違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

KYな『共感』

オードリー・若林とテレ朝・弘中アナに聞いた「激レアさんたちの共通点」 日刊SPA!

――今の時代性から考えるとスゴいことですよね。「共感を求めない」という生き方は。

 

弘中:本当に何ひとつ求めてない。こっちも無理に「いいね!」を押せないっていうか。

 

若林:そりゃ、「カミナリに打たれても病院に行かない」には「いいね!」は押せないでしょ(笑)。

 

 

 

『共感』は、SNSが盛んな今の時代のキーワードだと言われるが、共感と言われて真っ先にイメージするものは、弱者に寄り添うような気持ちだ。

 

たとえば、一人で泣いてる子供がいたら、「どうしたの?」と声を掛けるような、災害の被害者に優しくするような、そんな時の気持ちに近い気がする。

 

 

 

この『共感』と『情けは人の為ならず』が、すごく似た意味で使われている。

 

『情けは人の為ならず』ということばは、意味の取り違えが多い言葉で、私も大学受験で出題され間違った記憶がある。

 

情けを人にかけておけば,巡り巡って自分によい報いが来るということ。

〔近年,誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある〕

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『共感』や『情けは人の為ならず』を感じる時には、自分自身が逆の立場だったら、どうして欲しいだろうか?、何を感じるだろうか?、という想像が働いていることが多いが、多くの人にとって弱者に寄り添うような状況は日常生活にはそう多くない。

 

日常生活に多いのは、態度や行動で敢えて示さないが、得を求める、より多くの見返りを期待する場合に、ひっそりと機能する。

 

リアクション芸人が、体を張ってリアクションするのは何故だろう?

 

出川哲朗の場合

 

今回の放送は「絶対に答えなくてはいけない! レジェンド芸人に聞きたいことSP!」と題して、後輩芸人からの際どい質問に、松本と浜田雅功(54)、出川らがNGなしで答えていくというもの。

 

この中で劇団ひとり(40)が「引退のビジョンはありますか?」という質問をすると、出川は「僕は1ミリも考えないですね」と即答。続けて「ザリガニ(に鼻を挟まれる)とか、熱闘風呂に入ったときも『かわいそう、おじいちゃん大丈夫?』って思われないで、笑ってもらえるおじいちゃんになるのが夢なんです」と持論を展開。

さらには、ダチョウ倶楽部の上島竜兵(56)と「低周波のビリビリ罰ゲームで二人同時に死んで、合同葬儀したいね」と話しているとも語り、「さんざん危ないことをやってきたのに、コイツら低周波で死ぬのかよ!」とツッコまれ、笑ってもらいたいという願望を告白した。

 

ダチョウ倶楽部のリーダー・肥後克広の場合

 

「まあ、80歳とかになってかな? 見た目もめっきりお爺ちゃんになって、“今”とまったく同じことをやっているっていうのが一番べストだと思う。現役のまま棺桶に入りたい。

おそらく、3人一緒に死ぬパターンはないだろうから、誰かの遺影を持ちながら、今度はなにができるか、遺影持って熱闘風呂とか……? さらに、足腰も弱くなってくるだろうから、誰かが車椅子で移動して……(笑)」

 

 

引用はどちらも:最期は番組で!出川哲朗「死ぬまでリアクション芸人」という美学

 

 

リアクション芸人が求めているのは、その場にいる人や画面の向こうにいる観客のリアクションを求めているということがわかる。

 

そこには、いづれ自分の期待するものが自分に戻ってくるという意味での『共感』や『情けは人の為ならず』が感じられるが、不愉快さは全く無く、むしろ一途な思いに好感が持てる。

 

これとは逆に、『共感』や『情けは人の為ならず』に巧妙さが垣間見える場合がある。

 

有名だから、みんなが"いいね"と言うから買うというリアクションを取る場合がある。

 

あの1万円の商品、実は100円の価値? 私たちが気づかぬ本当の値段

というわけで今回は「価格と価値の違い」についてお伝えしました。

価格と価値に相関関係はありません。1万円の毛玉取りブラシのほとんどは広告費と桐箱費用でした。そして毛玉取りの目的はたった100円の商品で達成出来たわけです。

 

 

冒頭で引用した記事の中で、激レアさんに共通していることとして、

 

若林:毎回思うけど、みんな頑固なんですよ(笑)。一応、ツッコミとして「何でこういうふうに思ったんですか?」「そのアクシデント、回避できなかったんですか?」って聞くけど、必ず持論があるんですよね。周りの常識とか普通の意見よりも、とにかく“自分”を信じている。

 

弘中:皆さん、すごい自信があるというか、「自分で思ってこうしたことだから、後悔はしてないっすねー」みたいな(笑)。聞いてるこっちは「いやいやいや!」ってなるけど、全然聞く耳持たないですよね。「自分がこう行動したら周りにどう思われるんだろうか、こう言われるかな」って、わりと鈍感なタイプの私でも思うんですが、激レアさんは「周りにどう思われようと、私はこれです」。他人に共感を求めてない(笑)。

 

 

 

モノづくりの世界などでは、使う人のことを考えることは大切だから、『共感』や『情けは人の為ならず』が直接実感しやすいかもしれないが、そこに"革新"や"おもしろさ"が求められたら途端にどう振る舞ってよいかわからなくなる。

 

革新やおもしろさは、未知で後から評価されるものだから、トレースするレールはまだ敷かれてない。

 

何をすれば良いかわからない時に、とりあえずできそうなことを片っ端からやってみようとすると、同時進行で複数のことに関わることになる。

 

 

忙しい人がはまりやすい、マルチタスクの罠
「本当に重要なこと」に集中して取り組めるか 2018.3.14

マルチタスクをこなしているつもりでも、実際は、タスクからタスクに切り替えるタスク・スイッチングしている"だけ"ということのようです。

 

単純労働の生産性の悪さが問題になる場合にタスクを変えるという管理術があるが、その場合でもそのタスクに集中的に取り組ませることが前提になる。

 

問題になるのは、やってるタスクに興味を持てないのに取り組まされるということにあるのかもしれない。

 

"好きなことを仕事にすべきではない"とよく言われるが、このことばが死語になるかもしれない。

 

テクノロジーは今後も進歩するだろうが、もうすでに人間を主人公にするには高度過ぎるし、情報量もますます増えるだろうが、人間が処理するには量が多過ぎる。

 

人間が主人公になれるステージに戻る必要がある。

 

興味が有ること、好きなこと、夢中になれることに、向き合うことが大切になる。

 

 

『共感』を得ようと、興味も無いことをやったり、思ってもいない言葉を発している人が大勢いる。

 

そんな生き方は不幸だと気付く時代になりつつある。

 

KY(空気を読まない)な行動で『共感』を得ることが重要になる。

 

 

結局、好きなことをやるのが一番ということに戻っていく。