違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ストレスが生み出す「癒やし」、「萌え」、「恨み」

「癒やし」や「萌え」という言葉が単独で意味を持ち、感情や気持ちを表す言葉として機能している。

 

ニュアンスは分かるような気がするが、いまひとつピンとこないところもある。

 

こういう時は、反対語を考えると意味することが浮かび上がるというのが持論だ。

 

 

 

癒やし

 

さっそく検索してみると、

 

「癒やし」の反対は、辞書的には病むということらしい。

 

実際の使いかたとしては、病気で病んでる状態の反対ではなく、病んでるのは「心」であり、状態としては「疲れてる」「緊張してる」に近そう。

 

「癒やし」は、リラックスに近い状態とも言えそうだ。

 

疲れや緊張を生み出す大元はおそらくストレスだろう。

 

 

だから、マッサージやアロマなど。体や心をリラックスさせるものが流行るのは理解できる。

 

しかし、おそらくこのストレスがすごく幅広い意味を持っている気がする。

 

「癒やし」は人を表現するときにも使われる。

 

 

「癒やしキャラ」で検索すると男性からの視線を気にする女性に向けての内容が多いことに気付く。

 

一緒にいると癒される!男性が好む理想の癒し系女性とは?

 

 

「癒やしキャラ、男」で検索すると、

 

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と出てくるので、男女どちらにも当てはまるようだ。

 

しかし、「癒やし」に関しては主導権は女性にありそうだ。

 

芸能界や美容師など女性が高い関心を払う業界にオネエと言われるキャラクターが増えているのは、「癒やし」と関係してるかもしれない。

 

癒し系の男子の条件を見ると、女性にストレスを与えないことが求められてるように見える。

 

癒し系男子からは、たとえ正論であっても厳しいことは言われたくなさそうに見える。

 

しかし女性の側も、厳しいアドバイスを求めてないわけではなさそう。

 

そういう役回りをオネエキャラに求めているかもしれない。

 

百花繚乱!ゲイ・ニューハーフ・女装家!オネエ系タレント名鑑!

 

 

 

オネエ系とは一線を画す、バラエティで高まるジェンダーレス男子の需要

「ここ数年、マツコ・デラックスを筆頭にオネエ系毒舌キャラがバラエティ界を席巻していますが、そろそろ飽和状態になっているようです。つまりはマツコさんが絶対的な存在となり過ぎてしまい、それ以外のオネエ系タレントが横並び状態なんですね」(キー局テレビ制作スタッフ)

 

「オネエの次に来る枠として、需要が高まっている」として注目したのが、ジェンダーレス男子である。オネエ系とは異なる、男性にも女性にも衝撃を与える不可思議な生態と発言。その場にいるだけでファッションやメイクが目を引き、イケメン要素も踏まえていたりする。さらに、SNSで鍛えた自己プロデュース力で、自分の“魅せ方”をある程度わかっているあたり、テレビ的にもフックになりやすい。 

 

癒やしの世界も進化してるようだ。

 

 

 

萌え

 

 

「癒やし」は、女性が主導権を持ってると書いたが、男の私でも理解しやすい。

 

しかし、「萌え」はいまひとつピンとこない。

 

この言葉は、どちらかというと男のほうがよく使ってる言葉のような先入観を持ってる。

 

さっそく検索してみると、

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/萌え

萌え(もえ)とは本来の日本語では、草木の芽が出る(伸びる)様を言う。

一方でサブカルチャー文化におけるスラングとしては、主にアニメ漫画ゲームソフトなどにおける、登場キャラクターなどへのある種の強い好意などの感情を表す言葉として使用されている。また、そこから転じた若者言葉では、同様の意味がより広い対象に対して用いられる[1]

 

 

架空のキャラクターに対する「萌え」には性的興奮の意味合いが含まれることもある[9]。「萌え」という単語が、「美少女やおっぱいがたくさん出てくる」という文脈で理解される場合もある[10]。かつての「萌え」はキャラクターに対する純粋な好意を意味していたのが、次第にそうした意味合いを強くしていったとも言われる[11]

 

 

 

社団法人コンピュータエンターテイメント協会(CESA)は2006年4月24日、一般消費者を対象とした「2006年CESA一般生活者調査報告書」を発刊した。「萌え」の認知度・利用状況については、全国の3~79歳の1103人を対象とし、萌えに関する調査を行った[24]。CESAにおける萌え定義は「マンガ・アニメ・ゲームの登場人物(キャラクター)などに愛情を抱くこと」とされる。この定義で認知度を測ってみたところ男女性別平均の認知度は男性548人中66.4%、女性555人中65.6%であった。「よく知っていて自分でも使っている」と答えたのは男性の場合20~24歳の8.9%、女性の場合15~19歳の12.1%が最高であった。

 

 

私が「萌え」を分かりづらいのは、若者ではないからだということがわかった。

 

 

 

オタクが使う「萌え」の対義語ってなんでしょう?

「萌え」の定義を子供っぽくて可愛らしげな女の子を形容する言葉だと思ってませんか。

その相手自身を「可愛い~」と誉めているんじゃないんです。

オタク用語としての「萌え」は基本的に、キャラクターとしてよくできている、

この私をよくぞ喜ばせてくれた、ナイスプロデュースだ、グッジョブ!という賞賛の言葉なんです。

あくまでも「作られたもの」に対する、その作られ方への評価です。

ですからその対義語は、一定レベルをクリアしていない、作りすぎ、センスがズレてる、バッドプロデュースだ、

という、落胆を表わす「萎え」になるわけです。

 

 

 

「癒やし」も「萌え」も、同じノリを持った人を探してるように見える。

 

それは、ストレスから逃避できる自分の拠り所になるコミュニティをつくるために。

 

 

恨む

 

昔は、ストレスから逃げる時に「恨む」ということが多かった気がする。

 

コミックでも大きなテーマだった。

 

古くは「魔太郎がくる!!」というのがあった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/魔太郎がくる!!

