違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

正解は180度反対の方向かもしれない

アンルーリー香川氏に聞く:感情を切り口とした動画広告のプランニング

動画視聴、シェアと消費行動との相関関係、共感をされ、バイラルする動画はバイラルしない動画と何が違うのか?などの学術研究に協力しています。

 

シェアはお金で買えない。

 

だからシェアされるということは価値につながる。

 

シェアの決め手は感情。

 

ここまでは、世界共通らしい。

 

 

欧米では、強く感情を揺さぶられるとシェアに結びつくが、日本では感情だけでは動かなくて、シェアに繋がるのは「友人の意見を聞いてみたい」、「同じ関心を持つ人同士がシェアしたくなる」という心理反応を起こさせる場合がほとんどらしい。

 

「一発バズらせる」ということをコンテンツ製作に関わってる人が目指す傾向にあるが、それは人口が増えて、新しい市場が次から次に出来てる時代の発想で、人口が減り、長生きが当たり前になると、長い付き合いに耐えうるモノのほうが求められるだろう。

 

 

まともな人達は、「共感」をキーワードにした活動をし、選ばれる工夫を凝らす一方で、売りつけるために、買わせるために活動してる人びとも大勢いる。

 

今は選択の主導権は選ぶ側にあるのだが、選ぶ側の多くは受け身で行動するので自分自身の趣味嗜好という極めてパーソナルなことが意外と理解できてないことがある。

 

 

ビジネスの場でも同様で、自分で判断できないのでやたらに裏付けやエビデンスを求める傾向が強い。

 

メルカリに代表されるアプリ上で展開されるフリーマーケットのような、個人対個人の取引(ビジネス)は、昭和脳にはビジネスとは認識されづらいだろうから、事業展開に当って免罪符を得るようにコンサルタントを活用しようとするだろう。

 

昭和脳を持つおじさん・おばさん連中が原因 netgeek.

途中に出てきた椅子がないオフィスはキヤノン電子で、社長の鶴の一声で椅子が撤廃された。会議ですら立って仕事をすることで無駄な動きが省けたのだという。社長はゆったりと椅子に座って満足気に語った。

 

 

 

日本では、若い経営者でも昭和脳の持ち主が多い。

 

その方が日本では生きやすいから。

 

だから、日本由来のイノベーションが起きない。

 

昭和脳は、老害と言われながらも日本社会の中枢を支配している、彼らはポジティブに議論することを好む傾向にあるので何にでも興味と関心のアンテナを張ってるように見せかけるが思いの外守備範囲が狭い。

 

しかし、考えてるふりをするために、コンサルやMBAなどの権威付けられたその道の素人を頼ってしまう。

 

 

調べれば簡単に情報が入手できる現在の日本だが、その簡単なことをしない人間が日本にはたくさんいる。

 

情弱ビジネス「サブリース」大手のレオパレス21、全社を挙げて取り組んだ「終了プロジェクト」が集団訴訟に発展 

うちの身内は大東建託の営業受けてて、気持ちが傾きかけてたらしいが、予定地近くの似たような建設現場で大工さんに質問したら「全然ダメですよ」の回答で止めたらしい。このほんのちょっとのリサーチが差なんだろうな。

(コメントより抜粋)

 

 

日本で生まれる新規ビジネスは、「金持ち」をターゲットにしたものか、「自ら調べない情弱」をターゲットにしたものかに偏ってるように見える。

 

富裕層ビジネスはなぜ失敗するのか?

富裕層はその資産の多くを、一代もしくは二代(親の代)で築いている場合が多いです。

それゆえ、富裕層の多くは、ビジネスを広げ将来的に資産規模を拡大する意欲が強く、

自分のブランド力を高めていくことに熱心です。 消費にしても趣味や慈善活動にしても非常に派手で、

「見られる」ことを意識する傾向にあるといわれます。

富裕層は資産を多く持っていますが、本当に価値があると思うものにしかお金を払いません。

また、富裕層は孤独です。

だからこそ富裕層は信頼できる情報を求めているのです。

 

 

