違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

空気を読むの止めたら?

ビジネスの世界では、自社に有利な状況を確保しようと皆躍起になる。
 
そのために、新しいコンセプトや新しいカテゴリーを打ち出す。
 
 
今ある(存在する)ビジネスの特徴をキーワード的に表現すると、
 
  1. 市場が顕在化している
  2. 顧客の属性が顕在化してる
  3. 有効なマーケティング手法が顕在化してる
  4. 顧客とのコミュニケーションを通じてのフィードバックがある
 
1つ流行りのビジネスができると、市場が顕在化し、顧客の属性が見え出す。
 
そして、参入してくるライバルが増える。その中で売り方の工夫の競い合いが起こるが、やがて同質化をもたらす。
 
本当は差別化したいのに。
 
先発企業は、顧客とのコミュニケーションで得られたフィードバックを活かして差別化が可能だが、差別化したものが顕在化したとたんに同じ無限ループに入り、行き詰まる。
 
ビジネスや商品を見ていて感じることだ。
 
ビジネスに従事しているのは人間だ。
 
どういうものが売れるのか?
 
どうやったら売れるのか?
 
を、いつも考えている人がいる。
 
その人は、別の所では顧客として存在している。
 
同質化の無限ループが、ビジネスを行き詰まらせてるならば顧客の反応は、どうなるだろう? 
 
私自身が買う時は下記のように反応してる。
 
  • どれも似てるなら安いもので良い
  • どれかを選ぶならば、評判の良い物を
  • 違いを確認して納得して
  • 担当者の対応が気持ち良いから
  • 担当者の説明が上手(知らないことを教えてくれたり)
 
ビジネスを仕掛ける側の人は、同時に顧客目線も持っている。
 
その上で差別化を仕掛けたいのに同質化のせめぎ合いに終始する。
 
差別化のつもりでやってることが差別化になってないのだ。
 
同質化の無限ループは、人にも当てはまるかも。
 
”100人いれば100通りの人生”や真の意味で多様化が実現してれば、差別化は自ずと産まれてくる気がするが、なかなかそうはならない。
 
合言葉のように”価値観の多様化”等と言いながら多様化しないと言うことは、実際は単一化、画一化、集中化してるのだが、表面だけ多様性を装ってるということか?
 
 
 
人も企業も行き詰まってるように見える。
 
 
日本には、”察する”という空気を読む文化が根強い。
 
歴史的な背景が感じられる。DNAにインプットされてるような。
 
KY(空気を読まない人)という言葉が使われだしたのが2007年らしい。
 
このKYは、2007年当時も今も良い意味では使われてない。
 
日本が ”空気を読む資本主義”に思える。
 
資本主義だから、ルールに基づいた自由競争が原則だ。
 
でも空気を読んで行動することが要求される。
 
行き詰った企業(法人)は、KYになりつつあるが、人は空気を読んでる。
 
経営者はKYだが、社員は空気を読もうとする。
 
だから企業のブラック化が目立つのでは?
 
何かが飽和状態に達しつつある感じがする。
 
KYが、心理的束縛からの開放を促すならば、KYは歓迎かも?
 
この2007年が、空気を読む文化を拒否しだした元年となるかも。
  
そう考えると、やっぱり時代は動き出してる。