違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

ノーベル賞の季節に考える、『記録に残る』と『記憶に残る』の違い

今年もノーベル賞の季節がやってきた。

 

あと数日の内に受賞者が発表されるだろうが、一般人でも重要さがわかりやすいリチウムイオン電池に関する分野は注目のポイントかもしれない。

 

 

ノーベル賞の期待がかかるリチウムイオン電池 次世代革新電池を含めた産業競争力を支配する知財

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(1833~1896年)の遺言によれば、物理学賞と異なって、化学賞は社会への貢献実績が重要視されている。

 

一気にEV(電気自動車)に舵を切り出した世界に向けてのメッセージになるかもしれない、年明け早々に予想する声もあった。

 

2017年ノーベル賞を獲る日本人はこの人だ!
最右翼は「リチウムイオン電池」だが… 2017.01.13

バッテリーとして使われている電気自動車が普及しはじめたことで、クリーンエネルギーに関心の高い、ノーベル賞の本場・ヨーロッパでも再評価されていることが追い風となっている。

 

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ノーベル賞

選考は「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。

 

ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。

 

 

秘密裏に進むノーベル賞の選考だが、現在では大まかな流れがあるようだ。

 

 

ノーベル賞はどのように決まる?

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ノーベル賞、もらうまで29年  2016/6/10付日本経済新聞 

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受賞が遅くなっているのには主に2つの要因があると、政策研究大学院大学の原泰史さんは分析する。

 

一つは時代が進むにつれて研究開発の幅が広がり、ノーベル賞に値する研究者が増えたこと。いわば「順番待ち」の状態になっている。 

 

もう一つは、ノーベル賞委員会が本当の第一発見者が誰かを重視しており、「慎重に調査しているため」だと原さんはみる。

 

論文を分析し、大勢の科学者に聞き取り調査する。02年に化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんのように、本人自身も受賞を予期していないパイオニアを見つけ出すのは容易ではない。 

 

日本は21世紀に入ってから15人の受賞者を輩出しているが、大半は数十年前の成果だ。

 

現在の日本の科学技術力を反映したものでないことは、肝に銘じたい。

 

 

1年前こんなことをノーベル賞受賞者の大隅良典さんが言っていた。

 

日本発のノーベル賞は減っていく……」 科学界に不安が広がる理由 2016/10/06

ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典さん(東工大栄誉教授)の発言が注目されている。基礎研究についての発言だ。 「『役に立つ』ということが、とても社会をだめにしていると思っています。科学で役に立つって『数年後に起業できる』ことと同義語のように使われることが、とても問題だと思っています」大隅さんは、基礎研究の重要さをわざわざ、ノーベル賞受賞の会見で口にした。インターネット上で、科学者や科学ジャーナリストたちから「科学立国だった時代の成果」「30年後の日本はノーベル賞を取れる国なのだろうか」と悲観的な発信が続く。

 

大隅さんが警鐘を鳴らす「成果」への考え方を松浦さんは支持する。

 

「ビジネスの発想でいえば、基礎研究は投資の対象になりません。すぐには成果がでないし、大半はダメかもしれない。

 

でも、その中からいろいろな成果が生まれ、中にはノーベル賞につながる研究もあります」「昔も研究予算は少なかったといいます。

 

しかし、大学には時間と自由があったという話も聞きます。お金も絶対に大事ですが、考える時間と自由、やってみろと言える環境。これが大事ですよ」

 

 

この研究開発費を巡る問題は、日本以外でも条件は同じか、同じとまでは言えなくても似てるはず。

 

実は、研究開発は、国費(税金)や投資家の資金などの再配分された費用に頼る従来のスタイルが大きく変わってきてるのだ。

 

AppleやGoogleに代表されるイノベーション企業は、莫大な利益に応じた納税をしない代わりに惜しみなく研究開発に費用を注いでいる。

 

『シリコンバレーで起きている本当のこと』

シリコンバレーでは、富裕層の流入で高級マンションが次々と建設されている。だがその一方で低所得者向けの住宅は不足しており、ホームレスが増えている。

根本的なホームレス対策をするには、地元自治体の財源が足りていないようだ。道路の整備や公立学校に使う金も不足しているという。IT企業は得た利益を海外の資産に投資することで米国の税金を逃れるケースが多いため、自治体は世界1、2位の時価総額の企業を抱えながらも財政難に苦しんでいる。