一方、超富裕層の資産は一代で築かれたものではなく、

過去何世代にも渡り、守られ、増やされ、受け継がれている場合が多いという特徴があります。

そのため、超富裕層の最大の目的は資産の拡大ではなく、資産を次世代にいい形で引き継ぐことです。

「見せる」よりも「目立たないようにする」ほうが好都合のため、派手なふるまいは少ない傾向にあります。

それゆえ超富裕層をターゲットにしたマーケティングは非常に難しく、

これも富裕層ビジネスが失敗する一つの原因でしょう。

 

 

【図解】ZOZOTOWNのツケ払いはこれ読んでからやれ(というかGMO後払いという情弱狙いのサービスなのでやめとけ)

本記事はタイトルどおり、「ツケ払い」は情報弱者をターゲットにしたサービスなので利用はやめとけというおはなしです。

 

よって、お金を完ぺきに自制できる人は読む必要はありません。

 

 

 

貧困ビジネスと情弱ビジネス

結局は高額セミナーに行き着く悪どい勧誘ビジネスを情弱相手の教育ビジネスと言います。

 

教育ビジネスが儲かる理由は大きく分けて二つあります。

 

  1. 教育にはお金がかかるものというイメージが出来上がっている
  2. 払った以上のリターンが見込めると思っている

 

教育費を払ったところで、結果がどうあれ教育側は責任が問われません。非常に美味しいビジネスなのです。

 

 

 

 

詐欺まがいビジネスが増えてるように見えるが、もっと拡大解釈が成立する。

 

つまり、「確信犯ビジネス」が増えているのだ。

 

嗚呼、「恋愛商法」が煩わしい
お願いですから、巻き込まないでください  遙 洋子

頼んできた知人は数十年一緒に仕事をしてきた。それはアウト、という目的のために私を利用しないはず、という期待は、後に見事に裏切られることになる。

 

言いたいことはひとつだけ。

あなたも本当は、それではダメだとわかっているのでしょう?

 

 

 

売る側も買う側も、行動のベクトルが間違っているのに気付いていないように見える。

 

人間は、小さな軌道修正は簡単にできない。

 

いっその事180度反対を目指してはどうだろうか。

 

180度方向を変えることを考えると見えてくることがある。

 

障害になるのは、見栄やプライドや、大事だと思っているが実はあまり良いことがない人間関係だったりするのではないだろうか。

 

生きて身につくのは、知恵や徳だけではない、きっと不要なものを、害のあるものも多く身につけてしまっているだろう。

得をしようとする人間が、損をする時代

最近急速に目立つようになったメルカリで繰り返されるトラブルの数々。

 

メルカリ珍トラブルまとめ! 横取り問題や現金出品騒動、騙し合い?

 

ここには、出品者も購入者もどっちもどっち的な事例が集められてる。

 

これらの取引が例外で、多くはまともな取引なのだろうか?

 

 

いずれにせよ、メルカリは絶好調のようだ。

 

メルカリ、初の黒字化 売上高は100億円を突破

フリマアプリを運営するメルカリが11月15日の官報に掲載した決算公告によると、2016年6月期(15年7月~16年6月)の売上高は122億5600万円(前期比189%増)、営業利益は32億8600万円(前期は11億400万円の赤字)だった。

 

メルカリの手数料は販売額の10%だから、メルカリの売上が手数料のみならば、メルカリのサイトを通じての販売額は売上の10倍の1220億ということだ。

 

ここから垣間見える日本の現実がある。

 

明るくない日本の姿が見える。

 

 

メルカリで現金出品という「究極の貧困ビジネス」が生まれた背景
銀行カードローンの「次」がない!

