違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

サンドイッチマンに学ぶ『真(まこと)』は、どこから出るか?

先日話題にした錯覚資産(=勘違いさせる力)は、いろいろな有名人に当て嵌まりそうだが、中でも相手をdisりたい場合には威力を発揮しそうだ。

 

だから最近話題のボクシング連盟の山根会長なんかは、ツッコミどころ満載って感じだ。

 

 

 

 

 

お笑いの一発屋芸人などは、チャンスをモノにして一気に有名になれるのだが、彼ら彼女らの不幸は、持ちネタが一つしかない状態で有名になり、その持ちネタを消費し切った後には何も残らないため、飽きられ、人々を錯覚させ続けることができない、と説明できる。

 

そう考えると、下積みが無く、いきなり売れることは、幸せなようで不幸かもしれない。

 

では、この理論は、その好感度が錯覚ではなく、本当に好感度が高い人に対して、どこまで当て嵌まるだろうか?

 

 

お笑い芸人に限らず、芸能界では、人気のある人にはアンチも多い。

 

アンチになる理由は様々あるだろうが、好きな芸能人の上位にランクされる人は、嫌いな芸能人のランキングにも顔を出すことはよくある。

 

これは、好きになってる人は錯覚させことができてるが、アンチは錯覚させることが出来なかった、と捉えられる。

 

そして、アンチには人気が錯覚によって支えられてるということが何となく見えてくるので、本来は無関心でもよいのだが、逆に嫌いという態度につながるのだ。

 

そこで、アンチが少なくて好感度が高い、お笑いコンビ"サンドイッチマン"を題材にして『錯覚』を考えてみたい。

 

 

まずは、Google Trendsで検索可能な2004年以降で動きを見ると、

 

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二つの大きな山はなんだろうか?

 

時期は、2007年の12月と2011年の3月。

 

 

2007年12月23日、M-1グランプリ2007において、大会初、敗者復活枠からの優勝を果たす。これが、コンビとしての大きな転機となる。

 

2011年3月、宮城県気仙沼市の漁港にて、サンドのぼんやり〜ぬTVのロケの最中に、東日本大震災東北地方太平洋沖地震)が発生し被災したが、すぐにスタッフ・出演者が全員無事であることをブログで報告(後述)。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/サンドウィッチマン_(お笑いコンビ)

 

 

(後述)とあるように、サンドイッチマンは、東日本大震災の際の振る舞い方で、強(恐)面だけどおもしろい芸人という枠を超えて、心に響く優しさや思いやりを持っているという地位までを得た。

 

もともと芸風には定評があり、ファンや視聴者からの評価が高いだけでなく、芸人仲間からの評価も高いのがサンドイッチマンで、その評価の高さは、まねをすることができない芸風にあると言われている。

 

サンドイッチマンを高く評価する大物芸人には、ビートたけし、松本人志、関根勤、島田紳助などがいる。

 

また、お笑いコンビには珍しく、コンビ仲が良いことも、好感度につながっている。

 

ウィキペディアを見ると、この二人は実に下積みが長かったことだけでなく、何度か乗り越えてる壁があることがわかる。

 

 

一発屋芸人には、「早熟腐ること早し」を感じ、下積み芸人には「大器晩成」を感じるが、人生100年などと長生きが前提になると、人生は後半が充実してるほうが絶対楽しいはずだ。

 

昔、青春ドラマ全盛の頃、私は青春時代が終わったら残りは全部余生だと感じていたことがあるが、あの頃はバカだったとつくづく思う。

 

しかし、そんなバカな生き方も、気付けばいくらでもやり直しができると、最近は感じてるが、気付くことが肝心だ。

 

 

いろいろとサンドイッチマンを見てると、弱点や失点が少ないことがわかるが、こういう時は、不用意な一言が足を引っ張ったりすることが多いのだが、その理屈はサンドイッチマンには当てはまらないのだろうか?

 

健康ブームに一石を投じる? サンド伊達の「カロリーゼロ理論」に好反響

カロリーは真ん中に集まるからドーナツはカロリーゼロ!?

