この本は、12のキーワードに基づき構成されている。
今回はそのキーワードの4〜6について、書いてあることを踏まえ、私が感じたことを書いてみたい。
4.SCREENING 画面で見る
当たり前になると疑問を持たなくなるが、21世紀になるかならないかの頃、パソコンに向かい行動する姿が第三者にはコミュニケーションを拒否する姿に映っていた時期がある。
ディスプレイに向かい合うという行為が感じさせた違和感は、それ以前の標準的なスタイルとの違いに由来するのであろうことは変化をリアルタイムで経験した私には理解できた。
それ以前のスタイルとは、勉強したり情報を入手する場合だと、直接対面であったり、本を含めた紙媒体の資料を見たり、スライドや動画など大画面のスクリーンを用いたり、第三者の目から見ても何をしているかが分かるスタイルが多かった。
しかし、パーソナルサイズのディスプレイを携帯し、そのディスプレイ越しに情報を送受信したり、ディスプレイ越しにコミュニケーションを取ることが当たり前になると、第三者には何をしているかがわからなくなる。
スタイルの違いだけでも与える印象が大きく変わったが、もっと重要なことは、ディスプレイ中心の現代流以前の情報は固定化されていて、内容が変わる場合は別途改訂作業を施し、改めて別の方法で出し直さなければならなかった。
しかし、ディスプレイ中心の情報は容易に改訂でき、改訂と同時にリリースできるし、ハイパーリンクを貼ることができるので、難解な情報を理解するために別の資料を必要とすることが減った。
このことが、ビジネス面への影響だけで無く、個人の行動にも大きな影響を与えている。
リンクされなければ”人“も”情報“も存在してないのと同じになるという考えが浸透し始める。
過剰に”いいね“や”フォロワー“を求めることの背景には、ディスプレイの存在が大きく影響してるかもしれない、そうだとすると当分続くだろう。
瞬時に対応できることが当たり前になると、”リアルタイム“が重要になり結果として”今“が大事になる。
過剰に”今“が重視されることがブラック労働の根底にあるかもしれないとすると、これも簡単には無くならないかもしれない。
ディスプレイ上でのやり取りには双方向性があるので、ディスプレイ上で何にアクセスし何を調べたのかはデータとして残ることになるが、このことを意識することは少ない。
ディスプレイを上手に使うことで、圧倒的な知識を自分の外部に持つことができ便利になったが、こんな分野にもトレードオフは生まれる。
時間を気にせずに、考えたり、想像したり、以前だったら当たり前にやっていたことが日常から減っている
5.ACCESSING 接続する
音楽や書籍の世界で見かけることが増えた”定額利用(サブスクリプション)“というスタイル。
従来の所有するという考え方からのシフトだが、この定額利用というスタイルも双方向性が特徴で、消費者であるエンドユーザーが何を好んでいるかがデータとして得られる。
定額利用とは、コンテンツへのアクセス権の購入だ。
ラインナップしてるコンテンツが問われる。
この定額利用で得られたデータは、次のコンテンツ作りに大きな影響を与える。
つまり、間接的だが消費者が製作者側に影響を与えるのだ。
Uberは、タクシー業界との関係で語られることが多いが、Uberが創り上げた価値は、確実なアクセスが従来システムのネガティブ要素を一掃したことにあるので、他分野へも応用が効く。
Uberのアクセスはスマホを介して行われるので、
・お客は居場所を伝えなくて良い
・決済もスマホ
・現在地に最も近い運転手が来る
このお客にとって都合の良い条件は、ドライバーにとっても都合の良さにつながる。
・自分でお客を見つけなくて良い
・料金回収のストレスがない(現金を扱わない)
・条件が折り合えば柔軟な対応ができる
この結果、イニシャルコストをかけることなく大勢のドライバーをアウトソーシングで確保することができることも強みにつながった。
新しい動きが起きた時、既存の業界が破壊される点だけに注目が集まるが、アクセスの仕方を大きく改善できたということが要になる。
なお現在のところ、プログラマーやライターなどのクリエイト系の分野とは相性が良くなさそうで、相性が良いのは体を使う分野のような印象を持っている。
所有がレンタルやシェアへシフトすることに似ているのがアクセスが開いた分野だが、会社が社員を雇用することが所有ならば、派遣がレンタルで、アウトソーシングがシェアに当たるのかもしれない。
今築き上げられてる文明の多くは、中央集権的なものの産物と言えるが、明らかに世の中は中央集権から分散化へシフトが始まっている、賛否はともかくこういう動きが避けられないとするならば、アクセスに注目する価値がある。
中央集権的なものへのアクセスは限定的だからアクセスが注目されることはないが、分散化するとアクセスの差は大きな違いとなるだろう。
ここでは、仮想通貨にも触れている。
中央集権的なものの最たるものは国家だが、国家を国家たらしめてるのは、通貨を発行し、通貨の動きを把握できることにあるが、仮想通貨は通貨を中央集権的な存在から分散化された存在にシフトさせることにつながる。
ドルで動けばアメリカのお金の動きを意味し、円で動けば日本のお金の動きを示すことになるが、仮想通貨の動きはどの国に属するのか?
