違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

そんなの関係ねえ!

東京都知事戦が盛り上がってる気配が感じられない。

 

この本が出たことで現職の小池都知事に逆風が吹いて選挙が盛り上がるかと思っていたがそうはなってなさそうだ。

 

 

 

GoogleTrendsで期間を過去90日で都知事選を見ると、

 

GoogleTrends 「都知事選」 過去90日

 

このグラフの動きだけでは盛り上がってるのかそうではないのかが不明なので、これに小池百合子、山本太郎、宇都宮健児の3名を加えて比較すると、

 

GoogleTrends 「都知事選」「小池百合子」「山本太郎」「宇都宮健児」 過去90日

 

やっぱり盛り上がってない気がする。

 

そして、選挙戦と関係なくコロナで現職の露出が多かったことが感じられる。

 

小池百合子さんに関しては、ネット上の反応は好意的なものでないものも多いが、露出力の差があまりにも大きいので、露出の差は知名度の違いとなって現れても不思議はない。

 

都知事選の盛り上がらなさは、多くの都民が誰がなっても同じことだと思ってるからなのかもしれない。

 

誰を選んでも同じならば、ブランドモノを選ぶのかもしれない。

 

選挙戦に限っていえば、有権者にとって誰を選ぶかはコストは同じだ。

 

選んだ後は大違いかもしれないが、『そんなの関係ねえ!』という心境なのだろう。

 

こういう価値観は、一事が万事となりやすい。

 

 

多くの日本人がウンチクは語るが、商品やサービスを選ぶ際も『でも、そんなの関係ねえ!』とばかりに行動してるかのようだ。

 

 

 

こういうところは、コロナのせいでこれから変化するのだろうか?

 

一人でできる趣味のススメ!

よほどのブラックな環境で長時間拘束されてるような人を除けば、忙しい忙しいと言ってる人ほど持て余してるのが時間だ。

 

忙しいと言う人ほど暇なもの。

 

もう少し正確に言うと、趣味を持ってないので暇つぶしができないのに、焦燥感に苛まれるので、常に何かに追われてるように感じるので忙しいと感じるのだ。

 

こういう症状を抱えた人の行動は周りの人から見えないコソコソとした行動を取りがちになる。

 

いい歳をした大人の場合は、不倫、風俗、薬物(酒タバコを含む)に走りがちになる。

 

コロナで叩かれてる夜の街とは、趣味を持てない人の憩いの場なのだ。

 

逆説的に夜の街が趣味という呼び方が成立してるとも言えるが。

 

 

さらに言うと、多目的トイレ不倫の渡部建さんのように、美食タレントとして売っていて、多くの飲食店を巡ることが趣味と実益を兼ねていて大忙しのはずの人でも、それが本当の趣味でなければ心の虚しさは埋まらないのだ。

 

特殊なケースに思われてる渡部建さんだが、動機のレベルは趣味を持たない人に大なり小なり共通していて、心に吹く隙間風への対処なのだ。

 

欲求不満やストレスは心に吹く隙間風になり、対処するには刺激が必要になるのだが、特に重要になるのが自分一人で完結できるものだ。

 

人を巻き込まず、人と関わらずに、自分の気持ちだけで成立するものは、趣味としてしか存在できないはずだ。

 

仕事にすると、嫌でも人との利害関係が生じる。

 

趣味と呼ばれるものにも様々あるが、一人で楽しめ一人で完結できるものを持ってると、ストレス耐性も高まるはずだし、何より他人から後ろ指を指されない。

 

一人で完結するといっても、人との接点や接触は生じることはあるのでTPOに応じたマナー意識は必要だ。

 

 

心の安定を求めるならば、目標や目的を設定できてかつ一人での時間を楽しめるものを趣味として持つことだ。

 

 

他人との優劣に一喜一憂する必要もないし、もし競う相手がいるとするならば過去の自分だ。

 

何歳になっても現在や未来に意識が向かうのだ。

 

 

こういう趣味があるとないとでは人生は大違いだ。

 

 

『推し』というキーワード!

