違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

プロ野球存続の危機が教える、『勝つ』より健康が大切になってきたということ

プロ野球の視聴率低下が顕在化したのはいつ頃だろうかと調べてみると、21世紀に入ってからだった。

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グラフの引用はこのサイト 日テレ巨人戦中継、絶滅の危機|野球報道

 

 

Jリーグの発足によるサッカー人気の台頭が、野球人気を盛り下げたと思われてるが、グラフを見ると視聴率が明らかに下がり始めるのはずいぶん後からだとわかるし、バブル崩壊後の不景気とリンクしているようにも感じられる。

 

更に最近では、プロ野球がビジネスとして存続できなくなるかもと危惧されてるということも顕在化してきた。

 

今年のドラフトで過剰に清宮人気が煽られたのも、この辺が関係してるのかもしれない。

 

1番危惧されてるのは、少年スポーツとして野球の人気が落ちていることだ。

 

野球少年激減。プロ野球ビジネスが成立しなくなる日

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3040年前まで国民的スポーツだった野球には、“時代を映す鏡”という側面があった。例えば巨人のV9は高度経済成長時代と重ねて見られ、2000年代に入るとソフトバンク、楽天、DeNAというIT系企業が球界参入を果たした。

 

ここ10年の野球人口減少は、まさに現在の日本を象徴しているように見える。

 

 

 

また、視聴率はイマイチでも観客動員数は増えているという話も、パチンコ業界の衰退を連想させるという見方もある。

 

30年前パチンコ人口は3000万人と言われていたが、2000年には2000万人になり直近のデータでは1000万人を割り込んでいるという。

(参考):パチンコホールの売上、参加人口、活動回数

 

「観客動員が増えたからといって、野球人気があるとは思っていないです。球場に来るファンの延べ人数は増えているけれど、実人数が増えていないことはわかっています」

 

 

しかし、パチンコと野球では決定的に違う点がいくつかある、パチンコ業界はかつてバブル時代に大規模に設備投資し、女性をホールに呼び込もうとしたが失敗したのに対し、プロ野球は元々オッサンのスポーツで、選手も観客もオッサンだったのだが、女性を観客に取り込むことに成功したし、オッサンだと言うのは年齢の問題というよりは見た目の問題だったが、選手も観客も見た目がスマートになった。

 

せっかくスマートになったのにスマートではないのが指導者および組織の上位に位置する人間の考え方だ。

 

少年野球で指導者が子どもを野球嫌いにさせている

今回の記事は、これ以上、指導者のせいで野球嫌いになる子どもが増えないことを願い、意見を述べたいと思います。

 

わたしの知人に少年野球のコーチをしてる人間がいるが、その知人の持論が「子供は犬やネコと一緒だから厳しく躾けて体に覚えさせなければいけない」だった。

 

 

この問題を厄介にさせるのが、”指導者を変える=そのスポーツをやめる”とならざるを得ない点で、こんなところにも日本流のガラパゴスが見えてくる。

 

 

スポーツもビジネスも勝つことを目指すことが目的になっている。

 

どちらも負けるためにやることではないので当然の話だが、では勝つとなにが得られるのだろうか?

 

多くの場合、それは”お金や名誉”だと思われるから、皆”勝ち”を目指す。

 

面白いことにと言うか、残念なことにと言うか、ものごとにはトレードオフがある。

 

勝って手に入れた”お金や名誉”と引き換えに何かを失っているのだが、そこにスポットが当たることはない。

 

プロ野球を頂点とする野球界が、お金や名誉に振り回されてる間に、裾野の少年野球が廃れ始め、観客の頭打ちが懸念され始めだした。

 

トレードオフした何かが影響した結果だろう。

 

Quality Of Life(QOL)という考え方がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/クオリティ・オブ・ライフ

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。

 

ウィキペディアでは曖昧に表現されてるが、大きく3つの要素で人生の質が決定されるという考え方で、3つの要素とは、

 

  • 社会性
  • 経済性
  • 健康性

 

社会性は、主に人間関係や人生観を意味し、経済性はお金を意味する。

 

名誉は、社会性と経済性が交わる領域に存在する気がする。

 

幸せとは3つのバランスが良い状態を意味し、1つが突出して高くても低くても良い状態ではない。

 

ビジネスでもスポーツでもそしてアートの分野でも、過度に経済性が求められ、その経済性に社会性が振り回され、健康性は蔑ろにされる時代がずいぶん長く続いたのかもしれない。

 

この3つのバランスがどういう状態にあるかは、人それぞれだろうが、もしバランスがいびつならば、その修正が必要になるかもしれない。

 

長生き時代に大事なことはバランスの良さで、幸せはバランスの良さにしか宿らないとするならば、蔑ろにした健康にスポットが当たるのは当然だが、健康にもっとも寄与しそうなスポーツの世界では、指導者層の社会性が不十分なために健康を害したり、プロを目指すような世界では自らを追い込みすぎることもある。

 

ごく普通の生活をすることは運動不足を意味する時代になったので、健康のためにスポーツをすることは増々大切になっているのだが、やるとわかるが奥が深くて泥沼のような側面もあるので、正しい見識が問われる。

『信用』という予定調和

11月4日のプロ野球日本シリーズ第6戦を見ていて感じたことを書いてみたい。

 

と言っても、野球の話ではない。

 

 

 

 

最も流行に敏感で、流行をつくるのが上手なのが芸能界で、いろいろなビジネスが広告宣伝の分野では、その人気にあやかろうとしている。

 

しかし、そんな芸能界では、そしてその仕掛けを担ってる広告代理店業界が流行をリードできなくなっている。

 

嵐・櫻井翔、ディーン・フジオカの両ドラマが“完全爆死”も、日テレは宣伝する気なし!?