 

過剰なまでの健康ブームの浸透に辟易したユーザーにとって、そのアンチテーゼとして、“高カロリー商品”が話題に上っているのではないだろうか。

 

「カロリーゼロ理論」も同様に、サンドウィッチマン伊達の意図していない部分で「わかるわかる、ダイエットもしたいけれど…カツカレーつい食べすぎちゃうよね」といった視聴者の“食いしん坊ゴコロ”を刺激しているのだろう。

 

 

おふざけネタだが、新聞社も取り上げている。

 

 

"言ってる内容が正しいなんて誰も思ってない"、今の時代はそういうことを発言すると、途端にバッシングを浴びる時代だが、サンドイッチマンはそうはならない、お笑い芸人だからではない、それどころか一理あるとさえ思わせてしまう。

 

良いものの良さを一所懸命アピールしてもなかなか伝わらないのが今という時代。

 

正しいことの正しさを一生懸命アピールしてもなかなか伝わらないのが今という時代。

 

 

「嘘から出た真(まこと)」という表現があるが、『真(まこと)』はどこから出るのだろうか?

 

良いものや正しいことは、もはやその良さや正しさを伝えているのは、ことばではないかもしれない。

 

 

 

サンドイッチマンは、良い人を演じるどころかむしろ、ふざけた人を演じ続けてるのに、好感度を高く維持できているのは、錯覚資産を積み上げたからなのだろうか?

 

お笑い出身であることを考えると、ネタに由来するものは無視できないだろう。

 

そして、第一印象としての外見であり、キャラクターが、好感度に影響してるのだろう。

 

サンドイッチマンに関する『錯覚』について考えれば考えるほど、無名時代の不遇な頃そのものが『錯覚』だったと感じられる。

 

それを象徴することばが、ウィキペディアに書いてある。

 

ライブでは常に爆笑をかっさらっていたものの、キー局でのテレビ出演がないまま年月は流れる。

 

この頃富澤は、自ら伊達をお笑いの世界に誘いながら一向に結果が出ないことに負い目を感じ、コンビ解散や自殺まで考えていた。

 

気が付けば30歳になっていた2人は、2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らして片っ端からライブに出演していく。

 

そんな中、ついにその実力がテレビ関係者の目にとまり、日本テレビ系『エンタの神様』への出演が決定する。

 

どうやら、『錯覚』には2種類ありそうだ。

 

過大評価される錯覚と、過小評価される錯覚だ。

 

過大評価される錯覚は、評価に値するものはなにもないのに、なぜかトントン拍子で評価を得ていく。

 

過小評価される錯覚は、評価に値する実績や実力があるのに、なぜか評価を得られない。

 

気になるのは、『錯覚』の有効期間とその効力だ。

 

日本に長年根付いていたムラ社会のありようが、『錯覚』の発生に一役買っていたとすれば、そういう意味での錯覚崩壊元年が今年になるのかもしれない。

 

スポーツ界では、顕著に『錯覚』の崩壊が起きているように見える。

 

アマスポーツ界で「勘違い指導者」による不祥事が相次ぐ理由

「金にならない“たかがアマチュア”」ではない。アマチュアだからこそ「1勝」は大きいのだ。それを権力者の横暴で左右されたら、選手としてはたまったものではない。

 

勝ち負け以前に、出場できるかどうかが、一連の発覚した不祥事の根底にもある。ボクシングでは当然、東京五輪に代表選手として出場できるかどうかは連盟の意向で決まってしまうから、最高権力者に逆らえるはずもない。

 

 

 

これまでの、日本における人事評価に付きまとう"なぜ"、『錯覚』が起こしたものかもしれないが、これからは、徐々に『過大評価された錯覚』が通用しなくなるかもしれない。

 

反対に、チャンスは、『過小評価されていた錯覚』に訪れるのかもしれない。

 

 

『真(まこと)』は、生き様や行動の積み重ねにしか、宿らなくなってるのかもしれない。

 

 

"拡散希望"は、今どうなってるか?

困った時に、まずはGoogleで検索するというのは現代人のリテラシーだと理解されている。

 

だから、困った時に検索すらしない人は、「ググれカス!」と罵られる。

 

しかし、困りごとが、自分一人で検索して分かる程度のレベルを超えると、広く第三者の力や知恵を借りたくなる時がある。

 

 

そんな時に、活用する手段の一つとして『拡散希望』と、銘打って情報発信を行うという方法がある。

 

私自身は、利用したことも、協力したこともないが、Twitterで出回っているものを見ることは多い。

 

ワードとしては馴染んでる気がするが、いつ頃から使われ始めたのかがピンとこないのでGoogle Trendsで検索可能な2004年以降で調べてみると、

 