これまであまり考えたことがないことに気付かせてくれる文章があった。

 

 

指原莉乃もハマる「虹プロ」 オーディション番組の魅力とは 6/26(金)

なぜこうしたオーディション番組が熱狂的な支持を得ているのか。

 

アイドル研究家の北川昌弘氏はその理由を「アイドルに抱く感情が、憧れから応援へと変化した」と解説する。

 

 

 

わたしの場合、憧れという気持ちは身近にあったような気もするが、憧れとしてよりも、それが少しズレて羨望になっていたような気がする。

 

憧れの目線で見るということは、異性なら恋愛対象として見ることに近く、同性ならばなりたい自分像として捉えているのだろうと思え、芸能界の人気者に限らず、スポーツ界その他の有名人がその対象になりやすいが、憧れというのは“はしか”のようなものでいつかは醒めるものだとも言われてる。

 

 

憧れの対象は、人物だったり生き方だったりすることが多い。

 

 

憧れとは、辞書的には『〇〇が現実になれば良いのに』と思うことで、〇〇の部分には人それぞれにさまざまなことばや文章が当てはまる。

 

だから言語明瞭意味不明になりがちで、人によっては実現可能な目標として憧れを語るが、それを聞いてる側は実現する気のない世間話として受け取っていたりするし、逆のパターンもあるだろう。

 

 

憧れとは、手が届くものにも手が届かないものにも当てはまるのだ。

 

 

上記の記事では、そんな憧れのニュアンスに応援の意味合いが出てきてると教えてくれる。

 

 

昔のアイドルは、ある日突然普通の人がデビューしアイドルとして売り出された瞬間から一気に高みに立つイメージがあり、デビュー前の下積みがあったとしてもそこは全く見えなかった。

 

しかし時が流れアイドルがジャンルとして確立するとトップアイドルから底辺アイドルや地下アイドルなど、同じアイドルという括りでも多様なグラデーションを描くようになった。

 

そう言えばと思い出したのが『推(お)し』ということばだ。

 

 

誰もがアイドルとして認めるアイドルではなく、まだアイドルになりきれないアイドル予備軍的な存在を熱心に応援することが『推し』と呼ばれるようになったのが90年台後半以降のグループアイドルが乱立し始めた頃からだ。

 

推しには、無名のアイドルを熱心に育ててるわたしという自己満足のニュアンスも大きく含まれる。

 

 

そして、その結果有名アイドルになると自分から巣立って行ったと推しをやめるという話もよく聞く。

 

推しは応援そのものだと言えそうだ。

 

時代の変化とともに、憧れの思いは応援の意味合いが強くなり、応援することは推しにシフトしているようだ。

 

そういう変化を感じさせるようなタイトルが付けられた記事が出ていた。

 

海老蔵、YouTubeで「長女推し」 背景に梨園の改革へ思いも

「配信動画のラインアップの中では、顔は見せなくても麗禾ちゃんが中心で取り上げられているものが意外に多い。そこには、“姉弟格差”を埋めてあげたいという海老蔵さんの思いがうかがえます」

 

 

推しという使い方が生まれて随分経つのだが、そのニュアンスは少しずつ変化してそうだ。

 

新時代の推しには、優しさや思いやりも込められてるような気がする。

やっぱりコロナ、2020年の上半期を賑わした急上昇ワード!