見た目も性格もパッとしない典型的「いじめられっ子」である主人公・浦見魔太郎。毎回様々な人物からいじめを受けるが、どうしても許せない行き過ぎたいじめや悪行に対しては自身の持つ超能力「うらみ念法」やオカルトアイテム、残虐な手段をもってして夜な夜な復讐しにまわる。

 

新しい所では(充分古いが)、「笑うセールスマン」というのがある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/笑ゥせぇるすまん

セールスマン喪黒 福造(もぐろ ふくぞう)が現代人のちょっとした願望をかなえてやるが、約束を破ったり忠告を聞き入れなかった場合にその代償を負わせる』というプロットから成る一話完結のオムニバス形式。この作品の本質は単なるブラックジョークではなく、寓話的な意味合いを兼ねている。また、人間の本質であるいい加減さ、愚かさ、弱さが描かれた物語が多い。

 

どちらも藤子不二雄Aの作品。

 

「恨む」は、ストレスの元が無くなることを祈るのに似てる。

 

恨みを晴らそうとすることは、ストレスの元を絶とうとする思いと、同じストレスを味あわせてやるという復讐の二つがある。

 

 

人間は、合理的に考えて行動してるようで、実は原始的な脳機能に影響を受け行動する事が多い。

 

 

 

正しい恨みの晴らし方 (ポプラ新書)

正しい恨みの晴らし方 (ポプラ新書)

 

 

自分の利得は多少減少しても相手の利得を大幅に増やす親切行動や、

 

自分の利得を多少減らしても相手の利得を大幅に減らす意地悪行動が、

 

何かしらの感情や自己の金銭的利得を最大にする合理性に関わる脳領域が相互に

 

絡み合う形で意思決定が行われている可能性がある。

 

 

 

 

人間は、感情の振れ幅が大きい生き物だから、親切行動と意地悪行動のどちらも起こす。

 

「癒やし」や「萌え」も「恨み」もストレスからの逃げ場所かもしれない。

 

しかしストレスがなければ、そもそも必要ない。

 

ストレスの多くは、究極的には人に行き着く。

 

だから、誰か相手が存在する。

 

「人は一人では生きられない」とすると、たぶん生きることそのものがストレスだ。

 

 

もうすぐ、ストレスの逃げ場所を示す別の新しい言葉が生まれるだろう。

情報化時代の身の守り方は両極端化する

モノの時代からサービスの時代に移り、そしてサービスの時代から情報の時代へ移って行った。

 

モノやサービスが中心の時代にも情報は存在していたが、情報は上から下へ流れるものであった。

 

上とは、情報を取りまとめたり、集めたりする組織や集団や人であり、下とは、その情報を消費する立場全般を指す。

 

インターネットの使い勝手が良くなるまでは、情報はメディアと言われるテレビや新聞、書籍を媒介(=メディアの意)し伝わった。

 

また世間一般ではメディアとは位置づけられないが、知らないことを教えるという意味では教育全般もメディアとして機能しただろう。

 

教育という分野では、長いこと学問だけに取り組んだ人が先生を務めていたが、近年メディア出身者が大学で教えるようになってきたのは「情報」がより一層価値を持つようになったからだろう。

 

インターネット以前の情報には、陳腐化するまで比較的長い賞味期限があった。

 

一つの情報が行き渡るのにタイムラグがあったことも関係してるだろう。

 

しかし、現在は情報の伝達にタイムラグがなくなり、賞味期限が短くなっている。

 

昔の大学では、10年も20年も講義内容が全く同じで、試験問題も毎年同じという教授がいたりもした。

 

今の大学ではそういう教授には生徒が集まらないだろう。

 

 

 

「情報」は自らは光を放たないので、光を当てることで見つけるしかない。

 

どの角度から光を当てるかなど、光の当て方で情報は表す形や色を変える。

 

時には、光が生み出した影を情報と勘違いすることもある。

 

こうして「情報」は、ありのままを伝えても、真実と言われたり、嘘と言われたりすることがある。

 

情報には、このような不確かな側面が存在することに気付いた人や組織は、情報を加工し操作することを意図するようになる。

 

嘘をついて騙しても、善意の第三者を装えると考えるからだ。

 

情報を発する立場が権力者になる理由だろう。

 

オレオレ詐欺に代表される詐欺事件もニセ情報を演出することで成立している。

 

 

この構造に革命を起こしたのがインターネットだ。

 

上から下に流れていた情報が、横に広がるものになった。

 

インターネットになっても、情報が玉石混交なことは変わりない。

 

しかし、変化が起こった。

 

インターネット以前の情報の価値は、直接金銭に換算されたが、インターネットの普及は情報の価値を、「もたらす評判を評価する」に置き換わりつつある。

 

この価値の置き換えは、現在進行形でかつ発展途上中だ。

 

評判の評価の指標にアクセス数が用いられてる。

 

テレビの視聴率と似ている。

 

テレビの視聴率調査と違い、インターネットは野放しに近かったが、そこにメスが入り始めた。

 

