違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

賢い人はコストパフォーマンスを求めない

コストパフォーマンスという考え方がある。

 

最近では略してコスパでも通じるくらい一般的な言葉になった。

 

いつ頃から使われたのか少し検索すると、

 

コスパ(コストパフォーマンス)という言葉はいつから

質問者が選んだベストアンサー

もともとは自動車業界で「価格性能比」という言葉があったのですが、自動車雑誌系、なかでもカタカナ名称の雑誌系が価格性能比をわざわざ言い直してコストパーフォーマンスと書いていたのを覚えております。二玄社という雑誌社に小林彰太郎さんという編集長がおりまして、この方は英語も堪能だった(である)方ですので、この小林さんあたりが流行らせたのではないかと想像しております。やはり1970年代前半です。

 

質問者はオーディオマニアのようで、オーディオ界では1970年台半ばにコストパフォーマンスという概念が生まれたと記憶してるようである。

 

自動車もオーディオ(家電)も、日本の成長とリンクし商品ラインナップが急拡大していた時期と重なっている。

 

そもそもコストパフォーマンスとはどういう意味かというと、

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/コストパフォーマンス

  • コストパフォーマンスが高い、コストパフォーマンスが良い(支払う金額よりも価値が高い)
  • コストパフォーマンスが低い、コストパフォーマンスが悪い(支払う金額よりも価値が低い)

 

商品ラインナプの急拡大と商品価格のバラつき幅に消費者が戸惑っている様が想像できる。

 

暗黙の了解で、高性能な製品やサイズが大きいものが高級で価格が高いとされていた時代だったので、選択肢が多い中から低価格帯商品を選ぶことにコンプレックスを感じさせる時代でもあった。

 

自動車やオーディオと言うジャンルは高所得者向けだったが、1970年台は庶民への普及を業界が意図し始めた転換の時期でもあった。

 

高級だから値段が高いと思われているジャンルの値段の安い商品を、見栄え良く演出するために用いられたのがコストパフォーマンスという概念だったのだ。

 

”この安い商品を選んだあなたは賢いんですよ、だって得してるんだから”という気持ちにさせるために用いられた。

 

そのためにカタログの充実が図られた。

 

美しく作られたカタログは収集の対象にもなり、商品の比較が容易にできるようになり、価格差を生み出す違いが何なのかが消費者にも見えるようになってきた。

 

スペックだけでは価格差を正当化出来なくなると、デザインの差別化が行われ、値段が高いものは美しくかっこ良く見えるようになっていった。

 

商品比較を行う事に慣れた消費者は、豊富な知識を持つようになり、メーカーはレベルの低い商品を作れなくなっていった。

 

このような流れを繰り返すうちに高級という価値観は、高性能というよりは希少性にその拠り所を求めるようになった。

 

希少な材料を用いたり、生産数を限定することで希少性を出したりすることで、もはや高級にはコストパフォーマンスという考えは全く当てはまらなくなった。

 

 

コストパフォーマンスという価値観は、つまるところ”得をしたい”となり、全てのジャンルで求められるようになった。

 

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9310984.html

質問

やたら大盛りを得意げにする店って有りますよね

 

そんなに食えね~し とか そんなに旨くもねーし

 

どうなんですかね 大盛りってそんなに嬉しいものですかね?

正直 味の自信の無さが現れているような

 

学生街の飯屋は勿論違いますよ

 

体が求めている20歳未満は回答除きが希望です

 

 

回答(3人の回答の一部抜粋)

結局彼らの「美味しい」という基準は美味なのではなく「いっぱい食べられる」「満腹になる」という意味だと分かりました。いくつになってもそういう人は確実にいて、それほど美味しくない料理をたくさん食べて満足なのです。

 

味に自信が無いに同意します。

 

もう50ですが、大盛り嬉しいです。

ハッキリ言って普通では全然足りない。

ほとんどの普通盛りが誰に合わせて言っているのか判らない。

 

 

 

商品でないものもコスパで判断されるようになっている。

 

「結婚ってコスパ悪いよね」論には、われわれ大人世代が反省すべきでしょう

○○をするのはコスパが悪い」はいつから定型句になっただろう?AERA 6月号で「結婚はコスパが悪い」と特集が組まれる前からネットでは似たような言説が出ていた。ざっくり纏めると、こんな論旨だ。

 

結婚はコスパが悪い。結婚しても離婚するかもしれないし、相手の隠れた悪癖が見つかるかもしれない。

子育てはコスパが悪い。学費は無尽蔵に増える課金ゲームだし、学歴を担保しても仕送りや介護をしてくれるとも限らない。

 

 

 

 

そして最近では、こんな話が増えてきている。

 

養老孟司 90万部『九十歳。何がめでたい』が売れる時代に危惧

「例えばこんなくだり。佐藤さんがテレビの不調でなじみの電気屋に連絡すると、頼んでもないのに出張修理の人が駆けつけてきて、リモコンをチョコチョコして直しただけで4500円も取られたというエピソードです。

 

これ、ぼくにも似たような経験があります。ぼくの家には、某通信会社と契約しているWi-Fiがあるんですが、ある日、その会社が『総務省のお達しにより、より安全なWi-Fiに取り替えます』と言ってきたんですよ。しかも、それが月々3000円かかるという。そこでぼくが『これまでは何が危険で、今後はどう安全になるんですか?』と聞くと、担当者は答えられない。

 

ある意味詐欺なのだが、それはユーザー目線で見るからかもしれない。

 

従来のコストパフォーマンスというのは、ユーザーにとっての話だったのだが、最近では、売る側もコストパフォーマンスを求めるようになり、その際にユーザー側への配慮が殆どなされない。

 

上記のエピソードのどこがコスパの高さに繋がってるかというと、営業経費が0円だという点だ。

 

ビジネス的な言い方をすると、既存顧客をリピーター顧客に仕立て上げようとしているのだ経費0円で。

 

コストパフォーマンスという価値観は、究極的にはすべての人を対立関係に導く。

 

コストパフォーマンスの追求の現れの一つが大盛りや大食いにつながってるとすれば、その数年後数十年後に大きなツケが回ってくる。

 

行き過ぎた現在のコスパは、得をしてるようで不幸せに向かうものに見える。

 

賢い人は、コストパフォーマンスという考えから離れているだろう。