違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

日本語しかできない日本人は残念!

世界が驚嘆した識字率世界一の日本

日本の識字率は、数百年に亘って世界一を誇る。

江戸時代の幕末期においては、武士はほぼ100%読み書きができたという。

庶民層でも男子で49~54%は読み書きができた。

同時代のイギリスでは下層庶民の場合、ロンドンでも字が読める子供は10%に満たなかった。

 

 

そもそも識字とは何なのか?

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/識字

識字は日本では読み書きとも呼ばれる。読むとは文字に書かれた言語の一字一字を正しく発音して理解できる(読解する)ことを指し、書くとは文字を言語に合わせて正しく記す(筆記する)ことを指す。

 

 

国民の識字率が高い国はレベルが高く優秀であると考えがちだが、日本はどうだろうか?

 

次の記事を見て、日本語が読み書きできるだけの日本人が増え、それなりの比率に達しているのではないかと感じ始めた。

 

「もう使うのをやめる」といった声も!? 『Amazon』の配送業者「デリバリープロバイダ」と連絡がつかない事例多数報告

対策としては「時間指定だとデリバリープロバイダ以外に配送業者になります」と『Amazon』側からアドバイスされたという情報も。ただ、『Amazon』を使うのをやめるといった声も多数上がっており、信用が揺らいでいることは間違いないところなのではないでしょうか。

 

ヤマト運輸がアマゾンから撤退したことを受けて、アマゾンが独自に手配した「デリバリープロバイダ」がまともに機能してない事に対し、アマゾンが「デリバリープロバイダ」を使わない方法をアドバイスするところが本末転倒で、アマゾンが便利だったのは、アマゾンが優秀だからではなく、まともな配送業者が優秀だったからということがわかった。

 

しかし、その優秀な業者は、アマゾンのような事業者に都合よく利用されるだけの立場でしかないように見える。

 

高さを誇った日本の識字率が低下してるように見え、識字できても考えることができなくなってるようにも見える。

 

もはや日本の識字率は100%ではない!貧困が奪う、文字を読み書きできない子どもたちの未来

「文字が書ける」ことと「文章が書ける」の間には、すさまじく深い溝があります。社会人になって早10年ほどの私ですが、過去に部下を持った際に、あまりにも文章が書けない人が多かったことを、この記事を読んで思い出しました。

 

 

グローバル化の時代になり英語が公用語化し、また社会インフラのバックグラウンドをITが支えるようになった現在、プログラミング言語の理解が重要になると、日本語が出来るだけでは心もとない感じがする。

 

 

1980年台にこんな話を聞いたことがある。

 

世界で最後に残る言語があるとすれば、最も多くの人が使う言語がそれに当たるのだろう。表舞台で使われるという意味では英語だろうが、人口で見ると中国語とインドのヒンディー語が英語の前に立ち塞がっていた。

 

アメリカはこのことにすごく危機感を持っていたらしい、またヒスパニック系のアメリカ人が家庭では英語を使ってないという事実もあった。

 

だから英語が会話で使われる比率が下がっても、英語の重要度が低下しないようにするため、コンピュータープログラミング言語として英語が世界標準になるように務めた。

 

そして成功したと。

 

 

これで英語は、会話使用比率が減っても、プログラミングが必要とされる限り重要度が低下することはなくなったと言われてるらしい。

 

 

 

日本は国家として、日本語をどう捉えているのだろうか?

 

日本人にとって、日本語とはどういう存在なのだろうか?

 

私を含めて大勢の人が、あれだけ勉強しても英語が身につかないのは何故だろうか?

 

日本人には英語は必要ないのかもしれない。

 

やっぱり島国根性なのだろうか?

 

島国に住む人の、その地域(国家)特有の住民性を指して島国根性(insularism)と呼ぶ場合がある。一般に、排他的であり、多様性異文化を許容せず、自国の民族、資源、思想などに依存している様子を指す。端的には、こせこせして視野が狭い様子を指す。島国気質、島国的とも言い、特に政治・経済がグローバル化する現代においてはネガティブに受け取られる事が多い。

 

 

言葉は文化を伝える、文化は言葉を通じて伝わる。

 

 

中学生定期テストでこんなことがありました。 :発言小町

今回、いつも通り社会の点数が悪く落ち込んでおりました。ところがその後の授業での解説で、一カ所、正解にも関わらず×を付けられている問題があったそうです。(国名を答える問題です)自己採点でも何故×なのか不思議に思っていた問題でしたので安堵し、教科担任に採点ミスとして提出したそうです。

 

これで2点アップすると喜んでいたのですが、先生から戻って来たテストは、なんと8点マイナスになっていました。

 

 

他の言語圏では、どのように伝わるのだろうか?

 

同じようなケースが日本以外で発生するのだろうか?

 

発生した場合、同じように悩み、同じように回答(幅はあるが)するのだろうか?

 

日本語しか話せない日本人だから、こんなことで悩むのかもしれない。

 

私を含めて、日本語しかできない日本人はすごく狭い世界に閉じこもっているかもしれない。

 

残念!