グーグル、検索順位の強制下げ続々 不適切な手法横行で

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/検索エンジン最適化

検索エンジン最適化は、ユーザーに重点を置いてサイトを改善するホワイトハットSEOと、検索エンジンを騙してサイトの掲載順位を引き上げようとするブラックハットSEOの二つに分類される[1]。Googleは、自社が公開しているウェブマスター向けガイドラインに準拠している手法をホワイトハットSEO、準拠していない手法をブラックハットSEOと定義している[1]。GoogleはブラックハットSEOを行うことをバッドプラクティスであるとしており[1]、ブラックハットSEOを行った場合、Google検索でサイトの掲載順位が下落したり、Google検索から排除されたりすることがある[3][4]。

 

日本では、2002年後半から検索エンジン最適化を行う業者が台頭し始めた[要出典]。 2007年以降、競争の激しい分野では、特に中小・個人サイトは検索エンジン最適化なくしての上位表示は非常に難しくなっている[要出典]

 

 

情報を加工することで有利な立場を作り上げた人や組織は、自分が嘘をついていることを自覚しているので、嘘がバレないように画策する。

 

また、自分が嘘をつかれるのは嫌なので、全てに対し疑心暗鬼になる。

 

大義名分として、テロ対策などセキュリティや正義の看板を掲げるが実態は疑心暗鬼の払拭のため全てを管理監視したいのだろう。

 

ウィキリークスがCIAの極秘ハッキング計画を暴露!世界で電話やテレビを盗聴、自動車の遠隔操作も!

 

国家や大組織が、管理監視の強化に活路を見出そうとする一方、個人は正反対の動きで自らを守ろうとする。

 

 

ストーカになるのは実は身近な人なのだが、多くの人にとって災いをもたらすのは見知らぬ第三者というイメージが強い。

 

当てにならない先入観がもたらすイメージだが、だからといって不用意に第三者に門戸を開けるべきではないだろう。

 

自分のテリトリーならぬ、自分のコミュニティを持ち、そこを拠り所にしてる人は思ってる以上に多いかもしれない。

 

自分を守るために、コミュニティ外からのアプローチに神経質になるのは健全な証かもしれない。

 

電話は嫌い、非通知出ない 人事も驚くイマドキの就活生

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナンバーディスプレイ

1997年1月28日より横浜(045)名古屋(052)福岡(092)の3地域において「発信電話番号表示サービス」という名称で試験サービスを開始(6月30日まで)し、10月1日よりサービス名称を「ナンバー・ディスプレイ」に改めた上で先述の3地域で本格サービスを開始、その後1998年2月1日より全国サービスを開始した。

 

かかってきた電話番号を知る術がない頃は、全ての電話に出るしかなかった。

 

昔は、見知らぬ人との電話の話し方なんていうノウハウ本があったような気もする。

 

 

上から下に動いていた情報が横に動くようになって、便利にはなったが、安全安心が脅かされるようになり、コミュニケーションを限定するという自衛手段に頼る人も増えている。

 

 

まだ人間は、コミュニケーションに関しては発展途上中のようだ。

「評価経済社会」の著者岡田斗司夫が安倍総理夫妻に似てる

先日、図書館で面白い本を見つけた。

 

面白いと思った点が3つある。

 

  • 内容が面白い(内容が伴っている)

 

  • 意外に社会に影響を与えていそう

 

  • 著者が面白い(ネット検索するとボロカスな評価が出る)

 

 

「評価経済社会」と言うタイトルで著者は岡田斗司夫。

 

 

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

 

 

 

著者の岡田斗司夫のことは名前を知ってる程度で、ダイエットに成功したと言うことくらいだ。

 

レコーディングダイエットはリバウンドする?岡田斗司夫が語る真実とは!?【バイキング】

 

 

「評価経済社会」この本を手に取った理由は、装丁が目を引いたからだ。

 

この装丁に関しては意図があったことが本の中でも書かれてる。

 

 

読んだ後、ブログのネタにしようと検索してわかったのが、この本は出版された時に結構世間の話題になっていたらしいということ。

 

 

内容の面白さに関して

 

 

2011年、東日本大震災の直前にに出版されたこの本に書かれてる内容に古臭さは感じない。

 

資本主義が終わると言う観点でいろいろなものを見てしまうが、「評価経済社会」は、終わるという話ではなく、シフトするという話。

 

シフトするのは、「貨幣経済競争社会」から「評価経済社会」へ。

 

 

人々のニーズを掴み、最も効率良くそれを生産して販売することによって、多くの富を得られるのが、「貨幣経済競争社会」。

 

それに対し、人々の不安や不満を掴み、最も効率良くそれを解消する方法を提案することによって、多くの人に影響を与え、尊敬と賞賛を得られるのが「評価経済社会」。

 

得られる利益は貨幣的利潤ではなく、評価利潤、つまりイメージであると定義している。

 

 

 

出版された2011年から6年経つ現在も、世の中の基本は貨幣経済競争社会だ。

 

2011年は、SNSの勃興期であり評価経済社会という概念が生まれやすい背景があっただろう。

 

それから6年後の現在、ネットやSNSを取り巻く環境では評価経済社会は浸透し定着しつつあるように見える。

 

ネガティブな要素としては、フェイスブックやLINEなどで「疲れ」と言われる人間関係に疲弊する現象があったり、ツイッターが「バカ発見器」と言われる

 

ような現象が起きたり、広告費を稼ぐためアクセス数を増やそうとする戦略が過度になったりという現象が起き、社会問題化しながらも改善も進んでいる。

 

インターネットやSNSを利用する人の側にはリテラシーと言われるモラルとルールがセットになった概念がが持ち込まれ、運用する側は問題を受けアルゴリズムやプログラムを変更し整備されている。

 

少しづつ岡田斗司夫が言っているような世の中になってるように見える。

 

時代の変化を掴んでいるように見えるところが面白い。

 

 

評価経済社会とは

 