「ジャニーズやアミューズは、視聴率が上がるための宣伝を考えるよう、日テレサイドに注文をつけていますが、宣伝担当者からは有効なプランが出てこない。というのも、担当者たちがやる気を失ってしまう事情があるようです。

 

番宣の企画を立てても事務所にお伺いを立てないと何もできませんが、いざ連絡をしても、事務所担当者からの返事は1~2週間来ないことがザラ。

 

その結果『面倒くさい』と、局員の士気はダダ下がりなんだとか。よほどやる気をなくしているのか、最近の日テレスタッフは、テレビ誌の番記者たちへの対応までおざなりになっているという話も聞こえてきます」(業界関係者)

 

業界の中にいる人には当前のことかもしれないが、外野で見てるとよくわからないテレビの世界におけるテレビ局のあり方が、小売の世界のデパートと似てることを、上記の記事から感じることが出来る。

 

つまり、デパートが売場という場所貸しの不動産業が中核になってるように、テレビ局は番組枠という時間で区切った”電波貸し”が増えているということだ。

 

そして、どうやらその動きには関係者の一体感が無さそうだ。

 

ところで、デパートの場所貸しは、どのように展開されるのだろうか?

 

デパートの地方物産展のような企画は デパート側が計画するのですか?

Q、「デパートの地方物産展のような企画は デパート側が計画するのですか?」

 

A、はい、百貨店の企画になります。

 

 

Q、「出店したいものの売り込みで企画が立つのですか?」

 

A、ご理解頂きたいのですが、催事のスケジュールは年間と半年間で作成されております。前年の催事実績を踏まえ、同類の催しや新規企画による本年の催事スケジュールを計画しております。従って、半年間の催事場スケジュールは、最低でも7ヶ月前~8ヶ月前に決まっております。

 

 

Q、「また こちらから売り込みたい場合 どちら様宛に話をすればよいのでしょうか」

 

A、催事場担当は、販売促進部になります。各売場との調整を行っておりますので、reveyosi様のお取り扱いされている商品の売場を通じて頂ければと存じます。また、新規でのお取引であれば、取引契約の締結を交わし、取引口座を開設して頂くようになります。その際、法人に関する審査(調査含む)がございます。審査内容がNGの場合には、大変申し訳ござてませんが契約書の締結には至りませんので、何卒ご了承願います。

 

 

Q、「物産展とかきましたが 衣類のドレスです。 デパートで常時販売はしていないものです。説明が足らず 済みません」

 

A、担当売場は、婦人服に該当致します。

 

 

Q、「よく毛皮フェア などは見ますが 外部の業者に販売させているのでしょうか」

 

A、担当売場とお取引のある、各メーカー様及び各業者様になります。参考にして頂ければ幸いです。

 

 

上記の説明は、催事というスポットのイベントの話だが、常設の売場でも流れは同様だが”取引口座の開設”というハードルがより高くなる。

 

 

取引口座の開設

取引口座の開設とは銀行に口座を開設することではなく、企業間の取引を行うための手続きです。

 

一般に大企業が中小・零細企業と取引する際に、取引相手が信用できるかどうかを審査し、継続的な取引をするに値すると判断されると取引先として登録され「取引口座が開設された」状態になります。

 

具体的には、大企業が中小・零細企業に商品を販売した際に売掛金が回収出来るか?中小・零細企業から商品を継続して購入出来るか?などを経理部や調達部などの調査担当者が判断します。

 

 

取引口座の開設とは、『信用』を秤にかけることだということががわかる。

 

『信用』という言葉を辞書で見ると、

 

1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を信用する」

 

2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「信用を得る」「信用を失う」「信用の置けない人物」「店の信用に傷がつく」

 

3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。「信用貸付」

https://kotobank.jp/word/信用-539182

 

 

 

信用の反対語には、辞書の上では不信や疑惑ということばが挙げられるが、使われ方に幅がありそうだ。

 

この幅の広さは、『信用』という言葉が元々持ってるニュアンスが実は曖昧だからかもしれない。

 

 華僑直伝ずるゆる処世術 1000冊の著作を持つ中谷彰宏氏を迎えて

中谷:ところが、コマーシャルの場合、本格的な見積もりは納品の後から始まるんです。見積もりをいくら安くさせたかが担当者の手柄になる。そして広告代理店の仕事は、関係したすべての人にいかに手柄をつくるかということにあるんです。たとえできない人でも、全員に手柄をつくらないといけない。そこにかかわっている全員にどうやって手柄をつくっていくかだから、10人いたら10段階の見積もりがいる。

 

 

処世術と呼ばれるものが意味するのは『根回し』や『忖度』と呼ばれる気配りや配慮で、この仕組みが有効であるためには、人間関係の中の上下関係の秩序が成立する必要がある。

 

『信用』というのは、処世術とほぼ同じ意味で使われている。

 

 

 

冒頭の引用記事のように、流行を仕掛ける側が意図したように流行を起こせないのは、前提となる人間関係の秩序が変化してるからだろう。

 

この人間関係の秩序の変化は、”価値観の多様化“のせいだとされることが多いが、旧い秩序が抑圧してたものからの解放のプロセスかもしれない。

 

やりたいことや目的がはっきり分かってるわけではなく、旧い秩序が束縛している事からの反動なのかもしれないが、その反動が処世術を変えているのかもしれない。

 

「これで上手くいくはず」と言うことが成立するのが予定調和であり、予定調和を実現できることが『信用』と言われてる。

 

世の中から予定調和が減ってるように見える、それは馴れ合いが減ってると言い換えても通用するだろう。

 

日本ですらスポーツの世界では、緩慢なプレーに容赦なくファンからダメ出しのブーイングやため息が起こるようになってきた。

 

勝ち負けだけを競うようになると馴れ合いが起きる、八百長してると言うわけではなく、対戦相手と向かい合うと自然に起きるのだ。

 

しかし、この対戦要素に“ファンの期待に応える”が加わると、一期一会の真剣勝負になる。

 

