違う見方

見方を変えると目からウロコが落ちるかもという独断と偏見による雑記、備忘録

継続は力なり

似たような意味を感じる『平等、公平、公正』ということばがある。

 

Wikipediaを見ると平等は概念的な存在に近いということがわかる。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/公平

例えば、3個のリンゴを3人で分けるとき、1人1個ずつなら平等かというと、リンゴの大小や味などの要素があり、厳密には異なる。大きさについては、歳の順で年少からあるいは年長から大きいものをとっていくなどという決め方も考えられるが、味のほうは外見ではわからないので、結果が平等とは限らない。

 

もう1つの似たような存在である公正とは。

 

【追記あり】「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像

Equalityが平等、Equityが公正を表しています。

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受験は平等であるとよく言われるし、私も思っている。

 

そういう時に自然と思っていることは、「合格点に達していれば不合格にはならないから」ということだ。

 

たとえ裏口入学があったとしても、合格点に達していれば合格できるはずだからと。

 

しかし、成績に影響を与える要素は千差万別で、決して平等ではない。

 

だから、受験の場合に使われる平等ということばは、「機会の平等、結果の不平等」という使われ方をする。

 

 

最近この受験と同じような意味合いで使われるのが投資だ。

 

会社に所属し、社員(アルバイトその他も含む)として働くことが、お金の稼ぎ方として効率が悪いし、ワーク・ライフ・バランスも悪すぎるので、その正反対の儲け方として投資が注目されている。

 

何にどう投資するかはともかく、投資に魅力を感じる人達は、そこが平等な世界だと考えるからのようだ。

 

受験にエントリーするのは合格が目的。

 

投資にエントリーするのは儲かることが目的。

 

受験を巡る話が奥深い話にならないのは、日本の特徴で、合格は目的でありゴールという人が多いから。

 

そういう人達には見えないのが、合格は目的ではあったが、同時に新たなスタートでもあると捉えてる人達の存在だ。(若干の後悔を感じる)

 

 

 

 

 

 

 

 

投資に魅力を感じる人達は、門戸は誰にでも平等に開かれ、適用されるゲームのルールも全く同じで平等であるという点に魅力を感じてる。

 

 

 

 

 

投資が魅力あるのは「複利」で、金が金を生み出す構造にあるようだ。

 

 

 

ヒット商品を作るには、気持ちの持続が大切ということばがある。

ヒット商品をつくる秘訣なんてない。ただいえることは、ある種の能力があって、ひたすら目的に向かってそればかり考え続けておれば、いつか花がひらくときがくる。気持ちを持続しておくことが大切。

(山内溥/元任天堂社長)

http://tabi-labo.com/274536/japanese-quote-02

 

この話を読んでどこに注目するだろうか?

 

”ある種の能力”に過剰反応すればガッカリするかもしれない。

 

 

ギャンブルの世界には、勝つための極意として、『勝つまで続ける』という考え方がある。

 

つまり、負ける人は、続かないから負けるということだ。

 

ヒット商品を作るために持続させなければいけないのは「気持ち」で、一種の根性論と捉えられればできそうな気はするが、そのためにはヒット商品の研究を持続できる特殊な環境が必要になる。

 

それは平等な世界ではない。

 

一方、投資がバクチならば、投資はギャンブルでもある。

 

続けるためには、資金の持続が必要になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、堂々巡りの議論になり、そもそも論として”平等とはなんぞや”となり、哲学の問題になっていく。

 

しかし、今日のエントリーを書いていて一つ再発見できたことがある。

 

ヒット商品や投資で成功したいならば、『続ける』ということが大事になるということだ。

 

 

”継続は力なり”というのは、最近の流行り言葉の「生産性」に逆行するような気もする所が温故知新を感じさせておもしろい。

 

 

 

今日こんなことを書いてみようと思ったのは下記を見たから。

 

 

 

 

我々は、正しい判断をしたいと思うし、その根底には平等を望む気持ちがある。

 

しかし、実際には凄く偏った考えを持つのは、単純なように見えて複雑な感情を持ちながら生きているからだろうし、平等というのが実現困難だからかもしれない。

 

そんな不平等を覆すのは、全体主義的な取り組みではなく、個人的な”続ける”ということにあるのかもしれない。