違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

10年前、10年後

日々新しいニュースや出来事が現れては流れるように消えて行く。

 

十年一昔と言うが、10年前もきっと同じようにニュースや出来事は流れていたはず。

 

 

10年前の出来事を知ろうとしたらどういう方法があるか?

 

例えば、『10年前の今日』

 

何があったか?

 

何が話題だったか?

 

 

・新聞の縮刷版を見る

 

・検索する

 

どちらもやってみた。

 

縮刷版は図書館で見ることが出来るが、

情報があり過ぎて焦点が定まらないし、

あまりおもしろくなりそうな気配がしない。

 

試しにtwitterでキーワードに日時を入力して検索してみたら、

新聞で見るとつまらない記事が活き活きとしてるように見える。

 

ちなみにこの作業を行ったのは5月19日。

10年前は2008年5月19日。

 

私の目に活き活きと映った10年前の今日の出来事は。

 

 

 

 

 

 

 

 

これはおもしろいかもと続けて2008年5月20日を検索すると、

面白そうな情報は何も出てこない。

 

2008年5月21日を検索すると、

 

 

同様の作業を繰り返しても、その当時旬の話題や一面を飾ったニュースよりも、

雑学的な出来事の方が、魅力的に感じられた。

 

そう考えると自分の中で、

最新のニュースの見方が変わりそうだ。

 

今現在は大きな注目を浴びていても、

10年後にはほとんどがどうでも良い記事になる。

 

10年後にも色褪せないニュースとは?

 

昨日今日のニュースの中で、

10年後に読んでも味わい深いかもと感じたニュースがこれ。

 

日大・内田監督の「かんさい学院大」は侮辱 関西学院大OB激怒/アメフット

「謝りに来て大学の名前を間違うとは失礼極まりない。50何年も定期戦をやっているのに…。きょうだけは間違えたらあかんでしょ。これは侮辱です」

 

最近一番盛り上がりを見せてる"日大アメフト事件"だが、

肝心の事件そのものはすぐに風化する気がするが、

謝罪で相手の学校名を間違えたということと、

そのことに対する世間の反応は極めて日本人的な気がする。

 

この感覚は、日本人のDNAに染み付いているかもしれない。

 

あるいは、テクノロジーの進化が著しい現代でも主役は人間であるということと、

問題が拗れる時は、

重箱の隅をしっかりガードしなければいけないという教訓のようでもある、

と言えるかもしれない。

 

こういう事は、チョットやそっとでは色褪せない気がする。

 

10年前の出来事だけど、今でもおもしろく感じるものは何だろうかと考えたり、

最新のニュースの中で10年後にも価値や魅力を感じるニュースとはどれだろうか、

という目でニュースを見ると新しい気付きに出会えそうだ。