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突出した山は2011年3月ということは東日本大震災だ。

 

東日本大震災がきっかけで世間に定着したであろう『拡散希望』だが、ワードとして顕在化したのは2010年の春以降だ。

 

2010年の春頃の『拡散希望』は、下記のように扱われていた。

 

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https://togetter.com/li/39410

 

 

2010年の春以降で東日本大震災の前までは、『拡散希望』は、Twitterでの使用がほとんどだが、極めて個人的だったり、多くの人には関係しないことに関して、当事者として怒りや不満や心配事を発信するものが多かったが、一部に一方的に自分の要望だけを発信するものがあったと感じられる。

 

情報発信の動機としては、純粋度は高かったように感じるが、問題点としては発信しっぱなしで終わり、良かれと協力した人が不満を感じることがあったようだ。

 

2011年の3月11日に東日本大震災が発生した。

 

東日本大震災 有効だった連絡手段、使えなかった連絡手段。

こんな中、ほとんどの電話が不通となり、多くの人々を混乱に陥れた。

こんな中、ほぼ通常と同じように使えた連絡手段とは何だったのか。

まずツイッター(twitter)はほぼ機能した。

また、インターネット電話、スカイプも有効だった。

 

 

緊急時にTwitterは、大活躍したのだが、負の要素もはっきりと顕在化した。

 

チェーンメールを受け取った際は、転送は止めてください! 総務省

東北地方太平洋沖地震に関連して、チェーンメール、電子掲示板、ミニブログ等で誤った情報が流れています。

 

報道や行政機関のウェブサイト等の信頼できる情報源で真偽を確かめ、これらのチェーンメール等に惑わされないようにしましょう。

(チェーンメール等でご注意いただきたい事項は、別紙をご参照ください) 

 

また、チェーンメールを転送することは、いたずらに不安感をあおることにつながります。チェーンメールを受け取った時は、すみやかに削除して転送を止めて下さい。

 

 

負の要素として顕在化した『拡散希望』は、『デマ』や『チェーンメール』として出回った。

 

まず、『デマ』と『拡散希望』をGoogle Trendsで比較すると、

 

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『拡散希望』は、『デマ』にシフトしたように感じられる。

 

これに、『チェーンメール』を加えて比較すると、

 

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東日本大震災の時には、『拡散希望』は、多くの『デマ』を『チェーンメール』化させたが、検索期間を直近5年にすると、

 

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『拡散希望』や『チェーンメール』のように呼び名だけでは、良いことなのか、悪いことなのか、がわからない言い方よりも、よくわからないものは『デマ』、と括られ始めてるような気がする。

 

今日出ていた下の記事を見て、なぜか『拡散希望』が終わりを迎えたような気がした。

 

 

消えた7億フォロワー、揺れる「いいね!」 2018/8/11 日本経済新聞

ツイッターとフェイスブックの米SNS(交流サイト)2社が1月以降、計7億件の偽アカウントを削除したことが分かった。

 

汚染を放置し続ければ、データエコノミー全体の透明性が曇りかねない。ジョージ・アカロフ米教授が提唱した「レモンの原理」が重く響く。レモンとは外見から判別しにくい欠陥品を指す。利用者が嘘か本当か見分けにくい情報があふれかえれば、ネット社会そのものの信用性も失われ立ちゆかなくなってしまう。

 

錯覚資産(『わかりやすさ』が大事!)

錯覚はなぜ起こるのか?

 

これが今日のテーマ。

 

 

面白そうな本が出た、タイトルは。

 

 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている 

 

 

 

 

この中で『錯覚資産』ということば(著者による造語)が出てくる。

 

このことばは、これまで経験的に多くの人が理解しているが、うまく説明できないことをうまく説明してる。

 

いろいろな分野で、ビジネスやスポーツの世界でも、そして学問の分野ですら、評価を巡って付きまとう『過大』や『過小』という不思議は、常に存在していると、多くの人が感じていただろうが、それらは、運の良し悪しで語られていたり、努力や根性に置き換えられて説明されていて、これまたなんとなくその説に納得せざるを得なかったりだったが、それらを含めて多くは錯覚であると教えてくれる。

 

この本が、素晴らしいのは、ひとえにそのわかりやすさにある。

 

