違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

Uber Eatsの悪評に感じる温故知新!

最近Uber Eatsの評判が悪い。

 

信号無視が目立つなど交通マナーの問題と配達のスキルの問題で評判が悪い。

 

配達のスキルには、配達を担当する地域の地理に熟知してるかしてないかも上げられるだろう。

 

ナビアプリを使えば大丈夫だという人もいるだろうが、安全で確実を求めるならば地理を熟知してる人には敵わないし、ナビを使うにしても土地勘は必要だろうが、現代ではそれを求めたら配達をしてくれる人は探せなくなるだろう。

 

同様なことはタクシーの運転手にも当てはまるだろうし、不動産業者にも当てはまるはずで、20世紀だったら起こる確率は今よりもはるかに低かったはず。

 

土地勘のない地域の地理を知ろうと思ったら必要な努力は並大抵ではない、土地勘とはその地で何年も生活して身に付くものであることを考えると、配達や配送は配る件数にもよるがそんなに簡単なことではなくドツボにハマるとナビがあっても簡単ではないことは多いはず。

 

少し前置きが長くなったが、最近Uber Eatsで話題になったのが次の件。

 

 

ツイート主はジャーナリストでもあったのでこの件はあっという間に拡散され大きな話題になった。

 

この件で問題にされたのは、

 

  • 30分遅れたこと
  • スープが溢れてグチャグチャだったこと
  • 受取を拒否された注文品を捨てたこと

 

いずれもなぜ発生したのかは不明だが、わたしには30分遅れたことは地理に不案内ゆえになにかしらのトラブルが発生したのではと感じている。

 

スープが溢れてゴチャゴチャだったことはこの30分の遅れと無関係ではないだろう。

 

受取を拒否された注文品を捨てたことは配達者本人が持っているモラルと常識の結果だろう。

 

そう考えると、限りなく配達者個人の資質に由来して起きた問題だと言えそうだが、Uber Eatsの仕組み自体に根本的な問題があり配達者はその犠牲になったとも言えそうだ。

 

 

Twitterで検索するとたくさんの配達の不都合が写真付きで見つかる。

 

もしかしたら、わざと形が崩れやすいものを頼んだり、液体や汁物を頼んでそのこぼれた姿をSNSで上げるために注文してるのかなとすら思える。

 

 

Uber Eatsの問題は、配達員の資質や問題を超えて、できないことをやろうとしてるようにも感じられる。

 

 

 

ここから先は少し論点をずらす。

 

実際にUber Eatsの配達シーンを見たことがある人も多いだろうが次のような格好で配達をしている、実際に見ると背中のバッグはかなり大きい。

 

 

バッグの中にはかなりの振動が伝わってることが容易に想像される。

 

そこで思い出すのが日本発の技術のおかもちだ。

 

 

 

その構造は、基台に固定されたフレームの上部に空気ダンパーのサスペンションが付いており、そこから吊るした荷台に寿司桶や岡持ちを置くようになっいるというもの。このサスペンションが走行時の揺れや衝撃を吸収してくれるのに加え、荷台が振り子のように大きく揺れることで旋回時の遠心力も克服。安定走行を実現する優れ物なのです。

 

 

 

最近は見ないが、寿司やラーメンなどもこれで運んでいたのだ。

 

中身が溢れたなどという話は聞いたことがない。

 

簡単な仕組みで制振防御できる仕組みだが、この仕組みの応用など考えなかったのだろうか?

 

 

注目の新サービスも一皮剥けば、昔のサービスの劣化版になってることは他にも探せばありそうだ。

 

 個人的には古いものより新しいものの方が良いに決まってると思いたいが、それはデザインなどの話であって、原理原則に関しては新しいものに軍配が上がるとは限らないと改めて感じられた出来事だった。

台風19号に注意!(新情報は随時追記)

台風19号の発生を伝える情報が出たのが6日の未明。

 

当初の予測の段階では10日には中心気圧915hPa,最大瞬間風速75m/s(時速270km!)の猛烈な台風にまでなる予報が出ていたが、勢力の拡大のペースは予想を上回り始め、8日には非常に強い台風になり、9日には中心気圧915hPa,最大瞬間風速75m/s(時速270km)の猛烈な台風になって北上する見込みと予想が前倒しされた。

 

最初の進路予想が次のようになっていた。

 

台風19号進路予想10月6日

 

 

それから1日経過し7日の朝には、進路予想が次のようになっていた。

 

 

台風19号進路予想10月7日

 

