違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

次世代のキーワードは「数学」が導く「美」

前回「数学」が要になって技術が発展してるという話を書いたが、書きながら頭に浮かんでいた映画がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/博士の愛した数式

あらすじ

家政婦紹介組合から『』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく。

 

 

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淡々と進む物語で、大きな盛り上がりがあるわけではないが、見終わった後の余韻が大きい不思議な映画だった。

 

「博士」は美しい数式や成り立ちが美しい数字にこだわる人だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/友愛数

友愛数(ゆうあいすう、amicable numbers)とは、異なる 2 つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が、互いに他方と等しくなるような数をいう。親和数(しんわすう)とも呼ばれる。

最小の友愛数の組は (220284) である。

220 の自分自身を除いた約数は、1, 2, 4, 5, 10, 11, 20, 22, 44, 55, 110 で、和は 284 となる。一方、284 の自分自身を除いた約数は、1, 2, 4, 71, 142 で、和は 220 である。

友愛数はピタゴラス学派の時代にはすでに知られていた(ダンブリクス Damblichus)。現在まで知られる友愛数の組は、すべて偶数同士または奇数同士の組である。

(220, 284) の次に求められた友愛数は (17296, 18416) である。この友愛数はそれ以前にも求められていたが、フェルマーにより再発見された。その後、オイラーにより 60 余りの友愛数が求められている。

なお、自分自身を除いた約数の和が元の数と等しい場合には、完全数と呼ばれる。自分自身を除いた約数の和を次の数として同じように計算していき元の数に戻る場合には、その組を社交数という。

 

 

人間関係を上手に結ぶことができない人だが、敵対関係をつくるわけではない。

 

そんな「博士」を中心にした人間関係物語で、接着剤の役目を「美しい数式」がはたしている。

 

数式が結びつけた人間関係は、ジグソーパズルのピースがうまくハマるようなしっくり感があり、そこにはゆっくりとした時間の流れが存在した。

 

ビッグイベントがなくても「美しい数式」のような「美しい人間関係」が成立することを教えてくれる映画だった。

 

 

数学が次代の要だとするとキーワードは「美」かもしれない。

 

人間の生き方に「美」が求められるのかもしれない。

 

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/美学

美学(びがく、aesthetics、またæsthetics、estheticsとも、Αισθητική (本文の2. 名称の項、参照)、「感性の学問」)とは本質や構造を、その現象としての自然芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域である。

 

 

なお、日本語の「美学」は、本来の意味から転じて勝敗利害を超越した信念の持ち主を評するときに用いられることがある(「美学を感じさせる指し手」など)。

 

日常使用する「美」という単語は、反対語に「醜」が位置する。

 

今の時代だったら、男にとっては「かっこいい」だろうし、女にとっては「かわいい」という意味で使うことが多いだろう。

 

男にとって「かっこいい」を意味する言葉としてダンディズムという言葉がある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンディ

アルベール・カミュは、1951年の『反抗的人間』で以下のように述べている。

ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。

 

 

ジャン・ボードリヤールは、ダンディズムは「ニヒリズムの美学的形態」であると述べている[19]

 

女のダンディにあたるものはクウェインチュレル quaintrelle である。クウェインチュレルは情熱ある生活、すなわち個人的スタイルや余暇の気晴らし、他人からの賞賛、人生の快楽の追求を重視する女である。

 

wikipediaとは違う考え方もあるようだ。

 

ダンディズムの対義語とは

ダンディズムの対義語ってなんだろう・・・?

調べました。

 

「フェティシズム」

意味:持ち物や体の一部などに執着したり、衣類・所持品などの事物に対し,

異常に執着・愛好する態度。

いわゆる「フェチ」

 

いやいや、ダンディズムの意味「「完璧なるジェントルマン」と比べて、

かなり対義語としてのニュアンスがかけ離れている!!失礼だわ~!

と憤慨し、なにかあるだろう!とポチポチ検索をかけること小一時間。

 

ダンディズムの対義語は、ほぼ無いのが現状。

これが今は近いのかな~と思ったのが「女子力」!

 

  

女のダンディズムを「女子力」と表現するのはうまいかも!

 

 

そもそもこのダンディズムという言葉は、チョット前まで男性ファッション誌などではよく見かけた言葉だったが最近は死語ではないだろうか?

 

ユニクロを始めとするファストファッションが主流になり、ファッションのユニセックス化が進んだことと関係がありそうだ。

 

ダンディズムとはやせ我慢であるという言葉があった。

 

ダンディズムに挑戦したい大人男子へ--嗜みとしての“やせ我慢”

 

 

ダンディズムが死語になってるとすれば、廃れた価値観は「やせ我慢」だろう。

 

ストレスが増大し、やせ我慢なんてしてる暇がないというか、キャパ的に受け入れられない時代になったということかもしれない。

 

美を巡っての振る舞い方が大きく変わってきている。

 

「ダンディズム=やせ我慢」が成立してた時代は、男も女も「かっこいい」や「女子力」を手に入れるためにやせ我慢を受け入れていたが、今やすべてがファスト化し、手に入れるためのトレードオフが金銭に換算されたものになっている。

 

つまりやせ我慢を買っているのだ。

 

やせ我慢をするということは、生き方を変化(シフト)させることだ。

 

一見合理的に見える「やせ我慢を金で買う」という行為がトレードオフしてるのは、変化を求めているけど、生き方は変えないという矛盾だ。

 

「やせ我慢を金で買う」という行為は、生産性と言われてる。

 

 

生産性が優先される現代が失いつつあるのが「美」だ。

 

生産性を加速させているのは物理だ。

 

東野圭吾のガリレオシリーズに出てくる天才物理学者の湯川学はこう言ってる。

 

『仮説は実証して初めて真実となる』

ガリレオ・湯川学教授(福山雅治)の名言・格言20選

 

 

物理の根底には数学がある。

 

数学は、真実であるだけでは不満だ。

 

数学は美しくあることを指向する。

 

生産性の追求を支えた「物理」は、真実であれば良かった。

 

結果、「美」が欠けた世界になりつつある。

 

しかし自然発生的に「数学」に焦点が当たりだしている。

 

次世代のキーワードは「数学」が導く「美」となるだろう。