違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コロナ前には政治に興味なかった人が、政治的発言をするようになっている!

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降で『マスク』を見ると、

 

GoogleTrends 「マスク」 2004年以降

 

 

今のようにマスクが注目というか脚光を浴びてるのはコロナのせいだと言えそうだ。

 

2009年の5月に小さな山があるが、調べてみるとインフルエンザが話題になっていてWikipediaにも載っている。

 

参考

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本における2009年新型インフルエンザ

 

 

GoogleTrendsで過去90日で見ると、

 

 

GoogleTrends 「マスク」過去90日

 

 

マスクが検索され始めたのは1月20日以降と言えそうだ。

 

これは、ダイヤモンドプリンセス号でのコロナ感染が話題になり始めた最も初期のタイミングと一致している。

 

3月の上旬に北海道で感染が増加し始めると、政府はマスクの配布を発表した。

 

北海道 4町の住民に12日以降マスク配布へ 厚労省 2020年3月10日  NHK

 

 

 

 

このマスクの配布は、ちゃんと完了したのか、配られた時期はいつだったのか、配られた枚数など突っ込みどころが満載のよう。

 

 

 

首相が3月2日から全国の小中高校の一斉休校の要請を出したのが2月27日。

 

イメージでは、これ以降自粛がずっと続いているような気になっていたが、GoogleTrendsで過去90日で見ると、

 

GoogleTrends 「自粛」 過去90日

 

 

小さな動きは2月の半ばから出ているが、大きな動きになったのは小池都知事のロックダウン発言とリンクしてそうだ。

 

 

GoogleTrends 「自粛」「ロックダウン」 過去90日

 

 

最近ではニュースや報道だけでなく、SNS等の個人的な発言や呟きもコロナに関連するものばかりになっている。

 

コロナのことを直接言っていなくても、結果的にコロナが関連してそうな話ばかりだ。

 

コロナが関連してる話題は、直接的には不安や不満や怒りが表現され、間接的には皮肉や嘆きが込められていたりする。

 

つまり、ポジティブよりもネガティヴが増えているのだが、ここで不思議なことに気付かされる。

 

個人的なことや、小さな身の周りの話を伝えているのに、その話はもっと大きなことや全体にも通じる話だったりし、異なる思いを発しているのにそれは共通する思いだったりしてることに気付くのだ。

 

この共通してることこそが政治に関連するのだ。

 

おもしろいのは、発言してる人は政治に対しては無関心な人ですら、発言が政治的になっているのだ。

 

もともと政治的発言とは近い側面を持っているのが芸能界だが、そんな芸能界でも政治的発言とは遠いところに位置してると思われていた人々の発言も目立つようになってきたのが今年の3月で各界で自粛が声高になるとともに。

 

 

ヒロミ「森友問題ももみ消されて…。何か怖い国だなって」 坂上忍も同調「こんな国になってたのかって」 2020-03-25

 

 

 

浅野忠信や佐藤浩市、ネット民の餌食に“政治的発言”芸能人の「危機と回避」 3/26(木)

 

〜〜以下引用〜〜

 

これには5万件を超える「いいね!」がつき《よく言ってくれた》などの賛同コメントが多数寄せられた。その一方で《金持ちに言われると、イラつきます》《芸能人が無自覚にプロパガンダを垂れ流すのはよろしくない》といった批判コメントも。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

政治に興味が持てない人の多くは、政治が自分にどう関係してるのかがピンと来ないからだろうし、少々関心があっても自分が関わっても何も変えられないと思うのだろう、だから投票率も下がるのだ。

 

一方で、政治に積極的に関わり介入しようとする会社経営者は多い。

 

政治的な采配が自分や自分の事業と密接に関わることを理解してるからだ。

 

政治とは教科書的には崇高な理想に向かうものだと教えるが、実際には欲にまみれた対立する利害関係の調整機能なのだ。

 

政治的発言を多くの人がするようになったことや、そんなつもりもなく発言したことが政治的発言になってしまうのは、現在否応なく大勢の人(全ての人と言えるかも)が利害関係における害を被っていると感じているからだ。

 

ところで、害が発生した場合、政治的にはあるいは法律的には害を金銭的に評価することで対応する。

 

逆にいうと、そんな時だからこそ政治的采配が注目される。

 

 

新年度を迎えた4月になって、自粛に伴う経済的な補償として日本政府が打ち出したのは、

 

 

 

そして、このマスク2枚すら冒頭の北海道の事例のように実行には疑問符が付くだろう。

 

 

今や日本の政治は阿鼻叫喚のお笑いエンターテインメントになってしまった。

志村けんさんと西城秀樹さんに感じられる訃報で知る偉大さ!