普通の感覚なら、「なぜ、そんな面倒なことを」となるのだが、それだけ無担保で緊急の資金を必要とする人が増えている“証”であり、その背景には貸金業法改正から10年を経て表面化した“歪み”がある。

 

現金出品の背後にあるのは、「カードの現金化」であり、これは「カードでお金」というキャッチフレーズで街にあふれ、ネット検索すれば、「現金化業者ランキング」のような形で、いくらでも探すことができる。クレジットカードのショッピング枠を使ってブランド品などを買い、それを引き取ってもらい現金化するシステムだ。

 

それがメルカリと連動しているわけで、資金業法改正から10年が経過、多重債務者を減らすという狙いとは裏腹に、今は銀行カードローンの急増、過払い金請求の急減という事態を生み、多重債務者予備軍の「カードの現金化」につながっている。

 

 

リアルな場で展開されるフリーマーケットには、創意工夫と売り手と買い手の微笑ましいコミュニケーションが成立してる気がするが、アプリ上で展開されるフリーマーケットには微笑ましさはあまり感じられない。

 

メルカリに代表されるフリマアプリのキーワードは「貧困」と「情弱」のように見える。

 

 

 

 

昔、新幹線がドンドン延伸していた頃言われていたのが、「新幹線が通るようになると駅の周辺の街が没個性化する」ということだった。

 

大学入学で上京し、帰省に新幹線を使うことが増え、通り過ぎるいろいろな地方都市を見ていて、街が没個性化するということを実感していた。

 

没個性化した街の大きな特徴はサラ金や貸金の看板がやたらに目立つことだった。

 

どの街も印象が似ている、良い意味での特徴が無い。

 

これらの看板を掲げた事業者の事業が成立してたとするならば、それなりの客がいたということだろう。

 

その時代からずいぶん時が経過しているが、身の丈に合わない借金をする人は相変わらず多そうだ。

 

実は日本人は進歩しなかったという証かもしれない。

 

昔は、今よりも自転車操業が成り立ちやすかったかもしれないのでギリギリで難を逃れた人もいただろうが、現在は一旦自転車操業に陥ると、その先は細るばかりで逆転は基本無理になるだろう。

 

だからと言うか、しかしと言うか、そこに付込む連中が出て来る。

 

悪い(頭のいい)ヤツは、金のない人から金を取ろうとする。

 

普通の人にはできない、一種の錬金術だ。

 

法的には盲点をつくからグレーだろうから、問題が起きてもすぐには改善されない。

 

最近明らかにビジネスが変化し始めている。

 

従来はB to Bと言われる法人対法人やB to Cと言われる法人対個人の取引がビジネスの中心だったが、C to Cの個人対個人の取引が増え始めている。

 

元々のC to Cは、双方がお互いに知り合いだったり、共通の知人を介して繋がっていたが最近のC to Cは、見ず知らずの人同士の間で展開されるようになってきた。

 

この分野は、当分担保するものを持ち合わせないで展開されるだろうから賢明な人は近づかないに限る。

 

フリマアプリを初め、これから新規に登場するサービスは「得」や「便利」をアピールするものが増えるだろうが、一番損をするのはストレスを受けることだ。

 

損をしたくなければリテラシーを磨くしかない

視覚情報より聴覚情報の方が雄弁

人は眼から入手する情報が8割でその他が2割と言われる。

 

ネットで検索すると8割の部分は、80%〜90%の間で諸説ある。

 

私がこの話を聞いたのは1990年台の後半だった。

 

テレビが生活に浸透し一家に一台から、1人に一台に近づきはじめたころからこの傾向が顕著になり始めた気がする。

 

テレビが一家に一台で、視聴時間に家庭ごとの制限が掛かってた時代は、眼からの情報は活字を読むことを通して得られることが多かったので、映像を想像するという作業が伴っていた。

 

また、テレビが伝える映像情報が不鮮明だったり、小さかったりしたので、やはり想像するという補完作業を伴っていた。

 

だから、全く同じ情報なのに頭に浮かべている情景は人それぞれ違うということがあった。

 

映像には一目瞭然性があるので、高画質化と大画面化でテレビの情報は圧倒的な力を持つようになり、現代人は無意識的にテレビ的な反応をするようになっているが、テレビの大画面化が普及したのは21世紀に入ってからの話だ。

 

  • 映像の一目瞭然性が、ことばによる説明を上回る
  • ひと目で判らなものに対して、拒否反応を示す
  • 視聴者が受け身であれば無意識のうちに予定調和を求める

 

現代人は、老若男女問わず、このテレビ的な反応を無意識のうちにしてるだろう。

 

