度ある」⇔「柳の下のどじょう」又は「三度目の正直」

 

・「一石二鳥」⇔「二兎を追うものは一兎を得ず」又は「虻蜂取らず」

 

・「危ない橋を渡る」⇔「石橋をたたいて渡る」

 

・「瓜のつるになすびはならぬ」⇔「とびが鷹を生む」

 

・「おぼれる者はわらをもつかむ」⇔「鷹は飢えても穂をつかまず」

 

・「果報は寝て待て」⇔「まかぬ種は生えぬ」

 

・「好きこそものの上手なれ」⇔「下手の横好き」

 

・「立つ鳥後をにごさず」⇔「旅の恥はかき捨て」又は「後は野となれ山となれ」

 

 

 

まだ諺にはなってないが、こんな言葉もある。

 

 

・欲があるから騙されるが、欲がなければ儲からない

 

・宝くじは、買わなければ当たらない

 

 

そもそも、超予測者とはこういう人だったということを思い出す必要がある。

 

 

超予測者は、空いた時間に手に入る情報だけを頼りに世界の出来事を予測してるアマチュアである。

2013年ワシントン・ポストは、超予測者は「傍受通信をはじめとする機密情報を利用できるインテリジェンス・コミュニティの分析官の平均を約30%上回るパフォーマンスを示した」と報じた。(P132)

 

 

超予測者が手にするのは、予測を当てたという名誉だけなのだ。

 

 

神様はやっぱり平等のようだ、超予測力はアマチュア精神の持ち主に宿り、予測の的中率で儲けようとしたら的中率が下がるのだ。

 

予測力を高めることは、間違いなく人生の役に立つが、たぶん儲からない。

 

投資の世界で儲けてる人は、予測が当たっているのではなく、きっと別の理屈があるはずだ。

今起きてることを予測できてたか?  これから起きることを予測できるか?

うまくいってるビジネスは、新規顧客とリピーター顧客の両方を満足させる。

 

一見ビジネスのように見えないエンタメの世界もビジネスの理屈で動いている。

 

リピーターと新規顧客を獲得コストで比較する :音楽活動のヒント

ライブ集客に限らず、あらゆるビジネスの世界でも、リピート客の獲得は新規顧客の獲得よりも、必要なコストが1/5以下であると言われています。

 

 

表面上の数字だけを見ると需要が喚起されてるように見えるが、実はそうでもないこともある。

 

オフィス大量淘汰時代が到来する 見かけの空室率改善の陰で「テナントドミノ倒し」が始まっている - 牧野 知弘

ここ数年で、都内の既存オフィスビルが建替えにあたって取り壊され、ビルを追い出された大量の「テナント難民」を生じさせているのだ。難民の多くが既存ビルの空室に収まったがゆえに、既存ビルの空室率が大幅に改善する。このシナリオで計算すると、実は、ここ数年における空室率の3%以上の改善は、ほぼ説明ができてしまうのだ。

 

リピーター顧客を増やせとよく言われるが、増えるのが良くないと言われる業界もあるようだ。

 

大東建託現役社員が「経営陣の総入れ替えを」と悲痛な叫び

ところがリーマンショック以降、そんな顧客層に異変が生じている。新規顧客とリピーター顧客の比率が逆転し、今では受注の65%以上がリピーター頼りとなっているのだ。

 

提供するサービスは、自社で完結するというのが一般的な時代が長かったが、ネット上で価格比較サイトなどが増えてくると、比較検討が簡単にできないと検討対象にすらならないという動きが当たり前になりつつあるようだ。

 

この流れに抵抗できるのは、日常的にリアル店舗を活用する業種や分野だけになるかもしれない。

 

日常の買い物は、実際に現物を直接目で見てから選びたいと思う人や思わぬものとの出会いを楽しむという気持ちがある人にとっては、リアル店舗が優位だったりする。

 

しかし、頻度が少ないものや高価なものは、失敗したくない失敗できないという思いで見てしまうので、第3者の評価が重要になる。

 

この場合の第3者として機能するのが2種類ある。

 

1つは、利用者としてのユーザーの評価だ。

 

リピートする商品に関してはユーザー情報は、信頼性の点で強い(鵜呑みはできないが)。

 

もう1つは、プロや事情通の比較による評価だ。

 

一度買ったら長期間使用するものは、ユーザー体験が参考にならないことも多いので、多様なユーザーを知っているプロの目線が参考になることがある。

 