真剣勝負の世界には、『信用』という予定調和が入り込む隙間はない。

 

 

 

見るだけでも疲れる試合だった。

 

 

 

選手たちも、もう一度やれと言われても二度とできないような試合だっただろう。

 

両チームに拍手を贈りたくなるのは真剣勝負だったからで、勝って嬉しい、負けて悔しい、を超えた世界がそこにはあった。

『承認の欲求』が変化してるかも

アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求を5段階の階層で理論化した。

 

そして5つの階層は、ピラミッド状の形をなしていると言うことはは広く世間に知られている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論

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図の上から順に、

 

自己実現の欲求 (Self-actualization)

承認(尊重)の欲求 (Esteem)

社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)

安全の欲求 (Safety needs)

生理的欲求 (Physiological needs)

 

 

このマズローの欲求と呼ばれるモデルは、わかりやすさ故に誤解も与え、ツッコミどころもあるので批判されたりもするが、人間の行動の背後にある心理状態を考える時には大いに役に立つ。

 

今回マズローの話を持ってきたのは、世間で頻繁に使われるようになったSNSでの”いいね”を巡って言われる『承認欲求』ということばが気になったから。

 

気になったのは、このことばの使われ方だ。

 

マズローの上から2番めに当たるのが承認の欲求なのだが、これがSNSを巡って言われる『承認欲求』と結びつかず、別のものに感じていたが、ふとした瞬間に、「もしかしたら同じことを言ってるのかな?」と思えてきたので、少し考えてみたい。

 

私自身は、本来の承認の欲求とは、社会的な欲求を達成した後に求めるもので、具体的には、金や地位を手に入れた人が名誉のある肩書を求めるようなことだと理解していた。

 

しかし、今SNSを巡って使われる『承認欲求』は、自分の存在意義の確認欲求に近そうという意味で3番目に当たる社会的欲求に当たるのでは感じられる。

 

インスタ映え」至上主義の時代、承認欲求との付き合い方を精神科医に聞いてみた

――なぜ人は承認欲求を満たそうとするのでしょうか。昔からそうした欲求はあったのでしょうか?

 

「人間は昔から群れて生きてきた生物なので、人間関係にまつわる欲求は生得的に備わっています。ただ、人間関係のかたちが変わったり、欲求を満たすための方法が増減したりすれば、それに伴って欲求のかたちは変わります。現代社会は、旧来の社会に比べて人が群れて過ごすことが少なくなりました。核家族化、一人暮らし化、契約社会などの浸透による村社会の衰退、等々が昔と現代の違っているところです」

 

「そして次第に群れなくなり、群れるユニットも不明瞭になった現代社会では、所属欲求が満たしにくくなってしまいました。所属欲求はしがらみ(たとえば家父長的抑圧)とも表裏一体でしたが、ともかく群れなくなった以上、所属欲求が満たせなくなったわけです。そのぶん、社会的欲求として求められるウエイトが承認欲求に傾いた、ということなのでしょう。こうした変化は20世紀前半の米国などでは始まっていました」

 

この『承認欲求』という言葉が広まるのとリンクして広まりだしたのが『自己肯定感』で承認欲求が大人の欲求であることに対し、自己肯定感は、子育てや教育の分野で使われることが多いような気がする。

 

自己肯定感が低い原因5つと、今すぐ出来る高める方法7つ

自己肯定感とは、自分自身にOKを出せ、様々な自分を受け入れられる感覚の事です。自己肯定感が低いと、「自分はダメだ」と思い続けざるを得なかったり、自分を認められないのでシンプルに生き苦しいです。

 

日本人は欲求5段階を、仕事での昇進や出世を通じて実現してきたが、現在では昇進や出世を含めての業績や実績を通じて実現しようとしてる。

 

ビジネスの世界で、年功序列と終身雇用が両立してる頃は、属する企業や組織内での『自己実現』を目指していたが、年功序列と終身雇用が崩れてくると、企業や組織はストレスが多いという意味で『安全の欲求』すら満たせない場になりうるが、現実の日本社会は弱体化していても、多くの人にとっては安全な社会だから、自己責任でストレスの少ない環境のほうがたとえ収入が低くても良いという選択が成立するようになってきた。

 

企業や組織に依存する気持ちが減ると、『社会的欲求』が質的に変化し『承認の欲求』と結びついて、個人のフィールドに活躍の場を求めるようになっているのが現在かもしれない。

 

自己責任で個人が活躍するというやり方は現在発展途上中で、”認知されてナンボ”の世界なので、ネット上では炎上と紙一重だったりする。

 

結構な有名人や有識者が、不自然なタイミングで暴言を連発したりするのは、おそらく”認知されてナンボ”のなせる業だろうし、車の運転に通じる自分のフィールド内では思わず本性が出るということかもしれない。

 

 

ところで、承認欲求を満たすために得ようとする『承認』とは、自分以外の他人からの評価を意味することが多く、何らかの競争を通じて得られる。

 

究極の競争は、戦争であり、人類の歴史は戦争の歴史であると言えるし、ビジネス論の中にはランチェスター戦略のように戦争における兵力の展開をお手本にするものもある。

 

戦争は最も極端なケースだが、競争は勝ち負けを決するために行うものである。

 

 

このように考えると、全ては『自己実現』のためだが、その途上プロセスの『承認の欲求』が厄介だとわかる。

 

いろいろな分野で競争が起こり、勝負が競われてる。

 

勝つことには問題はない、問題は”負け”をどう扱うかだ。

 

そんな勝負の世界に、新しい兆しが出始めてる、勝ちの価値を減じる動きではなく、負けの無価値感を減じる動きだ。

 

1961年に制定された「スポーツ振興法」が、2011年に改正され「スポーツ基本法」となり、『スポーツは世界共通の人類の文化である』と謳っている。

 

スポーツ基本法(リーフレット) 文部科学省.pdf

 

まだ名前負けしてる感じもあるが、スポーツの世界が変化してることはなんとなく皆が感じているかもしれない。

 

競技者の側も変化を感じてるだろうが、見る側の変化が大きいのだ。

 

勝ち負けよりも、真剣勝負であることが、見る側の求めるものになりつつある。

 

そこに予定調和を超越する世界観が宿るから。

 

そこには、感動が生まれ、敗者にも惜しみない拍手が贈られる。

 

 

承認の欲求は、『賞賛の欲求』に変化してるかもしれない。

 

持ってるものを惜しみなく出せる時、賞賛は生まれるかもしれないが、持ってるものを高いレベルに引き上げる努力が必要になる。

リーンバックスタイルの薦め!