本の中で展開されている理屈や理論もさることながら、わかりやすさは、気付きをもたらすことが素晴らしいのだ。

 

Amazonのレビューを見ると、この本の原著としてダニエルカーネマンのファストアンドスローを上げ、この本をこき下ろしてる人がいるが、これは、わかりやすさを過小評価する負の錯覚に囚われていることがよくわかる。

 

 

 

 

レビューを読むと、評価は高く、わかりやすさを伝える割には、簡単な本ではないと注釈が付いていたりし、実は少々難解な本のようだと分かる。

 

我々が、無意識のうちに錯覚してしまうことの一つに、簡単なものよりは難しいものの方が価値があると思い込むことがある。

 

簡単でわかりやすいものを下に見る習慣(=油断)がある。

 

いつの頃からか、ビジネスの世界では、プレゼンは小学生でも分かるようになどと言うようになっているが、この意味をどこまで理解できてるかは微妙だろう。

 

故スティーブ・ジョブズのシンプルなプレゼンを称える話は多いが、称えてる人がどこまでその意味や目的を理解できていたかは疑わしい。

 

 

5章が試し読みできるので、ぜひ読んでほしい。

 

私が言ってるわかりやすさとは何なのかがわかるはずだ(わかってほしい)。

 

 

わかりやすさに強い力(=錯覚)があるのは、世の中にはわかりにくさがあふれてるからでもあるだろう。

 

 

最近に限って言うならば、選択肢が多いことがわかりにくさにつながっているかもしれない。

 

 

あなたは、「詐欺」に遭ったことがありますか?  TOKYO FM

8月7日(火)の「社会人意識調査」のテーマは「詐欺に遭ったことがありますか?」。はたして、その結果は……?

(TOKYO FM「Skyrocket Company」2018年8月7日(火)放送より)

 

 

世の中から、詐欺が無くならないのはなぜだろうか?

 

手口が公表されても、同じ手口に引っかかる人が後を絶たない。

 

手口の巧妙化が、キーワードのように話題になる。

 

 

もうなんとなく、その理由が分かるような気がする。

 

詐欺の被害に遭う人は、『錯覚』するのだ。

 

錯覚は、バカで頭が悪いだけの理由で起きるわけではない。

 

人間は、思ってるよりもはるかに集中力が持続しない、15分が限界という説もある。

 

集中力が弱ったタイミングで、わかりやすい話をされると、思ってるよりも簡単に錯覚を起こすかもしれない。

 

 

わかりやすさ錯覚起こさせる

 

野心を内に秘めてる人は、錯覚を起こさせることを狙うべきだ。

 

ここで言う錯覚は、犯罪を意味してないことは当然だ(念の為)。

 

各人に委ねられているのは、何をどのようにわかりやすく演出するかという、目の付け所であり、演出であり、処世術である。

 

全てのヒントは、ごく普通の、日常生活の中にしか無い!

 

 

匿名=知られたくない!?

私が初めて『匿名』ということばを知ったのは、中学生になってからで、ラジオを聞いていて、リスナーからの投稿を読んでる際に、投稿者のことを「匿名希望さん」と言ってるのを聞いた時だ。

 

ラジオへの投稿には、プレゼントを手に入れることも目的の一つだったりするから、その場合は住所氏名が明記されてるはずだ。

 

"とくめい"ということばを最初に聞いて以降、かなり長い間、辞書を引くこともなく、"とくめい=特名"だと思っていた。

 

"とくめい=匿名"と完全に一致したのは、成人してからのような気がする。

 

実生活のどこにも匿名を必要とする状況がなかったからだ、ということはすべて実名発信をしていたということになる。

 

それ以前に、発信自体が殆どなかったと言えるが。

 

ラジオを聞きながら、"とくめい"が漢字で書くと匿名だと分かってなかった人は実はかなり多かったと思う。

 

 

ウィキペディアで匿名を見ると、使われる状況が2つに分類されている。

 

一つは、ラジオのケースと似ているが、ネット上のコミュニケーションで、自分を特定されたくないという思いでの匿名なのだが、その理由は今と昔では少し違うかもしれない。

 

昔は、自分が考えたり、思っていることを、知られるのが恥ずかしいという思いが強かったように思う、人前で発表したり、自己主張が苦手な日本人らしさは、今よりももっと強かったと思う。

 

私が、ブログを匿名でやっているのも、この恥ずかしさの気持ちが一番大きい。

 