商品やサービスに関しては、ユーザー自身が調べればわかるが、アフターフォローまで考える場合は、事情通の意見を聞かないとわからないことがある。

 

新生活に伴うサービス、利用者目線で提供 リベロ・鹿島秀俊社長

同社は全国の優良業者と提携することで、利用者の立場からサービスを供給している。鹿島秀俊社長は「『リベロに頼めばすべてやってもらえる』という信頼を得たい」と話す。

 

類似のビジネスは、保険業界などが先駆的だったが、提携企業と顧客の相反する利害の落とし所を見つける必要があるという意味では、現場では顧客を心地よくさせながら騙すビジネスとなってることが多いかも。

 

最近の新規ビジネスには一定の傾向が見られる。

 

「ビジネスは発明ではない」新しいビジネスモデルは誰でも生み出せる!

「一箇所に集める」「シームレスにする」「定額化する」

 

ごく一部のすべて手作り、すべて手作業で作られてる商品やサービス以外パッケージ化し、モジュール化し、機械化され、どこの誰が関わったかが意味を持たない時代になっている。

 

純粋に新しいモノやサービスを作るというよりは、既存のモノやサービスの見せ方を変え、必要なものを薄利多売化し、それにプラスして不必要なものを高く売るという詐欺的オプションを設定する傾向が強まり、安くしても独占できれば売上が上がるし、不必要なものを買わせることでさらに儲けるという考え方に集約していく。

 

 

だからだろうか、モノやサービスの見せ方の要となるデザインがおかしくなる。

 

日本の家電の「絶望的な使いづらさ」について

なぜここまで酷いデザインに帰着するんでしょうか?

 

僕が一つ思うのが

「ソフトウェアを軽視したハードウェア優先の設計」です。

 

 

 

「作り手のセンス」を生み出しているのは、「消費者のセンス」ということになるわけです

 

 

日本人の持ち味は、お手本になるものに改良を加えたり、あるいは改善したり、足りない機能を補うために付加機能を付けるような場合には発揮されるが、最初のお手本となるグランドデザインを描くような作業は苦手に見える。

 

先を予測出来る資質を持った人が、日本社会では中枢部から弾かれてしまうからだろう。

 

今読んでる途中の本がある。

 

 

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

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超予測者は、空いた時間に手に入る情報だけを頼りに世界の出来事を予測してるアマチュアである。

2013年ワシントン・ポストは、超予測者は「傍受通信をはじめとする機密情報を利用できるインテリジェンス・コミュニティの分析官の平均を約30%上回るパフォーマンスを示した」と報じた。(P132)

 

 

 

今こういう予測が出てきている。

 

今後14年以内にエネルギーと食料は無料になる

ラウンドテーブルでは、シンギュラリティー研究の第一人者であるカーネギーメロン大学工学系学科ディスティングィッシュフェローのヴィヴェック・ワファ教授と、経済産業省経済産業政策局参事官の伊藤禎則氏を中心に、NIIの喜連川優所長、ヤマトホールディングスの木川眞会長、三井住友フィナンシャルグループの谷崎勝教取締役専務執行役員など20人が参加した。

 

「日本の多くの企業はこうしたことが起こることを知らない。米国の企業の経営者のほとんどもそうである。SFやファンタジーのように感じている人たちばかりである」

 

いまあるAIはExcelのバージョン1.0のようなもので、まだまだ初期段階のものでしかない。

 

「破壊の波」が訪れていることは多くの経営者にとっての共通認識だろう。だが、その波の大きさと、波が訪れる速度への予測は、人によって異なる。

 

 

 

これからの時代を生き抜くためには予測する力が重要になる。

 

予測力を高めるためにはどうすれば良いと言われてるのかを次に書いてみたい。

情報(データ)と感情(感覚)を一致させることが大事

日常生活で何気なくきちんとこなしてるつもりの情報処理の数々がある。

 

ところが、簡単だと思っていることが、思いのほか難しいことを思い知らされることがある。

 

病気や体調不良の時にそう感じる事が多い。

 

サインを見抜いて早めに対策!判断力が低下したときの対処法

判断力が低下する原因で最も多いのがオーバーワークによる疲労の蓄積です。体に疲労がたまってくると、集中力の低下と同時に頭がうまく回らなくなり、正常な判断が困難になります。判断力が鈍ってきたなと感じたら、それは肉体からの危険信号かもしれません。

 

やってるのは一つのことでも、その時処理してる情報は複数あるのが普通だ。

 

【野球科学】正しいバッティングのメカニズムと成功するため秘訣

①見る(ボールを認識する・捉える)

②選択(考える)、判断(決定する)、反応(動く)

③スイング

④ボールの追跡

⑤コンタクト

といったサイクルを一打席ごとに行っているのです。

 

 

球速が120km/hの場合、ホームベースにボールが到達するまでの時間は、約0.51秒になります。

120km/hの球速でもたった0.51秒で目の前を通り過ぎる!!