スポーツをする時、それが真剣勝負ではなく遊びであっても、自然と前傾姿勢を取る。

 

それは、最初の一歩をきちんと踏み出すために備えての事のように感じる。

 

同じように、椅子に座っていながら前傾姿勢を取ることがある。

 

勉強したり、調べたり、本を読んだり、PCで作業するような時には、座っていても前傾姿勢を取る。

 

前傾姿勢を取る時の気持ちは、攻めの気持ちがある時で、たぶん緊張感も伴っている。

 

それは、前傾姿勢を取る時には、なんらかの目的があることを意味する。

 

逆に後傾姿勢を取る場合は、テレビを見たり、映画を見たり、楽しみながらの読書などがある。

 

〜〜余談〜〜

 

後傾姿勢という日本語は一般的ではないので、以下は英語の「リーンバックスタイル」を用いる。リーンバックスタイルには寛ぐと言う意味もある。

ちなみに前傾姿勢は「リーンフォワード」と言われる。

 

〜余談ここまで〜

 

今回は、時代の変化が、知らず知らずのうちに取る姿勢にも影響を与えているという話をしてみたい。

 

2009年ipadのリリースが発表された時、メディアから「ipadはPCの代わりを果たすものなのか?」と言う質問を受けた故スティーブ・ジョブズは、「about leaning back」とだけ答えている。

 

Indeed, this is a fair point. When the iPad was released, people did wonder whether it was a large smartphone or a small laptop, a question which Steve Jobs didn’t answer. “He just said, ‘it’s about leaning back’,” continues Rashbass.

https://thenextweb.com/media/2012/03/22/the-economist-lean-back-2-0-is-not-the-end-of-innovation-in-the-media-industry/

 

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私は、この話が気に入っていたので、それがキッカケでジョブズを好きになり、ipadを愛用している。

 

リーンバック時代が始まるのだと思っていたし、個人的な印象だと2014年まではこの流れを感じていた。

 

しかし、徐々に雰囲気が変わってき始めて、リーンバックスタイルよりも前傾姿勢が増えて来たように感じられるようになってきた。

 

 

 

たまにリーンバックスタイルの人を見ても、寛いでいるというより老眼かなと思うような感じになってきた。

 

もしやスマホの普及の高まりが与えた影響かなと感じ調べてみると、2014年から2015年の間に総世帯における普及率が50%を超えている。

 

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出典:http://www.garbagenews.net/archives/2257046.html

 

 

スマホの普及が拡大させたのは、前傾姿勢というより俯くのほうが近いだろう、だからだろうが、こういう社会問題も起き始めた。

 

歩きスマホをすると視覚鈍感になる危険性が指摘されている[4]。歩きスマホは、操作している本人は周りが見えにくくなるため(視野は通常歩行時の約1/20で、対象物を認知できるのは1.5mまで接近した時点[5])、周辺の歩行者に接触する事がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/歩きスマホ

 

 

 

 

 

携帯電話(いわゆるガラケー)からスマホに切り替わることで起きる変化は何だろうか?

 

電話とメールに関しては違いはない。

 

2014年前後から聞かれ始め、2015年以降で顕著に言われるようになったことに「SNS疲れ」という言葉がある。

 

ガラケーからスマホに切り替える動機が、SNSをやることという人がほとんどかもしれない。

 

そうすると、リーンバックスタイルを前傾姿勢にさせたのはSNSかもしれない。

 

SNSの登場と普及拡大がキッカケで顕在化したことは、ネット上を飛び交う情報が激増し、その情報は時系列でドンドン流れていくということだ。

 

SNSをやるということは、その時間に沿って流れていく情報から必要な情報をインプットし、インプットした情報を加工してアウトプットするという作業を繰り返すということだ。

 

この作業には終わりが無いという特徴のほかに、不特定多数に可視化され評価の対象になることも多いので、前述の”疲れ”に繋がる。

 

 

やるべきことが明らかな時に自然に取るのが前傾姿勢だが、前傾姿勢は長時間続かないし疲れる、疲れる姿勢なので前傾姿勢を取っている時は、情報の処理という意味では、必要な情報を取り入れることにはあまり有効ではなく、実際には不必要な情報を捨てることに作用する。

 

つまり、役に立つ情報は、前傾姿勢を取る前に仕入れておく必要がある。

 

逆に言うと、情報を仕入れようとするならば、また未知のものに向かおうとする前段階では”考える”という作業が必要になるが、これらの行動と前傾姿勢はたぶん相性が悪い。

 

何も考えないことが目的の瞑想では、背筋を直立させることが基本姿勢とされる。

 

身につけた知識や能力を発揮しようとする時は、前傾姿勢が向いている。

 

一般的には、寛ぎやリラックスを意味するリーンバックスタイルには、前向きなイメージがあまり無いが、答えがわからないことや、未知のことを考える時には向いているかもしれない。

 

姿勢に関しては語りだしたらキリがないが、姿勢は呼吸に関係する。

 

リーンバックスタイルは胸を開きやすいので、考え事をする場合も、ゆっくりと深い呼吸ができる。

 

同じ情報に接しても、インプットする時の姿勢が違うと、アウトプットも違ってくるかもしれない。

知らず知らずのうちに煽られる危機感

何かを売ろうと企画(画策)する時は、危機感を煽るというのがお約束だ。

 

