違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

Where(どこで)、Who(誰と)が変化してる

世の中を取り巻くシンプルな理屈は何だろうか?

 

そういうことを考えるのが社会学と言われる。

 

社会学者は、人間の行動の裏に潜む心理にフォーカスするが、多くの一般の人はそんな裏の心理など意識しないで行動してるので、社会学者の分析は裏側をあばき出すという意地悪な目線になることが多い。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/社会学

社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為行動相互作用といったミクロレベルのものから、家族コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロレベルに及ぶものまでさまざまである。

 

世の中に興味を持つと、大なり小なり社会学者的な目線を持つことになるが、私を含め個人の興味は偏りがあるのが当たり前なので、意図せず偏見になりがちであるが、価値観が多様化し行動も多様化してるように見える現在をシンプルに読み解くことができれば、人生という道に迷っても自分を取り戻せるようになるかもしれない。

 

シンプルな理屈について書いてみたいと思ったのは、下記の記事のコメントを見たから。

 

米デジタルメディアに吹き出した”秋風”

「広告に支えられたデジタルメディアは大変だ。そしてもっと大変になる。その一方でデジタル広告複占のGoogleとFacebookは栄え続ける」とデジタルメディアの暗い未来を示唆しました。

 

興味深いコメント欄の意見として下記があった。

 

古来 人類の産業は 3つに分類される

精神面・心の管理 A
物的な肉体労働 B
トレード世界 C

 

Aは効率的にBとCをコントロールする事で成立しBやCを否定して成立しない

Aは人心をコントロールして商人や農民を効率的にコントロールすることのみ存在を維持する事が可能だ

 

正直、GoogleやFacebookは何ら人類における役割を
果たしていない一過性の価値今は存在しない

聞こえているかね?FaceboookやGoogleの偉い人?
君の価値を高める「ヒントだよ」

Aなき BやCは 無価値 ということでもあり
BやCに恩恵のないAは 無価値で維持できない
ということでもある

デジタルメディアの存在価値は
フィジカル産業をどれだけ効率よく組織できたか
にあると言ってもいい

ようするにネト充は いかに リア充に恩恵をもたらすか
そこにこそ精神文化の優位性がある

AとBとCの連携が失敗し どれかが突出した社会は
必ず衰退する

日本のバブル以降は AなきBとCで「失敗だった」

 

 

 

 

最近取り上げられる次世代のトレンドはAIや自動運転などのテクノロジーの変化(進化)がもたらすと感じる事が多いが、よく考えるとテクノロジーの化は、”変化のキッカケ”に過ぎないかもしれないと感じるようになってきた。

 

現代の人間は、地球は人間のものだと思っているだろう、だから地球の主役は人間だと思っているだろう。

 

大自然の理屈を考えると明らかに間違いだが、”人間が地球の主役”という前提で行動している人が圧倒的に大多数だろう。

 

頭では違うと思ってる私だが、取ってる行動はまさに”人間が地球の主役”という行動だ。

 

 

 

 

 

日本語で考えると曖昧になりがちだが、ニュースを伝える際の基本を示す英語に5W1Hと言われるものがある。

 

当り前すぎて有難みを感じないこの表現は、”人間が地球の主役”ならば人間が蠢く世の中の理屈を普遍的に説明できるのではないかという話をしてみたい。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/5W1H

ニュース記事の最初の段落はリードと呼ばれる。ニューススタイルの規則では、リードには以下の「5W」の多くを含むべきとされている。すなわち、

When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)したのか?

である。しかし日本においては、「5W」にさらに下記の「1H」を含む「5W1H」であるべきであるとされる。

How(どのように)

日本では、教育現場で国語英語文法や文学作品読解の指導に使われることもある。また、情報取材のあり方やその提示の方法、歴史の叙述などノンフィクション全般にわたって意識されるべき必須事項としてしばしば取り上げられる。

 

 

人間行動をシンプルな理屈で考える場合、When(いつ)は「今」に限定して良いだろう。

 

What(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)、この3つこそが多様化と見られる現象の背後に見え、動機につながる人間の心理を意味し、変化しやすく移ろいやすいという特徴があり、変化のキッカケはちょっとしたテクノロジーの変化だったりする。

