違う見方

これから時代はどう変化するのかを時事ネタを交えて考察。考える際のヒント。気付くためのヒント。

『違う』と『同じ』の違い

人間にとって絶対音感は特別な能力として扱われ、音楽家のための能力だと思われている。

 

一方、人間以外の動物の世界では、調べうる限り全てが絶対音感らしい(養老孟司さん曰く)。

 

絶対音感とは、音の高さ(低さ)を他の音と比較することなく知覚できる能力。

 

人間が絶対音感を五感のように必須の能力として身につけていない理由が、ことばを使うためであるとされている。

 

ことばは、音の高さに関係なく同じ意味を持てなければ、ことばとして機能しない。

 

一方、動物は、声の高さの違いでコミュニケーションを取っているとされる。

 

絶対音感である動物が声の高さで、違いを表現してるとすれば、音の高さを聞き分けるだけでなく、声を発する際にも高さの使い分けをしているはず。

 

 

 

ことばは音の高さに関係なく同じ意味を持つからことばとして機能する、だからだろうが人間は、『同じ』を求める傾向が強く、『同じ』であることに安心を感じる。

 

人間が『違う』と感じる場合、それは危険の察知であり、不快の認識であることが多い。

 

『違う』に対しては、異質や敵意を感じることもある。

 

いじめを生み出す"空気"も、この辺の人間の特性が影響してるかもしれない。

 

意識したいのは、

 

出る杭は打たれ、

 

出過ぎた杭は打たれない、

 

という事だ。

 

 

 

『同じ』であることに価値を置く人間が拠り所にするのが、ことばで定義されたものであり、ことばで表現されたもので、具体的には契約やニュースなどを含み広義の『情報』となる。

 

フェイクニュースが問題なのは、ことばに対する信頼を損ねるからで、ことばが信用できなくなったら世間を信用できなくなる。

 

 

『情報』は、時間の経過で与える印象は新鮮な感じから古臭いものや陳腐なものへと変化するが、内容自体は変化しない。

 

情報化社会ということばの響きが新鮮だった頃、未来に向かって変化する動きを感じていたが、実際は『同じ』であるという同質化が加速して行っただけなのだ。

 

イノベーションとは、世の中を大きく変化させてるように見えるが、イノベーションを起こしたとされる個人が何をしたかを見ると、情報の同質化を加速させていたことが分かる。

 

ビル・ゲイツはPCでドキュメント情報の同質化を加速させ、スティーブ・ジョブズはipodやiphoneやipadで音楽や映像を情報として同質化させていった。

 

この分野では、"違い"はコンテンツに宿るが、ただタイムラインを流れていき、消えはしないが忘れられるか、上書きされ更新されるかの存在となる。

 

マーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクも然りで、共通項はプログラミング。

 

プログラミングもことばであるので、基本は同質化に向かう。

 

同質化は、良く言えば"安定していて確実"を実現できる。

 

悪くいうと、全部同じに向かうから"退屈でおもしろみがない"となる。

 

イーロン・マスクのように、そのプログラム力の活かしどころが社会インフラを意識する場合は良いことのほうが多くなる。

 

「わたしはテスラが自動車メーカーだとは思っていない。世界に自動車メーカーはたくさんあるが、欠けているのは持続可能(サステナブル)なエネルギーの企業である。そうした存在になることが、テスラが達成すべきことだ」

 

イーロン・マスクは「テスラ」をどんな企業にするつもりなのか

 

「よその会社が再利用できる飛行機を提供しているのに、1回しか使えない飛行機を売り込むようなものだ。しかもその飛行機は、目的地に着いたらパラシュートで脱出しなくてはならないし、どこかに適当に墜落して壊れてしまう。めちゃくちゃな話だが、それが今のロケット業界の現状だ」

 

イーロン・マスク氏のロケット「ファルコン・ヘビー」打ち上げ成功 BBC 2018年02月7日

 

生産性や効率化は、人間が主役じゃない分野にこそ当てはまる。

 

ファルコン・ヘビーがもたらした「地味な革命」〜メカからソフトへ 2018/2/8

ソフトで頑張って、メカに楽をさせる。そんな設計思想です。これにより、個々のエンジンははるかに小さく、単純で済みます。

 

今回の成功は、ロケットにおいても「メカからソフトへ」のシフトが起きていることを象徴するものかもしれません。そして他のロケットが50年前の常識に我々が縛られていたことも、気づかせてくれました。

 

 

技術は、人間が活躍する『舞台や裏方』にこそ活かされるべきで、そこでは"同じ"であることが意味を持つ。

 

人間が主役の場では、競争を楽しむことが、活性化を促進する。

 

人間は、"違い"を競う。

 

同じようにやろうとしても違ってしまうのが人間だ。

 

同じ本を読んでも、感想は様々なように。

 

同じルールで、同じ道具を使っても、発揮されるパフォーマンスも結果も違う。

 

違いは、体(脳の働きや心を含めて)に宿る。

 

 

"同じ"に退屈を感じる時、そこには予定調和が存在する。

 

一見"同じ"に見える場合でも、1/100秒、1/100mmを競ってる場合は、そこには"違い"が感じられ感動につながる、結果的に同じであっても感動は色褪せない。

 

 

これまで、"違い"は優劣で捉えられてきた。

 

しかし、これからは優劣の差ではなく、好きなことをやってるだけなのに共感してもらえるという事に価値が出てくる。

 

そういうことが出来てるのはまだ一部の人だけだが、全ての人にこういう能力が求められるようになる、幸せになりたいならば。

 

 

『違う』と『同じ』の活かしどころを間違うと魅力が全く活かせなくなるだろう。