違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

ピラミッド的考察③

先日考えたピラミッド的考察のようにすべての人が正三角錐に序列化されるのは最終的にであって、今は限りなく最終形に近づいてはいるが、まだ到達してないのではと考えてみた。
 
そもそも、スタート時の形がなかなか設定しづらいが、混沌としてかつ既存の序列が崩壊した時期として第二次世界大戦終戦直後をスタート地点として考えてみた。
 
 
ここに書かれてることから伺える事は、すべての日本人が絶望感とこれからどうなるのだろうという不安を感じていただろう。
 
しかし、そんな時代でありながらも、戦争前にあった序列の底辺が底上げされたと言うか、少し良い方向に向かい出し、平等感が底辺にいた人に感じられるようになってきたのではないかということだ。
 
それとは逆に、序列の上位にいた人は持っていた財産や名誉を剥奪され没落感が強かっただろう。
 
結果的に、日本は国民の序列の上下幅が小さい(狭い)状態でスタートしたのではないかと考える。
 
形で示すと、頂点が無く、段数が低い台形状ではないかと感じてる。
 
1945年の人口が7200万人。
 
三角錐ピラミッドが成立してれば、最下段約285,000人、755段ほど。
 
これが、最下段1000万人程度、100段ほどのいびつな台形状で戦後がスタートしたのではと考える。
 
上を目指してる訳ではなかったかもしれないが、そもそも上が塞が
 
ってないので気が付くと上に上がっていたのでは?
 
こうして、皆貧乏から一億総中流になっていったのでは。
 
 
 
ここまで書きながら気付いたことは、上に行こうと思うなら、上に誰もいないところを目指すべきだろうなということ。
 
戦後に漂っていただろう絶望感や閉塞感は、成り立っていた形が崩れたから生じた。
 
今漂う閉塞感や絶望感は、形がきっちりしすぎてかつ上がふさがってる状態だから生じてる気がする。
 
 
組織で動いて、みんなで活路を見出すというビジネスモデルが難し
 
くなっているのではないだろうか?
 
組織の目線では活路を見出す隙間が見つからないが、個人だとどうにかなる隙間はいっぱあるのでは?
 
ただ隙間の形はいびつかもしれない。
 

 

 

必要なのは、頭と心の柔軟さだろう。