薬を売る時に、具体的な病気や症状をアピールするのはわかりやすい。

 

スーパーのチラシなどで、商品と価格が明示されてるような場合、危機感が煽られているという認識はないが、「普通◯◯◯円の商品が☓☓円で売ってるなら買わなければ」と煽られたりしている。

 

いつの頃からか、通販ではおなじみになった「限定!」や「今だけ」や「お一人様◯個だけ」は、お得感を煽っているようだが、煽られてるのは「チャンスを逃すと手に入れられないかも」という危機感だ。

 

そんな危機感がキーワードになる売り買いの現場では、「高く売りたい」売手と「安く買いたい」買手が対立関係だと思われるが、売買が成立する場合は、実は両者の思惑の一致が問われる。

 

一方、一体のように見えて実は対立しているという関係性(属性)がある。

 

世にブラック企業ということばが広まったが、ブラック企業の多くは、ユーザー側から見るとブラックではなかったりする。

 

では、どこがブラックなのかというと、経営者と現場の労働者が対立するのだ。

 

問題がややこしくなるのは、マネージメントに当たる中間管理職が、経営の側を演じたり、労働者側に追いやられたりが起きるからだ。

 

そんなことを、ユニクロを事例に考えてみたい。

 

 

離婚で姓を変えバイトに潜入…ユニクロと闘うジャーナリストが語った巨大企業のブラック体質と柳井社長の洗脳 2017.10.29

 

ジャーナリストの横田さんがユニクロに興味を持った理由が下記だ。

 

——今回の『ユニクロ潜入一年』以前の2011年に、ユニクロのブラックぶりや柳井正社長の実像に迫った『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋)を出版しています。そもそもユニクロに焦点を当て取材しようと思ったきっかけはなんだったんでしょう。

 

横田 

『ユニクロ帝国』の取材をはじめた2009年当時、ユニクロは破竹の勢いで事業を拡大していました。今はずいぶんその勢いも衰えてきましたが、なぜ町の一介の洋服屋から、日本屈指のアパレル企業になったのか。なぜここまで成長し続け、業績がよいいのか、儲かるのか。そうした純粋な疑問でした。ユニクロを定点観測することで、日本の国際企業としての進化を知りたかった。私はかつて物流業界紙の編集長をやっていたこともあり、05年にはアマゾンへの潜入ルポ『アマゾン・ドット・コムの光と影』(情報センター出版局)を出した。その流れでユニクロという企業はどうなっているのか、というのを物流という視点で捉えたい。そんな時に文春から声がかかったんです。

 

 

ところで、ブラックはなぜブラックなのかをきちんと理解しないまま言葉が独り歩きしてるようにも感じるが、取り交わした約束が違うからブラックとして問題になるのだ。

 

約束や契約は、そこに至るまでは力関係が影響するが、一旦結ばれると約束や契約はお互いに対等なものとなる。

 

しかし、この対等性が反故にされる時はいつも宗教に似た臭いが漂いだす。

 

一方で、“ユニクロ教”にはまる人もいます。「休憩するのは怠け者」、「時給泥棒だ」という文化を植え付けると同時に、「ユニクロで働ける人はできる人だ」という優越感を巧妙にインプットもされる。そのための素敵なネーミング、マジックワードが用意されている。たとえば店長は“主役”ですし、他にも“知的労働者”とか“一人一人が主役だ”、“みんなに達成感を味わおう!”など標語を連発する。

 

経営者と労働者の関係が、教祖と信者の関係になると、信者の関心は、

 

柳井さんの好きな言葉に“少数精鋭”というのがあります。現場でも「自分たちは少数精鋭だ」と葉っぱをかけられ、「できる俺」みたいに洗脳され、マインドコントロールされる。

 

となる。

 

しかし、教祖の関心は信者にはないので、

 

急成長したのも儲かるのも、柳井さんが“人は使い捨て”という考えで、かつ “ケチ”だからというのが結論ですね。

 

となる。

 

ユニクロの場合、働く場としては問題を抱えているようだが、お客として買う商品は悪くないし、店の雰囲気も悪くないので、世間からは見えづらい問題となる。

 

世間から見えづらいブラックとしては、コンビニに代表される『本部 VS FC加盟店』という闘いがある。

 

FC本部と加盟店のありがちなトラブルと結末

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この構造は、家賃保証のサブリースシステムでアパート経営をすることに似ている。

 

「サブリースで大損した人」がハメられた手口 2017.08.06

住宅所有者の多くは経営や管理などをすべて管理会社に任せながら、契約期間中は決まった金額が家賃収入として入ってくる仕組みだ。所有者側の手間が省けるため魅力的に聞こえるが、悪質業者と契約し、最悪の場合、自宅を失うという例も出てきている。

 

FC加盟店もサブリースも、トラブルが起きる場合は、契約に用いられた文言の解釈の誤差から生じる。

 

この場合のキーワードは、「手っ取り早く」と誤解させ、「おんぶに抱っこ」でフォローするから安心ですと展開される。

 

これらのブラックトラブルは、本来「喧嘩両成敗」なのだが、実際には契約書の文言を作ってる側に有利に働く。

 

 

ブラック問題がトラブルを起こす場合、被害者側に”金銭問題”や”金銭に対する執着”が絡んでることがほとんどで、煽られてる危機感は「お金が必要」であったり、「地位や立場や待遇を失いたくない」で、これらは逃れようのないプレッシャーとなるから厄介だ。

 

昔こんな話を聞かされたことがある、新卒で入った会社の専務が言った言葉だ。

 

『結婚しない奴は信用できない、家を買わない奴は信用できない、そういう奴は嫌なことがあると簡単に逃げるからだ』と。

 

年功序列と終身雇用が前提だったから、まかり通った考えだろうが、こういう考えはまだ日本社会の中で生きていて、トラブルに遭遇する人は、逃げれない環境に自分を追い込んでいる。

 

かつて、自分で自分を逃げれない環境に追い込む人は、考え過ぎが原因だったが、現在では「考えなさ過ぎ」が原因になってるかもしれない。

 

 

現代人は、次のような言葉で知らず知らずのうちに洗脳され危機感を煽られている。

 

 

 

『やった後悔よりもやらなかった後悔のほうが大きい』

 

 

『宝くじは、買わなければ当たらない』

 

こういう言葉を、深く考えずに口にする人物には注意が必要だし、これらの言葉を迫ってくる人は要警戒だ!