志村けんさんの訃報のインパクトは、コロナに関連してることもあるし、芸歴の長さゆえの折に触れての思い出とセットで記憶されてるせいもあり、各界から思い出話とセットで悲しむ声が上がっている。

 

そのことはGoogleTrendsにも現れている。

 

GoogleTrends 「志村けん」

 

ブログを書くようになったことをキッカケにGoogleTrendsを時々チェックしていたが、500万+というのは初めて見た。

 

思い出とセットで検索されていることは関連するキーワードから伺える。

 

GoogleTrends 「志村けん」 関連するキーワード

 

 

これまで200万+は何度か見たことがあったが、200万+の上が500万+という表示になるのかもしれない。

 

訃報のインパクトを比較するというのは野暮で失礼かもと知りながらもこの数年の訃報としては西城秀樹さんの時も似てたなということを思い出す。

 

西城秀樹さんの訃報に際してもわたしはGoogleTrendsをチェックしていていたが、その時は200万+だった。

 

 

GoogleTrends「西城秀樹」2018年5月

 

 

3月31日の夕方の時点で志村けんさんと西城秀樹さんを比較してみると、

 

 

GoogleTrends 「志村けん」「西城秀樹」 過去5年間

 

 

4月1日に確認すると、

 

 

GoogleTrends 「志村けん」「西城秀樹」 4月1日

 

 

志村けんさんの検索は前日より伸びてるが下降に転じていることが分かる。

 

優劣を競うような話ではないが、改めて西城秀樹さんの訃報のインパクトを知ることができた。

 

 

 

 

2018年には関連するキーワードなどを含めて西城秀樹さんのことをブログに書いていた。

 

志村けんさんの場合は、『お世話になりありがとうございました』と語る芸能界の後輩や共演者が多いのに対し、西城秀樹さんの場合は、『あなたに憧れて芸能界に入ったんです』という声が後輩アイドルやミュージシャンに多かった。

 

そういうことを亡くなられた2018年の5月にブログにて書いた。

 

www.chigau-mikata.club

 

 

さらに、亡くなられて1ヶ月経ってもファンが喪に服してるような話題が見られていたのでそのこともブログに書いた。

 

 

www.chigau-mikata.club

 

 

久しぶりに自分のブログを読んで、この二人に死後の共通点があることに気付いた。

 

死後にアーカイブではなくテレビに出ることになるのだ。

 

 

西城秀樹さん、27日「ちびまる子ちゃん」登場

 

〜〜以下引用〜〜

 

西城秀樹さんが27日放送のフジテレビ系人気アニメ「ちびまる子ちゃん」(日曜・後6時)に“登場”することが17日、分かった。

 

原作者・さくらももこさんが西城さんのファンで、原作やアニメに度々登場、エンディング曲「走れ正直者」も担当するなど関係が深かった。27日放送のタイトルは「まる子、早めに衣替えをしたい」。主人公・まる子の姉が西城さんの熱狂的なファンという設定。まる子が駄菓子屋で「ヒデキの缶バッジ」を当てたり、姉が「ヒデキのドラマ」を見るために家路を急ぐシーンが出てくる。関係者によると放送は以前から決まっていたという。

 

さくらさんはこの日、ブログで「私達の世代にとって秀樹さんは本当にスターでした。心から御冥福を御祈りします」としのんだ。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

※さくらももこさんは3ヶ月後の2018年8月に53歳で他界。

 

 

 

志村けんさんも一部収録済みの朝ドラに出るらしいのだ。

 

 

 

 

もっと過去に遡ると、アクションスターの元祖であるブルース・リーの『死亡遊戯』を思い出す。

 

クライマックスのラストシーンを撮り終えたところで、ハリウッドからのオファーの『燃えよドラゴン』を優先したが、燃えよドラゴンの撮影直後急死し、死亡遊戯はクライマックスシーン以外はそっくりさんを使って完成させたという話。

 

死んで花実が咲くものかと言われるが、真に偉大な人は死後も花実を咲かせるようだ。

消えた客が伝えること!