評価経済社会では、価値の中心にあるのは「自分の気持ち」。

 

現代は高度情報化社会だが、その特徴は情報の数が増えることではない。

 

一つの情報に対する”解釈が無限に流通する”社会であるとしている。

 

「自分の気持ち」が大事だからこそ成立する。

 

 

評価経済社会では、利潤は追いかけるものではなく、後から付いてくるものであると考えられる。

 

人々の心に影響を与えるイメージを「評価資本」と言う。

 

高い評価資本を得ながら明暗を分けたSONYとappleの例が示されてる。

 

ここで語るappleはジョブスがいた頃の話だが、熱狂的なファンを持ち、高い評価資本がある両社だが、評価資本から得られた金融資本の使いかたが明暗を分けた。

 

金融資本を更なる評価のために投じたappleに対し、結局ウォークマンから抜け出ることができず、得られた金融資本を儲けのために投じ評価を失ったSONYと捉えているようだ。

 

情報強者と情報弱者を分けるのは リテラシーではなくコミュニティ

 

評価経済社会のキーワードとして3つが挙げられてる。

 

  1. 他人を、その価値観で判断する
  2. 価値観を共有する者どうしでグループを形成
  3. 個人の中に、複数の価値観があり、それをコーディネートする

 

 

「評価経済社会」は、出版時に注目されたようで下記のような対談も組まれてる。

 

 

岡田斗司夫×堀江貴文が語りつくす!(第1回) 世界は“お金”から“評価”の時代へ

 

――堀江さんって、貨幣経済の最先端にいた人じゃないですか?

 

岡田これまで国家には領土があって、国民がいないといけなかった。でも国家のサイズが大きくなりすぎたので、企業が肩代わりするようになったんです。どの通貨を使うのか=どの国家に所属するのかと考えると、携帯のプランを選ぶくらいの気軽さで、国家を選ぶことができる。実は堀江さんはベンチャー型国家を作ろうとしていたんです。いわば国家転覆計画ですから、それは潰されるなって思いましたよ。

 

堀江取り調べ中にそんな話をしていたら、「国家には軍事力とか警察力がないとだめだよ」って言われましたけど、僕はさらに「ロケットがあったらどうなんだ」って話を振ったんです。ほんと、ただの暇つぶしのトークですけど(笑)。

 

 

岡田斗司夫×堀江貴文が語りつくす!(第2回) テレビに出たい人はお金を払えばいい。 

 

――さて、FREEexは、アナログの時代にもすでにあったという話でしたが、これからコンテンツはどんどんフリーになっていくんですか?

 

堀江震災のときに感じたことがもうひとつあって、僕はフォロワーが多いので、いろんな安否情報とか有用な情報をリツイートしていたんです。放射能漏れがあったとき、最初は自治体が発表する数値は文字でUPされていたんですが、「これ、グラフにしてくんないかな」って言ったら、それがすぐグラフになる。アクセスが集中して見られなくなったら、有志がどんどんクラウド化していってくれる。

 

堀江ほんとそんな感じ。僕が見たいものが、すぐにできてくる、これってまさに評価社会なのかなって。もうでかい会社はいらないなって思いましたね。

 

堀江お金払って雇っている社員よりずっといい。ほんといい。

 

 

岡田斗司夫×堀江貴文が語りつくす!(最終回) 国民の95%が失業する時代がくる!? 

 

――たとえば、誰をフォローしているのかみたいな話ですかね。自分が情報経済社会のどこに属しているかってことで決まるんですね。  

 

堀江そういえば、震災のときには、すごい数のメールが来ましたけど、僕のところにはチェーンメールのたぐいは1通しか来なかった。デマっぽいのは僕が怒るから、みんな遠慮するみたいで。 

 

 

一部で話題になった下記の話。

 

コンテンツを無料で提供することの是非がクリエイターを取り巻く界隈で否定的に取り上げられていたが、この戦略が岡田斗司夫が「評価経済社会」の中で提唱してるFREEex に酷似している。

 

『えんとつ町のプペル』を無料公開したらAmazonランキングが1位になった。 キングコング西野

 

社会に与えてる影響の度合いは小さいかもしれないが、印象に残る。

 

 

 

冒頭で、本の装丁に仕掛けがあると書いたがその仕掛けがFREEexだ。

 

著者印税を0にすることで、印税分を装丁と広告宣伝に回し、一般的な初版本より見映えが良かったのだ。

 

 

 

評価経済社会では、問題行動は致命的

 

出版から6年経っても内容に古さも感じないし、当たらずとも遠からずの印象を受けたが、内容に魅力を感じたので著者を検索したらボロカスな情報が出るわ出るわ状態なのが面白い。

 

岡田斗司夫事件まとめ (愛人80股、セックスボランティア、愛人リスト流出、「自分以外は犬か虫」発言)

 

本を読む限りでは、そういう人には思えないけど、これがネット社会であり評価経済社会の怖いところだろう。

 

嘘をついたり隠し事ができないし、隠していたものが出てきた時のダメージが大きくて倍返しされてしまう。

 

なんだか岡田斗司夫と安倍総理夫婦が同じに見えてきた。

 

安倍晋三・昭恵夫妻の増長に止めを刺した週刊プレーボーイ

因みに、これは週刊プレーボーイの記事には書かれていないのだが、昭恵夫人は2014年4月の時点で塚本幼稚園を訪れ、園長が「安倍首相ってどんな人?」と問いかけると、園児が「日本を守ってくれる人」と答えるのを見て、涙ながらに感動し、主人(安倍首相)に伝えると答えたと報じられていた(日刊ゲンダイ2月15日号)。

 つまり、安倍夫妻と森友学園の結びつきは、今始まった事ではなく、しかも確信的だということだ。

 

 

発言も大事だけど、行動も一致させなければポイントにならない。

 

 

人のふり見て我がふり直せ!

