違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

【お手本】藤井聡太七段の魅力!

将棋の藤井聡太七段が16歳で「新人王戦」で優勝し最年少記録を更新した。

 

藤井聡太七段の報道はニュースだけでなくワイドショーでも取り上げられるのは人気があるからだろう、しかし、特に将棋が人気になってるようには感じられない。

 

では藤井聡太七段の人気は、どこに宿っているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

どうやら、年令を問わず女性に人気があるようで、その漂わせてる人柄や生き方が好意的に受け止められてることが感じられる。

 

今風の言い方で言うなら、癒し系なのかも。

 

 

 

 

2018年の年明け時には、藤井聡太四段だったが、あッと言う間に藤井聡太七段になっていた。

 

世間の人々は将棋そのものにはさほどの関心は持っていなくても、将棋界で圧倒的な存在になれたからこそ評価が得られたのだろう、そういう意味では藤井聡太七段の魅力を引き出したのは将棋のおかげだ。

 

 

 

将棋を除けば、普通の16歳だと感じられる。

 

 

 

藤井聡太七段を引き立ててくれたのは、これまた愛されキャラの最年長者だった。

 

この対比も面白かったが、なによりもおもしろいのは、勝負の世界だから、勝ちに拘る攻撃性は持ち合わせてるはずなのに、表に出てくるキャラクターに攻撃性が無いところだ。

 

隠したりしてるわけではなく、闘う相手はおそらく自分自身だからなのだろう。

 

 

Google Trendsで、将棋関連のキーマンになりそうな方を比較してみた。

 

 

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将棋への関心は、2004年以降ではずっと一定だったが、藤井聡太さんの登場で上昇に転じたが、それは将棋への関心ではなく、藤井聡太さんへの関心であることが検索データからも読み取れる。

 

 

競争社会と言われるようになって久しいが、競争を勝ち抜くために強さを身に付け、他人を蹴落とす、自然とそういうことをやり続けているのが現代の日常だが、求められる強さの質が変化してるかもしれない、変化というよりもシフトだろうか。

 

 

 

言われてみれば、この二人は似てる気がする。

 

競争を勝ち抜き、他人を押しのけたからこそ、地位と評価を獲得できているのだが、他人を押しのけているイメージがない。

 

 

この二人を見習うのは悪くないかもしれない!

 

 

【リテラシー】現代人の生息域!

多様化したライフスタイルは趣味嗜好の拡大だけでなく、ビジネスそのものも大きく変化させている。

 

活動の場の多様化が進むと、自然と人々の生息域も変化する。

 

リアルな場以外にネット上の場も増えているので、人がどこに集まっているかが一目では分かりづらくなっている。

 

そんな人々が集まる場の傾向は、人気のアプリで探ることができるかもしれない。

 

 

 

日本で長く愛されるご長寿アプリは?

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SNSアプリの二大巨頭がLINEとTwitterだが、この両者の違いは、

 

 

 

オープンなTwitterに対して、クローズドなLINEと言える。

 

だから、世間では「TwitterのDM=LINE」と捉える人が多いようだ。

 

 

 

 

ネット上での活動では、"仕事"、"プライベート"、"本音"など使い分けが必要になる、そんな時問われるのがリテラシーだ。

 

 

ちなみに、Twitterで"LINE"と検索すると、プライベートもビジネスも含めてLINEに誘導する勧誘のツイートが非常に多く出てくる。

 

キーワードは「悩み」のようで、悩みはLINEで相談してくださいという告知がTwitter上で行われている。

 

この様子は、まるで営業活動で、Twitterで不特定多数に情報を発信し、見込み客になりそうな人をDMやLINEというクローズドな場に勧誘してるのだ。

 

 

もう一つの増えた場として、メルカリが上げられる。

 

最近の若者がフリマアプリで何でも売ってしまうのはなぜか

10代女子を対象としたプリキャンティーンズラボの「お小遣い稼ぎに関する調査」(2017年3月)によると、「インターネットを使ったお小遣い稼ぎを行ったことがある」は29.2%と約3割に上っている。同調査によると、「ポイントサイトに登録してポイント交換」(40.3%)に次いで「不用品などを販売」(35.3%)が多くなっている。