 

 

 

コンタクトの瞬間(バットにボールが当たる瞬間)は、「視覚能力」の限界(追跡できない)を越えてしまい、見ているつもりでも見えていません。

実際は、周辺視で白いものがぼんやりと見えていますが、バットにボールが当たる瞬間が見えたり、縫い目やマークなどが見えるということは絶対にあり得ません。

眼から得た情報をもとに正確にバットでボールをとらえるためには、ボールの追跡力やスイングフォームの正確性が必要です。

 

人は選択肢が多くなると、その分、意思決定する時間が長くなることが明らかになっています。(ヒックの法則と呼ばれています)

 

 

つまり多くの選択肢があると、選ぶのに困るということです。

球速が150km/hにもなれば、プロの打者でも全ての球種やコースを待って打つのは困難です。

そこで、投球前からそれまでの配球や投手の調子、カウントなどから予測範囲を絞っています。

予測を行うことで判断する選択肢を限定し、素早い反応を可能にしています。

 

 

 

プロ野球を事例に挙げたのはわかりやすそうだからであり、同様のことをごく普通の人が、日常生活やビジネスの場で行っているが、予測で行動してるという自覚を持ってる人は少ないだろう。

 

多くの人が、その都度状況を見極め、判断して、行動してるつもりで、その判断が無意識のうちに自分が行っている予測に基いているとは理解してないかもしれない。

 

日常生活で予測が外れた時は、大前提が崩れたような感じで軽くパニックになることがある。

 

個人的な体験だが、オートバイが好きでよく乗ってた時期の体験を二つ挙げると、

 

当時乗ってた車種にはハザードランプの機能が付いてないのでウインカーは右か左かのどちらかしか点灯しないのに、走行中ウインカー操作をしてないのに両方のウインカーが同時に点滅することが発生しだした。(かなり心はビビってる)

 

メカの知識も乏しい頃だったので、もはやオカルト現象にしか思えなくなってきて途中のコンビニで休憩を取り様子を見るがよくわからない。停まってウインカーを操作しても右と左が同時に点いたりはしない。

 

少し休んでまた走ろうとすると、全く反応せず、動かすことができなくなった。

 

たまたま近くにバイク屋があったので、押して行き、経緯を伝えると、心当たりがあるらしくバイクをいじりだした。

 

結局、バッテリーのプラスのターミナルのボルトとナットが脱落し、通電しなくなっていただけだったのだが、バッテリーが走行中に通電しなくなるなんて全く予測できないことが、事を大げさにしていた。

 

もう1つはある日、大通りの車も多い中で、流れに乗って60キロくらいで走っている時、何の前触れもなくスピードメーターが0キロに落ちた。

 

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明らかに後輪にはパワーが伝わっているが、その感覚が信じられなくなり、後続車が突っ込んでくるんじゃないかと恐怖したが、すぐに路肩に寄り停まり確認すると、スピードメーターが作動しない以外正常だった。

 

結局メーターケーブルが切れただけだったが、普段スピードメーターなんてあまりあてにしてないつもりだったのにすごく依存していたことに気付いた。

 

値の正確さには期待してないのに、スピードメーターが動いてないだけで、正常な判断ができなくなるということを経験した。

 

いずれもレベルの低い笑い話なのだが、この経験以来、大前提が覆ることは結構簡単に発生するという思いを常に持つようになった。

 

何が起きるかわからないという思いを常に持ってると、なにも起きないことが平和でありがたいと思えるし、何が起きるかわからないと身構えてるから、普通の人が退屈するようなときでもちっとも退屈しなくなったし、何か起きても最初に、そもそもという原則に立ち返ることが習慣になった。

 

なぜ人間は退屈に耐えられないのでしょうか?

