違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

春はすぐそこまで来ている

最近少し運動不足を感じていたので、軽く山登りに出かけた。

 

近所の、標高600m弱の市民憩いの山で、自宅から歩いて山頂まで登って降りてで約14km、3時間半程度で往復でき、身近な運動コースとして非常に重宝している。

 

山歩きをしてるとよく目にする光景だが少し引っかかったこともあったので、その辺を少し書いてみたい。

 

最近暖かい日もあり、確実に春が近づいているが、山の麓では梅が満開(?)だった。

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麓から少し登るといつも目にするのが放置されてる間伐材。

 

市民に開放されてる山であり森であり、林業をやってるわけではないので間伐材が放置されてるのだろうが、少し増えたような気がする。

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このまま登り続けると市民の憩いのスペースが出てくるのだが、そこから先の頂上に向けてのコースは、距離は短いが起伏が大きく結構キツイので良いトレーニングになる。

 

その山頂に向けてのコースの途中に、かなり太くて大きな木があったのだが、その木が伐採されていた。

 

老木で危ないという感じがあったわけではないのだが。

 

伐採された木は撤去されていた。

 

この場所のすぐ近くまで道路が整備されているので車も入るので運び出せたのだろう。

 

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ちなみに靴のサイズは28cm。

 

 

ここから山頂に向けては、移動手段は徒歩のみ。

 

狭い登山コース沿いの木が何本も伐採され放置されていたが、一際大きい木がこれ。

 

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木の高さが高い木だから分割されていたが、人力で運搬は不可能としか思えないので放置もやむを得ないだろう。

 

今まで何度も見てきた間伐材の放置だが、今日は少し気になった。

 

勿体無いような、木がかわいそうな、そんな気持ちがした。

 

 

 

家に帰って、少し検索すると、

 

 

間伐材の放置

森林整備の中で間伐作業は混んだ林を間引くことで林内に光を取り込み、残された木の生育を促す役目を持つ重要な作業です。私たちきこりにとって、近年の山仕事の多くはその間伐作業です。

 

近年、間伐した材も林内から搬出し利用するようになってきました。しかし作業道から遠いところで間伐された材や、売り先のなさそうな間伐材は伐採したままその場に放置されることも多くあります。これらの材を「林地残材」といいます。

 

 

 

前回も今回も登山中は汗ビッショリだった。

 

休憩すると体が冷えるのでほとんど休みは取れない。

 

前回登ったのは2ヶ月前の正月で、山頂に設置されてる温度計は0℃だったが、今日は10℃だった。

 

山頂からの景色。

 

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春はすぐそこまで来ている。