3月27日にトヨタが1兆円の借り入れ枠の設定を要請と報じられた。

 

トヨタ、大手2行に1兆円の融資枠要請 3/27(金)

 

キャッシュで5兆円を保有し無借金経営を誇っていたトヨタですら、この時期にこんな話題が出るということはコロナの影響なのだ。

 

 

この記事の分析によると(詳しくは記事を読んでください)、トヨタの純粋な余力は2〜3兆円で、1ヶ月分の売り上げがまるまる吹き飛んだら現金余力はゼロになるらしいのだ。

 

日銭ビジネスがダメージの直撃を受けてることは誰の目にも明らかだったが、通常は日銭ビジネスとは呼ばれてないビジネスも、日々の積み重ねの上に成り立ってるという意味では結局日銭ビジネスだったということだ。

 

そうすると、日銭ビジネスから切り離されたように見えるのは、定額のサブスクリプションで展開されるようなビジネスで昔ながらの生命保険や損害保険もこれに該当するだろうが他にも電気やガスといったエネルギーや水道などの重要インフラの場合は、データが開示されるまで時間差が出るのでこれからだが、どういう影響が出てるのだろうか。

 

インターネットなどの通信は、テレワークなどもあり基本は使用量に関しては増加傾向なのだろうと思われるが、日銭ビジネスとは思われてないビジネスにもピンチは忍び寄っているのだ。

 

一足早く問題が顕在化したのは家賃ビジネス。

 

日銭ビジネスへのダメージは、そこで働く従業員だけでなく店舗そのものの家賃すらピンチに陥れている。

 

サブスクリプション型のビジネスには、新規の顧客獲得が困難という以上に解約や支払い不能という事態が迫り始めているのだ。

 

客が消えたことで、成り立っていたことの多くが連鎖的に成り立たなくなっているのだ。

 

大災害や戦争が大きなダメージを与えるのは視覚的なアピールを大きいので納得しやすいが、目に見えないウイルスがこれほどのダメージを与えるとは予想もしてなかった。

 

安定を求め強固に社会基盤が整備された現代社会を、コロナがここまで狂わせることができたのは、ほぼ全ての人に等しく恐怖を持たせることに成功したからだ。

 

小規模な日銭ビジネスが壊れると、強固な大企業のビジネスの屋台骨にもヒビが入るということは、社会の問題に見えることは全て個人の問題に端を発すると言っても良さそうに思えてくる。

 

コロナの問題は個人レベルでの対処を越えて社会問題と化したので、その対策を国に求める声が多いが、こんな時こそ個人レベルでの対応や対処が問われているのかもしれない。

 

志村けんさんが亡くなられたことはコロナの恐ろしさを象徴してるが、個人的にはコロナ以前に過度な飲酒と喫煙で免疫力を落としていたことこそが問題だったのだと思っているが、世間の多くは十把一絡げにコロナのせいにしている。

 

 

トラブルが起きたときわたしには二つのストレスが掛かる。

 

一つは、トラブルへの対処のストレス。

 

もう一つは、感情のストレス。

 

トラブルが起きたときは、この二種類を区別してない(できない)人は多いだろうなと感じられる。

 

この二つを区別できてないと、発生したトラブルをキッカケに次から次に悩み事が増えてくるように感じられる。

 

極端にいうと、生きることに少しも楽しさを見出せなくなるほどに。

 

これはトラブルが遊びや趣味のレベルであってもだ。

 

このようなことを何度か経験することで対処と感情の二種類のストレスに分類できることに気付くようになる。

 

そういう意味では、トラブルは取り返しの付く範囲で何度か経験することは人生には大事なことだと分かる。

 