2020年も間もなく半分が終了するのだが、ここまでのところコロナ一色と感じられるが、年が明けた1月には全く予想できないことが起きた1年として歴史に残ることだろう。

 

GoogleTrendsの急上昇ワードは、直近30日分しか遡れないが、その範囲で検索が100万以上のものを新しい順に並べてみたが、ちなみに100万以上の反応は十分に世間で話題になったと言えるレベルだ。

 

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コロナに関連したものが多いながらも、エンタメや日常的な関心が増え始めてるように感じられるとともに、芸能人や有名人など記憶に残りやすい人の話題の強さが感じられる。

 

ブルーインパルスが飛んだのは一か月近くも前だったと分かると、時間の感覚に不思議な気もする。

 

今日の目的は、検索数で2020年の上半期をランキングすることなので、ランキングの中心はコロナへの恐怖がピークだった時期になるだろうことは予想できる。

 

象徴的な訃報が二つあった。

 

志村けんさんと岡江久美子さんだ。

 

上記の急上昇ワードで渡部建さんは500万+をマークしてるが、これは滅多なことで出るレベルではないのだ。

 

画像を撮ってなかったが志村けんさんも500万+と表示されてたことは覚えている。

 

そこで志村けんさんと岡江久美子さんを加えて2020年1月1日以降で比較すると、

 

GoogleTrends 「渡部建」「志村けん」「岡江久美子」 2020年1月1日以降

 

お二人の訃報のインパクトの強さが分かる。

 

では、これにコロナを加えて比較すると、

 

GoogleTrends 「渡部建」「志村けん」「岡江久美子」「コロナ」 2020年1月1日以降

 

コロナが如何に大きな影響を与えていたかが分かるとともに、お二人の訃報がコロナの恐怖を底上げしたことも想像できる。

 

連日これだけの関心を集めていたのだからコロナに関しては情報疲れも起きて当然だ。

 

コロナがもし発生してなければ、今頃大きな話題だったはずなのは、きっと2020東京オリンピック。

 

上記にオリンピックも加えて比較すると、

 

GoogleTrends 「渡部建」「志村けん」「岡江久美子」「コロナ」「オリンピック」2020年1月1日以降

 

 

3月24日にオリンピック延期が決定した時に小さな反応があっただけで、年明けから話題になっていなかったことが分かる。

 

コロナの及ぼした影響は実害でもあるので、補償としての給付金も大きな関心を集めてるかもしれない。

 

同時に5つのワードしか比較できないので、オリンピックを外して代わりに給付金を加えて比較すると、

 

GoogleTrends 「渡部建」「志村けん」「岡江久美子」「コロナ」「給付金」2020年1月1日以降

 

 

多勢の人が検索したであろう給付金でもこのレベルなのだ、と言っても渡部建さんの瞬間値に匹敵するレベルを安定的にマークしているのだ。

 

ショボい反応に見えるが、これはこれでかなりの反応なのだが、反応した方の属性が経営者や社内の担当者に限られたからなのかもしれない。

 

 

ちなみに、2019年に最も検索されたワードは、

 

GoogleTrends  2019年 急上昇ワード

 

 

2019年の10月上旬の台風19号を加え、期間を2019年1月1日以降にして比較すると、

 

GoogleTrends 「渡部建」「志村けん」「岡江久美子」「コロナ」「台風19号」 2019年1月1日以降

 

 

やっぱりそれなりに凄かったことは志村けんさんの反応の1.5倍もあることから分かるが、2018年と2017年も調べると、

 

GoogleTrends 急上昇ワード 2018年

 

GoogleTrends  急上昇ワード 2017年

 

 

期間を過去5年間にして『ワールドカップ』と『小林麻央(さん)』だけを比較すると、

 

GoogleTrends 「小林麻央」「ワールドカップ」 過去5年間

 

 

ピークの反応は2018年のワールドカップの方が大きかったことが分かる。

 

2018年の大きなピークはサッカーのワールドカップで2019年の小ぶりなピークはラグビーのワールドカップ。

 

期間を2018年1月1日以降で上記にワールドカップを加えて比較すると、

 

GoogleTrends 「渡部建」「志村けん」「岡江久美子」「コロナ」「ワールドカップ」 2018年1月1日以降

 

 

今年のコロナが尋常ではないことが分かるし、台風19号とラグビーのワールドカップが時期が同じだったことも分かる。

 

 

2020年の下半期のコロナの反応はどうなるのだろうか?


 

管理されたい?

