ドラフト指名は、何をどこまで見抜いているのか、果たして見抜けているのか?
ドラフト会議によって得られるのは、選手との契約交渉権である。したがってドラフト会議で指名した後に選手契約ができなければ、指名選手の入団には至らない。選手契約交渉権の期限は、その選手との契約交渉権を獲得したドラフト会議の翌年3月末までであり、それまでにその選手と契約し支配下選手として公示することができなければ、契約交渉権は無効となる。社会人野球チームの所属選手については、この期限が翌年1月末までとなっている。
ドラフト一位指名されても活躍しないまま引退する選手もいる。
そういう選手は、引退したことすら知られてないことがある。
いろいろなデータを積み上げ、分析し、その結果を合議し、指名選手が決定されるのがドラフトだ。
活躍できないことがわかっていれば、指名することは無かっただろう。
採用活動が最も高度に行われる世界でも、結果はビミョウだ。
当たり年と言われる年度があったりもする。
この理由に該当しそうなことわざがいくつかある。
- 水飲み場に馬を連れて行くことは出来るが、飲むか飲まないかは馬次第
※英語のことわざらしい
- 大器晩成
- 早熟腐ること早し
- 後悔先に立たず
- 適材適所
データを分析しても、昔から言われてることわざ以上のことができない。
人間とは、良くも悪くも不安定な予測不能な生き物だ。
そもそもドラフト制度がなぜ生まれたか?
金持ち球団が、有望な選手を独り占めしないようにするためだ。
プロ野球界が欲しい人材は、高校野球、大学野球、ノンプロでの活躍や注目が前提だろう。
二軍や育成枠と言った、育てることもやってはいるが、実態は予備だろう。
球団の関心は、「即戦力」だけだ。
活躍できる期間も限られるので、育てるという意識は低いだろう。
その一方で、大勢のファンを獲得しなければいけないということと、世間の注目を浴びる職業なのでブラック化することは許されない。
入団前に野球以外のことで色が付くことはご法度だろう。
育成する必要がある要素は、より良い社会人としてのモラルやマナーであって、選手としての実力ではないだろう。
”実力を、伸ばしたかったら、自分で伸ばせ”だろう。
馬を水飲み場・・・理論だ。
二軍は、調整の場であり、広告宣伝や地元や地域へのサービスだろう。
野球に限らず、どのスポーツも、昔の選手より今の選手のほうがプレーは洗練されている、平均レベルに関しては。
個人競技の場合、勝ち抜けてくる選手が優秀なのは間違いない。
チームプレーの場合、勝ち抜けるチームの選手をどう評価するかは、実はかなり難しい作業だ。
実力はあるのに花が開かない環境というのがある。
目の前で繰り広げられるプレーが、その選手にとって最大限のプレーなのか、まだ発展途上のプレーなのかが見抜けなければならない。
だとすると大事なのは、プレー以外の面だ。
どんなトレーニングをどういうメニューでこなしてるのか、どういう食事をしてるのか、どういう考え方をしてるか、どういう感じ方をするのかを理解しないと見抜けない。
今年のプロ野球でブレークしたのが日ハムの大谷翔平だ。
ピッチャーと打者の二刀流や、一番バッターでホームランなど印象に残るプレーが目立った。
いづれもセオリー無視の采配の結果だ。
これこそが花を開かせるのに必要な環境だったのだ。
今年日ハムは日本一になった。
もう一人の立役者は、レアードだ。
こんなことがあったらしい。
クライマックスシリーズ直前に、祖父が危篤で悩んでいたレアードに帰国を勧めたのは栗山監督らしい。
大事な試合の前だから親の死に目にも会えないというのが従来のセオリーだ。
帰国後のレアードの活躍を見れば、栗山監督の判断が正しかったのは明らかだ。
満弾レアードがシリーズMVP!「天国の祖父が打たせてくれた」
栗山監督と言う環境が、選手を開花させたのだ。
走るという個人スポーツでありながらもチームプレーの駅伝の世界でもセオリー無視が。
青学・原監督が「言葉の力」を重視するワケ
箱根駅伝39年ぶり完全優勝の秘密
従来の駅伝のセオリーが、スパルタ式のシゴキなのに対し、「ワクワク大作戦(2015年大会)」「ハッピー大作戦(2016年大会)」と銘打って、2大会連続優勝を成し遂げた。
ここでも、セオリー無視が活路を見出してる。
日本にはまだまだ、セオリーと言われる古臭いものに束縛されてる業界がある。
セオリーという言い方がまかり通る分野は、良く言えば歴史があるのだが、軍隊の指揮命令系統に由来する頭ごなし感が強く、恐怖政治で動いている。
ここで言う恐怖政治とは、いわゆるブラックのこと。
いきなり結果がでたわけではない。
やってることは、結構ふつうのこと。
ここでも、監督という環境が開花のポイントになっている。
人を活かすのは人、解釈は何通りもある。