「人間の生は苦悩と退屈の間を往復している~」(「意志と表象としての世界Ⅲ.ショーペンハウアー。中央公論新社)

この本の3P~25P第57節に退屈や苦悩のことが、詳しくでてます。

困窮や苦難から解放されると、今度は別の重荷である「退屈」が襲いかかる。この重荷から逃げ出すべく、

暇つぶしへと邁進する。著者によれば人生はどう転んでも重荷(退屈)か苦難でしかないということらしい。

なぜ退屈に耐えられないのかの答えには不十分かもしれませんが、この本の第57節はおおいに参考になります。

厭世的なようですが、苦悩地獄と退屈地獄の間を往ったり来たりしているのが人生という指摘は的を得ていると思います。

 

 

 

我ながら良い習慣を身に付けたと思っている。

 

 

予測が成り立つのは、変化やハプニングが少ないからで、そんな状態は安定してると言われるが、そんな安定はやがて予定調和化し、退屈へつながっていく。

 

人類が戦争をしてきたのは、脱退屈だったのかもしれない。

 

戦争や大災害など非常事態を総称して”有事”という。

 

有事の反対語は”平時”と呼ばれ、多くの人間活動や自然活動が予測可能となる。

 

人間活動だけを見ると、社会を支える技術が高度化し、退屈を加速させ、戦争に向かっているようにも見えるが、その一方で地球温暖化や地球活動そのものに起因してエリアは限定的だが有事が発生している。

 

それぞれは、多くの人にとって一見無関係なのだが、発生頻度の増加ぶりが”明日は我が身”を感じさせる。

 

だから、退屈する余裕はないとも言えるのだが、明日は我が身と思えなければ、平和な世の中は退屈を感じさせる。

 

歴史を振り返ると、人の言うことがデータだった時代が長かった。

 

人間が手作業で行う観察しか拠り所が無かった時代が長いから当然だ。

 

 

 

退屈はデータに基づかない感情を拠り所にするから生まれる、その際に有名人や有力者の発言に依存する、そしてそんな行動を合理的だと勘違いする。

 

 

 

データ自体が少なかった時代は、多数決に意味があったかもしれないが、現在では多数決よりデータが重要だし、データをどう解釈するかという個人の判断力が重要になった。

 

 

情報(データ)と感情(感覚)が一致しない時に、多数決を拠り所にすることは感情で行動することになる。

 

そういう時代が終わろうとしている。

試行錯誤や工夫を楽しめる女性が時代を変える

売る(作る)側が発する情報は、買ってもらうための情報となる。

 

だから最初は、商品やサービス自体に関する情報になる。

 

そしてその商品やサービスが陳腐化しライバルが増えてくると、その商品やサービスを使うとこんな良いことがあるというライフスタイルを情報として発するようになる。

 

そこからさらに一歩進もうとすると、一気に広告代理店臭がしてくる。

 

若者向けのドラマが青春ドラマと言われていた頃は、登場人物の年齢は設定上10代から20代が中心だが、その生活ぶりは実際の同世代と大差ない生活をドラマ内でもやっていた。

 

それが変わりだしたのが若者向けドラマがトレンディドラマと呼ばれだした頃からだという気がする。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/トレンディドラマ

都会に生きる男女(ヤッピー)の恋愛トレンドを描いた現代ドラマ(ゆえに「トレンディ――」)。

 

基本的に、バブル景気時代の女性の願望を具現化した作品群であり、恋愛主体の少女漫画の王道に準じた点もある。

 

ドラマ内での設定が20代にも関わらず、ファッションや生活が身の丈に合わない高価なモノや環境で固められたライフスタイルが表現されるようになり、この傾向は現在も続いている。

 

そしてその傾向は、更に度合いを強めているが、高価を良しとする価値観が若干シフトし、”リア充”と言われる、他人の目に自分の生き方が充実してるように映ってるかを意識するというライフスタイルに縛られるようになってきた。

 

このリア充という価値観は、女性目線が強く、そんな女性に男性が振り回されているように見える。

 

リア充でない人は、非リア充と呼ばれる。

 

リア充 VS 非リア充! 女子のクリスマスの過ごし方あるある

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しかしながら、非リア充は2つのタイプに分かれます。「クリスマスを意識しちゃう女子」と「クリスマスは一切気にしない女子」です。たいていの人は前者ではないでしょうか。私も前者です。そして前者の多くが、後者を演じがちなのです。私もです。

 

だって!!! 悔しいんだもん!!!!!!!!(嫉妬)

 

だからこそ「リア充爆発しろ!」とか言ってしまうんですよね! 実際そんなこと思ってないのに!

