違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

バベルの塔が壊れても、張られた伏線が奇跡を起こす

今回の人生は失敗だったなと思うことの多い今日この頃だが、なかでも最大の失敗は日本語しかできないことだ、中途半端に勉強することが数度あった英語だが、具体的な目標があるわけではなく結局身につかなかった。

 

もし世界の言語が1つになるような時代がこれから訪れるとするならば、英語になるのかなと思う。

 

日常会話では、英語人口は1番多いわけではないが、それにプラスでビジネス会話やプログラム言語まで含めると英語人口が1番になるだろうから。

 

世界の言語が1つになるということを考えていたら、思い出したのが”バベルの塔”だ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの塔

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バベルの塔の絵を見たことがある人は多いだろう、漫画なんかでも取り上げやすいし。

 

バベルの塔を拠点にした漫画で有名なのが横山光輝の”バビル2世”だ。

 

そんなバベルの塔は、神に逆らった人間が受けた罰の成れの果てだと伝えられてる。

 

当時世界中の人間は一つの言語を話していた。

 

世界中に散り散りになってる人を一箇所に集めて生活するのが良いのではないかと考え、世界中の人が集まって暮らせるように高い塔を作り始めた。

 

天高くそびえる塔が出来上がる様子を見ていた神は、これ以上人間を調子に乗せたらダメだと考え、塔を破壊し、地域ごとに違う言語を与え、世界の人が全員で統一された目標に向かえないようにしたと伝えられている。

 

 

英語ができないコンプレックスを考えていて、思い出したバベルの塔の話しが思い出させてくれたのが、数ある言語のなかの一つの言葉しか話せないというのはそんなに悪くないかもということだ。

 

これから世界で起ころうとしてることは、調子に乗りすぎた人間に対する神様の罰かもしれない。

 

「世界は閉じた地域帝国に再編、経済成長は終わる」水野和夫氏に聞く

──資本主義が行き詰まり、国民国家との関係も変わったということですか。

 

歴史的に位置づければ、国家というものの下で、民主主義と資本主義をベースに成り立っていた「近代」システムが制度疲労を起こし、次の段階に入り始めたということでしょう。

 

 

 

「定常経済」と言われる利潤や成長を求めない経済では、市場は、資本の利潤を生む場ではなく、単純に資本やモノを交換する機能だけでいいと思います。地域で得られる原材料や食材などをもとにした生産品や、地域の労働力を使ったサービスをその地域で提供して、それで得た所得を地域で消費する循環型の経済を目指すことが重要なのです。

 

 

また、リーダーと言われる人達が、明るい未来を提示できなくなっているように見えるし、リーダーもそのことを自覚している。

 

経済は選べるようになるか?個人が主役の『時間経済』の試み

経産省が作ったペーパーにこんな一文がありました。

 

みんなの人生にあてはまりみんなに共感してもらえる「共通の目標」を政府が示すことは難しくなっている。

 

昔はこの「共通の目標」を作ることが政府の役割でしたが、今は統一した価値観を形成することの意味は薄れてきています。むしろ反対に、多様化した世界をありのまま受け止めて、社会の多様性を失わないようにすることが行政の役割になってきているとすら感じています。そのために必要なテクノロジーは十分発達しています。

 

 

バベルの塔と言ったら個人的に絶対外せないのがドラマ相棒のseason5の11話。

 

http://www.tv-asahi.co.jp/aibou_05/contents/story/0011/

元日スペシャル「バベルの塔~史上最悪のカウントダウン!爆破予告ホテルの罠」

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ゲスト:大塚寧々 遠藤章造 寺島進 杉本哲太 冨家規政 中村綾 梨本謙次郎 佐々木麻緒 

 

脚本:古沢良太

監督:和泉聖治

 

 

 

まるで現代のバベルの塔のような超高層ビルを見上げた右京。楓親子に視線を移すと静かにつぶやいた。

「昔、世界の言語は一つだったそうです。人々は高い塔を作って住もうとしましたが、神の怒りに触れ、言葉を通じなくされました。お互いを理解できなかった人々は散り散りになったという話です。ところが今日、言葉をしゃべらない少女によって、バラバラだった人々の心があのように…」。

 

 

年末の夕方からの数時間のできごとを2時間半のドラマにおさめている。

 

幸せの頂点を迎えるはずの楓(大塚寧々)が、ほんの数時間で持ってた幸せを全て失い絶望するさまが、これからAI時代が始まり、資本主義がダメになり、どうしようかと焦ってる姿とダブる。

 

しかし、生きていると知らないところで伏線が張られていたことに後から気付くことがある。

 

このドラマにもさまざまな伏線が張られていて、すべてを失い絶望し死を選ぼうとする楓に奇跡を起こす。現象だけ見ると奇跡でも、起きるべくして起きる奇跡はごく自然な流れで起きる。

 

いや奇跡は起きるのではなく、張られた伏線が起こすのだ。

 

 

 

全てを失ったはずの楓が、全てを手に入れていた。

 

手に入れた幸せは、数時間前に夢見ていた幸せとは全く違うものだった。

 

手に入れた幸せは、数年前に諦めた幸せであり、捨てた幸せだった。

 

 

誰でも生きているだけで、張られている伏線を持っている、これは努力や頑張りとは違う種類のもので自分ではわからない。

 

張られた伏線が奇跡に繋がるかどうかは、神様次第だ。

 

念のため書くが、ここで言う神様は宗教が嫌いな神様だ。

 

そんな神様に好かれた人に、張られた伏線が奇跡を起こす。

 

 

 

冒頭で今回の人生は失敗だったかもと書いたが、そうでもないかもしれない!