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 違う見方

独断と偏見による雑記、備忘録

広告宣伝は、みんなが身につける必要があるリテラシーでありテクニックでもある

目の前にいる人に、買ってもらおうと思ったら、説得し納得してもらう必要がある。

 

説得するためには、買ってもらいたいものの説明ができなければならない。

 

説明(プレゼン)で納得が得られれば支払いの話になる。

 

多くの場合、納得が得られたお客は、支払いもクリアするだろう。

 

 

では、目の前にいない人に買ってもらおうと思ったらどうするか?

 

 

そこで出てくるのが広告宣伝だ。

 

元々の原点は、「知られてないもの」をいかにして「知ってもらうか」ということだろう。

 

広告宣伝について考える時、考慮にいれるのは、初期の段階では、

 

  • 商品について

 

  • 商品の特徴(価格を含む)について

 

  • その特徴をどう表現するかについて

 

 

この当時の広告宣伝につきまとうトラブルは、商品の完成度の低さや素材の劣悪さに起因するものが多かった。その結果、大手企業や有名メーカーのモノが良いと判断されるようになった。

 

「安かろう悪かろう」は、こうして生まれたのだろう。

 

 

やがて時代が進み、顧客重視という考えが定着すると、上記にプラスで、顧客の悩みや不満を解消するという、商品がもたらす効果を訴えるようになった。

 

また、サービス業が増え、色んな分野がサービス産業化することで、ホスピタリティが重視されるようになった。

 

この時代からトラブルは、クレームと呼ばれるようになった。

 

大手企業には、お客様相談室などというクレーム対応の部署ができるようになり、公的な独立行政法人国民生活センターも出来るようになった。

 

目的

国民生活の安定及び向上に寄与するため、総合的見地から、

国民生活に関する情報の提供及び調査研究を行うとともに、

重要消費者紛争について法による解決のための手続を実施すること。

 

設立

平成15年10月1日

 

 

 

クレームという言葉が一般化すると詐欺師が増えてきた。

 

売る側の詐欺は、粗悪で劣悪なものを高価な値段で売りつけると言うかたちで行われ、その詐欺を側面支援するように宗教がチラついたり、雑誌のタイアップ記事が組まれたりした、有名人が広告塔に使われたりと言うのは古典的ですらある。

 

 

 

詐欺をするのは、売る側だけではない、買う側の詐欺として、過剰にクレームを演出したり、そもそもクレームに該当する事実は無いにも関わらずクレームを装い謝罪として金品を要求したりということも発生した。

 

 

 

売る側と買う側が相互に顔見知りであれば発生しなさそうなことが、広告宣伝を媒介すると容易に起こる。

 

 

 

最近では、詐欺が1つのビジネスジャンルとして確立しつつある。

 

そこでは綿密に計画された広告宣伝手法が用いられている。

 

 

「広告 詐欺」の法律相談  : 弁護士ドットコム

 

 

情報の総量が増えると、何を選べばよいのか判らなくなることがある。

 

そこを狙ったかのような、アドバイスという詐欺が最近の流行りだ。

 

必要ないサービスを「必要です」と売りつけて炎上したpcデポ

 

 

投資助言サイト  虚偽告知で運営3社処分 金融庁

(元記事がリンク切れになっていたので、その記事を扱ったブログを引用)

 

一連の「WELQ問題」で話題になったキュレーションという分野やまとめサイトもすべて広告宣伝の問題なのだ。

 

DeNAは、WELQの全記事の非公開を決め、お詫びした。

 

 

究極のパーソナルサービスと言われる「コンシェルジュ」が、
資格という形になり、多くの業界に広がりを見せています。

 

 

 

 

技術の進歩が広告宣伝がカバーするエリアを拡大してきた。

 

 

歩いて行ける範囲から

 

車で行ける範囲へ拡大し

 

鉄道で行ける範囲に更に拡大し

 

飛行機で行ける範囲まで拡大した

 

 

また、

 

電柱への貼り紙や直接ポスティングという原始的手法から

 

新聞の販売エリアへと広がり

 

出版物やテレビがカバーするエリアに拡大し

 

 

 

 

そして、インターネットのおかげでエリアの壁がなくなった

 

 

 

時代がどう変わろうと、人間対人間の部分は残り続けるだろう。

 

そこしか残らないかもしれない。

 

 

時代は変化しても逆行すことはたぶん無いだろう。

 

 

 

だとすれば、インターネットの普及を前提とした広告宣伝の有り様を知ることは意味があるだろう。

 

遊びでもなんでも良い、一人ひとりが情報を発信するという時代の広告宣伝がどうあるべきかを考え、体験する必要があるだろう。

 

 

 

 

少し実験的な思いも込めて取り組んでみたい。