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 違う見方

独断と偏見による雑記、備忘録

増える資産がゴミになる日

高度経済成長が所有する喜びをもたらした。
 
生活を便利にする商品が増え、趣味嗜好の多様さに対応する商品が増えた。
 
 
気がついたらより価値があるのは、
 
  • 古い商品より新しい商品
  • 高級な商品
  • 希少な商品
     ・
     ・
     ・
 
となっていった。
 
つまり陳腐化を避けようとしてるのだ。
 
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
陳腐化
ちんぷか
obsolescence
商品・製品や機械設備などの資産について、市場での経済的な価値や利用による機能的な価値において、当初有していた価値よりも減価が生ずること。このような資産は、通常は使用や時間の経過によって物理的に減価することはいうまでもないが、同種もしくは類似の商品等の開発により、市場における相対的な価値の減少や、機能面における相対的な非効率による価値の減少が生ずることがある。陳腐化とは、このような経済的または機能的な意味における市場価値の低下をいう。卑近な表現をすれば、新たに市場に登場した商品等に比較して古臭くなった、はやらなくなった、旧式になった、使い勝手が悪くなったといった状況をいう。
企業経営において、資産についての陳腐化の減価は、当初の耐用年数の設定時にある程度織り込むことも可能である。その他急激な技術革新や制度改正等によって相当の減価が見込まれる場合は、耐用年数の短縮化によって対応するか、臨時に特別な償却をすることによって対応することが必要となる。
一般の生活では、比喩的に、他人、行動、方法、表現などについて、時代遅れであるという評価をするような場合に使われることもある。[東海幹夫]

 

 
所有に関してのピークはバブル経済の時だったような気がする。
 
昔からの金持ちやいつも金のない人にはあまり関係なかったが、それ以外の人は、色んなジャンルの高級と称されるものを自分の財力に応じて揃えていた。自分の財力に応じず借金をした人やバブル崩壊の直前に最高値で不動産等を手に入れた人の中には悲惨な末路が待っていた人もいた。
 
1980年台から、若者向け(自称含む)の遊びや仕事やファッションの教科書的雑誌が増えてきた。取材の形を装った商品その他の広告宣伝雑誌だ。
 
目標や答えが意図的に演出され、自分の外側に作られてた時代だ。
 
 
 
バブルが崩壊し、しばらくして携帯電話が普及し出した頃から言われ始めたビジネスの特徴として ”ライバルが同じフィールドにいない  ”というのがある。
 
当時の中高生がお小遣いの中から最初に支払うのが携帯電話料金で、残った小遣いをCDや書籍や飲食に割り振るためCD等の売上が下がり始めたときに言われたことばだ。
 
お小遣い自体が、減っていく中で携帯料金以外に何を割り当てるかという選択の主導権がユーザー側に移りだした時期だ。
 
 
 
無い袖は振れないという意味では、それ以前も状況は同じだが、当時の携帯料金は高かったので毎月同じ状況になる。来月は電話代節約して他に回すということが、なかなかできなかった。
 
 
 
100円ショップが増えてきたのも同じ時期だ。
 
 

ユニクロがフリースで脚光を浴びたのが1998年。

 
 
 
携帯電話が起こしたのは、コミュニケーションの革命だ。
 
料金が安いこともあり、通話よりもメールが主役になった。
 
携帯電話がスマホに替わり、メールはSNSに替わった。
 
コミュニケーションのあり方が少し変わり、その新しいコミュニケーションがより大事になったのだ。
 
関心事の中心が、モノからヒトに移ったのだ。
 
 
こうして、モノの価値が少しづつ薄らいで行く中で、モノに執着する人もまだ多い。
 
特にある程度以上の年齢(アラフィフ以上くらいかな)は、価値観の転換ができない人は多いだろう。
 
モノに執着した青春を過ごしたのだから。
 
更に高齢の人は、モノのない時代に対する反動でモノに執着するようになったのかもしれない。
 
モノにこだわらない人のライフスタイルを表現する言葉として
 
  • ダンシャリアン
  • ミニマリスト
 
同じことを意味する言葉ではなく、違う言葉みたい。
 
 
 
 
個人の持ち物の場合、持ち主は思い入れや思い出が加わり特別なものとして自己評価するが、他人から見るとただ古いモノと映り、使い方にも依るがただ古いものと評価される。

骨董的な付加価値評価は、鑑定書とセットだ。
 
思いがこもったモノの場合は、気持ち悪いとすら思われる場合がある。

 
この思いがこもったモノが厄介なのだ。
 
まず、処分の対象にならないし、しづらい。
 
いざ処分しようとすると捨てるのではなく換金の対象となるが、自己評価と第3者評価の乖離が大きく価格が折り合わない。

 
こうして、意識的にモノを減らす努力をしてないとモノが溢れだす。
 
モノが溢れ出してるさまを表す言葉として、
 
 
 
 
などがある。
 
入手した時や買った時には、陳腐化のリスクはおそらく二の次だ。
 
そして、陳腐化した時には手に入れたときのことを忘れてる。
 
法人の場合は、減価償却考慮に入れて行動するが、個人には馴染まない。
 
個人の場合は、新しく買った時に古いモノを処分しないと処分のキッカケが作れなくなるかも。
 
処分するとすれば、買う前に考えておかないと、新しく買ったモノの満足に関心が移り、処分が後回しになり、ゴミが溜まる。


 

モノが車やかさばるものだったら処分を考えるが、本だったら?
 
ブックオフが流行ったのは、いかに家庭に本が溢れていたかを象徴してる。
 


 
価値観が多様化した現代では、多品種少量生産でお客の目にかなったモノだけが売れるのではないだろうか?
 
当然買った人は、よほどハズレじゃない限り手元に置いておくだろうから中古市場にも出回らない。
 
こだわりのないモノは、すべて消耗品扱いで必要な機能を満たせば値段が全て。
 
最近風に考えれば、仲間数人でシェアでも良いわけだ。
 
 
ヒット商品は例外的存在で、作ってるメーカーでさえ売れてる理由が不明という商品が出てきてることが最近の傾向らしい。
 


今から半年前の記事。
 

それから半年後の今。
 
 


陳腐化の速度が恐ろしいほど速くなってる。
 
少し前までは、技術の進化のスピードが速いのだと感じていたが、少しちがうかも。
 


多くのモノが消耗品化するということは、結局ごみなのだ。
 


なぜそうなるのか?
 


資本主義の理屈が通用しなくなり始めてる気がする。