違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

そろそろ眠っていたゴリラが目を覚ます!

スペインやフランスで、車を使ったテロが起きている。

 

最初に異変に気づく時には、既に事件は起きている。

 

気づいた誰かが、「危ないぞ〜!」や「逃げろ〜!」などと大声を上げた場合、声を聞いた人々は、何が起きてるかを確認しようとするだろう。

 

そうしないと、何が危険なのか、どこに逃げれば良いのかがわからないから。

 

しかし、車が暴走する気配を音で感じたら、車が人や物に衝突する音を感じたら、反射的に音が発生してるところから遠い方向に逃げようとするだろう、それも瞬時の判断で。

 

平常時には、何かを判断する時は、少し時間を掛けて、視覚情報や声のやりとりを行っている。

 

これに対し、緊急時には、瞬時の判断が要求される時には、音や振動などの情報のほうが強く動機を刺激しそうだ。

 

と個人的には思っている。

 

声というのは耳から入るから聴覚情報なのだが、目で見る行為とセットで機能することが多いと思うので、私の中では視覚情報に含めて捉えている。

 

平時は見ることが中心だが、ピンチ時は聞いたり感じたりすることが中心になる。

 

私の場合、「言葉」は「見るもの」と位置づけてるが、そうすると「聞く」の対象は何になるだろうか?

 

あまり意識してなかったが、「音や振動そして歌」などが入るだろう。

 

違いは、「感じる」か、「考える」かのような気がしてる。

 

どちらも脳が処理してるのだろうが、「考える」ほうが処理の行程が多い気がする。

 

 

言葉を使い、考えることで人間は高度な知識や技術を手に入れたが、それを進歩と手放しで喜べるだろうか?

 

日常生活の中で「聞く」機会がすごく減ってるような気がする。

 

スマホの普及でイヤホンで何かを聞くことは増えてるが、それは別の音を遮断してるように見える。

 

人間同士のコミュニケーションの場合、言語が違うと簡単な意味でも簡単には伝わらなくなる。

 

そんな時には、身振り手振りが有効になる。

 

言葉の世界では、高度なことになればなるほど、コミュニケーションが難しくなるので、ほとんどが英語で行われるようになる。

 

しかし、喜怒哀楽のような原始的な感情は、言葉の壁を比較的簡単に乗り越える。

 

人間同士であれば通じる万国共通な感覚がある。

 

長調と短調の違い!簡単な見分け方を解説!

長調と短調の最も大きな違いは、曲の明るさです。上の画像で長音階と短音階を聞き比べた時に、長音階の方は明るく短音階の方は暗く感じなかったでしょうか?

 

実際に長調は明るくて力強い印象を与えるために使われ、短調の曲は悲しさや苦しい印象を与えるために使われます。

 

 

この感覚が万国共通だから、映画で使われる音楽や効果音が通用するのだ。

 

ホラー映画なんて特にそうだろう。

 

日本のドラマやアニメが世界で通用する裏方的な理由の1つも音楽や歌だろう。

 

日本人が思ってる以上に、表現し伝えてるものがあるはずだ。

 

 

日本を振り返っても、マイクやスピーカーが無い時代には、言葉で難しい理屈を伝えるのは結構大変だっただろうと想像できる。

 

そんな時に、俳句や川柳のような短い言葉の中に思いを込めて伝えるというのは有効なコミュニケーションで、現代人が思ってる趣味や遊びとは少し違う位置づけだったかもしれない。

 

「歌を詠む」という表現がある。

 

読むと、詠むの違いを教えてください!

「読」は書いてあるものをみて言語化(黙読したり、音読したり)すること。

「詠」は自分の中にある思いをある形式にのせ言語化すること。また他人の作ったそれを同じ気持ちで追体験すること。

 

 

歌うのは人間だけかと思っていたら、

 

野生のゴリラは食事中に歌を作曲している

チンパンジーやボノボなどの類人猿が、食事中に歌を歌っていることがこれまでの観察結果から明らかになっていますが、新たにゴリラも食事の満足感を表すために歌を作曲していることが判明しました。

 

歌うということがコミュニケーションに大きな影響を与えているのかもしれない。

 

歌うのは、人間と類人猿だけのようで、この場合「猿」は別の存在になる。

 

こんな話がある。

 

人間よ、ゴリラに学べ/山極寿一「サル化する人間社会」

「サル化する人間社会」は、 

ゴリラとサルが築く社会性の違いを紹介しながら、

 

  • ゴリラ…序列を作らず、勝ち負けの概念がない

 

  • サル…力の強いサルを頂点にヒエラルキーを構築

 

人間がサルに近づいているのでは?と警告する。 

 

 

著者によると人間の持つ普遍的な社会性は3つ。

 

  1. 見返りのない奉仕をすること。共感能力を成長期に身につけ、家族の枠を超え、共同体、そしてより広い社会へと広がっていく。
  2. 互酬性。何かを誰かにしてもらったら、必ずお返しする。お金を払ってモノやサービスなどの価値を得るという経済活動。
  3. 帰属意識。人間は相手との差異を認め尊重し合いつつ、きちんと付き合える能力を持っているのは帰属意識があるから。

 

 

 

猿とゴリラを分けているのは、歌うというコミュニケーションかもしれない。

 

序列を作らないゴリラの世界にも喧嘩は起きる。

 

二頭のゴリラが喧嘩を始めると別のゴリラが仲裁に入る。 

でもサルのようにどちらかに加勢するようなことはしない。 

二頭の間に体を割り込ませ、ただうつ伏せになるだけ。 

そうしているうちに喧嘩がおさまるんだとか。

 

 

序列を作らず、勝ち負けの概念がないゴリラ社会のルールは、父親ゴリラが子ゴリラと遊ぶことで伝えている。

参考:京大連続講座・人間とその進化の隣人たち ゴリラの社会に探る人間家族の起源.pdf

 

「遊ぶ」ことを上手に出来るのは、人間とゴリラだけらしい。

 

進化の歴史を振り返ると、人間には猿の要素もゴリラの要素も両方あるだろう。

 

資本主義の発展は、どうやら人間の中の猿の要素を強く刺激したのだろうが、そろそろ眠っていたゴリラが目を覚ます時期だ。

 

目を覚ましたゴリラを歌を詠み、遊びながら、序列のない、勝ち負けがないことを楽しもうとしだすだろう。