 

今の10代は不況の中で育ってきた節約世代であり、もったいない精神が強い。ブランド品でなくても、安くていいものに惹かれる傾向にある。その傾向がスマホアプリとマッチしたのだろう。同時に、親世代の収入の手取り額は年々減っており、お小遣い額が減少傾向にあることも影響しているのではないか。

 

また高校生の場合、スマホ代が中学時代に比べて上がり、しかも保護者に払ってもらっている割合が高めだ。保護者はスマホ代を支払う代わりに、子どものお小遣いを抑え気味にしている可能性が高い。それ故高校生は、足りないお金をスマホで稼ぎ出しているのかもしれない。

 

 

上記の記事に書かれている10代の価値観にピッタリ嵌りそうなものに"クーポン"がある。

 

Google Trendsで、"メルカリ"、"クーポン"を、検索可能な2004年以降で比較すると、

 

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直近1年では、

 

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クーポンを使いお気に入りのものを、できるだけ安く買い、メルカリなどのフリマアプリやサイトで、できるだけ高く早く売ることを目指す、という車の両輪のような関係が見えてくる。

 

若干メルカリが上回っているのは、クーポンで買った在庫がまだたくさんあるからと言えそうだ。

 

こういう見方をすると、ほぼすべての人が意識は遊びに近いとしても、商売感覚で遊んでいると言えそうだ。

 

 

ちなみに、企業のアプリが人気になったりするのはクーポンが関係しているのだろう(私はクーポンなど使ったことがないので想像するだけだが)。

 

(参考)

【随時更新】業種別 企業アプリのダウンロード数ランキング89選 2018/8/26

 

 

 

 

リアルな場では、口コミは今でも威力を発揮するが、口コミが持つ力は伝える人の信頼を拠り所にし、その拠り所は実績や説明の上手下手が影響するだろうが、それ以外に顔の表情や口調に依るところも大きいはずだ。

 

ネット上やアプリ上で展開されるコミュニケーションや取引でも、口コミは大きな力を持つが、ネット上の口コミはしゃべりことばや表情を介さないので、実際には「文字コミ」にならざるを得なくなる。

 

口コミの際の、表情や口調に相当するものが、きっと文字にも現れてくる。

 

 

結局、最後に問われるのもリテラシーとなる。

 

 

ネット上の極意は、『リテラシーに始まり、リテラシーに終わる』のようだ!

 

【マリオ〜AIのゆくえ〜】と【ドラえもんの最終回】!

録画していたビデオを見た、10月13日NHKBSで放送された『マリオ〜AIのゆくえ〜』。

 

 

 

脚本家の前川知大さんは、

 

 

私の感想に近いのがこれだった。

 

 

 

ドラマは面白かったのだが、AIがテーマだからか、勝手に未来が舞台になってるような気がするが、現代が舞台のドラマだ。

 

現代と未来や過去が交錯する映画やドラマを見ていて気持ち良くなれるかどうかは脚本の出来次第だ。

 

出来が良いと言うよりも、感情移入できるかどうかが問われる。

 

このドラマを見ながらいくつかの物語が頭に浮かんだ。

 

マイケル・J・フォックス主演の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」やアーノルド・シュワルツェネッガーの「ターミネーター(特に2)」などの未来が過去に繋がる(過去が未来に繋がるだけではなく)物語に通じる世界観が感じられた。

 

 

そして、もう一つ思い出した物語がある。

 

ドラえもん 最終回

史上最強の偽ドラえもん☆. ドラえもんの公式な最終話というのは存在しません。 (最終 話的な作品はありますけれども。) 以下は、あくまで一同人誌であり、言わば偽物です。 しかし画力、脚本、演出と、素晴らしい出来です。

 

※このリンク先にはマンガがあるが、マンガはちゃんと見れるが、サイトは文字化けしています。

 

ドラえもんの最終回は、動画にもなっていて、You Tubeにアップされている。

 

未来は過去と繋がっている(過去が未来に繋がるだけではなく)ということが信じられそうな気にさせてくれる脚本は気持ち良く、感情移入でき、余韻に浸ることができる。

 

そういう気持ちになれた時に、思い出すことばがある。

 

 

子供は親を選べないと言われるが、「子供は親を選んで生まれている」。

 

 

未来は過去と繋がっていると考えると、『今』の意味が変わってくる。

 

【支配・制御】の次!?