 

時代は『具体的』から『抽象的』に移っているかも

野球に興味がない人にはわかりづらいかもしれないが、今日のテーマは「ストライクゾーン」の変化について。

 

野球のことを語りたいわけではないが、この後の展開上必要になるので、少しばかり説明するが、バカバカしいと思わずに付き合って欲しいが、野球を知ってる人には必要ない。

 

□□□□□

 

2つのチームが攻撃と守備に別れる。

 

守備側のピッチャー(投手)がボールを投げることからゲームがスタートする。

 

ボールを受取るのはキャッチャー(捕手)で、ピッチャーと同じチームに所属する。

 

ピッチャーは、ボールをどこに投げても構わないが、少なくともキャッチャーが捕れるように投げる必要がある。

 

ピッチャーが投げたボールを打つ役目をするのがバッター(打者)で、相手チームに所属する。

 

攻撃側のバッターは、ピッチャーが投げたボールを打っても良いし、打たなくても良い。

 

ピッチャーが投げるボールが「ストライクゾーン」という枠内を通過するボールは、「ストライク」とカウントされ、ストライクゾーンを外れたボールは「ボール」とカウントされる。

 

ストライクゾーンは、ホームベースと呼ばれるボードの幅とバッターの身長で決定される。

 

バッターの役目は塁に出ることだが、塁に出るためには、「ボール」を4つ見極めるかヒットを打つ必要がある、一般には打ちやすいボールが「ストライク」で打ちにくいボールが「ボール」となる。

 

バッターは空振りを3回するかヒットが打てないとアウトになり、3人がアウトになれば攻撃と守備が入れ替わる。

 

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この説明ではいまいちかも知れないが、伝えたいことは、野球の場合、ピッチャーが「ストライクゾーン」に投げることができなければゲームが成立しないということだ。

 

プロ野球を見ていると気付かないが、子供のチームでは最も運動神経の良い子がピッチャーを務めるのは、ゲームの成立がピッチャーに依存する度合いが大きいからでもある。

 

こんな前置きをしたいと思ったキッカケは下記の記事で、ビジネスを仕掛ける側がピッチャーで、お客の側がバッターのような気がしたからだ。

 

「自社の情報は、知らない人にとっては砂の1粒と同じ」-佐藤尚之(さとなお)氏が「ファンを大事にするべき」と語る理由 #熱狂ブランドサミット2017

【新規顧客開拓が難しい5つの理由】

1.人口の急激な減少

2.超高齢化社会&消費しない若者

3.陳腐化するUSP

4,溢れすぎるモノ

5.情報過多と二極化

 

 

ここに上げられた5つの理由は、ストライクゾーンが変化していることを意味している。

 

ストライクゾーンが歪な形になっているのか、それとも狭くなっているのか、もしかしたらストライクゾーンが無くなって見えないのかもしれない。

 

これまでは、このビジネスにおけるストライクゾーンの変化は、機能や性能や生産のあり方で議論され、売れ行きが鈍ることは、コモディティ化など、普及が一段落し、飽和状態に達したからと解されたり、また過度にスペックが上がり逆にユーザーの求めから乖離し不必要なものになったりしていると解されていて、行き詰まったら別の新しいものを見つけて同じ展開を繰り返していたが、別の新しいものが見つからなくなってきたのが今だ。

 

ストライクゾーンは、ホームベースという絶対的な基準に基づくが、今起きているストライクゾーンの変化は、ホームベースが変化してるように感じる。

 

ホームベースが変わるということは、ルールが知らないうちに、周知されることなく変化することを意味し、実際の野球ではあり得ないが、現実社会ではこのたぐいの変化は、誰かが意図して起きるものではないので、変化し始めは気付かない、だから気付かないうちにルールが変わるということは起きるだろう。

 

古いルールの上に成り立ってる仕組みを新しいルールに変えるのは大変だから、何も無いところに新しい仕組みを作ることが望ましいが、その作業は古い仕組みにどっぷり浸かってる人にはできない。

 

だからといって古い仕組みもいきなり無くすことはできないので初期の変化は潜在化する。

 

このような変化は、ビジネス以外でも至る所で起きているかもしれないが、気づく人はまだ一部の人かもしれない。

 

“地味”だが重要な変化を見逃さない
「常識」は「大間違い」になっているかも

私を含む中高年層が自分が受けてきた教育を無意識のうちに「常識」とした上で、ああでもない、こうでもない、と教育改革を語ることにはリスクがある。

 少しずつ変わってきた「何か」をきちんと再確認し、その上で、数十年後の社会のために、大きな変化ではなく「磨きあげ」ていく部分は何か。

あえて、付け加えたり、取り除いたりする部分は何か。

こういう時間軸の長い「加減乗除」の話をする必要があると思う。

 

 

日本では、大きな勢力とはなってないようだが、アメリカではミレニアルと言われる世代が次世代を動かすと見られている。

 

ミレニアル世代とは、21世紀に成人を迎える人々のことで、1980年以降に生まれた人々で、この年代に合致しても育った環境によっては、ミレニアルの特徴を持たない人もいるだろう。

 

アメリカのミレニアルの特徴として上げられるのが、生まれたときからデジタルデバイスが生活の身近にあった「デジタルネイティブ」であることと「多人種」を受け入れる生活の経験だ。

 

そんなミレニアル世代が大事にするのが、オープンであることと多様性を許容すること。

 

ミレニアル世代が支持したオバマ大統領の後を受けて誕生したトランプ大統領はミレニアル世代からの支持が少なく、世代間対立が感じられるが、面白いのは世界で最もパワフルなミレニアル世代として、トランプ大統領の側近である娘イヴァンカとその夫クシュナー氏の名前があることだ。

各方面で業界をリード! 世界で最もパワフルなミレニアル15人

 

トランプ氏支持率、若者層も32%と低調 ハーバード調査 2017.04.26

 

 

そんなミレニアル世代の価値観が下記。

 

「ものを買わない世代」が最も信頼するメディア『Refinery29』。その共感力の秘密をクリエイティヴディレクターが明かす!