デジタルネイティブと言われる、生まれた時にはインターネットが当たり前の世代やテレビを全く見ない人でもこの映像至上主義的な反応は共通だろうし、映像の編集や加工の技術はテレビの枠を越えてはいないだろうから、テレビを見ないと言うのは違うチャンネルを見てるという意味にしかならないだろう。

 

こうやって考えると、物心ついた人にとって「映像=知識」が成立する。

 

だから、映像化されたものは予定調和化していく。

 

わかりやすい映像化がもたらす予定調和が、人々から「感じる喜び」を奪い、「考えない習慣」を定着させてるようにみえる。

 

 

 

どの感覚器を通じて情報が取り込まれるかで受け取り方が変わるというか、受ける影響が違ってくることがある。

 

なぜ、タケモトピアノのCMを見た赤ちゃんは、泣き止むの?

日本音響研究所が、このCMの音の解析を行ったところ、

●音がランダムで飽きない

●本能的に振り向く音が多い

●音楽の途中でリズムが変わる

赤ちゃんの興味を引くポイントがつまった曲だそうです。

『ひよこクラブ』赤ちゃんの好きな歌1位です。

 

 

 

 

視覚障害者の反応を、観光に活かすための考察がある。

 

五感情報に着目した熊野古道の観光のあり方

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わかりやすい映像情報に慣れてしまうと、怖い映画を見ても、怖さが予想の範囲内ということはよくある。

 

意図された映像情報は、予定調和に収束していくのが今という時代なのだろう。

 

上記にあるように、五感の中で情報量が最も多いのが聴覚ならば、現在の映像中心の視覚至上主義は、聴覚にアピールする戦略にシフトして行けるかもしれない。

 

聴覚情報には、一期一会感がありそうだが、映像とセットになると知識がジャマして予定調和になってしまう傾向にあるかもしれない。

 

監視カメラで見るよりも、盗聴器の音情報だけのほうが多くを伝えるかもしれない。

 

映像は知識化し、音は心に影響を及ぼす。

 

そう考えると、前触れもなく突然鳴り出す緊急地震速報の警報音と振動の恐ろしさに勝る恐怖映画は、当分創られないだろうという気がする。

動物園は楽しい!

5月3日に、小学5年になったばかりの姪と自転車に乗って動物園に行った。

 

姪のリクエストだった。

 

ネット検索の事前情報で、ゴールデンウイークは、1年で1番混雑するとのことだったのでそれなりの覚悟をして出かけた。

 

車で出かけた人はうんざりしただろうが、自転車で行くのは結構賢い選択だといえるかもしれない。

 

ちょっとした丘の上にある動物園は、自転車で来る人が少ないので準備してある駐輪スペースに余裕があり、止める場所に困らないということがこんなにストレスがないものかと実感できた。

 

市営動物園で中学生以下無料で、来園者は子供と子供連れ家族と外国人旅行者がほとんどで、後はデートで来てるか、写真撮影が目的の人のようだった。

 

人の数は多いが、半分以上は子供だし、赤ちゃんや幼児も多いので、とても少子化の国とは思えないほどだった。

 

歩きまわってる時間だけで4時間位費やし昇り降りが多かったので良い運動になった。

 

いやしかし、動物園は楽しかった。

 

家族連れの場合、子供のために来園した人が多いかもしれないが、実際には大人の方が楽しめたかもしれない。

 

動物園て、臭いイメージがあったがそんなに臭くなかった。

 

個人的に一番臭いと思ったのは鹿だったが、それでも充分許容範囲だった。

 

ゾウやカバのような大きい動物は動物園の花形だが、小動物も楽しめる。

 

一部の動物を見てる時に、この動物達は幸せなのだろうかとふと疑問に感じた瞬間もあったが、野生動物は生きるために弱肉強食の世界に身を置くが、動物園ではその世界から開放されてることは動物たちには悪いことではないような気もした。

 

人間目線では、生きがいなんて考えてしまうが、動物目線では生きがいなんて無く、あるのは今という瞬間だけのような気がしてきた。

 

動物園は、人間が動物を観るための場所だが、逆に動物が人間を観る場にもなってる気がする。

 

動物の目には、人間はどう映ってるかを考えるのもおもしろい。

 

