違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『遊び』は大事!

機材や道具は、あるだけで便利だと満足できてた状態から、より高いスペックを求めるのが当たり前の時代になっている。

 

初期の機材や道具は、シンプルな割には高価(当時)だから、大事に取扱い、手入れを欠かさないのが当たり前だった。

 

機材や道具は、使い方が大事であり、時には事前の準備の方が重要なことも多かったが、時代の進歩が可能にした高スペック化は、メンテナンスフリーとバカチョン化を促進した。

 

 

バカチョンと言う言葉は、主にカメラに対して使う言葉で、誰が使っても同じことが出来るという意味で使う言葉だと思っていたが、結構奥が深くて放送禁止用語になっていた。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/バカチョン

「バカチョンカメラ」という言葉そのものは、英語の「vacation cameraヴァケイション・キャメラ」の音訳であったとする指摘もある。vacation camera とは「素人でも手軽に扱える休暇旅行用のカメラ」という意味で、1960年代初めに登場した日本製の自動露出カメラ(AEカメラ)を指して使われ始めた言葉とされるが、これを訳出する際に、上記の「バカでもチョンでも」という既存の表現と引っ掛けたダブルミーニングとして使われ始めたという説である。

 

「バカチョン」を「馬鹿でも朝鮮人でも」という意味であると、主に左翼の者や朝鮮・韓国系の視聴者・聴取者やマスメディア関係者が勘違いし、これを差別発言としたため、日本では現在は放送禁止用語となっている。

 

スペックが上がりかつ生活の身近でひとりひとりに身近になった道具の代表格としてカメラがあるが、プロ用のカメラも同様に大進歩を遂げてるし、周辺技術も比例するように発達してるので、エンターテイメントに関する映像は激変したが、それがどれだけワクワクに繋がっているかを考えると高スペックって大したことないなと感じる。

 

一方、ドキュメンタリーの分野では特殊な映像が必要とされる機会は少ないので、差がつくのはカメラのスペックの差というよりも、カメラマンの腕の差であり、事前の準備や工夫で大きく差がついているような気がする。

 

写真家・岩合光昭に学ぶ!ゴローン、ウトウト…隙ありまくりな猫の撮り方とは?
dmenu映画 / 2017年9月29日

番組は1本59分ですが、1本分の映像を収めるために約10日間もロケをし、何十時間にもわたりカメラを回し続けます。

 

野良猫の場合はそう上手くはいかないことも。ある撮影の時は4日間、丸々1匹の猫の撮影に費やしたこともあるんだとか。そんな時でも気長に待ちながら、根気よく撮影をする岩合。番組内で彼の方に猫たちが自然と集まってくる風景が映し出されるのは、そんな我慢の賜物なのでしょう。

 

猫に何かをさせようとはせず、常に受け身の姿勢で猫に委ねる。その姿勢こそが猫を撮る上で一番大事なことなのでしょう。

 

岩合さんの番組を見るたびに、猫と馴染むのにどれだけ時間を掛けてるのだろうかと思っていたが、正直もっと掛けてると思っていたので、猫と仲良くなる技にも長けてることがわかる。

 

似たことを、観察映画という独自のジャンルに拘る映画監督の想田和弘にも感じる。

 

 

ただし、観察映画で発揮すべき作為とは、普通の意味での作為とは違う。それは、「無作為の作為」とでも呼ぶべきものだ。つまり、作り手の「“ああしよう、こうしよう”という作為を可能な限り消すことによって優れた作品を作ろうとする、そういう高度な作為」である。

観察映画とは
(想田和弘著 『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』 (講談社現代新書)より抜粋)

 

 

現代人の生活や生き方に、良い意味での「行き当たりばったり」感が無くなっている。

 

現代は、得たい結果を最初に設定し、そこから逆算するように途中のプロセスを設定し、それに合わせて行動しようとしている。

 

しかも、その行動が監視下に置かれている事が多い。

 

こうなると、ガチガチの枠組みにはめ込まれてるのと同じだから、描いたようには機能しないだろう。

 

「無理が通れば道理が引っ込む」と先人が気付いたのは、農業は天候次第だったからかもしれない。

 

 

キッチリと組まれた機械装置には、”遊び”と呼ばれる無反応な範囲が設定されることがある。

 

この”遊び”は、操作する人間の不安定さを許容したり、部材が温度で形状を変化させたりすることを許容するための安全装置として機能する。

 

無理を通そうとすると”遊び”は無駄にしか見えないかもしれない。

 

遊びといえば、本来の意味での遊びも、現代ではピンチだ。

 

子供の遊びが大きく制限されている。

 

制限を促す大人の理屈を示すキーワードがある。

 

 

『何かあったら困るから』

 

 

何かとは、大きく2つある。

 

1つは、事故や怪我など。

 

もう1つは、苦情。

 

事故や怪我を恐れる気持ちは、分からないでもないが、程度問題だし、苦情に関しては、その苦情に苦情を出したいということも増えている。

 

 

子供の声はうるさい? 近所の騒音問題に坂上忍、ブラマヨ吉田も本音

ブラックマヨネーズ・吉田敬(43)は、今住んでいるところにもしも幼稚園ができたときに「OKって言える自信がない」と本音で話した。

 

俳優であり、子役スクールをやっている坂上忍(50)は、「年々気にならなくなったが、毎日ってなったら強く言い切れる自信がない」と騒音に理解を示す場面も。

 

 

 

 

これは、社会に安全装置としての”遊び”が無くなっているからかもしれない。

 

社会の問題なのか、苦情を発する人の問題なのかは不明だが、原因が”遊び”がなくて安全装置が機能しないからだとすれば、もうすぐ壊れるか、事故が起きるだろう。