 

されど、

 

後悔先に立たず!

 

反省が通用しない、怖い時代になったもんだ。

プレミアムフライデーについて考えていたら、憲法51条の改正が必要だと思えた

鳴り物入りでスタートしたプレミアムフライデー。

 

経済産業省と経団連、日本百貨店協会が中心となった官民一体プロジェクトだ。

 

 

プレミアムフライデーには、3つの目的がある。

 

プレミアムフライデーの実施方針・ロゴマークが決定しました :経済産業省

個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買物や家族との外食、観光等)や、そのための時間の創出を促すことで、

(1) 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる

(2) 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる

(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる

といった効果につなげていく取組です。

 

 

このように、コンセプトを打ち出すこともデザインと言われる。

 

デザインはモノだけのものではなく、コンセプトやアイデアも対象となる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/グランドデザイン

グランドデザインあるいは全体構想(ぜんたいこうそう)とは政策経営が行われる場合に使われている言葉である。事業などが計画される場合に、それが壮大な図案や設計であって、また長期間にわたって遂行されるようなもののことを言う。このグランドデザインという言葉は、政府などが行うという都市開発などといった大規模な事業を意味している

 

 

プレミアムフライデー、使った金額「0円」最多 :日経ビジネス

 

デザインの問題なのか、まだ定着してなからなのかは不明だが、そもそも誰のためにデザインされたのかが気になる。

 

 

 

デザインの問題は、日本だけではなさそう。

 

旧版(1990年出版)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

 

 

 

新版(2015年出版)

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

 

 

 

 

熊本県のキャラクターで有名な「くまモン」をデザインした水野学は、現代のデザインに必要なのはセンスであり、センスは生まれつきの特別なものではなく知識であるという。

 

知識とは「知っている」ということであり、「知らない」が不利になると言っている。

 

時代は「良いセンス」を求めている。

 

「良いセンス」は、「良い知識」である。

 

水野学には、ブラックな噂もあるが、時代を捉える嗅覚は鋭いだろう。

 

流行りのデザイナーということで、佐野研二郎と少しイメージが重なるが知っておいて損はない。

 

 

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

 

 

  

 

日本型の経営に欠けているのは、「スピード」と「決断力」だとよく言われるが、問題はその手前にあるのではないだろうか。

 

事業や商品の展開は、ユーザーである顧客と向き合うことで、生み出されるべきだし欧米はそうなってるはずだ。

 

しかし日本は、官民とも税収アップや儲かるが先にある。

 

税収アップや儲かるは、後から結果として付いてくるものであって、先にあるものではない。

 

 

このプレミアムフライデーという企画に、ガラパゴスと言われる日本特有の「独りよがり」の臭いがしてくる。

 

 

高度成長期の日本は、世界の下請けとして成長した。

 

下請けとして望まれていることを高いレベルでこなす技術を身につけ、持ち前の根気良さもあり、望まれてる以上のことを成し遂げられていただろう。

 

しかし、自他共に世界のトップの一員になってから迷走が始まった。

 

自らが発案者となりオリジナルを提案する時に、どう振舞えば良いのかがわからないという現象に直面し出したのだ。

 

誰のための技術なのかということを考えずに発展させた技術をどう使えば良いかがわからないので、技術のための技術になる。

 

このアプローチは、モノが飽和状態に達するまでは一定の需要を作れるが一旦飽和状態に達すると、誰に得な技術かわからなくなる。

 

そうして技術としてだけ発展するが、ある時を境に全く通用しなくなる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ガラパゴス化

日本で生まれたビジネス用語のひとつで、孤立した環境(日本市場)で「最適化」が著しく進行すると、エリア外との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、外部(外国)から適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の高い種(製品・技術)が導入されると最終的に淘汰される危険に陥るという、進化論におけるガラパゴス諸島生態系になぞらえた警句である。

 

言葉の背景としては、オープンソースであっても独自様式に流れがちなエンジニア[1]や、日本市場で独自の進化を遂げた携帯電話世界標準から掛け離れてしまう現象[2]を指すため代名詞的に用いられていた。

 

 

プレミアムフライデーは、ブラック問題に取り組んでる姿勢を見せたい国(経済産業省)の思惑と、売上を上げたい百貨店や流通業界の思惑をおそらくどこかの広告代理店がチョチョットまとめ上げて作ったのではないかと思える。

 

買いたくなるモノやサービスが提供されるわけではなく、最も忙しいタイミングで業務から引き離すという「誰得?」の強要が行われてるだけに見える。

 

 

経団連の副会長の石塚邦雄氏(三越伊勢丹ホールディングスの会長)は、プレミアムと銘打ってることが、安売りと一線を画してるとプレミアムフライデーに期待しているらしいが、当の三越伊勢丹ホールディングスは揺れてるようだ。

 

また、お家騒動か 三越伊勢丹HDの社長辞任報道  2017/3/6 日本経済新聞

百貨店業界、それに大手アパレルなど百貨店の有力取引先は6日朝から蜂の巣を突いたような状況になっているようだ。三越伊勢丹ホールディングス(HD)の大西洋社長(61)が3月末に辞任することを日本経済新聞が6日に報じたからだ。後任について今後、社内をめどに選ぶという。この異例さがさらに臆測を呼び、多くの業界関係者が情報収集にやっきとなっている。確認はできていないが、月曜日午前は先週の販売実績をもとにこれからの販売計画を練り直す会議が至るところで開かれているはず。

 

 

 

グランドデザインを描く人や組織にセンスが無いことがよく分かる。

 

 

今、日本を動かす立場にいる人にはグランドデザインを描ける人がいない。

 

グランドデザインを描けない理由は、「誰のため」の「誰」を見ていないから。

 

では何を見てるのか?