この本には書かれてないが、最近は仮想通貨の動きに課税する動きも見えるようになってるが、これは仮想通貨を既存通貨と交換する時に動きを捕捉されることから可能になる。
仮想通貨を仮想通貨として使うだけの場合はどうなるのか?
現在の仮想通貨にはいかがわしさの方が強いが、通貨の分散化と考えると、国家はどうなるのだろうかという奥の深さを感じる。
6.SHARING 共有する
シェアと聞いて我々が思い出すのは、カーシェアやシェアハウスのようなものが多い。
しかしシェアには、FacebookやYouTubeやインスタグラムに代表される無料でアクセスできるコンテンツも含まれるが、これらは利用していてもシェアしてるという意識があまりない。
シェアには公開することに同意された個人情報も含まれると言って良いだろう。
通常意味する個人情報は、“何処の誰”に関連する情報で、これは現代では秘匿の対象になってしまった。
しかし、公開に同意される個人情報とは、考え方や意見や創作を通じての自分のセンスだったりで、これに関しては皆喜んでやっている。
ビジネスが絡む分野でも、より発展したければプラットフォームを共通化しなければいけないので、独占したければオープンにして皆が利用できるように、共有できる存在に高めなければいけなくなる。
パソコンでWindowsの利用率が圧倒的だった頃、OSのアップグレードは有料だったし、アップグレードではスペックが不足するからパソコン自体を買い直すことを余儀なくされることも多かった。
パソコンの世界にシェアなんて言う概念がない頃、ビルゲイツがフリーソフトを憎んでいたのは有名な話だが、そんなWindowsも今ではOSのアップグレードは基本無料であることを考えると、ビルゲイツですら前時代の価値観の持ち主だったことがわかる。
共有が成立する背景には、平等と通じる、(多少の条件は課されても)全ての人に役立つであろうことは全員が享受できる必要があるという価値観の存在があるだろう。
今後共有される可能性がある情報としては、カルテ情報なども名が挙がっている。
オンラインで接続してアクセスする機会の広がりは、中央集権的なものから分散化へのシフトを促すとともに、シェアのように他人とも良い関係を求める気持ちも拡大させてる。
このような動きを取ると、指示の流れにも変化が生まれ、トップダウンは余程のカリスマ性がないと支持が得られないだろう。
勝つことや、独占することがモチベーションの源泉である時は、相手を負かすことが目的になる。
しかし、競い合いの場であっても、競う相手は自分自身であったり、自分が定めた目標であって、勝つことよりも悔い無く全力が出せることに価値が移りつつある。
たまたま今日、この本の内容と無関係では無さそうな記事が出ていた。
スマホとアプリのトレンドが、大きな曲がり角に差し掛かったと思われる理由。
これからは、やみくもにスマホの出荷台数やアプリのインストール数といった「量」を追うのではなく、良質なユーザーを獲得して、長い時間継続的にサービスを利用してもらうという、「質」を追求していく時代になってきているのではないでしょうか。
デバイスが主役の時代ではなくなり、アプリが主役に見えるようになっているが、アプリにも2種類あり、ゲームのようにアプリ自体がコンテンツになってるものと、コンテンツはユーザーが作り上げるものに別れる。
質を追求するとは何を意味するのか?
私には、コンテンツの時代になっているように感じられるが、だとすれば問題はただ一つ。
コンテンツがあまりにも多すぎることだ。
"コンテンツを上手に捌く"ということが価値を生むだろう。