しかし、トラブルの発生によるストレスを自力で解決するという体験が少ない、もしくは全く無いという人は、現在のコロナ関連で発生してるさまざまなトラブルに対して大きく混乱してるだろう。

 

 

クルマの運転に例えるならば、アクセルとブレーキとハンドル、この三つをコントロールすることで安全や安心を保つのだが、これだけでは100%は達成できない。

 

事故を起こさない、事故に巻き込まれないためには、事故に近づかないために第六感を研ぎ澄ます必要がある

 

対処のストレスと感情のストレスを上手に処理するためには、クルマの運転と共通した判断が求められる、それはテクニックとしての上手い下手ではない。

 

重要なことは楽観と悲観の使い分けだ。

 

 

『危機管理の基本は、悲観的に準備し、楽観的に対処すること。』

 

とは、

 

今は亡き初代内閣安全保障室長だった佐々淳行さんのことばだ。

 

 

 

 

コロナ前には、アクセルを踏んでばかりの人と、ブレーキばかりを踏んでいる人に極端に偏っていたように感じられる。

 

つまり、高速道路を走っている人と、渋滞路を走ってる人に分かれていたのだ。

 

コロナはアクセルばかりを踏んでいた人にブレーキをかけさせてしまったのだ。

 

その結果、全員がブレーキをかけてしまったのが今だ。

 

さて、多くのクルマが止まってしまったが、これが長期間に及んだ時にどうなるのだろうか?

 

再び走り始めるのか、それともクルマを捨てて次を考えるのか?

 

 

まだ誰にも分からない。

 

楽観を狙い撃ちするコロナ!

コロナが流行する前、所有という概念がだんだん価値を弱めていた。

 

いつの頃からかシェアという考え方が広まる兆しを見せるようになり、所有から共有へのシフトが感じられるようになっていた。

 

所有というのは、元々は現金の一括払いと引き換えで実現するものだった。

 

だから、欲しいものがあれば、その価格分のお金を貯めなければいけなかった。

 

コツコツ働きコツコツ貯めるという文化は、このように生まれたはずだ。

 

しかし、徐々に一括払いでなくても擬似的な所有ができる仕組みが普及するようになった。

 

コツコツ貯めていた行動を、コツコツ返済するという行動に変えることで、生活を大きく変えることなく、欲しいと思った瞬間に所有が叶う仕組みが出来上がった。

 

この仕組みには少しばかりの落とし穴がある。

 

コツコツ貯める総額よりも、コツコツ返済する総額の方が金利が課される分かなり増えることだが、一回あたりの返済額が負担感がないように設定される。

 

この負担感を感じないことが落とし穴で、大前提として明日も明後日も今日と同じか、もっと良くなるという自信を持っていなければいけないことだ。

 

落とし穴に落ちたことをどのタイミングで気付くか?

 

これは、個人差が実に幅広い。

 

 

しかし、コロナが登場し長期化の様相を呈し始めると、落とし穴に落ちていたことに気付く人が一気に増え出したのだ。

 

最初に聞こえた声が『家賃が払えない』だったような気がする。

 

賃貸物件に住むことが落とし穴だなんて思わないが、家賃の設定に関しては落とし穴があったかもしれない。

 

 

今は世間や社会が普通の状態ではなくなっているが、普通ではないからという理由で免罪符は得られていない、これが落とし穴の怖さだ。

 

〜〜以下引用〜〜

 

シンガー・ソングライターの山下達郎(67)が29日、レギュラー番組のTOKYO FM「山下達郎のサンデー・ソングブック」(日曜午後2時)で、新型コロナウイルスの感染拡大防止について聴取者に「頑張ろう」と呼び掛けた。

冒頭、「全世界的に大変なことになってまいりました。もうこれは完全にですね、戦争状態だと思います」と危機感を吐露。スーパーマーケットの行列の映像を見て「75年前の敗戦後の買い出し列車を思い出します」と話した。

https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020032902100053.html

 

 

人間や生命体に限らず、地球上の活動は全て循環の上に成り立っている。

 

そういう循環が成り立つことを英語ではsustainability(持続可能性)と呼ぶが、コロナの長期化の兆しは、コツコツ返済するという循環を断ち切るような動きを見せ始めた。

 

21世期に入り雇用の不安定が当たり前のリスクになりだすと、住宅ローンといえども長期間の返済で組んではいけないと言われるようになっていた。

 

それは、長期にわたりコツコツ返済するというのは楽観的な見通しの上にしか成立しないからだ。

 

 

このくらいは行けるだろう!