 

残りのもう一つは、報道に関するものだ。

 

情報発信源(=情報提供者)を明かさないということであり、事件の種類によっては、関係者のプライバシーを守るという意味で使われる。

 

以前、実名or匿名!?というエントリーを書いたが、その際にはまだGoogle Trendsを知らなかったので、今回はGoogle Trendsを活用してみたい。

 

元々は、実名がわかることの不都合を回避するための意味合いが大きかったが、そこを逆手に取って、追求されにくい立場としての匿名性を使い、自己に都合が良いことや、あるいは実名で発信するにはリスクがあることを、発信するために用いられるようになっている。

 

Google Trendsで"実名"と"匿名"を検索可能な2004年以降で比較すると、

 

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2012年7月と2015年3月に大きな山があるが、調べてみると、2012年の方は大津市中2いじめ自殺事件を受けての実名報道が炎上していたらしいとわかる。

 

"大津いじめ自殺"を加えて比較すると、一致した。

 

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2015年の3月にも少年が被害者になる川崎市中1男子生徒殺害事件があり、そこでの報道における実名が問われていた。

 

同様にGoogle Trendsで比較すると、

 

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実名or匿名という比較で捉えたいと思い今日のエントリーを思いついたが、当初はFacebookの登場が実名に拍車を掛けたのではと思ったが、実名が社会問題になる時は、被害者はとんでもない目に合わされていることが分かる。

 

発生の確率や頻度でいうと無視していいレベルかもしれないが、実名は失敗すると取り返しがつかないとわかる。

 

 

twitterが日本に入ってきたのが2008年だが、古いツイートの中に実名や匿名について語っているものがないか探してみた。

 

 

 

匿名にする理由は、一般的には"隠したい"からと思われるが、実は似て非なる"知られたくない"という思いかもしれない。

 

Google Trendsに"知られたくない"を加えて比較すると、

 

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おもしろいのは、反応してるのは都市部だけなのだ。(実名も匿名も全国的な反応)

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いろいろ"匿名"に関して調べていると、知られたくない相手として、"会社"や"身近な人"が出てくる。

 

これは、なんだか"裏切り"を警戒する気配がプンプン匂うなと思い、Google Trendsに加えて比較すると、

 

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Facebookの登場以来、実名発信することが基本のように言われてるが、既に実名発信してる人以外は、もう少し待っても良いかもしれない。

 

実名発信は、信頼性が高いという意見はよくあるが、実名発信してる人が必ずしも信頼されてるわけではないし、匿名やペンネームだからと信頼されないわけではない。

 

迷った時には、よりストレスが少なそうな方を選べば良いだろう。

 

現代の怪談

こんな話があった。

 

この話を知った人は、この話のテーマは何だと思うだろうか?

 

乗客の悪臭で失神。飛行機が緊急着陸、原因となった男は組織壊死で死亡

 「…この話が悲劇的で、また同時に喜劇的でもあるのは、人を悪臭に変えてしまう病気に私が襲われたことだ。その結果、乗客たちが機長に訴えを起こし、緊急着陸が行われた…」と、アンドレイ・スチリン氏自身による投稿に書かれています。

 

シチリンさんは滞在先のスペインにて、何らかのケガをしたそう。その後、病院に行ったのですが…このように誠に残念な結果になったのです。

 

シチリンさんの場合、どんな病原体だったのかは未だに発表されていません。

 

 

 

私は、この話は、難病・奇病がテーマなのか、ニオイに対するいわゆるスメルハラスメントがテーマなのかが気になった。

 

記事自体は、おそらく難病奇病として取り上げ、旅行先でちょっと怪我をしたことで発症してるので、誰にでも起こりうる問題として伝えているように感じるが、この記事を読んだ人(私もだ)は自分のニオイが気になるだろうし、他人のニオイに厳しくなりそうだ。

 

"ニオイ"を検索する時に、大きく4種類ことばの使い分けをすると感じてる。

 

・匂い

 

・臭い

 

・におい

 

・ニオイ

 

辞書的な定義はさて置き、これらのワードをGoogle Trendsで検索可能な2004年以降で比較してみた。

 

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"臭い"は大きなテーマになっていることがわかる。

 

そして、"ニオイ"はあまりにも少ないので分析対象から外す。

 

関連キーワードを見ると、"匂い"は、香るもの全般に用いられてるが、良い意味で使うことが多そう。

 