知識や情報が増えると、発言には“うんちく”や理論武装が増え、ボーッと聞いてると強いポリシーに基づいて発言してるように感じられることが多い。

 

しかし、果たしてそうだろうかという話をしてみたい。

 

これは私の持論だが、『人間の本音は、ことばではなく、その行動に現れる』と思っている。

 

ことばがウソを付くという意味と言うよりは、ことばは当てにならないという意味だ。

 

少し選挙からネタを拾ってみるが、政治を語るわけではない。

 

 

 

衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移   総務省

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これは、投票率の推移を年代別に示したグラフとデータだが、大まかな傾向として、時代が新しくなるほどに、年代が若くなるほどに、投票率が下がっている。

 

それなりの争点やテーマがある時は、全年代とも投票率が上がるところを見ると、興味や関心が掻き立てる何かがあると、傾向をものともせず行動は変わるということを示している。

 

投票行動に向かわせる要素にあるものとして、

 

・投票しなければいけない

 

・投票するべきだ

 

・投票したい

 

 

の3つが主な動機だろうか。

 

 

投票率の低下と共に、浮動票ということばが生まれ、浮動票を投じる人々を浮動層と呼ぶようになった。

 

投票には行くが、誰に投じるかは明確なポリシーに基づくわけではないのが浮動層と言える。

 

投票したくて行く人にとっては、誰に入れるかが大きなテーマだが、そうでない人にとっては、投票することがテーマで、誰に票を入れるかは二の次となる。

 

票を投じたい相手がいない人の中には、投票を棄権する人も多いだろう。

 

現在では、投票行動全体に占める最多層が、浮動層と棄権する人々になっている。

 

これらの人々は、その発言だけを聞けば、ポリシーに基づく主義主張や、強い興味や関心を動機にして、積極的な行動を取っているように見えるかもしれないが、実態は果たしてどうなのだろうか。

 

そして、投票行動にとどまらず、あらゆる分野で、そういう種類の人が最多層を形成してるかもしれない。

 

極めて個人的な趣味嗜好に関することですら、その種の人々が最多層を形成してるかもしれない。

 

趣味嗜好に関して最も目立つのは、積極的に行動する『オタク』と呼ばれる人々だが、オタク領域にも似て非なるオタクモドキが最多層を構成してるかもしれない。

 

 

 

 

「する人」と「しない人」に分けた時、「する人」の中にかなりの浮動層が存在するようになっている。

 

 

 

 

この結果、生き方が二極化してるかもしれない。

 

 

自分の人生の主役は自分だという自覚を持って生きる人と、自分の人生においてすら傍観者でいようとする人、という二極化だ。

 

 

浮動層の増加と無関係ではないのが、ハラスメントの増加だ。

 

この二つは、密接に関連している。

 

 

 

 

Google Trendsで、"支配"、"ハラスメント"を検索可能な2004年以降で比較すると、

 

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2015年の7月にハラスメントが大きく盛り上がっているのは、武井咲主演のドラマ「エイジハラスメント」の影響だ。

 

 

別々に検索されてるにもかかわらず、動きが似てるところを見ると、概ね、この二つのワードは関連してると言えそうだ。

 

 

 

ハラスメントと支配が一体になる理由として、

 

 

表彰制度が“パワハラ”を助長? “パワハラ”がなくならない理由とは

なぜ、こうした組織風土ができてしまったのでしょうか? 河合さんは「スルガ銀行には多くの表彰制度があること」に注目し、昨今話題になっているスポーツ界のパワハラとの相似を指摘しました。