 

このくらいは大丈夫なはずだ!

 

みんなやってることだから!

 

 

コロナが壊してるのは、楽観的過ぎたであろうことで、家計に直結するような経済的なことが目立っているが、命に関することも象徴的な出来事が出てきた。

 

 

 

 

 

コロナの陽性反応が出てあっという間に亡くなられた志村けんさんだが、おそらくその治療はあらゆる意味で今の日本で受けられる最高のものが施されていたはず。

 

特に持病はないと言われる志村けんさんだが、喫煙と飲酒のリスクを指摘する声は多かった、数年前に肺炎を患って以来禁煙してるという話もあれば、最近まで喫っていたという噂も聞こえる。

 

ここにも大いなる楽観であり油断が見える。

 

 

楽観的であることが悪いのは、それだけだと油断になるから。

 

楽観的であることを有効に機能させるためには、悲観的な発想も常にセットで持ち合わせることだ。

 

 

楽観的なだけだった人には、辛い時期が続くだろう。

 

 

コロナが気付かせてくれる健康は資産であり財産だという事実!

コロナウイルスの検査数を増やすと医療崩壊につながるのはなぜか?

 

イタリアやスペインでの例にも共通するが、医療態勢が日常業務のキャパシティに合わせて組まれてるからで、余剰はせいぜい救急医療に対応できる程度だから。

 

そこに、コロナのように一気に対応を望む人が増えると現場がパンクする、それが医療崩壊につながるのだ。

 

 

では、そんな態勢が組まれているのはなぜかというと、合理化、効率化、グローバル化などの価値観が浸透した結果だ。

 

物づくりの世界では、部品の在庫を持たないようにしたオンデマンドのシステムが浸透してるが、今回のコロナ騒動はそんなシステムも壊している。

 

つまり、合理化や効率化は安全や安心のマージンを削っていただけなのだ。

 

こうなることを予想するかのような発言が昨年の4月に参議院でされていた。

 

 

 

〜〜一部引用〜〜

 

感染研の予算そのものが削減されてます

10年前の水準から比較すると3分の1減ってるわけです

麻疹、風疹、梅毒などの再流行が国内で見られます

国境を越えた人とものの移動はますます拡大していて

新たな感染症が持ち込まれる、こういう危険性に対する

対策も不断に求められるわけです

この体制が弱体化すれば国民の生命や健康への重大な脅威になる

その危機感を私は強めざるを得ません

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

今起きている事は、十分予想の範囲内のことで、分かる人には分かっていたことであるとともに、10年単位の時間をかけて行われたことの結果なので、問題が顕在化してから対応対策しようとしても無理なのだ。

 

羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くということわざがある。

 

今回の反動が裏目に出ることも次の段階では心配しなければいけないかもしれない。

 

 

 

医療システムや健康保険のシステムが充実してるせいで、健康であることのありがたさを過小評価してたとするならば、それは個人のせいでもある。

 

おそらくピンからキリまで意見も考えも分かれるのだろうが、生き方も考え方も健康でなければ生き辛い時代に急速にシフトするはずだ。

 

病気になったら病院に行けば良いだけだから、好きなことだけやるのが一番だというような生き方が通用しなくなるはずで、その種の人を相手にしていた商売やビジネスもジリ貧になるはず。

 

 

コロナが収束したら、元に戻るだろうと思っていると大間違いかもしれない。

コロナが破壊する現代のバベルの塔!