 

 

お金も大事だが、それ以上に『自由』が大事。

 

その自由が理念を支える。

 

研究開発には、そういう環境が必要なのだろう。

 

 

シリコンバレーが戸惑う日本の起業家の質問  日経産業新聞2016年12月27日  

年商や利益、投資総額といったお金に関する質問だ。彼らはけげんそうな表情で「わからない」「知らない」「なぜそのようなことを聞くのか」と応じ、違和感を持っていた様子だった。

 

 

シリコンバレーでは、お金もうけを主眼にして起業する人はそれほど多くない。むしろ、お金もうけを第1の目的にしてビジネスをしている人に対しては、軽蔑に近い感覚を持っている人が多い。

 

この地で起業する人が最も重要視しているのが世の中の問題の解決だ。その次にユーザー(顧客)のメリット。お金もうけの順番は最後に来る。イベントなどで初めて会う起業家たちと話をするときでも、開発しているプロダクト(製品やサービス)がどのように役立つのか、世の中にインパクトを与えられるのかが主な話題になる。お金の話を先にしてしまうと「つまらないやつ」と思われかねない。

 

 

日本はいつからこんな国になったのだろうかと考えたが、よくよく考えると、最初からこんな国だったのだ。

 

儒教の影響だろうか?

 

日本では、ことを始めるに当たり『大義名分』を求められる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/大義名分

今日では転じて、「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」を指す事が多い。

 

この何かあるごとに大義名分を求めることが日本の弱点かもしれない。

 

大義名分の反対は何だろうか?

 

辞書的には、大義の反対は小義とは出るが、これではない。

 

”自由に行動する”や”やりたいからという理由だけで行動する”が当たるような気がする。

 

しかし、日本では、ここで壁にぶち当たる。

 

資金をどう調達するかだ。

 

日本の投資家は口を出しそうだから、そこには自由がない。

 

日本では、有名国立大学でも、国からの予算や生徒の授業料では充分な研究開発ができないというが、欧米の著名大学では、授業料の数十倍以上のお金が卒業生から寄付されるというし、その運用益も大きいので自由に研究できる。

 

背景にあるものが違いすぎて絶望しか無いが、日本には”好きこそ物の上手なれ”という諺があることを忘れてはならない。

 

こんな時思い出すのが、マラソンの川内優輝だ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/川内優輝

過去に何度か実業団の強豪チームからスカウトを受けたこともあったが「今のスタイルで結果が出ている」として頑なにスカウトを断っている。その一方で川内は「実業団には負けたくない。いつも『死んでもいい』という思いで走りますから」と強烈な自負を持ち続けている。

 

なお2013年1月、エスビー食品陸上部が廃部のため同年4月からDeNA陸上部監督就任の瀬古より、同陸上部への入部オファーがあったものの、川内は「僕は指導者に従うつもりはないし、自由にやりたい」とあえて辞退した。

 

 

マラソンの場合、順位も大事だが、それ以上にタイムに関心が集まる。

 

川内優輝のタイムは、世界的に見ると大したものではないが、なぜか記憶に残る。

 

 

 

こんな人まで記憶に残ることを目指せと言っている。

 

金田正一氏が苦言 「記録より記憶に残る選手を目指しなさい」2015.08.13

今の子たちには、記録より記憶に残る選手になってもらいたい。

 

例えば野茂英雄だ。

近鉄とメジャー、日米通算でやっと201勝だが、自己管理の行き届いた選手生活、野球に対する真摯な姿勢は素晴らしかった。  

 

記録だけにしがみついた選手は記憶には残らない。

 

2000本以上を打った選手、全員の名前がすぐにいえるか? 

 

200勝以上した投手でも、村山実(阪神)、杉下茂(中日)、稲尾和久(西鉄)、鈴木啓示(近鉄)などが挙がる程度だろう。  

 

現在では通算250セーブも名球会の入会条件に加えられているが、これも失敗だったな。あの時、大反対した長嶋(茂雄)が正しかったよ。

 

 

 

研究開発の分野における、記録よりも記憶とは何になるだろうか?

 

ノーベル賞を取るような原理原則の発見が記録ならば、実用面への応用を実現することが記憶に残ることかもしれない。

 

日本人には、記録に残る生き方よりも、記憶に残る生き方の方が性に合うかもしれない。