そして本日(7日)の夕方には、勢力がさらに拡大する予想が報じられ、8日15時には中心気圧なんと900hPa,最大瞬間風速85m/s(時速306km!)の猛烈な台風となる見込みで、進路も今週末の12~13日に本州にかなり接近するおそれがあると報じられた。

 

その進路予想が次のように発表されていた。

 

台風19号進路予想10月7日15時

 

 

今日7日18時の時点で中心気圧915hPa,最大瞬間風速75m/s(時速270km)。

 

 

大事なことだから繰り返します。

 

明日8日18時には中心気圧900hPa,最大瞬間風速85m/s(時速306km)になると予想されています。

 

ここに書いた情報は、気象庁気象研究所研究官の荒木健太郎さんがTwitterで発信したものを整理しました。

 

 

今週末にはやって来る台風19号に備えて準備できることは何があるかは、今考えるべき問題だろう。

 

 

追記

 

10月8日朝の進路予想

 

台風19号進路予想10月8日AM3時

 

10月8日12時の進路予想

 

台風19号進路予想10月8日12時

 

メンタルの強さと無神経の違い、その差はレジリエンス!

自分の軸をしっかりと持っている人は発言や行動がブレないように見える。

 

しかし、実際に心の中を覗けるならば、結構揺れ動いてるかもしれない。

 

SNSの普及や匿名発信の広がりが拡大させた負の要素に思えることに批判や批評の過激化がある。

 

批判や批評は悪口化しやすくなっている。

 

批判や悪口は、発信する側と受ける側ではメンタルの状態が大きく異なる。

 

もちろん内容次第なのだが、一般的には受ける側の方がダメージは大きくなる。

 

ノイジーマイノリティに対しサイレントマジョリティと言われるように、批判や悪口は声が大きくても、数が膨大に見えても少数派であるから気にしなければ良いだけなのだが、それができるのはメンタルが強くなければいけないと言われる。

 

そこで、その辺の実情をナイツ風に言えばヤホーで検索してみた。

 

そうしたら、おもしろい記事があった。

 

今日は批判や悪口を言われる側に焦点を当てて展開してみたい。

 

批判的なフィードバックから立ち直る方法

たとえ的を射た指摘であっても、批判を受けるのは気持ちいいことではない。筆者らの調査によると、どんな言葉で批判されたかという表現の問題ではなく、批判されること自体に人は苦しさを覚えることがわかった。

 

そこで筆者の研究チームは、オンライン調査で「人生で最悪のフィードスマック経験」を募集し、445件の事例を集めた。

 

多くの回答者は、大昔にもらったコメントに、いまも苦しんでいた。

 

驚いたことに、表現の厳しさにかかわらず、相手のフィードバックに圧倒され、動揺するレベルは変わらないことが、今回の調査でわかった。

 

また、批判的なことを言われても、相手に食ってかかった人がほとんどいなかったことも驚きだった。

 

 

 

この記事はレジリエンスに関することがテーマ。

 

レジリエンスとは、日本語にズバリ該当することばがないが、「困難や不利な状況に対して自発的な治癒力を発揮する能力」のこと。

 

ここに書かれている話はアメリカの調査に関してだが、そっくり日本人に当てはめても通用する話だと思える。

 

 

日常用語として定着した炎上は、多くの人にとっては傍観するものであり、炎上させる側として加担することはあっても、炎上する側になることはほとんどない。

 

炎上した後も炎上前と同じように振る舞うためには強靭なメンタルを必要とするか、かなりの無神経でなければ無理だと言われる。

 

 

次は炎上慣れしてる田端信太郎さんのツイートだが、度重なる炎上体験が学習を深めているとも思える。

 

 

しかし、田端さんのような兵(つわもの)ではない人にとっては、

 

 

しかし、根本的な問題として「どうして炎上したのか?」と考えると、

 

 

 

レジリエンスということばを持っている国の人々にとっても、レジリエンスを身に付けることは簡単ではなさそうだとすると、日本人にとってはより一層ハードルが高いのかもしれない、

 

上記で紹介した記事には言いたいことを言い合うことに慣れてるように見えるアメリカ人ですら、

 

きついことを言われた直後の感情として、90%近くが「あぜんとした」「あきれた」「ショックだった」「愕然とした」「頭が真っ白になった」と答え、40%が「恥」関連の感情を持ったと答えた。「面目がなかった」「自分が無価値だと思った」「傷ついた」「悲しかった」「自信を失った」などである。一方、「怒り」「裏切り」「暴力」など、感情の矛先が相手に向かった人は15%しかいなかった。

 

ということらしい。

 

 

何事にもタフである場合、ともすれば無神経に感じられるが、そこにレジリエンスが感じられれば、それはメンタルの強さと言えるのだろう。

トロッコ問題に直面したら「案ずるより産むが易し」!

