違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

臭いものに蓋ができない時代になった

日本人は「NO」が言えない。

 

海外との交渉に弱いことから海外と日本の関係性を表す言葉として使われていた言葉だが、1989年SONYの会長盛田昭夫と政治家石原慎太郎が共著で『「NO」と言える日本』を出した。

 

当時、バブル景気で盛り上がっていた日本では、多くの人がその盛り上がりを実感できていた、だから気付かないうちに強い自信を持つようになっていた。

 

しかし、今歴史として振り返ると、過去の一時期にそんな時期があったというだけだということが分かる。

 

日本人がNOが言えないのは海外に対してだけではない。

 

日本人同士でも、言えないことが多い。

 

友達同士でも、NOが言えないこともある。

 

友達同士なら言えるが、上下関係があると言えないことも多い。

 

上下関係として浮かぶのは、年齢や立場や社会的地位などで、こういう上下関係を感じてる時、日本人が自然と取る行動が、「忖度」、「予定調和」だ。

 

言いたいことを言ってるように見える人でも、肝心な時には口をつぐむ。

 

いつも自由に発言する人は、「空気を読まない」と言われる。

 

そんな日本に、ドラマとは言え、肝心な時に上下関係など関係なく『いたしませ〜ん』と言い出した大門未知子が登場するドクターXが始まったのは2012年。

 

脚本家の中園ミホにはこんな話がある。

 

取材力の中園ミホ」と称されるように、マーケティングリサーチが得意な書き手の1人であり、『ハケンの品格』の脚本を書くにあたっても数多くの派遣社員の実態を取材したため、派遣社員の実態に同情的である。2007年11月12日に放送されたNHKスペシャル『1000人にきく ハケンの本音』にゲスト出演した際には、同じくゲスト出演し、隣に座っていた奥谷禮子の「派遣社員は幸せである」との、派遣社員の実情を無視した断定的意見に対し、「この(座席)間に大きな川が流れている(=埋め難い見解の相違がある)ように思える」と述べた。

 

「いたしませ〜ん」というセリフは、虐げられる派遣労働者の想いを大門未知子に代弁させていたのだろう。

 

NOを言わない人が多い世界には、NOがないわけではない。

 

NOを感じてる人が我慢しているから無いように見えるだけだ。

 

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」
「#metoo に背中を押されました。必死の訴えで、少しでも世の中が良い方に変わることがあれば」 2017/12/17

「私はこうやって声をあげるまでに、7年かかってしまいましたし、その間、ずっと『彼のことを許せない私が悪い』『忘れられない私が人間的に未熟なのだ』と自分を責め続けていました。

 

女性ではあるが有名人で、決して弱者には見えない人でも苦しんでるということは、かなり多くの人が、NOが言えずに苦しんでると言えるだろう。

 

 

組織が舞台になっていても、組織的に行われているとは限らない。

 

しかし、そんな場では組織の理屈が背景で機能する。

 

はあちゅうさんの問題はわかりやすいので、自分に置き換えて考えることが出来るが、自分に置き換えて考えるのが難しく実感が得づらいこともある。

 

日本の自民党政治の背後にいるのが『日本会議』で、日本会議の背後に『神社本庁』がいるとということは多くの人が知識として持っているだろうが、実感を持ってる人は少ないだろう。

 

そんな社会の中枢に関係してる古典的な世界(業界)もNOを巡って揺れている。

 

 

富岡八幡宮事件 「地獄へ送る」 宮司の人事めぐり肉親同士で骨肉の争い
神社本庁を離脱したばかり。約400年の歴史を持つ神社で何が…  2017年12月08日

茂永容疑者の解任後は父親が宮司に復帰していたが、高齢のため2010年に退任。これを受けて、長子さんを宮司にするよう、八幡宮は全国の神社を統括する神社本庁に具申した。ところが、神社本庁から回答がなく、数年にわたり宮司が任命されない状態が続いていた。

2017年に入って任命しない理由を照会する文書を神社本庁に送ったが、返事がなかったため、神社本庁を9月28日に離脱。その後、長子さんが宮司になったという。

 

姉弟喧嘩の扱いで当初報道されていて、加害者も被害者もその家族も少し変な人であったように伝えられていて、上流意識が強いと偏った生き方をするという印象を与えていた。

 

富岡八幡宮殺傷事件・富岡茂永容疑者が「日本会議」初の支部長として歴史修正主義運動に邁進していた過去

マスコミは、今回の殺傷事件の原因として、茂永容疑者の神職らしからぬ性格や放蕩三昧の生活をしきりに報道しているが、しかし、その経緯や冒頭で紹介した手紙などをみると、むしろ、茂永容疑者を犯行に走らせたのは、歴史ある神社の後継者、カネと人が集まる大神社元宮司としての歪んだエリート意識だったのではないかと思えてくる。

 

自分だけが「伝統」を体現する特別な存在であり、自分を妨げる者は排除されて当然であり、その正義の名の下にどんな暴力も許される、そんな特権意識──。

 

 

 

歪んだエリート意識は特権を求めだす。

 

一つの特権を認めることは別の特権を認めることに繋がる。

 

特権を持つ者は、持たない者に理不尽な服従を強いることになる。

 

そんな理不尽に服従を強いる特権に近いところにいた人々ですらNOの声を上げ始めている。

 

検索するとたくさん出てくるが、神社本庁から有力神社の離脱が続出している、そしてそのことは現政権が進める改憲を後押しするパワーの弱化に影響を与える。

 

 

こういう話題が立て続けに出ることには何か意味があるとすれば、臭いものに蓋をすることが難しくなってるということかもしれない。

 

そう感じてるところにまた一つ出てきた。

 

 

 

 

「福田首相が辞任した本当の理由」

アメリカより1兆ドルの提供を求められて断った福田首相。

まさか安倍さんはいくら同盟国とはいえアメリカに提供したりしないだろうか?!

 

 

無茶苦茶なことばかりやってるようにみえるトランプ大統領のやってることが正しいこととは言えないかもしれないが、注目されその発言も厳しくチェックされる分だけガラス張りの度合いは高いだろう。

 

こうやって臭いものに蓋ができなくなってきたのは、水面下でこっそり図られた予定調和が、事態がガラス張りになると、維持できなくなり、その真っ只中にいる人には極めて不快で、NOと言わずにはいられなくなるからだろう。

 

NOが言いづらかった人には良い時代が来てるだろうし、これからNOを突きつけられる人には嫌な時代が来たという事だ。