"臭い"も"におい"も、ほぼ悪い意味で使われている。

 

なお、いずれのことばも全国的な関心を集めている。

 

では、最近良く耳にする"スメルハラスメント"というワードを加えて比較すると、あまりにも少ないので単独で見てみると、

 

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ワードとして通用するようになったのは、2012年の半ば以降だと感じる。

 

面白いのは、関心を示すのは都市部だけという点だ。

 

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都市部のみの関心となってる理由として、スメルハラスメントは、人に由来するにおいの種類が多いため、においの良し悪しだけでなく、においの好き嫌いや、においの強弱も関係してる気がするので、人口密集度が高いエリアで顕在化する問題となるのだろう。

 

冒頭の記事では、悪臭の原因として難病の存在が感じられるが、Google Trendsで"難病"を見ると、

 

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21世紀は、難病に関する話題が、緩やかに上昇していることがわかる。

 

"難病"の動きとリンクするようなワードが見つからないだろうかといろいろ探っていて、夏にピッタリのワードが出てきた。

 

"オカルト"だ。

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2010年の7月に突出したオカルトの反応は何なのだろうか?

 

期間を絞り込んで"オカルト"で検索するが、よくわからない。

 

では、この突出した"オカルト"の山とリンクするワードを探すと、相応しいのがあった。

 

"怪談"だ。

 

 

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これ以上の絞り込みはできなかった。

 

 

ところで、Google Trendsのグラフで見ると、"怪談"が夏の風物詩であることが分かるが、2009年は夏が過ぎても"怪談"の需要が落ち込んでいない、2015年の年明けの頃も季節外れの需要の大盛り上がりがある。

 

 

怪談を聞くと、体温が下がる感じがする、しかし、あまりにも暑くなり過ぎると、怪談ですら暑苦しい話に思えてくる。

 

夏の夜の怪談は、暑い夏を涼しく過ごすための知恵だったのかもしれないが、猛暑には通用しないかもしれない。

 

"猛暑"を加えて比較すると、

 

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どうやら今年2018年は、怪談が猛暑に負ける最初の年になりそうだ。

 

私にとって21世紀は、怪談とは全く縁がなかったが、世間には結構"怪談"に対する需要があったことが新鮮だ。

 

しかし、いつの頃からか、お化けや幽霊よりも、人間や自然災害の方が怖さを感じるようになっている。

 

現代は、怪談以上の怪談が、日常に溢れる時代になった。

口や歯が原因かも?!

人を外見で差別してはいけないが、外見からわかることは多い。

 

しかし、使い方は要注意だと思い知らされるできごとがあった。

 

 

 

『外見』も伝えるものが多いが、その『外見』をどう捉えるかは、もっと雄弁に人間性を捉える。

 

 

 

朝日新聞は、少しやりかたを間違ったと言えるだろうが、残念ながら差別はすべての人の身近に存在していて、すべての人が差別したり、差別されたりを繰り返している、それは差別ではなく区別だという詭弁を弄しながら。

 

 

 

差別にも、ピンからキリまであるが、最近の差別はこういうものらしい。

 

 

 

 

どうやら社会のあちこちに存在する『序列』というのが元凶と言えるかもしれない。

 

序列が気になるのは、相対的な位置づけを気にするからだ。

 

意識が高い人は、他人(あるいは具体的な誰か)より上にいたいと思い、意識が低い人でも、一番下にはなりたくないと思うことで、序列化に価値がでてくる。

 

序列化にも大きく2種類ある。

 

受験やスポーツのように、原則はイコールコンディションでの競争で、その結果、点数や結果の違いで順位が序列化されるようなものと、そもそも土俵が違うし、競争すらしてないのに、なぜか序列化されるようなものがある。

 

 

 

 

 

顔や容姿などの外見は、競ってなくても、外野から上だとか下だとかと評価される。

 

そんな評価の中には、好き嫌いという好みの問題とは別に、人としての属性に関わる判定を下されることもある。

 

 

 

 

漠然と変な顔と書いているが、もっと突き詰めると、原因は口や歯だったりすることが多い。

 

 

 

 

貸金業法が改正される前、サラ金という分野が大繁盛してた頃、知人にサラ金の店長をしてる人間がいた。

 

彼曰く、「俺、普通の人間だけど、仕事のときだけ鬼になる」と言っていた。

 