時々思い出したように話題になるのがトロッコ問題

 

トロッコ問題とは、

 

「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験。

 

 

 

 

今年は4月に続いて9月にも話題が勃発。

 

GoogleTrendsで直近1年の動きを見ると、9月は4月に比べるとかなり盛り上がっていることが分かる。

 

GoogleTrends「トロッコ問題」直近1年

 

9月の話題の原因は次のニュース。

 

 

トロッコ問題が議論される場合、課題は大きく二つに分かれる。

 

  • 助ける命と犠牲にする命の選別

 

  • 前提条件にどこまで従うか

 

前提条件に従えば誰かの命を犠牲にする必要がある、それで命の選別をどうするかを議論してしまう、9月に炎上気味に話題になったのはこのケースだ。

 

しかし、実際には前提条件を前提通りに進ませない方法を検討することも選択肢に出てきて構わないはずなのに、日本人は頑に与えられた前提条件に従おうとする傾向が強い。

 

こういうことにはお国柄が出るらしい。

 

 

トロッコ問題に名解答を思いつくことと、イノベーションを描くことは共通点があるように感じられる。

 

大上段に振りかぶってイノベーションを論ずるような場合にイメージするのは不可能を可能にするようなことで、別の言い方をすると「夢を語る」と言ったりもする。

 

 

 

そして、このようなアプローチは基本的な人間関係の中での振る舞いにも当てはまりそうな気がする。

 

こんな話があった。

 

幸せな結婚の決め手は「ケンカの内容」であると判明

「幸せな結婚」の重要なファクターとして、2人の間で明確な答えの出ない議論は避けるべきなのではないか

 

 

人生にはトロッコ問題のように、前提条件に従えば選択できない選択肢ばかりが突き付けられることは珍しくない。

 

そんな時は、前提条件を変えることを考え、それを実行することはあって然るべき選択だと思うが、日本人にはこの簡単なことができない人が多いのだ。

 

まるでサーカスの象だ。

 

サーカスの象

 

サーカスの象は脚に鎖を付けられているが、その鎖は象の力で簡単に切れる程度のもの。

 

トロッコ問題で提示されてる選択肢のどれも選択できずに悩む場合は、前提条件という簡単に切れる鎖に縛られているだけの場合が多いのだ。

 

前提条件に従うとどの選択肢も選べない場合は、提示されてないだけで「案ずるより産むが易し」も隠れていることを忘れてはいけない。

 

記憶がいかに当てにならないかを教えてくれた『福岡翼さんの死』!

今日10月5日、芸能レポーターの福岡翼さんが亡くなったと報道された。

 

私がこのニュースに強く反応させられたのは、亡くなっていたのは半年前の4月20日だったから。

 

「これは事件じゃないのか?」と思う自分がいた。

 

福岡翼さんの死を伝える報道で一番内容に納得できたのはこの記事だった。

 

芸能リポーター・福岡翼さん4月に死去 79歳、ベッドで眠るように 2019/10/05

芸能リポーターの福岡翼さんが4月20日に慢性心不全増悪のため都内の自宅で亡くなっていたことが5日、分かった。79歳だった。芸能リポーターのみといせい子氏(70)がデイリースポーツの取材に対し、福岡さんの妹から死去の旨を知らせる手紙を受け取ったと明かした。

 

 

この記事には福岡翼さんの人柄が分かるエピソードとして次のようなことも書いてあった。

 

「本当にいろんなことを教わった。結婚会見で『子供は男の子がいいですか、女の子がいいですか』と問うリポーターがいたら『僕だったらその質問はしないよ』と言い、『子供が大きくなってテレビで会見を見た時、両親は男の子がよかったのに私は女の子だった、などと思うとかわいそうだから』と教えてくれた。

 

 

ところで、遺族が福岡翼さんの生前の意向を受けて公表をしなかったと言うのは理解できるのだが、もし問い合わせがあれば嘘をつくことは無いだろうから、6ヶ月の間これほどの有名人に問い合わせや連絡がなかったのだろうかという疑問が拭えない。

 

 