 

スポーツ界のパワハラがなくならない理由として、自身のスキル向上や勝負に勝つというポジティブな経験がパワハラを肯定的にとらえる傾向を高めるという調査結果が出ています。

 

「スルガ銀行もまったく同じ構図で、表彰によって賞賛されるというポジティブな経験が、『パワハラがあったからこそ自分は頑張って結果を残せた』と感じさせてしまう」と分析。

 

「表彰制度がパワハラを助長することにつながっていった」と結論づけました。

 

誰でもされると嫌なハラスメントを許容させるために活用されるのが表彰制度だとすれば、支配する側からすると、表彰制度を活用し、人の気持ちを"制御"したことになる。

 

アナログ中心の生活の場にデジタルが少しずつ浸透し始めたのが80年台で90年台に入ると流れは完全にデジタルに移った。

 

このデジタルの浸透が促した価値観が、『制御』という概念だ。

 

アナログ時代の主役は人間の感情や感性だったが、デジタル時代に入ると主役はスペックや結果になり、人間の感情や感性はデジタルに適応させるものにシフトしていった。

 

 

 

過去を振り返ると人間が人間を、支配したり支配されたり、制御したり制御されたり、という両極端などちらかしかない状態が、浮動層を生み出すことに繋がってるとすれば、未来の鍵を握っているのは浮動層かもしれない。

 

アクセルしかない車や、ブレーキしかない車は、どちらも満足に機能しないように、一方的に片寄った状態は長続きしない。

 

 

人間にとっての生態系のバランスは、どこにあるのだろうか?

 

『支配』から『制御』に活路を見出した人類だが、次はどこに向かうだろうか?

 

 

【日本人(日本語)】未来を語ることが下手!

英語の挨拶や表現には未来に向かうことばが多い。

 

 

 

 

それに対し日本語では、過去(たった今を含め)の出来事に対して向けられる表現が多い気がする。

 

もらって嬉しい言葉の代表格の「ありがとう」も、未来に向かって発されることばではない。

 

「良いお年を」は、年末に用いる別れ際の挨拶だが、ことば上は未来に向かって発されてるのだが、あまり未来に向かうイメージがなく、社交辞令にとどまる気がする。

 

「Have a nice day!」には、ありがとうの意味も込もっているだろう、何よりも積極的に思っていなければ出てこないことばのような気がする。

 

 

日本語で、未来に向かうことばを探していたら、こんなことばを思いついた。

 

 

さようなら。

 

 

このことばは、""から未来に向かっている。

 

 

日本人は過去に拘り、欧米人は未来に拘る、と対比されることが多い。

 

日本人は、どうしてこんなに過去に拘るのだろうと、うんざりした経験を持つ方は、日本人にも多いだろう。

 

 

意識やメンタリティの違いがその原因だと思っていたし、昔ながらのムラ社会の影響が染み付いているのかなと思っていたが、ただ単純に未来を語ることばが日本語文化に根付いていないからかもしれない。

 

すぐに謝罪する日本人の姿は、他の国の方からすると不思議に映るようだが、日本人はその姿を、おそらく東洋的だと勘違いしてるが、東洋的ですらないのだ。

 

すぐ謝るのは、極めて日本的で、もっと言えば日本語的なのだ。

 

地球規模で意識が未来に向かっている現代では、日本語を使ってるハンデは、未来を語るのにふさわしい言語ではないという点にあるかもしれない。

 

 

終わりと始まりは表裏一体だが、横文字で"カウントダウン"と表記されると、始まるまでの時間を待つ儀式となるが、同じ意味の日本語である"秒読み"となると、終了までの残り時間を意味することが多い。

 

 

現代のようにオープンな時代になっても、日本語で育った日本人には日本語魂が染み付いていて、自然と未来を語ることが下手になっているかもしれない。

 

 

日本語しか話せない日本人は、未来を語るための表現力が不足してることを自覚したほうが良さそうだ。

【ポジショントーク】(追記あり)太陽光発電!

