違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

やっぱり変だよ、日本人!

「人間は社会的な動物だ」とアリストテレスが言ったとされるが、ウィキペディアによると少し違うらしい。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/社会的動物

人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)独特の自然本性を有する動物である、ということを述べた。

 

だが、原典を読み前後の表現を自分で確認しようともしない人々の間に誤解が生じた。生物学者や生物学を学ぶ学生などのなかには、アリストテレスが「人間は社会的動物だ」と言ったと信じていて、しかも独特の解釈をする人が多い。

 

人間が大勢で集団を形成したら、コミュニケーションが重要になる。

 

コミュニケーションの多くは、言葉によって為される。

 

コミュニケーションの中で、短時間でやり取りが成立するものを「情報」と呼び、時間がかかるものを「教育」と呼ぶ。

 

しかし、コミュニケーションは、情報や教育だけによってもたらされるわけではない。

 

今風に言えば、「空気」が伝えるものもある。

 

空気が伝えるのは、伝えるつもりのない情報だったりする。

 

だが、伝わってしまう。

 

いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である

2〜3年前、毎日新聞記者の小国綾子さんからこんなエピソードをうかがったことがある。LINE株式会社の出前授業に付き添い、中学校を訪問した時のことだそうだ。

「友だちから言われて最もイヤな言葉は? (1)まじめだね  (2)おとなしいね  (3)天然だね  (4)個性的だね  (5)マイペースだね」との問いかけに対し、一番多かった回答は「(4)個性的だね」だったという。

 

 

「まさか!」と耳を疑った彼女に向かって、生徒たちは口々にこう語ったそうだ。

「個性的と言われると、自分を否定された気がする」「周囲と違うってことでしょ? どう考えてもマイナスの言葉」「他の言葉は良い意味にも取れるけど、個性的だけは良い意味に取れない」「差別的に受け取られるかも」等々――。

驚かれるかもしれないが、どうやらこの中学生たちだけが特殊というわけでもないらしい。

 

 

日本とはどんな国か?と問われれた場合の答えは日本人でも世代によってずいぶん違いが出るのだろう。

 

 

 

終戦後を基準に語ると、すごく成長した国に見えるので、大したもんだと感じるが、1980年台を基準にすると、豊かな国だけど一時はジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われたが世界のリーダーにはなれなかったと見える。

 

21世紀に入ってからは、悪くは無いけど良くもない。

 

というのが私の日本観だが、今私が学生だとしたらどう見えるのだろうか。

 

大学生になると社会との接点も増えるだろうが、大人として見えているのは親や教師が

中心になるだろう。

 

大学生未満になると、親と教師だけという場合が多いだろう。

 

メディアを通じての大人にどこまでリアリティを感じているだろうか。

 

情報や教育とは別の、その時代の空気がつくりだす文化がある。

 

アパレル企業を悩ませる“量産系女子”
「たくさんある服の中から、誰かに選んでもらいたい」

洋服の“賞味期限”が短いのも特徴かもしれません。食べ切れないものは買わないし、所有しておくことの気持ちよさは特段ない。タンスの中で腐らせず、買ったらすぐに着て、次の年には持ち越さない。生鮮食品のようです。

 

服を買うだけならば、ネットで済む。夜中でも買い物できて、うるさい販売員もいません。返品もすぐ対応してもらえる。それを乗り越えるメリットは、「自分に合っているかどうか」という価値観や指針をもらえることではないでしょうか。

 

スマホが普及したからのようでもあるが、スマホが無くてもこの傾向は生まれただろう。

 

空気のせいだと書いたが、10代の人間、年上でもせいぜい二十歳の人間が、何の影響を受けてこのような価値観を身につけたのだろうか?

 

おそらくこの21世紀に入ってからの何かが原因かもしれないと思っていたら定期購読してる宋文洲さんのメルマガの最新号にこんなことが書いてあった。

 

今でも鮮明に覚えていますが、年を取った保守派の重鎮たちが「やっぱり我々じゃないと日本がダメになる」のような態度で全面的に復活を成し遂げ、戦後最大のベンチャーブームに水を差し続けました。その悲しい状況をみて私は10年以内に日本が面白くなくなると思って43歳で日本の経済界から抜けました。

 

宋メール2017.6.23(第329号)

  最低の起業意欲が何を示唆するか(論長論短 No.297)より引用

 

 

これは、2006年の村上ファンド事件をキッカケにベンチャー企業潰しが一気に進んだ時のことだ。

 

当時の悪者の代表が、村上世彰と堀江貴文だった。

 

確かに当時のこの二人は、嫌われキャラだったが、法律を犯してもいないし、誰かを騙したわけでもない。

 

おそらく子供たちは、そんな日本が醸し出す臭いを感じ取って、それに適応する術を身に付けただけかもしれない。

 

しかし、この適応は進化ではなくむしろ退化かもしれない。

 

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出典:「社長になりたい」新入社員が減っている 2016年7月

 

今日本を覆ってる閉塞感という空気は、2006年につくられ、時代を逆行させる力となっている。

 

そういう力は十把一絡げに「保守」と言われてる。

 

そんな「保守」に対する不満がすごく高まっている。

 

かって保守は、台頭するベンチャー企業を全力で嫌った。

 

今多くの日本人が、かってのベンチャー企業を見る「保守」のように、「保守」を嫌っている。

 

今は、日本が変われるかどうかの瀬戸際にいる。

 

日本が変われた場合、「個性的」を否定的に捉える人にはツライ時代の始まりになるかもしれない。