日本人は『管理されたがっている』という話題が、たまたま目に付いた。

 

 

 

 

 

『管理されたい』というのとは違うんじゃないかなと感じたが、同じように感じてる人はいて、わたしも『そうだね』と思える意見としては次のようなものがあった。

 

 

 

 

なぜこのように思うのかというと、日本で生まれて日本で育つと『郷に入っては郷に従え』という暗黙のルールがあり、これが同調圧力や忖度のベースにあるからだと感じられる。

 

 

 

表面的には『管理されたがってる』ように見える行動の裏には、処世術としての損得勘定が働いているのは間違いない。

 

 

単一民族で島国の日本では長らく郷を同じくする者だけの国だったが、グローバル化や各種の格差の拡大で、日本人どうしだからといっても、もはや郷を同じくしてるとは言い難い状態になりつつある。

 

 

そういう意味では、『管理されたがっている』ように見える人々は良くも悪くも伝統的な日本人なのだろうが、その拠り所にしている伝統的なものは現代では非常に不安定になっている。

 

 

暗黙のルールに従うからといってそのルールを支持してるわけではない人はたくさんいる。

 

 

 

 

 

暗黙のルールが保っている秩序はいつ壊れてもおかしくないと覚悟したほうが良いのかもしれない、その破壊は来るぞ来るぞと言われてる首都圏大地震や南海トラフ大地震に似ている。

 

 

 

破壊に向けてのエネルギーは確実に日々蓄積され続けている。

 

『使い勝手』というキーワード!

コロナがキッカケで変化するものがたくさんありそうだが、そのような変化の中にはたまたまタイミングが重なっただけで、本当はコロナとは関係ないものもあるはず。

 

こんな記事があった。

 

Appleが殺そうとしているもの2020年版リスト

 

個別に取り上げられてる事例には触れないので、興味がある方は是非記事を読んで頂きたい。

 

この記事で取り上げられてる個別具体的な事例を抽象化すると大きく二つのことが言えそうだ。

 

  1. これまで効率的だとされた分業や委託という形で社外に任されていたことの、内製化へのシフト
  2. 独創的なオリジナリティが重要だとされてきたが、是々非々で良いものは良いと他社のアイデアをパクることを厭わない

 

ざっくりと言うと、このような変化が意図されていると感じられた。

 

これは、コストを意識した効率化の追求では、今後のテクノロジーの進化は使い勝手まで考慮に入れるともはや内製化しかないとアップルが判断したと、わたしには感じられた。

 

これに関しては、製造面で脱中国の意図も絡んでいるのではと勘ぐっている。

 

 

他社のアイデアをパクるというのは、もはや純粋なオリジナリティは実際にはもうすでに行き詰まっていて、既に存在するものを洗練させることにエネルギーを注ぐべきだという判断だとも思えるが、これはユーザー体験としての使い勝手を意識してるからだろう。

 

これに関しては、かつて松下電器(現パナソニック)がマネシタ電器と呼ばれていたことを思い出す。

 

他社が開発した商品が市場で評価を受け始めたら、より洗練された同種の商品を開発するという後出しジャンケンスタイル。

 

この仕組みを実行した松下幸之助は経営の神様と呼ばれていたが、一周回って再度時代の追い風が吹き始めたのかもしれない。

 

しかし、だからと言ってパナソニックに追い風が吹くわけではないのは、そもそもベースになるオリジナリティがまるでないのだからだ。

 

昨日、日本のスパコン『富岳』が性能世界一と評された。

 

スーパーコンピュータ「富岳」TOP500、HPCG、HPL-AI、Graph500において世界第1位を獲得  理化学研究所 6月23日

 

 

富岳は性能1位を目指したのではなく使い勝手の良さを目指していたら性能も上がっていたらしいのだ。

 

スパコンの使い勝手が具体的に何なのかはわたし如きには不明だが、ここでも使い勝手はキーワードになってることが分かる。

 

スパコン「富岳」、速さより使い勝手 富士通が出荷開始   日本経済新聞 2019/12/2

 

 