関係者によると、『11年に心筋梗塞で倒れ、心臓の手術を受けたという。その後はテレビ番組出演などの仕事をセーブし、都内の自宅で1人で過ごすことが多くなった。』ということらしいので、そうだとすると東日本大震災の頃から表舞台には立っていなかったことになる。

 

ずっとその間もワイドショーで見ていたような気がするから、人間の記憶やイメージは本当に当てにならないと改めて思う。

 

亡くなられた年齢が79歳と聞いて、「もっと若いと思ってた」と反応する世間の声が多く、わたしも「そんなに歳取っていたんだ」と思ったが、それはテレビに出ていた2011年以前の姿で記憶が固定されてたからなのだろう。

 

ところで、福岡翼さんの件で色々検索するとおもしろいことが分かった。

 

これまた人間(わたし)の記憶がいかに当てにならないかと思い知らされた。

 

最近はニュース番組ですらワイドショー化してるので福岡翼さんのような芸能レポーターは雨後の筍の如くうじゃうじゃいるものとばかり思い込んでいたが、20年前頃の1998年には絶滅危惧種と位置付けられていたらしいと分かった。

 

20年前はインターネットは普及しつつあったがまだまだ情報インフラとしては弱かったと記憶してるが、その当時から芸能人や芸能界の噂やトクダネは芸能レポーターを経由しないで直接番組に持ち込まれるようになっていたらしい。

 

そういう意味では現在30歳以下の人達には芸能レポーターという人種がピンとこないのかもしれない。

 

福岡翼さんの年齢が79歳と聞いて、「もっと若いかと思ってた」と反応した方は、わたしと同じ記憶の錯覚を感じているのだろう。

 

そういう方はこの記事がおもしろいはずだ。

 

芸能リポーターはどこへ行った? 変わるワイドショー

「芸能リポーターの黄金時代」が終わってすでに20年余りの歳月が流れるが、須藤甚一郎さんが芸能リポーター時代に築いた技はまだ生き続けているようだ。

 

サバイバルのススメ!

2019年の台風15号がキッカケで発生した千葉の大停電や2018年の北海道胆振東部地震での停電、そして2011年の東日本大震災がキッカケでで発生した電力不足で、現代人がいかに電気頼みの生活を送っているかが明らかになった。

 

インフラというのは使えて当たり前で、使えることに日常ではあまり感謝しないが、使えなくなると不便なだけでなく不満が大きくなる。

 

不便なことも短時間であれば許容範囲に収まっても長時間になると受け入れ難いものになる。

 

そんな不都合の数々を整理してみた。

 

また、そんな不都合に対処するためにはサバイバル能力(知識+体力+行動力)が必要になるという話も付け加えたい。

 

 

不都合は、生活の身近で起きるから不都合なのであって、自分の行動半径や生活圏の外で起きる分には深刻さはまるで無いに等しい。

 

しかし、不都合の擬似体験はニュースや報道やSNSを通じて味わうことができる。

 

2011年の東日本大震災の直接の影響は全く無かった九州でも不都合は発生していた。

 

 

 

なぜ九州の人々が買い占めに走ったかというと次のようなニュースを見せられていたから。

 

 

買い占めが起きたというよりも供給が途絶えていたのだ。

 

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東日本大震災では電力に対する疑問も現れた。

 

それは電気は貯められないということに関しての疑問だった。

 

エネルギー業界は電気の独り勝ち状態が続いていたが、東日本大震災がキッカケでオール電化住宅に負の関心が強まったのだ。

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降でオール電化を見ると、

 

GoogleTrends「オール電化」2004年以降

 

 

2011年3月以前はポジティブな関心を示していたのだが2011年3月の関心はネガティブなものなのだがグラフだけ見てもそれは分からない。

 

電気が停まると電車も動かなくなるのは当然だが、信号も動かないのでガソリンがあったとしても車も都市部では事故や混乱で完全に麻痺するはず。

 

実際には上のツイートで引用したように大規模に電気が停まるような場合は輸送が機能しないので供給を交通での輸送に頼っているものは全滅する。

 

運がよければ意外とタフに機能するのが都市ガスで敷設された配管がダメージを受けてない限り使える、このことが分かったのでオール電化に急ブレーキが掛かったのだ。

 

 

東日本大震災(実際には福島第一原発の被災)では電力不足が課題になったが、停電の長期化は起きなかったので大きな問題として報道されなかったような気がするが、世の中には電気に命を預けてる人もいる。

 

