違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

「好き」は「希望」といっしょにパンドラの箱に入っていた。「好き」が導く依存症という罰。

<政府・与党>依存症対策法案を検討…カジノ実施法案の前に

 

「統合型リゾート(IR)整備推進法」(カジノ法)の成立を受けて、「ギャンブル依存症」というキーワードが話題になっている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ギャンブル依存症

 

ギャンブル依存者はギャンブルが楽しくてやめられないと考えられがちで

あるが、心理カウンセラーの丹野ゆきによると、実際には「やめなければ」

という思いや借金に対するプレッシャーなど苦しさを感じつつギャンブルを

している場合がほとんどだという。

丹野は、不快な感情やストレスから逃れようとしてギャンブルをした結果苦

しさを味わい、さらにストレスを感じてギャンブルに走る「負のスパイラル」

が存在すると指摘している

 

 

 

では、そもそも依存症とは一般的にはどう捉えられてるのだろう。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/依存症

 

依存症(いそんしょう、いぞんしょう、dependence)とは、

世界保健機関の専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質

の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った

結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その

刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、

身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと

 

 

良い悪いは別にして最初の段階に「好き」があるような気がする。

 

「好き」が歪んだものが依存だろうか?

 

好きが歪むを考えていたらストーカーが浮かんだ。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストーカー

 

ストーカーstalker)とは、つきまといをするのことを指している。

「ストーカー(行為)」と現在呼ばれているような行為は、最初は、著名人を相手にした行為だった。つまり、最初は、現代風に言うところの「追っかけ」であったのである

「追っかけ」をしてしまうような人々には、憧れの対象との間に"愛情関係"がある、などと勝手に思い込んでいる人も多い。

 

 

 

ストーカーの場合は、嫌がる人に嫌がらせをするから問題なのだ。

 

依存症は、自分自身が自分から嫌がられる存在になるから問題なのかな?

 

 

ストーカーの場合は、逃げるものを追っかけるから問題になる。

 

依存症は、逃げないものを追っかけるけれど問題になる。

 

 

「追っかける」がキーワードになりそうだ。

 

 

「追っかける」のはなぜか?

 

 

 

「好き」が、始まりのように見える。

 

 

 

「好きこそものの上手なれ」と言われるが、そう単純ではないようだ。

 

 

「好き」の中には、「自分の支配下に置く」という意識が混じっているかもしれない。

 

 

支配してるから、コントロール出来ると思っていたが気がついたら、「ミイラ取りがミイラになる」になっていたということだろう。

 

「ミイラ取りがミイラになる」は、何故起こるのだろうか?

 

  • 夢中になりすぎた

 

  • 間違った情報に基づいて行動した

 

  • 行動に無理があった

 

 

などだろうか。

 

 

 

こう考えると、「好きこそものの上手なれ」は「勝てば官軍負ければ賊軍」と同義に感じる。

 

「好き」は、良い意味も悪い意味も持つやっかいな感情だと分かる。

 

 

「好き」が嵩じての、歪んだ「追っかける」が、「依存」と括られてる気がする。

 

 

「依存」の反対語は「独立・自立」だ。

 

 

「依存」が「好き」に近いとするならば、「好き」の反対語も「独立・自立」に近いのかも。

 

 

こう考えていくと、「好き」の反対語は「嫌い」ではない気がする。

 

 

「好き」の反対は、「無関心・興味なし」ではないだろうか。

 

 

「好き」というのは罪な感情だ、パンドラの箱に最後まで残っていた「希望」に似てるような気がする。

 

 

wikipediaでは、「パンドラの箱」は「パンドーラー」と書かれてる。

 

 

すごい話がいっぱい出てくる。

 

よく知らずにパンドラの箱ということばを使っていたようだ。

 

 

たぶん「好き」もパンドラの箱の中に入っていたのだろう。

 

 

依存症を駆逐するのは無理だろう。