動物が嫌いじゃない人は、動物園はお勧め。

 

動物園に来たのは、たぶん小学生以来だし、そんなに楽しかった思い出もないのが不思議なくらい、今回は楽しかった。

 

 

ビデオをたくさん撮ったが、面白かったものを2つ紹介

 

生まれたばかりの赤ちゃんがかわいいヤマアラシの親子。

 

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カラスと仲良くやってるキリン。

 

youtu.be

遊びとビジネスの間には共通点がいっぱいありそう

 

カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論 (知のトレッキング叢書)

カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論 (知のトレッキング叢書)

 

 

何気なく読み始めた本だったが、なかなかおもしろかった。

 

読み終わった後、著者の想田和弘について調べたりtwitterを見たりすると若干政治的な発言もある人で、ノイジーマイノリティな連中に絡まれてるのが見えてくる。

 

想田和弘氏は映画監督で、マイナーな存在であるが一部で注目を浴びている。

 

単純な書評ではなく、想田監督の価値観や生き様や世間の動きを考えることで、なんとなく感じているが、深く考えてないことが、周りには多くあるということや、あまりにも当たり前過ぎてかえって存在を意識しないことがあるんだということ、そしてそんな見え方の違いはテクニカルな処理の差で起きているかもしれないということを書いてみたい。

 

 

この本の内容は、想田監督が講師を務めた映画美学校での講座の内容を基にしていて、受講生との質疑応答をを交えながら展開されている。

 

想田監督は、自らの映画を「観察映画」と命名している。

 

この観察映画には10の約束事があり、監督はそれを「観察映画の十戒」と呼んでいる。

 

この十戒を解説し、受講生との質疑応答を重ねたのが本書の内容だ。

 

 

(1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。

 

(2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。

 

(3)台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。

 

(4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。

 

(5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。

 

(6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。

 

(7)編集作業でも、予めテーマを設定しない。とにかく撮れた映像素材を何度も観察しながら、自分にとって興味深い場面をピックアップし、場面ごとにシーンとして構築してみる。シーンがだいたい出揃ったら、それらをパズルのごとく順番を並べ替えたり、足りたり引いたりして、徐々に一本の作品としての血を通わせて行く。その過程で、一見無関係なシーンとシーンの間に有機的な関係を見出したりして、徐々に自分の視点やテーマを発見して行く。発見したら、それが鮮明になるように、更に編集の精度を上げて行く。同時に、映画として見応えがあるように、編集のリズムやドラマティックな構成を整えて行く。

 

(8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。

 

(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。

 

(10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

 

 

 

この十戒は、個人的にとても内容に共感を覚える。

 

ブログを始めるにあたり自分自身をどう定義するか色々考えた。

 

その結果下記の前提でブログを書くことにした。

 

  • 自分自身が興味や関心があるネタを扱う(意見や考えを表現する)
  • ネタや情報は、検索すれば出てくるものを活用する
  • 一見無関係に見える他の件と関連付けることができないかと考える

 

 

 

最近の世間の風潮として、取材に基づかない情報は価値が低いと判断する傾向にあるようだが、個人的には取材に基づく特ダネやスクープのようなものと同じくらい、ありふれたものに潜んでる新たな気付きがおもしろいのではと感じている。

 

これは大人になると薄れてしまう子供目線と言えるかもしれない。

 

 

 

受講者からの「被写体がカメラを向けられることで、自分を演じるのでは?」と質問された事に対し「観察映画の観察は参与観察」であり、撮影者(監督自身)を含んでいる、だから撮影者が映ってもそのことが被写体に影響を与えてもかまわない、という理屈を当てはめていると答えてる。

 

観察という行為は、無意識の行為ではないから非日常性がある。

 

日常が無意識で予定調和的な傾向にあるのに対し、観察はあえて行う意識的な行動だ。

 

 

で、よく観て、よく聴くとですね、通り過ぎていた、当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなってくるんですよ。

なんか急に、全然違うものに見えてくる。

それが「発見」なわけですよね。

今までは自動的に処理してたようなこと、右から左へ処理してたようなことを、今までのように処理しないわけです。

それが「観察」の効果なんですね。

 

