違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

バカの壁

「運動はウォーキングで十分なのか?」という質問に各分野の専門家5人が回答するとこうなる

1:スポーツ科学者

いいえ

 

2:理学療法士

はい

 

3:作業療法士

はい

 

4:バイオメカニスト

はい

 

5:健康科学者

はい

 

 

詳しくはリンク先の記事を見て欲しいが、同じテーマでも、立場が変わると視点や気になる問題点が変わるので、その答えは幅広いものになる。

 

だから、安易に正解だけを求めようとすると間違いを犯すことになる。

 

養老孟司先生がその著書『バカの壁』で、答えを決めつけることや、話し合えばわかる、など一方的に思い込むことに普遍性を感じるのはバカのすることだと言っている。

 

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

 

 

テーマが"ウオーキング"であってもバカの壁は存在するようだ。

 

ちなみに、ウオーキングに関する私の意見はスポーツ科学者と同じで"いいえ"で、これは自分の経験からだ。

 

 

『バカの壁』は、読めば納得の話だが、そう思う多くの人が読む前からなんとなく気づいていた話でもあるだろう。

 

だから、表現は違うが、似たことはしばしば話題に上がる。

 

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
知られざる「文化と教育の地域格差」 2018/4/25

田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。

 

 

 

詳しくは本文を読んで欲しいが、これもバカの壁の話だと感じた。

 

ここでは、田舎と都会が対比されてるが、実際の意味は、"自分が知らないということに気付かない"、そんなことが田舎生活には多いと言いたいのだ。

 

だが、これはそっくり都会生活にも当てはまるのだ。

 

見えるものには気付くが、見えないものには気付かない。

 

 

気付いている人は、気付かない人に対して優越感を感じる。

 

気付かない人は、気付いてる人にコンプレックスを感じる。

 

 

検索すれば多くのことが調べられる、検索してもわからないことは他の人も知らないから、知ってることの有り難さが日常からどんどん薄らいでいく。

 

今の時代の恐ろしいところは、"知っている者"のコミュニティと"知らない者"のコミュニティが分断してしまうことだ。

 

つまり、"知らない者"は、ずっと知らないままの人生を歩む可能性が高くなる。

 

この"知ってる"、"知らない"のコミュニティの分断を生み出す元が、フィルターバブルでインターネットの普及が加速させたパーソナライズの結果だ。

 

各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。

 

私は、調べごとをする時に選択するキーワードの使い方に、自分で自分にガッカリすることがしばしばある。

 

言葉が自由に選べないもどかしさや発想の貧困さを感じる時に、自分のフィルターバブルを意識する。

 

ブログをやるようになって良かったと思うことの一つに、フィルターバブルを弱めることに役立っているのではないかと言う点がある。

 

自分らしさが一番大事だと思うが、独りよがりではありたくない、という思いがあることが役に立つ気がする。

 

会社で仕事のプレゼンをするような場合は、少し邪な欲を無視するわけにはいかなくなるので相手である顧客に巧みにフィルターバブルを掛けようとする心理が働くことがある。

 

ああ!、これが洗脳かと今頃ちょっと気付く。

 

 

自分は"知らない"ということを理解し、その"知らない"事をどうやったら知ることができるかを意識しておくことが、自分を守ることになるだろう。

 

バカの壁は全ての人にある。

 

人の噂やゴシップが大好きな日本人は、人事の話も大好きだが、そんな人事に関係する査定や評価を巡っても無数のバカの壁があるだろう。

 

衣笠祥雄さん、監督・コーチに1度も就任しなかった理由

「若気の過ち」も、株主として市民球団を支えるマツダに"遠慮"することもなく奔放に大型の米車・フォードを乗り回し、当時の豪快な主力選手にならって夜遊び、朝帰りも。成績も振るわずプロ野球人生を滑り落ちかけたのだが、何とか踏みとどまれたのは、当時のコーチ陣や球団スカウトのおかげだったという。

 

 

本人は指導者の道に進まなかった理由をあまり語ってないが、スポーツ紙の取材に差し障り無く「色んな人間関係がある」「世渡り上手や得意でない人もいる」「自分がどうこう出来るものではない」と説明していた。人事が人間関係に左右され、周囲の期待通りに進まないのは野球界も同じ。現在流行のフルスイングの先駆けでもあり、解説の仕事や少年野球などの熱心な指導を見れば、一度は指導者としてどのチームのユニホームでも着てほしかったが。

 

4月23日に71歳で亡くなった衣笠祥雄さんは4月19日のテレビ中継で解説者を務めたが、その時既に言いたいことを十分に話せる状態では無かった。

 

人事采配を振るうことを避けた衣笠さんには、立ち塞がるバカの壁があったとも言えるし、そんな判斷が別の新たなバカの壁ができることを防いだとも言える。

 

全ての人間に、どんな生き方をしようと、バカの壁が立ち塞がる。