9月の北海道胆振東部地震によって全道での停電、いわゆるブラックアウトが起きたことがキッカケだろうことが起きた。

 

 

 

 

リンク先にある6つの提言とは、

 

変動する自然エネルギー(太陽光、風力)の出力抑制を実施する前に、以下の様な6つの改善策が考えられる。

  • 関門連系線を最大限活用する
  • 火力発電所(特に石炭火力)および原子力発電所の稼働抑制
  • 需要側調整機能(デマンドレスポンス)およびVPPの積極導入
  • 出力抑制した自然エネルギー事業者への補償
  • 「接続可能量」の廃止と「優先給電」の確立
  • 電力需給調整の情報公開の徹底

 

 

この提言に対して、政策アナリストなる肩書きを持つ人物は、

 

 

ちなみに、私の立ち位置は、太陽光発電に賛成だが、個人を除く固定価格買取制度に乗っかった太陽光発電事業者には興味は無い。

 

世間で嫌われてる太陽光発電は、ほぼメガソーラー事業者で、これは私も同じ気持ちだ。

 

メガソーラー事業者の中には、デタラメな事業者がいることは検索すれば多数出てくる。

 

 

私の興味と関心は、アンチ化石燃料としての太陽光発電だ。

 

 

電力会社が恐れているのは、自身の影響力が弱くなることで、そのために自然エネルギー電力の地産地消が拡大することを阻止したいのだ。

 

 

 

 

太陽光発電を始めとした自然エネルギー発電は、優れた蓄電システムとセットで初めて有効に機能する。

 

優れた蓄電システムは、EV(電気自動車)も待ち続けている。

 

EVが、真の意味で完成を迎える時に、一気に電力事業は様変わりするだろう。

 

電力会社は、それを恐れてるから、その芽を摘もうと躍起なのだ。

 

 

 

 

 

 

同じように生活し、生きているのに、正反対の考えが存在し、しかもそれぞれにそれなりの正当な理由がある。

 

 

 

 

 

主義主張があるということは、立ち位置としてのポジションがあるということだが、ほとんど自覚することはない。

 

 

追記  

 

このような考えもあるようだ。

 

九州電力、昨日と今日、太陽光発電量抑制  効エネルギー日記

いまでもアナログ的手法で可能な方式として、太陽光発電量が余剰になる時間帯に、九州電力管内の冷蔵・冷凍倉庫の設定温度を可能なだけ下げるようにすれば、余剰分をほとんど吸収できるのではないだろうか。設定温度をかなり下げても、中の保管物に損傷は生じないはずだ。日本冷蔵倉庫協会、http://www.jarw.or.jp/find/memberlist、の資料を見ると、冷蔵冷凍倉庫が、福岡県に64,佐賀県に19,長崎県に21,熊本県に13,大分県に9,宮崎県に12,鹿児島県に21ある。それぞれの規模は示されていないようなので、全体でどの位の冷凍冷蔵設備容量があるかが数字では示せないが、これだけの事業者に協会を窓口に依頼して設定温度を下げてもらい、スマートメーターで電力消費量は把握できるから、その日の電気料金を下げることによって協力への報酬にするというよういすれば、全てではないにしろ協力は得られ、電力消費を可成りの量増やすことができるはずだ。

 

【試練】人を見る目が問われる!

損害賠償詐欺と言うのが流行の兆しを見せているらしい。

 

 

 

事件の概要はこうだ!