 

 

観察の力は撮影よりも編集で発揮されるかもしれない。

撮れた映像を何度も観て、映像を切ったり貼ったりしながら、撮影時には気付かなかった発見をしていくわけですね。

「ああ、なるほどあの時はこうなっていたのか」と気付く編集は正しい編集を意味します。

 

 

でも、たいていのテレビの現場やドキュメンタリーの教科書には、「編集する前にテーマを考えろ」と。

 

たいていのプロデューサー、編集作業の前に聞いてきます。

「この番組のテーマは何だ?」

 

そして僕は心のなかでこう答える。

「知らねえよ」

 

 

 

 

被写体を観察することに慣れてくると、やがて自分自身を観察するようになるらしい。

 

これは、なんとなく同意できる。

 

 

怒りや不安や怖れなどのネガティブ感情が、自分を観察することでスーッと消えたりするらしい。

 

「目の前の現実を観察しよう」とすると、意識は「今」に下りるしか無いんです。

 

なぜなら「観察できるもの」って「今ここ」にしかないから。

 

 

 

最近はやってる瞑想では、心を無にすることを目指すようだが、実はリラックスしながら自分自身を観察する行為かもしれない。

 

「観察瞑想」のすすめ:
混迷する世界から自分を守り、世界を変える。

やってみて驚かされたのは、自分の頭の中がいかに雑念だらけか、ということである。いくら呼吸に意識を集中させようとしても、すぐに雑念が湧いて、気づいたら別のことを考えていたりする。

 

観察瞑想で訓練する心のあり方。それは、「今ここ」で起きている「ありのまま」に集中し、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか判断することなく、ただただ「気づく」ことである(そういう心のあり方を「マインドフルネス」と言う)。

 

 

 

この本は、映画について書かれた本である。

 

映画ビジネスについては書かれてるが、ビジネス全般を語ってはいない。

 

しかし、これからのビジネスに必要なことが散りばめられてるように感じた。

 

素材は大事だが、活かすも殺すも編集次第。

 

出来上がったものが、「観よう」という能動的な行動を喚起できるかが問われる。

 

 

下線を引いた箇所は、いろいろな分野のビジネスに当てはまることばに置き換えることができるだろう。

 

やっぱり、これからの時代は遊びもビジネスも同じものになりそうだ。

コピペの先に何があるかが大事

驚愕 世界中のビジネスを「コピペ」して丸儲け!|ドイツ「ロケット・インターネット」戦略の全貌

サイトのコピーを作る、それを新たな国で展開する、そのあと事業を大金で売る。したがって、明日の世界を創造しているわけではない、複製を作っているだけなのだ。

 

この記事に対するコメント。

 

 

吉田 たかよし

 

受験ストレス心療内科【本郷赤門前クリニック】 医学博士・院長

2017年04月10日

 

「コピペ商法」が悪いことだという前提で記事が書かれているが、そこに疑問を持つ。

我々医者の仕事の99.9%は、他の医者が確立した診断や治療の技術のコピペ。

それが、患者さんの利益になる。

 

本物のコピペは、社会で認められた著作権を不法に犯すから悪い。

成功したビジネスモデルをコピペすることは、先行企業にとっては嬉しくないが、消費者にとっては利益が拡大する。

許されるコピペと許されないコピペの明確化が必要でしょう。

 

 

 

ビジネスや学問や研究の分野では、コピペはやるべきでない悪いことと言われてる。

 

コピペはパクる行為だと考えられるからだろうが、本当にそうだろうか?