 

時代の変化を語る場合、幹だと思ってたテクノロジーは、実は枝葉なのではないだろうか。

 

What(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)の3つは、テクノロジーが動けば簡単に動き、その時時のトレンドとなる。

 

枝葉の現象だが、目立つのでついついフォーカスされるはいつもWhat(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)の3つになりがちだが、重要なのはトレンドの影響とは違う動きを見せるWhere(どこで)、Who(誰が)の2つではないだろうか。

 

この5W1Hは、ニュースを扱う場合の言葉だから、行動を示すキーワードとして使う場合は、Whoは、(誰が)というよりは、(誰と)と捉えた方が適切だろう。

 

つまり、シンプルな原則は『どこで誰と』に宿るのではないだろうか?

 

 

『どこで誰と』は昔は、自由には選べないことが多く、我慢するものであり、上手にこなすものであった。

 

『どこで』に関しては、生活の場と職場とその他があるが交通機関の発達で、移動することだけは大幅に発達したが、住んで生活するのと旅行の違いはある。

 

『誰と』は、集団の秩序や理屈が優先された時代を経て、ムラ社会から大家族制へ移行し、さらに核家族化へ分散し、単身世帯や二人世帯の増加で家族の分散化は進んでいる。

 

時代が変わり、テクノロジーの進化とともに『どこで誰と』は、分散化している。

 

世の中を取り巻くシンプルな理屈とは、人の分散化にあるのではないだろうか。

 

未来や将来に目を向ける時、分散化は進むのか、それとも止まるのか。

 

人間の歴史を振り返ると、分散化は”人は1人では生きられない”という意味では、少し不自然のようにも感じるが、昔の分散化は”自由の獲得”を目指してであったことも事実だし、結果的に自由を手に入れたら我慢を避けるようになり、いろいろなことを上手にこなせなくなっている。

 

人間の希望や悩みは、今も昔も『どこで誰と』を巡って続いているような気がする。

 

『どこで』が示すのは場所だが、テクノロジーが発達した現在では実在の場所だけでなくネットの仮想空間にも存在する。

 

場所を居場所と捉えるならば、居心地の良い場所となるだろう。

 

居心地の良さは、『誰と』過ごすのかも大きく関係する。

 

『どこで』を追求すると必ず顔を出すのが『誰と』だ。

 

これは、仮想(架空)の場所でも同じだろう。

 

だから、SNSやアプリの上でのコミュニケーションが隆盛を極めてるが、特定のSNSやアプリに集う人が集中すると息苦しさやストレスが生まれ、分散化が始まる。

 

現在は、文字を中心にしたコミュニケーションと写真や動画を併用したコミュニケーションが存在してる。

 

次のコミュニケーション手段としてVRなどがあるようだが、そこでも人は最初は集中し、その後に分散するということを繰り返すのだろう。

 

こうやって書いていて気付いたが、コミュニケーション手段が『どこで』になっている。

 

そして、『誰と』の一部はすでにペットになっているし、ペットの種類も多様化してる。

 

SONYが出したロボット犬AIBOは大きな話題になった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/AIBO

ソニーによる修理対応が2014年3月末で打ち切られたため、故障したAIBOの修理は困難となり、皮肉にも「死なないペット」であったはずのAIBOに実質的なが訪れることとなった。

 

『誰と』が人間とは限らない時代がもう当り前になりつつある。

 

『どこで誰と』は、好きであることや興味があるということが動機になると思われがちだが、嫌いなことから逃げるという動機も大きい。

 

とたんに物事がうまくいく!逃げることは悪いことではない考え方

世間的にはネガティブな印象の「逃げる」ですが、必ずしも悪い意味合いだけでないんです。ときにはやはり逃げも必要であり、逃げたことで救われるときもあります。今逃げたいことがある人へ読んでもらいたいまとめです。

 

人間を中心に考えるならば、普遍的な理屈は5W1Hに宿るが、時代が変化すると、時間差は生じるが5W1Hも変化する。

 

今はWhere(どこで)、Who(誰と)が変化してる真っ最中のような気がする。