 

 

 自腹買い取り、突然の賠償請求、欠勤への罰金…… コンビニバイトが訴える実態   2018/10/11     

梅原さんによると、店長と司法書士は、店内の監視カメラの映像を示しながら「梅原さんがレジからカネを持ち出した」「深夜に店舗を施錠して客が入れないようにした」などと言ってきた。そして、司法書士はこう続けたという。

「損害額が100万円を超えることは確か。支払わない場合は警察、学校、家族、出すとこにすべて出します」

 

 

 

これに対する梅原さんの言い分はこうだ。

 

レジからカネを持ち出したのは釣り銭が足りなくなったためで、レジの1万円札をATMでいったん自分の口座に入金し、1000円札に崩して引き出し、釣り銭に充てた。店舗に鍵をかけたのは、深夜の1人勤務である「ワンオペ」時、冷凍食品が大量に搬入され、レジで対応していたら商品が溶けてしまうと思ったから。過去に2回、それぞれ10分間ほど店を閉めたことがある――。

 

 

同じ八丁堀を舞台にして起きた別の事件もある。

 

 

 

どちらの事例も、発覚の経緯が不明だが、基本店舗には実害が発生してない(と思われる)にも関わらず、しかも店のために機転を利かせたと思われる行為が咎められてるのだ。

 

指南役として司法書士の暗躍が疑われている。

 

 

上記の記事によると、

 

梅原さん側が同ユニオンに入ったことを伝えると、その直後に店は閉鎖。オーナーは「警察に訴える」と言ったきり、やがて音信不通になった。

首都圏青年ユニオン委員長の原田仁希さんは、今回の「損害賠償」について、「最近、同じようなケースが目立ちます」と話す。罰金や弁償のレベルを超えた、数十万円以上もの法外な金銭を請求されたという相談が、アルバイトから寄せられるというのだ。

 

 

コンビニには、詐欺を生み出しやすい事情がありそうで、上記の記事にはこう書いてある。

 

都内のあるコンビニ大手のオーナー(59)も「コンビニ経営は脱法行為でもしない限り、利益が出ない。そういうビジネスモデルになっている」と訴える。

このオーナーによると、最大の悩みの種は「24時間営業」だという。深夜帯は客が減るのに対し、アルバイトには深夜割増手当を払わなければならず、合法的にやりくりしていたら赤字は必至。アルバイトには、深夜割増手当こそ払っているが、社会保険に加入させる余裕がない。深夜はワンオペが当たり前で、休憩が取れないため、オムツをしながら働いていた女性アルバイトもいたという。

現在はこうした実態が知られたのか、アルバイトも集まらず、妻と交代で夜勤をこなす日が続いている。

 

コンビニがブラックだとは以前から言われていたが、"本部VS店舗"で語られることが多かったが、店舗の内部にも"店長VS店員"という対立が生まれてるらしい。

 

コンビニだけではない。

 

どうやら、法律家が仕掛けているようにも見えてくる。

 

 

損害賠償詐欺の元祖と言えるかわからないが、思い出したのは“当たり屋”だ。

 

 

 

 

勘の良さが、身を助けたかもしれない。

 

 

冷静さも大事だ。

 

 

 

従来の当たり屋は、ドライブレコーダーでかなりの部分が対抗できそうだが、仕掛けて来る人間は、武器を持っている。

 

 

次の事例は5年前だが、今もあるだろう。

 

 

 

よくよく考えたら、犯罪のほとんどは仕掛けられるもので、当たり屋に当たるようなものだが、当たり屋に当たるという場合、被害者の多くは、自分が狙われていたとは思わないだろう、そこをつけ込まれるのだ。

 

被害にあうのが、自分が狙われているとは思わない人々の場合、自分にも非があったと感じる日本人は多い、そこをつけ込まれるという事件が増えている。

 

冒頭のコンビニの事件では、自分の職務にできる範囲で誠意を尽くそうとする心理をつけ込まれたのだ。

 

 

先日、隣で起きているドラマと言うエントリーを書いたが、隣で起きてると思ってることが自分の身に降りかかるようになっている。

 

人は皆、それぞれが自分なりの“人を見る目“を持っていると思っているはずだ。

 

信用するだけではいけないし、疑えば良いというわけでもない。

 

 

人を見る目が問われる!

 

 

現代の当たり屋は、法律というインフラを逆手に取って、裏で糸を引きながら他人を使って当たって来る.