国境などモノともせずに拡散しているコロナウイルスの背後に人為的な一極集中が垣間見える。

 

一極集中は、コロナ流行の前は合理性に裏付けられた強みとして語られていたが、今や弱点として、諸悪の根源として捉えられるようにすらなっている。

 

 

Wikipediaによると限界集落ということばが誕生したのは1991年だとされている。

 

単純に人口が減少する過疎と区別して、地域のインフラなどを含めて共同体として成立しないということを意味する。

 

限界集落では、自給自足や地産地消という概念も限界に達してるのは、グローバル化の巡り巡った影響の結果だ。

 

 

こういうことばの誕生とセットで一極集中も顕在化していった。

 

東京への一極集中が、東京のキャパシティに近づき始めると、隣接する県も含めて首都圏として一極集中の受け皿になることは、合理的で賢いことだと言われ続けてきたのが21世紀の日本であり、グローバル化した世界の共通認識として定着したかに見えていた。

 

個人的には違和感を感じていたが、コストという観点で世の中を捉えると、しょうがないのかなとも思っていた。

 

コストという観点で物事を捉えると、合理性や効率が重視され、集中に行き着く。

 

集中とトレードオフの関係が分散で、何も問題が起きなければ分散は無駄なことだと判断されることがあるが、ひとたび問題が起きると集中してるところでは全滅も起こりうるのだ。

 

しかし、理屈でそう分かっていても、最近の世の中は集中とグローバル化に強烈にシフトしていった結果が現在。

 

そこにコロナが登場したのだ。

 

コロナの出現は、一極集中に大きな混乱と不安を与えている。

 

人間同士の接触の集中が恐れられ、物資の集中が不安の原因になっている。

 

人間の集中にとって最大の弱点は、不安や恐怖という感情。

 

不安や恐怖は、もっともっとを加速させる。

 

合理性や効率をもっともっとと求めていくようになる。

 

積極的に攻めてるつもりの行動は、往々にして不安の裏返しだったり強迫観念に急かされてだったりする。

 

次の記事はホテル業界の話だが、具体的なデータも示されていて興味深い。

 

コロナショックで大苦境の「ホテル業界」いよいよ明暗が分かれ始めた そもそも供給過剰だったところに…

 

〜〜以下引用〜〜

 

近年言われた“ホテル不足”とは、訪日外国人旅行者数の激増と、それを受けたホテル開業までの時差がもたらした「一時的なミスマッチ」の側面があったと筆者は分析している。

 

 

増加数でいえば、一般のホテルに加えて「簡易宿所」(カプセルホテルやホステル、一部民泊)はさらに顕著で約7000軒も増加したとされる(観光庁統計)。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

集中の加速は、アンテナやセンサーの感度を下げてしまうのだろうか、GOサインの裏では次のようなことが起きていたらしい。

 

〜〜以下引用〜〜

 

日々ホテルへ取材に出向く中で、現場のホテルスタッフから初めてホテル余剰の懸念を聞いたのが2018年の終わり頃と記憶している。世間的にはまだまだホテル活況が叫ばれていた頃で、強気の料金設定も多く見られた。一転、懸念が的中するかのように2019年に入ると状況が変わった。人気観光都市や大都市部のホテルで稼働率や料金の下落傾向が見られるようになったのである。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

気の利いた会社では業務がテレワークになってるが、テレワークは有能な社員と無能な社員をクッキリあぶり出すかもしれない。

 

従来の評価とは全く違うことが起こるかもしれない。

 

有能だと思われていた人が実は無能だと発覚したり、その逆も。

 

結果として新たなリストラが始まるのも過剰な集中を解消することを意味するのかもしれない。

 

当然、陽が当たってなかった分野に陽が当たることも同時に起き始める。

 

いずれにせよ、新しいキーワードとして分散に注目する必要があるはずだ。

 

 

バベルの塔の話を思い出す。

 

諸説ある中の話として、

 

文明を発達させた人類は、一つの言語を共通語として使うようになり、一か所に集まりみんなで住むための巨大な天に届く塔を作り始めた。

 

そんな人類は神の逆鱗に触れ、塔を破壊され、分散させられ、それぞれに異なる言語を与えられ、神の領域に立ち入れないようにされた。

 

 

という説があるが、

 

現代のバベルの塔を破壊するために神が送り込んだのがコロナだと思えてしょうがない。

 

もし、人類が神の逆鱗に触れているとするならば、バベルの塔が破壊され、分散が完了するまで神の怒りは解けないかもしれない。

 

 

コロナは救世主!?