今年の夏の千葉県で起きた大規模で長期化した停電では東日本大震災を越える問題も起きていた。

 

台風15号「大停電」で考える、人工呼吸器患者の生命を守れるか

幸い、今回の台風15号では、停電による人工呼吸器使用者の健康被害は把握されていない。驚くべきことである。

 

停電時の備えに対する関心が高まったのは、1995年、阪神淡路大震災のときだったという。停電で人工呼吸器が使用できなくなり、文字通り「呼吸ができない」状態に陥った患者のために、家族が交代で1日半、手動型の呼吸器(アンビューバッグ)を動かし続けた。このとき「人口呼吸器の電源や、手動型呼吸器の備えが必要だ」と認識されたという。

その後も、日本は復旧までに時間のかかる大規模停電を、何度も経験した。2004年には、新潟県中越地震があった。そして2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲った。

 

 

金沢さんは、経験を踏まえて、予備バッテリーや発電機に加えて「電気を使わない方法」が重要だという。手動の呼吸器や足踏み式の吸引器があれば、停電が直ちに生命の機器に直結するわけではない。しかし、それらを動かすためには人手が必要だ。とはいえ、ムダや余裕を削りに削ってきた結果、ヒューマンリソースの余裕が日本では全国的に失われている。

 

 

大規模災害の度に現場では教訓を得てるのだが、そんな教訓は必ずしも受け継がれてるとは言い難い。

 

人生100年時代、死ぬことよりも怖い長生きなどと言われ続けていると、「何がなんでも生き抜く」というサバイバルスピリットを忘れがちだが、大災害やこんなはずではなかったということが発生するとサバイバル能力が試されるのだ。

 

 

1973年小松左京の日本沈没が出版されベストセラーになり、ドラマ化映画化された。

 

おそらく日本沈没に刺激されたのだと思うが劇画ゴルゴ13でお馴染みのさいとうたかお氏も1976年からサバイバル_(漫画)を描いた。

 

突如発生した世界的な地殻変動による巨大地震に遭遇して生き残った少年・鈴木サトルが、過酷きわまる環境で生き抜こうとする姿を描く。さいとう・たかをが描く少年漫画の代表作の1つである。

 

現代日本で普通の生活をしてると生きることと死ぬことは正反対の概念だと感じてしまうが、サバイバル環境下では生きることと死ぬことは表裏一体、つまり両者の間に存在する価値観は全く違ったものになるだろう。

 

「あなたの敵は?」と聞かれたら、

 

現代日本で普通に生活してるとその答えは、

 

  • ライバルや競争相手
  • 嫌いな人
  • 考え方が違い過ぎる人
  • きついこと、汚いこと、苦しいこと
  • 暑さ、寒さ、虫

 

 

サバイバル環境下では、

 

  • 自分の命を狙う相手(人や野生動物)
  • (牙を向いた)大自然

 

などと答えるだろうか。

 

 

普通に生活してる中で好き嫌いの感情を揺さぶられる出来事の多くは、サバイバル環境下ではどうでも良いことばかりかもしれない。

 

相手が人であれば、好き嫌い以前に協力せざるを得ないだろうし、どうしても許容できなければ関わらなければ良いだけだし、危害を加えてくるならばそれは明確な敵になる。

 

自然環境に対する不満は持ってもなんの意味もないので許容するしかない。

 

世間で言われるアウトドアにはサバイバル要素を感じないが、探してみると野蛮ではないが本格的なものがありました。

 

清水国明さん今はこんなこともやってるんですね。

 

ありが島は、清水国明が代表をつとめる、野外研修の国内NO.1の「ソトイク株式会社」の研修フィールドです。

日頃安全で快適、恵まれすぎた文明生活の中でいつの間にか忘れてしまった「生きるチカラ」を、逞しくよみがえらせます。

生きるという共通の目的のために仲間と力を合わせて、協働作業を行います。

その過程で必然的にコミュニケーション、リーダーシップ、チームビルディングの大切さを学びます。

忍耐や歓喜を仲間とともに味わい、ゴールである無人島からの脱出に成功したとき、見違えるほどの強いチームが出現します。

全員が集中して力を合わせなければ生命にもかかわるという真剣度が、快適な研修施設などでは到底得ることができない、無人島研修ならではの抜群の成果をもたらします。

 

 

 

サバイバルは、そこにあるものを活用することが大事で無いものをねだってもしょうがないが、工夫すれば代用できるものは作れるかもしれない。

 

そこにあるものを活用するためには知識が必要になり、知識を活かそうと思ったら体力と行動力が必要になる。

 

サバイバルは、いきなり本番を求められると何もできないだろうから、まずはイメージトレーニングから始めよう!