 

 

 

このような情報に長期間晒され続けると無意識のうちに影響されるのが、お金の使い方だ。

 

 

風俗嬢46歳。稼いでも稼いでもホストと酒に消えてゆくお金…

長い間、私が風俗で働く中で、周りを見ていて感じるのは、彼女達はなぜかお金をぞんざいに扱う傾向があることです。

 

身を粉にして、心を削って稼いだお金。なのに、貯金をしているという風俗嬢は稀(まれ)なのです。そのお給料は一体どこ行ってしまうのでしょうか。

 

 

 

 

セレブを偽り借金1000万円に GENKINGが落ちた“SNSの闇”|芸能|芸能|日刊ゲンダイDIGITAL

「や~よ!」のセリフでブレークしたタレントのGENKING(年齢非公開)が、28日放送のテレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演。SNSやテレビなどで見せていた“セレブぶり”が、全くのウソだったことを告白したのだ。

 

 

 

借金苦で自己破産急増中 「銀行カードローン」の落とし穴

住宅ローンを組んでいる顧客に対し、カードローンの契約を勧めるのが常套手段です。

 

 

14年度に、銀行カードローンの貸付残高は4.6兆円と、消費者金融の貸付残高4.5兆円を初めて上回った。15年度はカードローン5.1兆円に対し、消費者金融は4.4兆円と差が拡大。16年度はカードローンの貸付残高は5.6兆円と、さらに拡大している。

 

 

 

「隠れ貧困」家庭が増加 高収入だが将来への貯蓄せず

特に今の五十代は、若いころにバブル時代を経験し、女性は条件のいい男性と結婚して専業主婦になるのが理想とされた世代。夫の給料が右肩上がりになると信じて家や車を買ったものの、景気の悪化でボーナスや給料は下がり、逆に消費税や社会保障費などの負担は増加。それでも、妻は生活の質を下げたことを悟られないよう見えを張りがちで、高級ランチや海外旅行の写真などをネット上に投稿して私生活の充実ぶりをPRする人も多い。

 

 

実際の理由は様々だろうが、共通してるのが身の丈に合わない生き方をすることのように見える。

 

間接的に身の丈に合わない生き方を推奨してきたのが、テレビや映画だったかもしれない。

 

キーワードは”夢”だ。

 

視聴者の側にとっての夢は、テレビやスポンサー等発信する側にとってはお金だ。

 

しかし、そんなテレビですら新しい動きが見えてきた。

 

「好き」が高じた専門家ブロガーがメディアに重宝される理由

「今、メディアで活躍しているブロガーさんは、1つのことに特化しているので情報も早く、内容も深い」

 

「彼らはブログで常に読者を意識しているため、リスナーが本当に知りたい情報を知っています。写真がなくても、味や形などを細かく表現し、なおかつすべて自分自身で試しているため、嘘偽りがない」

 

 

『アメーバブログ』を統括するサイバーエージェント・プロデューサーの若村菜摘さんは、トップブロガーの条件を次のようにまとめてくれた。

 

●読者目線で書いている

●ひとつひとつ丁寧に書いている

●グルメならカロリーまで載せるなど、細部までこだわりぬいた情報

 

 

 

長い期間メディアが発する情報は、売る側や作る側(つまりスポンサー)に都合の良いものが中心で、時には買う側や使う側に不都合な真実が隠されたりしていた。

 

しかし、売れない時代に売れるものは、使う側に評価の主導権が移る。

 

高く評価される”使う側の発する情報”には、試行錯誤や工夫や失敗談も含まれる、その結果辿り着いた満足感は共有可能に感じられるから信頼を得る。

 

そんなエンドユーザーの話がブログの世界にはいっぱいあるだろう。

 

もちろん読む側に一定のリテラシーが求められるのは当然だが、それ以上に試行錯誤や工夫を楽しめるという資質が要求されるだろう。

 

こういう資質の持ち主は、最短距離を最短時間で移動することにはあまり関心が無いはずで、途中が楽しめるルートを選択する。

 

途中を楽しめない人が、必ず言う言葉がある。

 

彼らの特徴は、「プロに任せるのが1番」と言いつつ自らは何もしないという点で、こんな日本人の男性は本当に多い。

 

しかし、ようやくビジネス的な生産性や効率重視からは生まれない”回り道を楽しむ”や”自分でやる”という価値観に目が向き始めた。

 

カギを握るのは女性だ!

 

女性が変われば男性も変わる!