 

答えはいくつか浮かぶが、その答えにはあまり意味が無いだろう。

 

もっとも重要なことは、描いたグランドデザインが失敗した場合に、責任を取ったり、失敗の教訓を次に活かすという文化が、グランドデザインを描く立場の人や組織に無いということだ。

 

政策の立案者は、国家議員だ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法第51条

第五十一条

両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 

 

憲法改正は必要だ、必要なのは政策立案者に責任を取らせることだ。

 

実際に描いているのが官僚であっても、責任を議員が取る必要があれば、議員も官僚も変わらざるをえない。

 

国民に向き合わざるを得なくなる。

 

 

 

しかし簡単ではないので期待できるのは、トランプ大統領と森友学園問題かもしれない。

 

 

追記3月7日

 

こんな記事があった。

 

プレ金「非常に盛り上がった」経団連会長が評価
2017年03月07日

右と左の不思議

一般には、単純な向きを示すために使われる「右」と「左」。

 

私は、無意識に「右と左」のように「右」を先に言ってしまう。

 

しかし、くっつけると「左右」と左が先になる。

 

右を先に言うのは、私の中では、単に語呂がよく感じるからで特に意味はない(つもり)。

 

しかし、単純に向きを意味する「右」「左」は身体機能の特徴や思想信条を示す際にも用いられる。

 

 

  • 右利き、左利き
  • 右脳、左脳
  • 右派(翼)、左派(翼)
  • 右前、左前

 

wikipedia.左右

政治的・思想的な立場を表すためにの語が用いられる場合がある。右(右翼・右派)は保守的・国粋的な立場を、左(左翼・左派)は急進的・革新的な立場をそれぞれ意味することが一般的である。この由来は、フランス革命時の国民議会で、議長席から見て、右に保守派、左に急進派のジャコバン党が座ったことである。

 

意味のない思想信条の「左右」

 

個人的には、思想信条はノンポリなせいか、思想信条の左右がいつもピンとこない。

 

wikipediaを見て由来がわかったが、思想信条としての左右を考える時、最初に浮かぶのが時系列を表す数直線やグラフなので、左が示すのは「現在、過去、古い」であり、右が示すのは「未来、新しい」となり、思想信条の左右とリンクしないので右翼、左翼がピンとこない。

 

wikipediaの説明にあるように、思想信条を示す左右は座席の位置関係に由来するならばたまたまそうなっただけで特に意味はなさそうだ。

 

 

謎がいっぱいの身体性に関する「左右」

 

あなたの脳は、右利き?左利き?「利き脳」の見分け方

手や足に右利き、左利きがあるように、脳にも右利き、左利きがあります。

いわば「利き脳」です。

 

 

脳が右利きか左利きかは分析は可能だろうが、手や足の右利き左利きと違い実感が得られないので納得が得にくい。

 

「左利き」を矯正された人でも、とっさのときには左手が動く!?
──あきらかに違う、「左利き」の人の脳の特徴

医学的なデータによると、日本人の場合、右利きの人は成人の95%だとされています。他の国でも状況はほぼ同じ。左利きは残りの5%のみです。人類は厳然たる右手社会をつくっているのです。

 

研究者たちは、左利きの場合にどうしてそうなるのかを追究してきましたが、いまだに明快な答えには至っていません。

 

左利きから右利きに矯正したとしても、言語機能の中心は以前のままです。

 

言語機能は、生まれた時に宿ったままで、その機能が右利き左利きに影響してるとすれば、運動機能に関係してるのも言語機能かもしれない。

 

人間は進化の過程で、動物として運動機能を低下させたがトレードオフとして言語機能を大幅に向上させたのかもしれない。

 

不思議や謎がいっぱいだ。

 

 

不思議といえば下記の図を是非試して欲しい。

 

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画像の出典:https://jp.pinterest.com/source/heaaart.com

 

私は「うう脳」だった。

 

不思議なのは、指も腕も逆に組むことが全くできないことだ。

 

逆に組もうとすると、かなり不自然で違和感に満ち溢れる。

 

つい逆に組んでしまうなんて日常生活では絶対ありえない位の違和感だ。

 

私だけだろうか?

 

 

右と左の「違いと不思議」を少しだけ考えてみたが、優劣という観点で捉えるのは意味が無いだろう。

 

視力の差があっても、右目と左目が機能することで計っているのが立体感。

 

利き目・利き耳・利き足の見分け方

人間の2つの目は、微妙にズレてモノが見えるようになっており、それを「両眼視差」というのですが、その両眼視差でズレて見える映像を補正して、ひとつの映像として見ることによって、立体感をつかむことができる仕組みになっています。

 

「右と左」違いや差はあっても、本来は、対立するものではないはず。

 

二つ揃って取れてるバランスがある。

 

右と左は仲良しの友達のはずだ。

Uberってダメかもね! (追記2つ)

Uberを、稼働率を上げるという意味での車の有効活用を実現し更にユーザーの利便性も高め、料金の安さも実現する新技術の応用だと思っていた。

 

が、どうもそうでも無さそう。

 

キッカケはこの記事。

 

「Uber」が嫌われている理由

Uberのトラブルは断続的に発生し続けているという印象だ。ほとんどは同社のアグレッシブさによって引き起こされたものだろう。市場で首位を獲得し、世界で不動の地位を築き、自動運転車でも他社に先んじるための鼻息の荒さが目立つ。成功体験による傲慢さもうかがえる。

 

 

最近のでUber関連の記事がいくつか出てるが、その記事から何が起きてるかを考えてみたい。

 

そもそもUberとは何なのか?

