違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

好かれることよりも、嫌われないことが大事

若者の献血離れという現象がずっと続いている。

 

これは11年前の記事。

 

若者の献血離れが深刻…原因も対策も分からず 2007/11/28

献血者全体に占める若年層の比率は、96年の43.1%から06年は25.1%となった。

全国平均の31%を下回る結果に、関係者らは将来への不安を募らせるが、

明確な要因が分からず、有効な対策もないのが現状だ。

 

 

これは山口県の県内事情を示す記事なのだが、山口県に限らず日本国内に共通する現象で、2018年の現在も若者の献血離れは続いている。

 

 

検索するとたくさん記事が出るが、ローカルの話題として取り上げられてるものが多い。

 

日本全体で見ると、

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各世代の人口差も関係してるだろうが、減少傾向は顕著だ。

 

 

かつて日本には売血という制度があったらしい。

 

売血(ばいけつ)とは、自らの血液を有償で採血させる行為のこと。日本では1950年代から1960年代半ばまで輸血用血液の大部分を民間血液銀行が供給していたが、その原料は売血で賄われていた。

 

現在血液がいくらで取引されてるかは医療関係者にしか提供されてないが、こんなブログがあった。

 

東日本大震災直後の頃に書かれたこのブログに血液の価格が書かれている。

 

この方は、この価格を安いと感じているようだが、世間はどう思うだろうか?

 

献血が減少する背景には、根強く残る赤十字不信があるというのは有名な話で、その不信の中身は、無償で提供させたものでぼったくっていると思わせるからだ。

 

輸血について、備忘録的粗めザックリ豆知識(^-^)

<費用>

赤血球の輸血は、約1万6千円。

血小板の輸血は、約7万8千円。

もちろん、この金額で「輸血し放題」ではありません(^-^)

400mL由来の280mL、スタンダードバージョンの金額。

 

http://d.hatena.ne.jp/cubictea/20110522/1305991208

 

 

〜〜余談〜〜

 

このブログを検索で見つけ輸血の値段を見て、やっぱりぼったくってんな〜と思ったが、このブログに書かれていることを読んでいると、この方がこの輸血価格を高いと思ってないということは一般人にはよくわからない血液管理の大変さがあることを知っているからだと分かる。

 

 

最初私はこのブログの方は医者なのかなと思ったが、悪性リンパ腫を患い闘病開始をきっかけにブログを始めたようで、全部を読んだわけではないが、その後抗癌剤治療に入られた様子だが、2017年6月17日以降の更新がない状態。

 

 

この方の文章には、詩的な薫りが漂っていて、押し付けがましくなく病気と向き合う気持ちが綴られている。

 

健康であることの有難みを忘れがちな方には是非目を通して欲しい。

 

 

ブログが更新されることを祈りたい。

 

〜〜余談終わり〜〜

 

 

献血を嫌がる理由として上がるもう一つの大きな理由が、感染だ。

 

現代人にとってはエイズへの恐怖以来ずっと続いている。

 

その他にも献血を巡っては様々な疑問や不信があるのだが、書きたいのは献血そのものの話ではなく、ここまでは前置き。

 

この25年位ずっと若者の献血離れと言われてるが、最近その理由が変化してるらしいという話がある。

 

最近のコミュニケーションの基本は、結果が見えることであり、すぐに反応することが大切で、結果がなかなか得られないや反応が遅いことは脈が無いと捉える傾向がある、俗に言う『即レス』だ。

 

この『即レス』は、コミュニケーションの相手が、"どこの誰"がわかっているから成立するので、"どこかの誰か"を相手に求めるコミュニケーションにはなりえない。

 

そして献血にもどうやら即レスを求める傾向があるらしいので、自分の提供した血液がせめてどこの誰の役に立ったのかがわからないと感謝も笑顔も向けてもらえず虚しく感じるらしい。

 

献血をする人の気持(動機)は、"どこかの誰かのために"、からシフトしてるかもしれない。

 

これがコミュニケーションの取り方に起因してるとすれば、現代だから起きてることになる、影響は若者に留まらなくなるだろう。

 

こういう小さな変化が、成り立たせていた仕組みを成り立たないものにさせていく。

 

類似したことは"寄付"や"募金"でも起きているだろう。

 

"どこの誰"のためになってるかが、はっきりしないものの多くが詐欺の対象になっていることも関係してるだろう。

 

 

しかし、この流れは新たな動きにもつながる。

 

つまり、"どこの誰"のためなのかがはっきりすれば、支えたいという動きを生み出すことになる。

 

"ふるさと納税"や"クラウドファンディング"などは、頑張る人を応援したいという気持ちがあるから成り立つし、応援した人が応援したという実感を得やすいだろう。

 

どちらも、応援後に応援相手とのコミュニケーションがあることも大きなポイントになるだろう。

 

 

こうやって考えると、社会のコミュニケーションが"義務や権利"を意識したものから、"感情"を大事にすることにシフトしてることが見えてくる。

 

"感情"が大事になると、好かれることよりも、嫌われないことが大切になる。