ちなみにコロナ関連でテレビで流れていた咳の飛沫が拡散する様子の映像は富岳が作ったものらしい。

 

 

 

 

使い勝手が良い、というのは言語明瞭だが意味不明でもある。

 

使ったら、便利で役に立つというのは最低条件だ。

 

一般人にとって使い勝手が良いとは、最低条件を満たした上で、楽しいや気持ちいいが得られることだと思える。

 

 

得られる結果だけでなく、その途中のプロセスも含めて評価の対象になるからこその使い勝手だ。

 

 

結果だけを追い求め続けてきた現代人だが、コロナの発生と相前後して結果以外の大切さに気付き始めたのかもしれない。

『公助・共助』を当てにできない『自助』の時代!

二つの記事が目に付いた。

 

全く違う内容の記事なのに共通するテーマが感じられた。

 

産休中に雇い止め、保険も無断で脱退 女性が会社を提訴 福岡地裁 西日本新聞

 

〜〜以下引用〜〜

 

訴状によると、女性は2018年1月から正社員として経理業務などを担当。19年3月から会社の承諾を得た上で産前休暇に入った。しかし同月以降の給与が振り込まれず、同年5月には「業務委託契約終了のお知らせ」と題する書面が送られてきた。

 

女性が健康保険と雇用保険に加入できたのは入社1年後だったが、健康保険は産前休暇を取得した翌日に脱退手続きが取られていた。女性は、出産手当など計約165万円を受給できなかったと主張している。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

一見、入った会社が悪かったというだけで終わりそうな記事で、ローカルの小さな記事として見過ごされそうだが、続けて次の記事も目に入ると、根は共通していて残念ながら時代は望ましくない方向に向かおうとしてるように感じられる。

 

 

「まず自助か?」記者の2度の問いかけに答えずに、動揺した小池百合子都知事

 

 〜〜以下引用〜〜

 

「朝ごはんは食べなかったんですか」との問いに、「ご飯は食べておりません(パンは食べたけれど、それは黙っておきます)」と答える「ご飯論法」の場合、「パン」にあたるのは、答えたくない不都合な事実だ。単に論点をそらした不誠実な答弁がおこなわれているというだけでなく、そこで何が隠されたのか、なぜ隠されたのかが注目されるべきだ。

 

 〜〜引用ここまで〜〜

 

 

記事を読むと、『自助』と『公助・共助』が対立し始めてることが感じられる。

 

本来は互いに不備を補う関係で組み合わせで機能するはずのものなのに、『公助・共助』を必要とすることは『自助』が不足してると扱われようになってるようだ。

 

『自助≒自己責任』と捉えると、嗚呼またかと感じる人も多いことだろう。

 

 

この時の小池さんの返答は突っ込みどころが満載のようで、別の小池さんは次のように反応しているが、これは反論だ。

 

 

 

 

もちろん同調意見もある。

 

 

 

 

Twitterで『自助 公助 共助』と検索すると、どれも正論のさまざまなポジショントークが展開されてる。

 

日本では、生保や損保を含めて各種の相互補助システムを悪用する詐欺や不正受給は伝統的ですらあるし、予算で運用されるものはシミュレーションされた予定に沿って展開されるので、シミュレーションを超えて発生するとブレーキがかかるのは当然で、2020年に限っていうならば、すでにここまでのコロナ対策で今後は各種の公助にブレーキがかかることは予想するべきだろう。

 

これから梅雨末期の集中豪雨や夏場の台風に加えて不意打ちを食らわせる地震などにも備えなければならないし、秋以降は再度コロナへの警戒も必要になる。

 

今現在困ってる人に自助を押し付けるのは過酷だが、今現在やり繰りができてる人は、人生設計を自助を中心にリスクヘッジする方が賢明だろうなと思える。

 

もし、賢明な人が多いならば今年の景気は諦めた方が良いだろうし、今後景気が急回復するようだと、リスクヘッジはされてないということを心配しなければいけなくなるだろう。