てっきり、暴言を吐いているのかと思ったが、よく聞くとそうではなく、金を貸し付ける際に、相手の歯を見るらしい。

 

歯が汚い人には、限度額いっぱい貸付けするらしいが、その理由は、歯が汚い人間は、全てにルーズなので、おだてながら利息だけを取り立て元金を返済させないようにコントロールすることができる可能性が高いと言っていた。

 

だから、いつまでもカモにされ続ける。

 

同様の話を、投資勧誘する知人も言っていた。

 

変な顔と言ったら、多くの人は目鼻立ちを思い浮かべるだろうが、大元は口や歯にあると思ったほうが良いかもしれない。

 

 

私が言っているのは審美歯科的な話ではない、なにも、大金かけて歯のケアをしろという話ではない。

 

食べる時に、きちんと噛んで食べ、最低朝と夜の2回は正しい歯磨きをしろというだけの話だ。

死ぬのも楽じゃない!

分かっていても対処できないことがある。

 

私も、頭の片隅で意識していたが、何も具体的な行動を取ってない、そんなことを思い出させてくれる見出しに出くわした。

 

【フィクションだぞ】元葬儀屋のワイが神奈川県警の悪事を淡々と話すスレ

入院中や自宅療養以外で死ぬと警察が介入する

状況にもよるが、大まかな流れとしては…

 

事件性がないか現場や遺体を調べる

事件性が無ければ監察医が死因を調べる

事件性があれば司法解剖

検案書が発行されて警察から解放

 

こんな感じだけど、大体1~3日くらいはかかる

DNA鑑定絡むと1ヶ月くらいかかるかな

 

 

 

現代人は、多くの人が病院で生まれ、病院で死んでいく。

 

だから、わからなかったり、忘れていることがある。

 

 

生まれることはともかく、『死』は事件だということを。

 

 

生まれることは、一目瞭然だが、死の扱いは一目瞭然ではないので、病院以外で死亡すると、事件として警察が介入することになる。

 

目撃者がいる事件や事故の場合を除くと、病院以外の死は、家族が最初に発見することが多くなる。

 

慌てた家族は、119番に電話し、救急車を呼ぶが、救急隊員は死亡を確認すると警察に引き継ぎ、何もしないで帰る。

 

多くの亡くなった方の身内は、この時点では、自分たちは警察からも労ってもらえる立場だと思い込むが、実際にはそうではない。

 

警察にとっては、事件であり、発見者は(殺人事件かもしれない)容疑者になるのだ(らしい)。

 

私は、この話を医者から直接聞いたことがある。

 

こうならないためには、医者の死亡診断書がもらえる環境づくりが大事になる。

 

この医者曰く、「だから、往診してもらえる医者を確保しておくべきだ」と言っていた。

 

身内の死亡を知った場合、最初に呼ぶべきは(懇意にしてる)医者なのだ。

 

 

 

警察の取り調べのストレスは、相当に高いので、避けられるなら避けたほうが賢明だ。

 

以前、騙す奴が一枚上手で、警察の取り調べを受けて不愉快だったことを書いた。

 

この時の私は、そもそも身内の被害の通報者であったのだが。

 

この際に、刑事が私に対してしきりに言っていたことがある、「協力するようなことを言う市民は多いが、いざ立件し起訴する段階になって証人になることを拒む人が多い」、「あなたもそうなんじゃないですか?」と、ことばには出さなかったが「あなたは、この通報でなにを企んでるんですか?」と思っていたことがアリアリだった。

 

途中から、私は、これはまともに話し込んだら大変なことになると思い、正義感は強いが少しバカで優柔不断な人間のふりをしだした。

 

一刻も早くその場から開放されたかった。

 

日常的に、ウソばかりつく人間を相手にしているからなのか、最近は事件が巧妙化してるからなのか。

 

警察側には、警察側の理屈があるのだ。

 

 

身内の死で、大変な思いをする中で、見に覚えのない取り調べが始まるかもしれないことは、知っておいて損はない。

 

そんな話題がtwitter上にあるだろうと探してみた。

 

 

 

 

普通の人にとって、取り調べを受けることは、トラウマ級の出来事になる。

 

ストレスを受けないためには、なんでも相談できる医者の友人知人を持っているとなにかと便利かもしれない。

 

最後に、参考のために、

 

死亡診断書 - 厚生労働省

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