違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

日本人は脳を過大評価しすぎ

海外で出版された本の翻訳バージョンを出す時に、原題に""という単語が入って無くても、内容が少しでも脳に関連しそうな要素があれば、例えば心を扱ったり不思議な体験を扱ったりする場合には、タイトルに""を入れると売れ行きが良くなるというジンクスが出版業界にあるという話を聞いたことがある。

 

そう言われてみれば、テレビを見ると脳科学者を名乗る人はけっこう出ている。

 

雑学やクロスワードやパズルのような暇つぶしジャンルは、こぞって"脳トレ"とタイトルに入っていたりする。

 

脳が過大評価される時代はいつから始まったのだろうか。

 

「足で稼げ」、仕事は楽じゃないという意味で「学問に王道なし」のように言われていた頃がある。

 

毛色の違う仕事としては刑事なんかにも使われる言葉だ。

 

足が重視されていたのが、気がついたら脳を重視するようになっていた。

 

今になって振り返るとインターネットの普及が影響してる気がする。

 

そう思い、有名な脳科学者をウィキペディアで見てみると、インターネットも影響してるが、それ以上にゲームが関係してるように見える。

 

ゲーム好きの人が夢中になるように、つまりゲーム中毒を起こすように作られたゲームの背後に脳科学者のアドバイスがあったのだ。

 

またオウム真理教事件などの影響もあり、宗教が引き起こす洗脳やマインドコントロールという社会悪をビジネスに応用しようという動きも現れだした時期が重なったのが2000年前後。

 

こうして脳が注目されだした事に反比例するように、足で稼ぐという文化が衰退しだした。

 

足で稼ぐビジネスの衰退に繋がったのは、個人情報の保護が求められるようになったからであり、そうなった理由は申し込んでもいないのに家族情報を知りつくしたようなダイレクトメールが多数届くようになり気持ち悪いという声が上がり出し、既知の関係でない人と情報の交換を拒否する人が増えたからだ。

 

足で稼ぐビジネスは、最近では訪問販売というジャンルを形成し、いかがわしさと紙一重になっている。

 

ビジネス面で脳を重視するということは主に広告宣伝に関して用いられる手法で、あくまでも主従関係で言えば従だ。

 

主はビジネスの現場になる。

 

こんな話がある。

 

アマゾンではなかった…… アメリカの小売業を低迷させた2つの元凶

コネチカット大学不動産センター(Center for Real Estate)のジョン・クラップ(John Clapp)教授によると「現在、アメリカの1人あたりの小売面積は、必要量の2倍もしくは3倍にのぼる」

 

 

「何を買い、どこでお金を落とし、どのように消費するのか。消費者は、以前よりも厳しい目で判断している」特筆すべきは、消費者が「モノ」よりも「体験」を購入している点だ。

 

 

小売の世界は3つに分かれていると感じる。

 

1.都心のデパートや大規模小売店を中心とした街が形成する商圏

 

2.郊外のモールやチェーン店

 

3.地域のコンビニやスーパー

 

 

ごく一部のセレクトショップ的な存在を除けば、規模で勝負している。

 

一方、商品による差別化はあまりできないので、昔のダイエーのようになる、「何でもあるけど、欲しいものだけがない」と。

 

だから、上記はアメリカの話だが、日本にも当てはまる点は多いと感じてる。

 

誰が百貨店を殺すのか 閉店続き、市場規模36年ぶり6兆円割れ

百貨店の不振は、全体の売上高の3割を占めるアパレルの不振と表裏一体だ。「婦人服を中心としたアパレル部門は大変厳しい状況にある」(高島屋の木本茂社長)ことで、百貨店の屋台骨が揺らいでいる。

 

商習慣の代表例が「消化仕入れ」だ。百貨店はアパレル企業に売り場だけを提供し、商品も販売員もアパレル企業側の所有・契約として準備させる。その店で実際に商品が売れて初めて、後から「その商品を百貨店が仕入れた」とみなして売り上げに計上する。