 

ある日突然余儀なくされるのがサバイバル!

 

『繰り返し』の影響!

作曲のことを話題にしてるサイト に次のようなことが書いてあった。

 

リスナーは潜在的に曲構成を把握しながら曲を聴いています。

そのため、楽曲に構成面でのわかりやすさを盛り込むことで曲は捉えどころのあるものとなり「親しみやすい曲だ」とリスナーに認識されます。

ここでいう「構成面でのわかりやすさ」とはすなわち「繰り返し」と「規則性」を指しています。

メロディの構成、コード進行、ブロックの小節数などに繰り返しと規則性を設けることで、それらがわかりやすさを生みます。

 

 

具体的な繰り返しの展開手法といて挙げられていたのが次のこと。

 

  • 同じメロディをそのまま繰り返す
  • メロディの音階を変えてリズムのみを繰り返す
  • メロディを繰り返しながらコードは展開させる
  • コードを繰り返しながらメロディを展開させる
  • 数小節の構成を二回繰り返してAメロとする
  • 曲の最後にサビのブロック繰り返す

 

 

ここからは音楽からは離れていくが、この繰り返しの手法は日常生活の様々なところに用いられている。

 

特に広告宣伝に関して顕著だが、その広告宣伝に裏があればプロパガンダになるし、計画的な悪意があれば洗脳にもなる。

 

例えば個人ブログの場合、一人の人間の守備範囲なんてたかが知れてるので似たような話題に偏ることはしょうがない。

 

この似たような話題に偏って、「ああ、それ前にも読んだ気がする」というのは、わたしの中では繰り返しには属さない。

 

一つのエントリーの中で、同じことを繰り返すことが繰り返しだと位置付けている。

 

 

今日書くことは、以前から思っていたことだけど上手く纏まらなかったことについて。

 

 

ある事件が起きた場合、きちんとしたニュース番組では一度しか説明しないことをさらに繰り返す場合には別にゲスト解説者や専門家を交え、課題や問題点を浮かび上がらせようとしてることが伝わる。

 

それに対して、同じ事件をワイドショーや特定のテーマを扱う報道番組では、番組内で何度も「それ、さっき聞いたよ」ということを繰り返す。

 

その繰り返しは、冒頭に紹介した作曲手法における同じメロディの繰り返しと共通するように感じられる。

 

同じメロディを繰り返すように同じシーンが繰り返されれば、そこに感情が引き寄せられるという効果が高いのかもしれない。

 

正義を振りかざして怒りを露わにする人が増えているが、このような情報の繰り返しで少しずつ調教されるように洗脳されているのかもしれない。

 

受験勉強を経験するとインプットを繰り返すことで記憶を定着させるということを覚える。

 

そう言えば、こんなことばもあったなと思い出す。

 

『大事なことなので二回言いました』

 

 

2008年のCM。

 

 

他人が書いたものを読む場合でも繰り返しが多用されてると、なんとなく「ああ、そこをアピール(強調)したいのかな」と自然に思えるが、じゃあ自分の文章に繰り返しを盛り込もうとすると心理的にハードルが高いことに気付く。

 

「それ、さっき書いたから繰り返すのは読んでる人をバカにしてるみたいだな」と思えてしまうし、書いてる自分もバカに思えてしまうのだ。

 

しかし、学校の先生のような立場で大勢に教えたり指導した経験を持つ人だと、繰り返し伝えないと伝えてないのと同じことだということを体験として理解していると、繰り返しにメッセージが籠ることになる。

 

 

ワイドショーなどで繰り返し使われるシーンがあることに気付いたら、その意図を勘ぐってみるのも楽しいだろう。

 

散々見せられたあおり運転のシーンでは、大勢の人が正義を振りかざして怒っただろう。

 

幼い子供が親から虐待された事件で流れる子どもの写真を見ては、胸が張り裂けんばかりの心の痛みを感じるだろう。

 

わたしたちの感情は、繰り返される情報で上に下に右に左に揺さぶられてばかりだ。

 

そんなことが続くと、自分の心を守るために鈍感になるか、鈍感になれなければ心の病に陥るだろう。

 

繰り返される情報は、心地よいメロディと紙一重で悪影響をもたらしているかもしれない。

 

忍び寄る繰り返しには注意しよう!