違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

だって、『にんげんだもの』!

「光と影」あるいは「表と裏」のように、実際には対になって存在するものが多い。

 

研究の現場にもそういう対の考え方がある。

 

悪用も可能な研究成果「デュアルユース」とは何か? 2017.10.18

アメリカ政府は、生物化学研究の成果が悪用されて人々の健康を危険にさらす可能性を減らすための規制を行ってきたが、期待通りの結果が得られていない。つまり、生物化学研究の成果が、バイオテロリストに悪用される恐れが十分にある状態なのだという。

 

研究の目的は生物兵器としての利用であるから、研究成果は軍事機密として秘匿されていたはずだが、陸軍の研究所の研究者が悪用するとなれば、研究室の設備を使って培養することもできるし、セキュリティ・システムについての知識があれば、持ち出すことも可能かも知れない。

 

研究の目的が医療だったり、純粋な科学だったりする場合には、軍事研究と違って組織的に秘密を保つ理由は、知的財産権の保全で、企業の研究所などがビジネス上の優位性を保つためだろう。そうした縛りがない場合、研究成果は広く学会誌などで発表し、人類の科学的な知識の集積に貢献し、世界のライバルの研究者たちに先駆けて発表したことで称賛されることが、研究者としての醍醐味だ。

 

研究者としての醍醐味は、成果の達成や成果の発表にあり、これが光であり表だが、それがふとした拍子に影や裏を見せてしまうことがある。

 

ふとした拍子は、どんなタイミングで、何をキッカケに起きるのだろうか?

 

 

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フェイクニュースを受け取る側の心理的傾向 2017.10.17

ネット以前の時代には、「あれは奴らの陰謀だ」とか「来月、あの山が噴火する」といった根拠の薄弱な情報は、週刊誌の煽動記事になったり、会って話せる相手に言いふらしたりする程度だったが、今や記事をコピペしたり、リンクを貼り付けたりして、ブログでもソーシャルメディアでも、誰もが簡単に拡散に参画し、貢献することができてしまう。

 

本当か嘘かわからない情報は、どのように信じられていくのかというと、

 

1. 他者が大勢いると、情報の事実確認について、他者に「タダ乗り」できると感じる

 

2. 他者の言葉を額面どおりに受け取ることが、社会規範を守ることになる

 

3. 人は、大勢だと安心して警戒心を弱める

 

 

といった理由付けの中で、特に三番目を支持する実験結果が得られているという。

 

 

情報を信じるというよりも、大勢でいるときには、いろいろな意味で警戒心が緩み、確認するという作業がおろそかになる傾向が出るからだ。

 

 

 

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あなたに「多数決」を使う覚悟はあるか? 経済学者・坂井豊貴の「コンドルセの多数決論」

理不尽な結果が生まれようとも、それに服従するしかない「多数決」という仕組み

 

ここでは、3人で多数決を行う場合に、多数決が理不尽な結果を生まないためにどういう条件が必要かを考えた話が書いてあるが、そこで上げられた3つの条件が、

 

【ボスがいないこと】

【空気や扇動に流されないこと】

【情報が正確であること】

 

 

それぞれに説明文がついている。

 

大勢でいる時に未確認の情報を、フェイクニュースとして信じる傾向があるというのは、多数決が理不尽な結果を生む時に利用されてる仕組みであることが感じられる。

 

そもそも多数決で何でも決めてよいわけではない。たとえば「皆で誰かをいじめる案」を多数決にかけるのは不当なことだろう。どれだけ賛成者がいようとも、「特定民族を見世物にする人間動物園」をつくることには道徳上の問題があるだろう。

 

ところで、多数決というのは3人以上の間で発生する葛藤を解消するために用いられるが、葛藤の真の原因は「妬みや嫉妬や羨望や恨み」が生み出す不公平感だったりすることが多いので、そういう場合は多数決で解決することは理不尽になる。

 

 

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典型的な葛藤にはいくつかのパターンがあるが、最近新しいパターンが出てきたようだ。

 

呪いの相手、恋敵から上司に 京都の現代呪術事情

「20年ほど前は夫の不倫相手を呪う女性の依頼が大半でしたが、今はパワハラ上司を恨む男性が増えています」。現代人は恋愛より職場の人間関係に悩んでいるのか。

 

 

 

「他人の不幸は蜜の味」という諺(?)があり、脳科学や精神医学で取り上げるテーマでもある。

 

最近生まれた感情ではなく、大昔からあったのだろう。

 

「他人の不幸は蜜の味」は科学的証明済み

僕は2点ご指摘したいと思います。

 

1点目は、「高収入貧乏の谷」(周囲に負けない生活レベルを目指すあまり多くの支出をして、貧乏家計に転落)を乗り越えるためには、自分には妬みの感情があるという事実を道徳的・倫理的に覆い隠してはいけない、ということです。自己欺瞞をするのではなく「正面から受け入れなければならない」。そう強く訴えたいです。

 

2点目は、「集団とか社会的序列の中で生活する動物の脳には妬みの感情を抱く回路が組み込まれており、人間もその例外ではない」ということです。

 

似た属性の人に不幸が訪れると、脳が「喜ぶ」

 

 

 

この他人の不幸を望む心理は、冷静に考えれば「裏」であり「影」なのだが、この感情が「表」「光」に見える人も多いのが現在だ。

 

諸悪の根源が「上手く行かない」「思い通りにならない」にあるとすれば、またひとつ悪いことが増えるかもしれない、というより既にそうなっているのだが、

 

デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない

スマートフォンが登場して以来、消費者はデバイスの中のソフトに手を加える権利を奪われ、単にその使用を許されているだけ、ということを受け入れざるを得なくなっている。

 

上手に利用し活用しようと思って手に入れたデジタルデバイスやアプリに振り回されている人が増えているかもしれない。

 

代表的なのはSNSで、妬みや怒りを全開にしてる人もよく見るが、主従関係が逆転し、「ミイラ取りがミイラになる」となってるかもしれない。

 

なりたい自分があるから嫉妬や羨望が生まれるのだろうが、ますますなりたい自分から遠ざかってるかもしれない。

 

衆議院選挙で落選した長谷川豊さんを見て感じたこと。

 

ニュースでの取り上げられ方で、過去の暴言から逃れられない様子が見える。

 

長谷川豊氏が敗れる 元フジテレビアナウンサー 千葉1区

昨年9月、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」などとブログに書き込み、批判を浴びて謝罪した。

 

ネット上でアクセスを稼ぐことは上手だが、票を稼ぐことには繋がらなかったようで自身のブログでもこう語っている。

 

今回の選挙は、動画の方でも申し上げていた通り、正直に話してしまうと…

手も足も出ませんでした。

 

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka

 

 

 

そんな長谷川豊さんに、あいだみつおさんはこう言うだろう。

 

 

だって「にんげんだもの」と。

 

 

「光と影」、「表と裏」を生み出す『嫉妬や羨望』は、全ての人が持っている。