 

しかし、日本では表面的な分析に留まっているようだ。

 

上記の仕入れにまつわる百貨店の特殊性は確かにあり、そのせいで販売価格が高くなるが、そういうセグメントの顧客を対象にしてるので、そのことが売れない理由ではない。

 

真の理由は、大金持ちからすると物足りない中途半端な存在で、小金持ちしか顧客にならず、それなりの客単価の新規顧客が増えなくて売上が下がるのだ。

 

〜〜〜〜余談〜〜〜〜

一旦ブログを書いた後下書き保存してる最中に上記記事の批判記事が出てるのを知り、余談として追加。

 

百貨店は「殺される」のではなく「自死」しているだけ

「百貨店で買うことが時代の最先端だった」のではなく、これまでに存在しなかった商品が百貨店に大量供給されたから、百貨店へ買いに行っただけのことである。

たしかに最先端だった部分はあるだろう。それ以外の商業施設がほとんどなかったのだから。

ここを記者も尾原氏も事実誤認しているのではないか。

 

 

実際に百貨店での催事で売り場に立っていると、意味のない名門意識を持ち、プライドだけがやたら高く、保守意識で固まった社員が数多くいることを身をもって体験できる。

あんな社員ばかりなら、そりゃ業績が低迷しても仕方がない。

 

 

この批判記事には概ね同意。

 

〜〜〜余談終わり〜〜〜

 

こう書きながら改めて気づくことがある、その昔足で販路を開拓していた時代は、客を呼び寄せる売り場がなかったからそうせざるを得なかったが、店舗という売り場に客を呼び寄せる時代になると、他の店舗との違いをアピールするために足に替わって脳が活用されるようになった。

 

そして時代が進んで今日に至った時に、日本と外国で脳の活用の仕方に違いがあることに気付く。

 

日本では、脳のエネルギーを顧客心理や売り場の展開に注いでいるように見える。

 

外国では、脳のエネルギーを新しい技術やイノベーションに注ぎ新商品や新サービスをつくることを目指しているように見える

 

この違いはどこから生じたのかを考えていて思い当たることがある。

 

勉強や研究を机の上でしてると壁にぶち当たることが発生する。

 

そんな時必要になるのが、実験やフィールドワークだ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/フィールドワーク

フィールドワークfield work)は、ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である。

 

フィールドワークは、学問的に客観的な成果を求める活動であるため、自身の見聞を広めるだけのいわゆる旅行や、学問的な手法に拠らずに未開・未踏の土地の実態を明らかにするだけの冒険とは一線を画する。

 

しかし、どちらも日本の教育の中では重要視されてない。

 

してもレクリエーション的なレベルでお茶を濁して終わりだ。

 

日本で育つと、脳と足を両方活用することが身につかないかもしれない。

 

身についてる人は、自らの考えで行動したごく一部の人達だろうという気がする。

 

新規に何かを行う時、フィールドワークで得られる情報は大切な要の情報になる。

 

しかし、フィールドワークの必要がある時、日本ではおそらく外注することをためらわないケースが多いだろう(検索すると出て来る)し、そもそも得られた結果にエビデンスがあるのかという理由で行わないことも多いかもしれない。

 

フィールドワークを経験した脳と未経験の脳の違いは何だろうか?

 

AI(人工知能)を語る時、十把一絡げに同じに捉えるが、AIによってプログラムされてる内容が違うと得られる結果も違ってくるだろう。

 

フィールドワークの結果が反映されてるAIとそうでないAIの違いはどこに現れるかわからないが、脳を過大評価するとしっぺ返しを食らいそうだ。

 

人間という動物の特徴は①二足歩行②脳が発達してるだ。

 

大事なことは、脳が発達してるから二足歩行になったのではなく、二足歩行だから脳が発達したと言うことだ。