まず1つめは「個性」。われわれは、自分自身が自己表現やクリエイティヴィティを追求する個人として尊重されたいと思っている。テクノロジーの進歩によって、さまざまな自己表現ができるようになった現代では特にだ。

 

2つ目は「グローバルなつながり」。マズローの欲求5段階説によれば、つながりを求める「社会的欲求」は生理的欲求と安全欲求に続いて3番目。しかし、国境を越えたつながりが容易にもてるようになったいま、われわれは同じような考えをもつ人々とグローバルスケールでつながりたいと思っているのだという。

 

3つ目は「目的」だ。ボリスいわく、われわれは個人として見られたいと同時に、自分よりも大きな「何か」の一部になりたいのだ。若い世代の人々が、高い目的意識をもった企業やムーヴメントに惹かれるのはそのためだという。

 

文で読むと全くインパクトを感じない。

 

この中に何か秘密が見出だせるだろうか?

 

新しい何かを感じられるだろうか?

 

この引用は失敗したかなと思っていたが、従来と大きく違う点があることに気付いた。

 

目指すことが抽象的なのだ。

 

ミレニアルより年上世代では、具体的であることを何かにつけて要求された記憶があるだろうし、そういう教育を受け上司になった人は部下に具体性を要求してるかもしれない。

 

ビジネスの世界が、具体的であることを要求するのは常識と呼ばれていた。

 

そんな「具体的」なビジネスは最初は実業と言われていたが、やがて投資など儲かるがキーワードとなる虚業にシフトしたが、ここでは具体的な数字で表現されるプレゼンが行われ、「虚」の部分を隠蔽していた。

 

しかし、そんな「虚」が(も)行き詰まり始めたかもしれない。

 

個人不動産投資家の過半「融資厳しくなった」-金融機関の対応に変化

「融資が厳しくなった」ことを感じる理由として「自己資金を求められるようになった」(41.2%)、「自己資金の割合が上がった」(32.4%)などが挙げらている。アンケートは9月27日ー10月11日に実施され、登録会員約6万7000人のうち433人が回答した。職種は会社員が56.1%で最大。

 

 

今の時代の行き詰り感は、「具体的であること」がもたらしてるのかもしれない。

 

もし「抽象的」が次世代のキーワードになるならば、ミレニアル世代より上の人の多くにとっては、自分たちが否定してきたものが主流になるということだから、「そんなの聞いてないよ〜」となるだろうが、面白い時代の到来かもしれない。

 

そう考えると忘れられないのが、日本の抽象芸術の大家だった岡本太郎(1996年没)だ。

 

「職業は?」と問われ、名言を発した日本人が二人いる。

 

一人が矢沢永吉で「職業は矢沢永吉」と答えている。

 

もう一人が岡本太郎で、「職業は人間」と答えている。

 

岡本太郎の思いは、『目的を持った行動は卑しい、無目的にただ己を貫くのが芸術であり、人間だ」ってことを言いたかったんでないかな?』と解釈する意見もある。

 

没後20年の今でも岡本太郎の発した言葉は人に勇気を与えている。

 

鬼才岡本太郎のツイートが今人気! 名言から見える深〜い味わい 2017.03.22

今その岡本太郎が残した名言を発信するツイートには、13万人を超えるフォロワーたち(H29年3月現在)がその深い魅力を味わっています。

 

抽象的な生き方というのは考えるものではなく、感じるものかもしれない。

 

ものの見事に、生産性やロジカルなプレゼンなどの現代社会の必至キーワードの真反対の価値観だ。

 

抽象的な視点が身に付くとと、ロジカルシンキングをし理路整然とプレゼンするコンサルタントがきっとバカにしか見えなくなるだろうと思うとわくわくする。

 

野球だったらあり得ないが、世の中のストライクゾーンが「具体的なもの」から「抽象的なもの」に移っていると思いたい。

 

もちろんそんな時代になっても重厚長大型の社会インフラ等は「具体的」でありつづけるだろう。

だって、『にんげんだもの』!

「光と影」あるいは「表と裏」のように、実際には対になって存在するものが多い。

 

研究の現場にもそういう対の考え方がある。

 

悪用も可能な研究成果「デュアルユース」とは何か? 2017.10.18

アメリカ政府は、生物化学研究の成果が悪用されて人々の健康を危険にさらす可能性を減らすための規制を行ってきたが、期待通りの結果が得られていない。つまり、生物化学研究の成果が、バイオテロリストに悪用される恐れが十分にある状態なのだという。

 

研究の目的は生物兵器としての利用であるから、研究成果は軍事機密として秘匿されていたはずだが、陸軍の研究所の研究者が悪用するとなれば、研究室の設備を使って培養することもできるし、セキュリティ・システムについての知識があれば、持ち出すことも可能かも知れない。

 

研究の目的が医療だったり、純粋な科学だったりする場合には、軍事研究と違って組織的に秘密を保つ理由は、知的財産権の保全で、企業の研究所などがビジネス上の優位性を保つためだろう。そうした縛りがない場合、研究成果は広く学会誌などで発表し、人類の科学的な知識の集積に貢献し、世界のライバルの研究者たちに先駆けて発表したことで称賛されることが、研究者としての醍醐味だ。

 

研究者としての醍醐味は、成果の達成や成果の発表にあり、これが光であり表だが、それがふとした拍子に影や裏を見せてしまうことがある。

 

ふとした拍子は、どんなタイミングで、何をキッカケに起きるのだろうか?