 

Uber(ウーバー)とは、アメリカ合衆国の企業であるウーバー・テクノロジーズが運営する、自動車配車ウェブサイトおよび配車アプリである[1][2]

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/Uber

 

 

 

 

企業価値6.5兆円 ウーバーの巨額調達に囁かれる「死角」 2016/06/10

ウーバーは、資金調達力が限界に差し掛かっていると噂されるたびに、新たに数十億ドル規模の資金を集めて世間を驚かせてきた。

ウーバーは2015年上半期だけで20億ドル(約2143億円)の損失を出している

ウーバーについて注視すべき点があるとしたら、これまでと投資家の質が変わってきたことだ。例えば、巨大投資ファンドのタイガー・グローバル・マネジメントはウーバーの競合にも出資しており、これまでにない選択だと言える。個人資産家についても同様だ。

 

 

 

 

 

Uberの2016上半期は1276億円の大赤字、上手くいっているはずなのになぜ?
2016.08.27

Uber(ウーバー)が、2016年上期の損失額12億7000万ドル(約1276億円)と、テクノロジー企業としては前例のないほどの大赤字を記録

巨大な損失のほとんどは、Uberのドライバーに対する補助金によるもの

 

最終的に、Uberはドライバーを削減して、巨大な利益を得ることを目論んでいます。

 

 

 

Uberは、注目され常に話題の中心にいながら、巨額の赤字を出し続けている。

 

利用者からは使いやすさと料金の安さで評価が高いにも関わらず赤字が出るのはなぜか?

 

赤字の殆どが、Uberドライバーへの補助金に当てられているからだ。

 

ここだけ見ると事業のスキーム自体に問題があるように見える。

 

 

 

ではなぜ投資家が資金を出すのか?

 

本来のUberは、自動運転車を使い、ドライバーという人件費を発生させないことで成立するスキームなのだ。

 

しかし現在のところUber事業の展開にはドライバーが必要なので、先行投資としてドライバーの給料を補助金という名目で支給している。

 

Uberはそもそもその理念が矛盾を抱えながらスタートしているのだ。

 

自動運転の実現に時間がかかり過ぎると投資家が離れてしまう。

 

Uber投資家からの警告「バブルからの更生への道のり

Uberに最初に投資したVCであるBill Gurleyからの警告文「On the Road to Recap(バブルからの更生への道のり)」の翻訳

 

世の中には、少数の賢い人間と圧倒的に大多数の愚かな人間がいる。

 

投資家も例外ではない。

 

賢い投資家の一部が気付き出した。

 

 

末期に近づいた資本主義は、活性化を求めバブルを生み出そうとする。

 

21世紀のスタートを華々しく飾った金融工学に基づく不動産投資ビジネスというバブルがリーマンショックで終わった後、新たなバブルが生まれていた。

 

シリコンバレー発の「スタートアップバブル」だ。

 

このバブルのプレイヤーは超お金持ちの富裕層で、投資家という役だ。

 

殆どの人には関係ないところで起きている、起きていることすらわからない。

 

自動運転に躍起になっているUberは、技術開発に関してトラブルを抱えている。

 

Alphabetの自動運転企業Waymo、競合するUberとその傘下のOttoを特許侵害で提訴


Google
自動運転プロジェクトのスピンオフ企業Waymoが、元従業員らが立ち上げ、Uberに買収された自動運転トラック企業OttoとUberを、営業秘密保護法違反および特許侵害で提訴した。OttoのCEOWaymo退社直前に大量の機密情報を会社からダウンロードしていた。

 

ブログを書いてる最中にこんな話題が入ってきた。

 

7000億円の男Uber CEO、困窮ドライバーを罵倒。動画公開され「魂を入れ替える」と謝罪
2017.03.03

 

 

Uberってダメかもね!

 

 

追記 3月5日

 

こんな記事も見つかった。

 

やはり「推して知るべし」的事態がUberの内外で起きてるようだ。

 

ウーバー「実力主義」に批判、セクハラ問題契機
元従業員の告発が問う企業文化

 

 

更に追記 4月24日

 

Uber社長、Appleをだまそうとしてクック会長に叱責される

森友学園問題の成り行きは日本の将来に関係するかも

豊洲問題を見てると資本主義の理屈が通らない時代に入ったことが見えてくる。

 

理屈どおりに事が進む場合、下記のようなツイートは出てこないだろう。

 

 

従来の政治の考え方は、合理性が主導していた。

 

政治の合理性に資本主義が大きく介入している。

 

しかし今、資本主義の理屈が通用しなくなっている。

 

 

「平等」、「公正」、「公平」

 

合理性は、「平等」、「公正」、「公平」という概念を都合よく使うことで機能している。

 

字面から受ける印象と実際の使われかたが大きく違う、変わったことばだ。

 

字面から受ける印象は、正義に通じる絶対性があるような印象を受けるが、

 

【追記あり】「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像

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公正取引委員会が何をしてるのかわからないのも頷ける、現実には曖昧な意味合いしか持っていない言葉なのだ。

 

 

豊洲の問題は、石原慎太郎が都知事の時代に端を発してる。

 

その後、猪瀬直樹、舛添要一と知事が交代する中で問題は顕在化しなかった。

 

私の講義ではこの教室は分煙だ。君らの席は禁煙でも教壇は喫煙席。文句があるなら受講していただかなくて結構」とはね付けたという[20]

 

徳洲会グループからの資金提供問題で辞職

https://ja.wikipedia.org/wiki/猪瀬直樹

 