 

 

遺伝子が全く同じ一卵性双生児はDNA鑑定で区別できないが、幼少期をほぼ全く同じ環境で育っても、最終的には全くの別人として他人から認識される。

 

初めて会った人は戸惑うかもしれないが、遺伝子の完全コピペレベルでは、全く同じにはならない。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/双生児

双生児以外では最も確実と言われているDNA認証では一卵性双生児の各々を個人認証することができない。

 

 

コピペしてても違う価値を提供できるならば、それはクリエイティブな行為だ。

 

 

コピペを悪とみなす風潮は、著作権やその他の権利収入を期待する筋が生み出しているように感じられる。

 

一方でIT関連分野等では、より進歩を目指し、その先を求めるモチベーションが強い世界ではオープンソースという概念が成立し、多くのプログラム等が公開され共有されてる。

 

公開されたものはコピペされ更に別の人によって改良され、それがまた公開される。

 

そして、このループが繰り返される。

 

コピペが利益に結びつくのは、その分野が未開拓なため競争がないような地域や領域だけだ。

 

コピペが同じものにしかならないのは、質が伴う競争がないから。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/オープンソース

  1. 自由な再頒布ができること
  2. ソースコードを入手できること
  3. 派生物が存在でき、派生物に同じライセンスを適用できること
  4. 差分情報の配布を認める場合には、同一性の保持を要求してもかまわない
  5. 個人やグループを差別しないこと
  6. 適用領域に基づいた差別をしないこと
  7. 再配布において追加ライセンスを必要としないこと
  8. 特定製品に依存しないこと
  9. 同じ媒体で配布される他のソフトウェアを制限しないこと
  10. 技術的な中立を保っていること

 

 

 

 

ところでコピペとは違うがなんとなく似てる気がするのが、蚊に刺されること。

 

蚊に刺されると痒いのは、蚊の唾液に体がアレルギー反応を起こすから、昨年騒ぎになったデング熱やジカ熱のような重篤な症状は、蚊が感染者の血液を吸い、その病原菌が蚊の体内に 宿り、一旦宿った病原菌は宿り続け、その病原菌が唾液とともに次々と感染するらしい。

 

蚊自身は、病原菌の影響は受けないらしい。

 

これもコピペの一種ではないだろうか。

 

感染症の警告 人間は脅威に勝てるか 2017.2.20公開

感染症克服のため、抗生物質を長年使い続けたことで抵抗力を持った「耐性菌」も生まれている。薬が効かない耐性菌による世界の死者数は今後30数年で14倍の1000万人に増えるとの予測がある。これは現在のがんによる死者数(820万人)を上回る規模だ。

 

 

全く存在意義を感じない蚊だが果たして役に立っているのだろうか?

 

もしもこの世から「蚊」がいなくなったら?

ゴキブリやカメムシと並んで「なんでこの世に存在するのか意味がわからない!」と考えている人が多いかもしれないのが「」の存在。世界でもそんな蚊がこの世から絶滅したらどんな世界になるのかが研究されているのですが、その結論はなかなか複雑なものがあるようです。

 

アメリカ・ウォータリード陸軍研究所のJittawadee Murphy氏は蚊は1億年以上も地球に生息しており、非常に多くの種とともに進化を遂げてきた」と語り、生態系の一端を担う蚊が一掃されてしまうと、蚊を食糧とする生き物の生態が脅かされ、また一方では花粉を媒介してもらっていた植物が絶滅してしまうことも考え得ることといえます。

 

究極のところ蚊が他の生物よりも秀でている能力とは、「ある生き物を刺して血を吸い取ること、そしてさらに別の生き物を刺して、病原菌を広げるということ」に尽きるのかもしれません。

 

 

 

伝染病や感染症は医学や薬の発達が駆逐したと思える時期があったが、最近また復活の兆しが見えている。

 

敵も進化してるのだ。

 

人間が行うコピペは、単純なパクリを意味することが多いが、実際には進歩や進化に欠かせないのではないだろうか。

 

だとすると、人間が行うコピペは発展していくだろう、その方が自然なのだから。

 

 

著作物をコピペされたくなければ公開しなければ良いだけと思っていたら、

 

”ライブドア VS フジテレビ ” を思い出した、もう12年前の出来事だ。

 

ライブドアのニッポン放送買収~ 的はずれな批判 ~

はっきり言おう。

敵対的な買収が嫌なら、上場を廃止すればいいことだ。

上場しておきながら「買収は駄目よ」なんてのは、全く矛盾した希望だ。気持ちは分かるが、そんなうまい話があるか?