 

 

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フェイクニュースを受け取る側の心理的傾向 2017.10.17

ネット以前の時代には、「あれは奴らの陰謀だ」とか「来月、あの山が噴火する」といった根拠の薄弱な情報は、週刊誌の煽動記事になったり、会って話せる相手に言いふらしたりする程度だったが、今や記事をコピペしたり、リンクを貼り付けたりして、ブログでもソーシャルメディアでも、誰もが簡単に拡散に参画し、貢献することができてしまう。

 

本当か嘘かわからない情報は、どのように信じられていくのかというと、

 

1. 他者が大勢いると、情報の事実確認について、他者に「タダ乗り」できると感じる

 

2. 他者の言葉を額面どおりに受け取ることが、社会規範を守ることになる

 

3. 人は、大勢だと安心して警戒心を弱める

 

 

といった理由付けの中で、特に三番目を支持する実験結果が得られているという。

 

 

情報を信じるというよりも、大勢でいるときには、いろいろな意味で警戒心が緩み、確認するという作業がおろそかになる傾向が出るからだ。

 

 

 

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あなたに「多数決」を使う覚悟はあるか? 経済学者・坂井豊貴の「コンドルセの多数決論」

理不尽な結果が生まれようとも、それに服従するしかない「多数決」という仕組み

 

ここでは、3人で多数決を行う場合に、多数決が理不尽な結果を生まないためにどういう条件が必要かを考えた話が書いてあるが、そこで上げられた3つの条件が、

 

【ボスがいないこと】

【空気や扇動に流されないこと】

【情報が正確であること】

 

 

それぞれに説明文がついている。

 

大勢でいる時に未確認の情報を、フェイクニュースとして信じる傾向があるというのは、多数決が理不尽な結果を生む時に利用されてる仕組みであることが感じられる。

 

そもそも多数決で何でも決めてよいわけではない。たとえば「皆で誰かをいじめる案」を多数決にかけるのは不当なことだろう。どれだけ賛成者がいようとも、「特定民族を見世物にする人間動物園」をつくることには道徳上の問題があるだろう。

 

ところで、多数決というのは3人以上の間で発生する葛藤を解消するために用いられるが、葛藤の真の原因は「妬みや嫉妬や羨望や恨み」が生み出す不公平感だったりすることが多いので、そういう場合は多数決で解決することは理不尽になる。

 

 

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典型的な葛藤にはいくつかのパターンがあるが、最近新しいパターンが出てきたようだ。

 

呪いの相手、恋敵から上司に 京都の現代呪術事情

「20年ほど前は夫の不倫相手を呪う女性の依頼が大半でしたが、今はパワハラ上司を恨む男性が増えています」。現代人は恋愛より職場の人間関係に悩んでいるのか。

 

 

 

「他人の不幸は蜜の味」という諺(?)があり、脳科学や精神医学で取り上げるテーマでもある。

 

最近生まれた感情ではなく、大昔からあったのだろう。

 

「他人の不幸は蜜の味」は科学的証明済み

僕は2点ご指摘したいと思います。

 

1点目は、「高収入貧乏の谷」(周囲に負けない生活レベルを目指すあまり多くの支出をして、貧乏家計に転落)を乗り越えるためには、自分には妬みの感情があるという事実を道徳的・倫理的に覆い隠してはいけない、ということです。自己欺瞞をするのではなく「正面から受け入れなければならない」。そう強く訴えたいです。

 

2点目は、「集団とか社会的序列の中で生活する動物の脳には妬みの感情を抱く回路が組み込まれており、人間もその例外ではない」ということです。

 

似た属性の人に不幸が訪れると、脳が「喜ぶ」

 

 

 

この他人の不幸を望む心理は、冷静に考えれば「裏」であり「影」なのだが、この感情が「表」「光」に見える人も多いのが現在だ。

 

諸悪の根源が「上手く行かない」「思い通りにならない」にあるとすれば、またひとつ悪いことが増えるかもしれない、というより既にそうなっているのだが、

 

デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない

スマートフォンが登場して以来、消費者はデバイスの中のソフトに手を加える権利を奪われ、単にその使用を許されているだけ、ということを受け入れざるを得なくなっている。

 

上手に利用し活用しようと思って手に入れたデジタルデバイスやアプリに振り回されている人が増えているかもしれない。

 

代表的なのはSNSで、妬みや怒りを全開にしてる人もよく見るが、主従関係が逆転し、「ミイラ取りがミイラになる」となってるかもしれない。

 

なりたい自分があるから嫉妬や羨望が生まれるのだろうが、ますますなりたい自分から遠ざかってるかもしれない。

 

衆議院選挙で落選した長谷川豊さんを見て感じたこと。

 

ニュースでの取り上げられ方で、過去の暴言から逃れられない様子が見える。

 

長谷川豊氏が敗れる 元フジテレビアナウンサー 千葉1区

昨年9月、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」などとブログに書き込み、批判を浴びて謝罪した。

 

ネット上でアクセスを稼ぐことは上手だが、票を稼ぐことには繋がらなかったようで自身のブログでもこう語っている。

 

今回の選挙は、動画の方でも申し上げていた通り、正直に話してしまうと…

手も足も出ませんでした。

 

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka

 

 

 

そんな長谷川豊さんに、あいだみつおさんはこう言うだろう。

 

 

だって「にんげんだもの」と。

 

 

「光と影」、「表と裏」を生み出す『嫉妬や羨望』は、全ての人が持っている。