違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

儲けたいなら儲けを狙わないという戦略もある

広告宣伝の変遷を観察してると、時代がどこに向かおうとしてるか、仕掛け人はどこに向かわせようとしてるかが見えてくる。

 

広告宣伝は、クライアントの意向に沿いながら、クライアント以上の洞察力でクライアントの希望を満足させようとする。

 

クライアントの意向は、最終的には売上を上げることであり、企業としての評判や評価を上げることだ。

 

そのために、集客の役に立つこと、印象が良いこと、わかりやすいことを広告宣伝に求める。

 

上手に展開されるビジネスは、クライアントと客の利害を一致させることができる。

 

広告宣伝は、クライアントと客の利害を一致させることが常に求められる。

 

広告宣伝は、利害が対立関係のクライアントと客という双方とも感情を持った人間を扱うという特殊性があるので参考になることも多い。

 

 

 

少し前まで広告宣伝の役割りは、商品やサービスの情報を届けることであり、その商品やサービスを通してどういう生活が得られるかというイメージを伝えることだった。

 

現在もそういう広告宣伝は多いが、最先端の広告宣伝の世界では、それではジリ貧になると考えている。

 

成熟社会では、商品やサービスが作るのは一過性の流行だけで、すぐ飽きられるか、定番商品になっても類似商品だらけになってしまうので、結局価格競争になってしまう。

 

 

そこで新しいトレンドが模索されてるが、そこでは人間の不思議な心理を踏まえて作戦が展開されている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/動機づけ

生理的動機づけ

生命を維持し、種を保存させるための生得的な動機。飢え、睡眠、排泄、身体的損傷回復など。生物的動機づけとも言う[1]

 

 

社会的動機づけ

 

   達成動機づけ

   内発的動機づけ 

   外発的動機づけ

 

 

内発的動機と外発的動機

 

内発的動機とは、楽しむことや自己実現が主な目的で、報酬を得たり他の要素は二の次と言う場合の動機。

 

外発的動機とは、報酬を得ることや、罰から逃れるということが目的になる動機。

 

 

 

モチベーション3.0で起業する | 「報酬の隠された代償」とは

実験内容は、子供に自由時間に絵を描いてもらうことです。

子供は、以下の3つのグループに分けられ、条件を付与されました。

 

 

 

グループA:絵を描いた後、あらかじめ賞がもらえることがわかっている。

 

グループB:絵を描いた後、賞がもらえることは知らないが、賞を付与される。

 

グループC:絵を描いた後、何ももらえない。

 

 

 

実験から数週間後。

レッパーとグリーンは、子供たちの絵に対する興味がどう変化したか調査しました。

彼らがやったことは、子供に用紙とペンを渡すだけです。

 

結果は、以下のようになりました。

 

 

 

 

グループA:子供は絵に対する興味を大幅に失い、絵を描く時間が大幅に減少。

 

グループB:変化なし。

 

グループC:変化なし。

 

 

 

結果として、あらかじめ賞がもらえることがわかっていたグループAのみ、子供に「悪い」変化が表れました。

 

つまり、「報酬」を与えたことで、「遊び」が「(義務的な)仕事」に変質したのです。

 

対して、「報酬」がもらえることを知らなかったグループB、「報酬」がもらえないグループCの子供に変化は見られませんでした。

 

「報酬」がもらえるとしても、あらかじめ知らなければ、子供の「動機」に変化はなかったのです。

 

 

 

内発的な動機に基づくほうが、外発的動機に基づく結果を上回ると言う事例で「ソーヤー効果」と言われている。

 

 

 

報酬と罰則でモチベーションを維持することは、成熟社会では難しい。

 

成熟社会では、内発的動機を作れないと成功しない。

 

 

「ソーヤ効果」がECサイトをダメにした事例

「報酬は行動に対して奇妙な作用を及ぼすのだ。興味深い仕事を、決まりきった退屈な仕事に変えてしまう。遊びを仕事に変えてしまう場合もある。よって、報酬により内発的動機付けが下がると、成果や創造性や、高潔なふるまいでさえも、まるでドミノ倒しのようになるおそれがある。これを<ソーヤ効果>と呼ぶことにしよう(注:マーク・トウェインの『トムソーヤの冒険』のペンキ塗りのエピソードから名前をとっている)」

 

 

 

 

 

一過性の商品やサービスで終わらせないために、商品の前にコンセプトをしっかり作り、そのコンセプトをブランド化する。

 

商品やサービスの利用者が相互にコミュニケーションが成立する環境づくりをすることでブランドのもとににコミュニティが形成される。

 

あるいはコミュニティにふさわしいブランドができたりということも起こる。

 

どちらが先かはケースバイケース。

 

コミュニティでのコミュニケーションが目的になると、商品やサービスを購入することはゴールではなくスタートを意味する。

 

そこから新しい何かが始まる。

 

そのコミュニティでのコミュニケーションのキーワードは「共感」の「共有」になる。

 

内発的動機には色々あるだろうが、注目されてるのはコミュニティが形成されるような仕掛けだ。

 

楽しみながらコミュニケーションを取り、そんなコミュニケーションを通じてコミュニティを形成することはゲーミフィケーションと呼ばれてる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲーミフィケーション

課題の解決や顧客ロイヤリティの向上に、ゲームデザインの技術やメカニズムを利用する活動全般[1][2][3]。この言葉は「日常生活の様々な要素をゲームの形にする」という「ゲーム化」[4]から派生し、2010年から使われはじめた。

 

こういう場では、裏方に最新のテクノロジーデバイスが存在してる。

 

要になるのは、GPSデータを使って位置情報や移動速度を共有したり、GPSデータと心拍数などの身体データを連動させることで、ランニングや登山やサイクリングなど移動を伴うスポーツのコミュニティが作られたりしてる。

 

興味のない人には何が楽しいのかわからない話だろう。

 

実際に私自身が「Pokemon Go」がなぜヒットしてるのか全く理解できなかったが、このブログを書きながら、なるほどそういうことだったのかと納得している。

 

今の時代多くの人が儲かりたいと思って行動してるだろう。

 

儲けたいなら、儲けを狙わないのも立派な戦略だろう。

 

 

 

2012年に出版された下記の本を再度読み直しながら感じたことを書いたが、この本に書いてある内容は古臭い感じは受けなかったし、この5年間は書かれてる内容に近い感じで推移してる気がする。

 

 

つなげる広告 共感、ソーシャル、ゲームで築く顧客との新しい関係性 (アスキー新書)

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