いかにも日本人らしい反応だなという反応があったようだ。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

《いや、大変なの俳優だけじゃないからね?》

 

《気持ちはわかるけど、俳優さんって保証はないのは覚悟の上なんじゃないかな》

 

《文句言ってないで西田さんがお金の支援したらいいじゃない。たくさん稼いでるでしょ?》

 

結果として、辛辣(しんらつ)な意見がSNSで飛び交うことになってしまった。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

改めてTwitterで検索すると、本当に西田敏行さんを非難する書き込みが多いのだ、もちろん目立つのはノイジーマイノリティで少数派だと思うが、共通してるのは自己責任の押し付けだ。

 

過去に自己責任が問われた場合の矛先は、危険を承知で紛争地や戦場に赴いた人を救出することに向けられたり、危険を承知で何かあったら自己責任を問われることを承知で冒険旅行に出て救出を求めたりした人に向けられていた。

 

 

 

 

コロナ騒動は、初期の頃から武漢からの帰国者の帰国費用の自己負担を巡って自己責任がテーマにされることがあった。

 

 

 

西田敏行さんの件に戻すと、日本では弱者が組織を作って上手に行動することが苦手だという指摘があり、弱者ほど自己責任論を振り回しがちになるのは自分が常に自己責任論を押し付けられる立場ゆえの被害妄想からだと想像できる。

 

西田敏行さんを非難する人たちは、自分たちには西田敏行さんのような味方がいないことに対しての妬みが感じられる。

 

向ける矛先を社会的弱者ほど間違っている可能性が高いのだ。

 

今の日本には社会的弱者は大勢いるのに、それぞれがバラバラで連帯しない(できない)ので、社会的強者にとっては利用しやすい存在なのだ。

 

 

 

 

日本では、強者にとって弱者は利用しやすいというよりも、無視しても構わない存在に見えてしまうのだ。

 

高度成長期のように、号令に従って一斉に同じ行動を取るような場合には思わぬ力を発揮することができたが、自主性や自己判断が求められるようになると弱者はバラバラになり連帯できなくなり、安っぽい共感で感動するようになる。

 

コロナのせいで起きている経済低迷は、現在弱者を直撃中だが、それに対する経済政策や対策はのらりくらりなのは現在困っているのが弱者だからだろう。

 

ただ時間の問題で強者にも問題は及ぶので、そうなったら政策や対策が動き出すはずだ。

 

ビル・ゲイツが言ったように、コロナは平等を思い出させてくれるのに役立っているような気がしてくる。

 

 

日本で生活してると直接目に入るのは日本人の動きだが、おそらく似たような動きは世界中で文化度にあまり関係なく起きているから、ビル・ゲイツのようにグローバルな視点を持つ方のことばが出るのかもしれない。

 

人間の価値観や人生観は、戦争や大災害で変わると言われる。

 

しかし、戦争や大災害ですら全ての人の身に等しく降りかかるわけではない。

 

東日本大震災だって既に風化してるとすれば、身をもって体験したのは東日本の一部の方だけで日本人のせいぜい半数だからかもしれない。

 

それに対して、空騒ぎと揶揄されても、コロナには全ての人が振り回されていて、全ての人が被害を実感してるとすれば、全ての人の価値観や人生観に影響を与えてる可能性が高いと思える。

 

 

コロナのおかげで気付くのは、死者数の多さが影響力の全てではないということ。

 

コロナを恐れる気持ちは悪霊を恐れる気持ちと似ている。

 

オバケや幽霊は子供が信じるもので大人になると卒業するものだが、コロナを悪霊に例えた場合、大人ほど恐れている。

 

今生きてる人の価値観や人生観が変わって当然だ。

 

 

未来の教科書では、紀元前と紀元後のように、コロナ前、コロナ後で時代を区分して歴史を教えるようになるのかもしれない。

 

 

コロナ≒キリスト!?

 

 

歴史的観点からするとコロナは救世主かもしれない!