 

 

 

 

やっぱり世の中のリソースは、オープンソース化に向かうというベクトルが働くのが自然だ。

 

コピペされたくないものは公開してはいけないし、公開されてないものをコピペするのは盗みになるので犯罪だ。

 

 

問われるのはコピペの先にあるのが、何なのかだ。

幸せは無意識なもので、予定調和や同調圧力の反対側にある

“馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない”という言葉(諺)がある。

 

元は英語のようだ。

 

You can take a horse to water but you can't make him drink.

 

A man may lead a horse to the water, but he cannot make him drink(unless he will).

 

 

意思や意志がなければ強制できない。

 

教育や育成の現場では、勉強のやる気と成果で例えられることが多いし、需要と供給(需要を超える供給は無理)という具合に使われることもある。

 

意思や意志の前には興味や関心がある。

 

興味や関心が動機を形成する。

 

 

いつの頃からか、興味や関心はあるのに動機が形成されない日本人が増えてるようだ。

 

 

日本の「健康ブーム」が、実は本物でない理由 2017年4月24日

行った種目は、「ウォーキング」がトップ。「体操」「トレーニング」がその後に来る。ほかには、男性は「ランニング」と「自転車」が人気で、女性は「エアロビクス・ヨガ」。つまりは全体的に1人でできる種目が上位にきている。その反対に、野球やサッカーなどの団体競技は、比率にするとほんのわずかだ。

 

 

【トレーナーが語る】ライザップでもダイエットに失敗する人の5つの特徴

特徴①素直じゃない・嘘をつく

特徴②明確な目的がない人は痩せられない

特徴③昼夜逆転の生活の人は痩せられない

特徴④お酒をよく飲む人は痩せられない

特徴⑤お金持ち過ぎる人は痩せられない

 

 

 

「No」が言えない日本人は、同調圧力に屈しやすく、予定調和に迎合しやすい。

 

そのことが、興味や関心がありながら動機にならないという心理状態を作っているように見える。

 

おそらく興味や関心を示すことのいくつかが、同調圧力や予定調和への迎合の産物なのだろう。

 

馬が水飲み場で水を飲まない状態は、日本では「バカは使いにくい」というような意味で使ってるような気がするが、水を飲まない馬がバカなのか、そんな馬をバカだと思う方がバカなのかが問われ始めたような気がする。

 

 

 

遊びの世界では、意思や意志が明確で動機にブレが無さそうに思えるが、悩みはあるようだ。

 

業績不振「GoPro」の意外な打開策 2017年4月24日

GoProのケースは、ある意味成功しすぎたあまりに次世代の技術開発が遅れたという例だろう。どんなに優れたアイデアであっても、数年もすれば陳腐化し、消費者はにべもなく飽きてしまうということでもある。どのシリコンバレー企業にとっても大きな教訓になる例だろう。

 

 

 

遊びの世界では、自由であることが何よりも大事。

 

必要最小限のルールや仕組み以外は、野放しが原則だ。

 

妙にビジネス的野心を持ち、顧客の囲い込みなんて始めると、自由を阻害する束縛となり逆効果になる。

 

動機にブレがないのは遊んでるユーザー側であって、ビジネスを仕掛ける側ではない。

 

ビジネスになると取り組む気持ちは人それぞれだ。

 

今のビジネスは、動機を問うと一体感が得られなくなる。

 

3年前の日経ビジネスにわかりやすく書いてあった。

 

どうして目標達成に「モチベーション」は関係ないのか?

仕事に打ち込むからこそ、モチベーションが上がってくるのです。「AだからBができない」という発想を逆転させ、「BをするからAが得られる」と考えましょう。

仕事の結果はなかなか出ないものです。だからといって、行動をしない理由にはなりません。行動をする理由や動機を考えてばかりいると袋小路に入ってしまいます。「逆算思考」の癖をぜひ付けて下さい。

 

 

 

本当に好きな遊びの世界では、無意識のうちに打ち込んでしまう。

 

ビジネスで遊べてる人が最強だろう。

 

コンプライアンスが厳しいということは、ビジネスには不向きな時代になっているということだろう。

 

無意識に打ち込めるビジネスに携われてる人は本当に幸せだろう。

 

しかし、そんなごく一部の人は自分が幸せであることを意識してないだろう。