 

 

2009年8月18日、横浜市内の演説で年末年始かけて東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」に言及し、「(当時)4000人分の求人票を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と述べた。これに対し、派遣村実行委員だった関根秀一郎・派遣ユニオン書記長は「求人として紹介されたのは確かだが、誰も応募しなかったというのは全くのでたらめ。たくさんの人が応募したが、断られたのがほとんどだ。舛添氏の発言は現場の実態が全く分かっておらず、あきれてものが言えない」と批判した[114]

 

政治資金使途の公私混同報道で都知事辞職

https://ja.wikipedia.org/wiki/舛添要一

 

 

二人とも古いタイプの人間であることが伺え、お金でトラブルを起こし辞職に至った。

 

この際に、世論を大きく敵に回した。

 

本来は、敵は東京都民だけのはずだが、日本人全員を敵に回してしまった。

 

この時、両者を擁護した有識者が口にしていたのは、

 

  • 選挙にかかるお金のほうがもったいない
  • 選挙期間中都政が停滞することが問題

 

だった。

 

この合理性が高い意見は、世論を変える力を持ってなかった。

 

政治的な合理性が平等や公正の名の下に行っている政策が生み出す不平等への不満が、抑えこめられなくなっている。

 

この不平等への不満を味方につけることがポピュリズムと言われてる。

 

ポピュリズムが機能する理由は、一人一票という民主主義が成立してるからで、ポピュリズムが敵対視してるのは、権力者や富の独占者が付く嘘だ。

 

この嘘の中には、「本当のことを言わない」も含まれる。

 

「平等」、「公正」、「公平」という言葉を巧みに使い付く嘘に騙された善良な一般大衆が行動を起こし始めたのだ。

 

この権力者や富の独占者が付く嘘を敵対視することは、マイノリティ憑依と言われてる。

 

 

マイノリティ憑依

 

佐々木俊尚が2012年に出した著作”「当事者」の時代”の中で用いたことばだ。

 

 

「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

 

 

 

 

佐々木俊尚氏が真に意味する解釈とずれるかもしれないが、わたしなりの解釈では、”マイノリティ憑依ということばは、本来はマスコミが記事を書く際に持つ視点のことで、マスコミは「反権力」を大義名分に掲げてるので、常に権力や強者に虐げられる弱者という構図を求めて事件を捉える。

 

しかし、マスコミ自体が1つの権力であり、スポンサー収入に頼るという意味では権力を持つ強者や時には権力そのものに迎合することで存在が成立しているという矛盾を抱えてる。

 

この矛盾を正当化するために、「被害にあった少数の弱者」の代弁者を演じ、自分が被害者だったらという視点で事件を捉える。”

 

と解釈した。

 

 

先進国で、マイノリティ憑依がポピュリズムを起こす

 

マイノリティ憑依が引き起こすポピュリズムは、イギリスのBrexitやアメリカのトランプ大統領誕生に繋がった。

 

日本では何が起こるのだろうかと思っていたが、この豊洲問題はポピュリズムと捉えて良いだろう、そう考えると小池知事誕生もポピュリズムだ。

 

欧米に比べるとスケールが小さいが、日本型ポピュリズムは何を敵対視してるのだろうか?

 

民主党政権が誕生したときもポピュリズムだったのかもしれないが、失敗したのでポピュリズムの事例には含めないほうが良いかもしれない。

 

日本には自民党の政策の対立軸を提示できる政党が無い。

 

民主党が政権を取ったときも、標榜してたのは「非自民、反自民」であった。

 

結果、民主党は自民党の劣化バージョンであることが露呈しただけだった。

 

この状態は今も続いてる。

 

日本には、残念ながら選択肢が自民党一択なのだ。

 

だとしたら自民党が変わってくれなければ困るのだ。

 

 

変化は計画的に段階を踏んで訪れるわけではない、突然だ

 

 

起こることは避けられないこと。
Чему быть, того не миновать.

起こるべきことは起こる。必然的にそうなるようなことは、どうやっても回避不可能。

https://ja.wikiquote.org/wiki/ロシアの諺

 

 

 

起きる変化は偶然でも、後から振り返ると必然と感じるもの。

 

 

と思っていたら来たかも!

 

森友学園問題。

 

只の金銭スキャンダルかと思ったら、芋づる式にネタが次から次に出て来る。

 

何で今まで出てこなかったのか不思議なくらい。

 

合理的に考えたら優先順位が高い問題ではない。

 

 

 

自民党一択で選択肢がない日本人。

 

アベノミクスを含め実行する政策がうまく行ってるとは思えない安倍政権が安定政権となり、変化の兆しが全く感じられなかったところに突然降って湧いた森友学園問題。

 

 

安倍晋三の後ろにいる怪物

長州藩をはじめとする維新派から出没しこの国を支配しはじめた三井、三菱といった巨大財閥。

安倍のバックはまだ出てくる。神社本庁 日本会議 統一教会 創価学会。

 

 

 

 

このポピュリズム行動が敵対視するのは、安倍晋三の後ろにいる怪物なのかもしれない。

 

日本会議ってよくわからないので検索してみると、

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本会議

“美しい日本の再建と誇りある国づくり”を掲げ、

政策提言と国民運動を行うとしている。

 

 

日本会議と安倍首相の関係は、国会議員になった直後から始まっていた

 

現在進行系の森友学園問題は、どういう決着を見せるのかで、日本の将来が占えるかもしれない。

 

 

イギリスは着実に変化してるようだ。

 

 

変わる国日本となれるか、変わらない国日本のままなのか。

 

森友学園問題の行方は要注目だ!