違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

消滅するもの

順調に行ってる時のうまく行ってる事に関して起きる急落や急減は嫌なものだ。

 

そういう時には、ネガティブな要素の急上昇や急増が起きているかもしれない。

 

 

ChatGPTに聞いた四大文明消滅の理由と、現代文明が消滅するとしたら何が理由かは、全く同じだった。

 

ただし、現代文明消滅の可能性は低いし未来は予測不能とも答えた。

 

〜〜ChatGPTの答え〜〜

1.        天然災害の激化: 現代の気候変動が激化し、より頻繁かつ過激な自然災害が発生する場合、農業、インフラ、経済に大きな影響を与え、文明の安定性が揺らぐ可能性があります。

2.        環境汚染と資源枯渇: 地球規模の環境汚染が進行し、重要な資源が枯渇する場合、経済的な活動や社会構造に深刻な影響を及ぼす可能性があります。

3.        テクノロジーの悪用: 技術の進歩が急速に進む中で、先進的な技術が誤用されることで社会的な問題や戦争が拡大し、文明の安定性が崩れる可能性があります。

4.        核戦争: 国際的な緊張や紛争がエスカレートし、核戦争が引き起こされる可能性があれば、人類に壊滅的な影響を与える可能性があります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

この回答が正解かどうかはさて置き、個人レベルの人生に関しても当てはまりそうだ。

 

やっぱり環境が大きく変わるのは脅威なのだ。

 

人間関係やライバル関係は影響が大きいし、ライバルや敵は見える範囲にいるとは限らない。

 

環境汚染や資源枯渇は、ニーズや需要は長続きしないや、ニーズや需要の顕在化はライバルの急増を招きお客不足や原材料不足やさまざまなコスト増を招くという話に通じそう。

 

テクノロジーの悪用に関しては、現代の犯罪の多くにITやスマホが欠かせないことから容易に想像がつくが、今のところ問題はありつつも利便性の方が遥かに上回っている。

 

 

核戦争はイノベーションに例えられそう。

 

パソコンの普及とセットでプリンターが職場や家庭に普及したことで20世紀末に多くの印刷屋さんが廃業したのを見たことを思い出す。

 

『便利』に革命を起こすイノベーションは、それまであった市場を根こそぎ消滅させる力を持ち得る。

 

 

人間がやってることやその結果起きてることは『歴史は繰り返す』的なことばかりだが、どのくらいの時間を掛けて繰り返しているかは大違いかもしれない。

 

これこそまさに日進月歩的だろう。

 

 

消滅へ向かうものの途上には〇〇離れがある。

 

今年は野球離れが言われる野球界にはポジティブな話題が多かったが、野球をプレーする人の減少には歯止めが掛かってないらしい。

 

大谷翔平さんが全国の小学校2万校に一校あたり3個のグローブを寄贈するという話が出た時に、一部の界隈から貰った小学校もいい迷惑だよなという意見も出ていた。

 

つまり、俯瞰して眺めると野球というスポーツは観るもので、するものではないという固定観念が今や大きいのだ。

 

遊び場所が少ない現代の子供にとって公園はキャッチボールですら迷惑扱いされる環境になっている。

 

昔の子供が野球をしたのは広い空き地がいっぱいあったからだ。

 

野球はしたくてもできないスポーツになってるとは気付かない人はまだまだたくさんいそうだが、消滅するであろうものは環境と敵対を余儀なくされるのかもしれない。

 

消滅に向かう理由は意外とシンプルで分かってしまうと必然なのだ。

 

みんな自分だけのストーリーを作り行動する

日本でビジネスリュック(バックパック)が浸透した背景には、利便性以上に痴漢冤罪を防ぐためという理由が大きい。

 

10年くらいの時間を掛けて、ビジネスファッションを損なわないリュックやバックパックが増えたし、カジュアル過ぎてマナーとして相応しくないという考え方も薄らいだ。

 

また、背中側にバックの膨らみがあることは混み合ってる中では迷惑なので、逆に背負って身体の前にバッグ本体を置くという独自な文化も生み出した。

 

すべての原点は両手をフリーにするためで、特に満員電車やバスの中で両手で吊り革を持つことで痴漢無罪を主張するためだった。

 

つまり、男性側の事情が大きい。

 

 

そして両手がフリーにできることに加えて左右の肩の荷重が均等になることはやってみるとこの上なく便利だったという一石二鳥でもあった。

 

若い人だと痴漢冤罪防止という切実な事情をイメージできない人もいるかもしれない、ただ便利だから、合理的だからとしか思ってないかもしれない。

 

また、自転車で通勤や通学をする人ならば手提げバッグやトートバッグだと不都合なだけと最初から選択肢は一択という人もいるだろう。

 

 

もし、痴漢冤罪を恐れるというストーリーをビジネスパーソン(限りなく男性限定だが)が描かなければ、ビジネスリュックがどんなに便利で合理的でも普及浸透しなかっただろう。

 

 

人間の行動の背景には、自分が描いたストーリーが隠れている。

 

 

今では、満員電車に手提げバッグで乗車する人は、周りの人から『この人痴漢するつもりかも』という目で見られてるかもしれない。

 

一つのストーリーが市民権を得ると、それに相応しい新しいストーリーも広がり始める。

 

多様化といえば多様化かもしれないが、あくまでもストーリーが大事なのだ。

 

ストーリーが成立しなければ価値観として成立することはできない。

明日は我が身

自業自得だとまとめられる事の多くは、さらに遡るとほんの少し運が悪かっただけのことから始まってることが少なくない。

 

しかし、世間は冷たい。

 

『嗚〜呼〜俺はそんなに悪いのか?』と思わざるを得なくなった人は全体から見れば少数派かもしれないが、明日は我が身だ。

 

そんなことを感じるツイートが流れてきた。

 

 

 

日本だけでなく世界でも、いやむしろ世界の方が当てはまるのかもしれないが、スラムというのは高級(?)都市に隣接して発生する。

 

都市部ほど公共インフラや公衆インフラが整備されてることも大きいだろう。

 

モールのフードコートや図書館ですら場違いな人が増えてるように感じるが、わたしのことをそういう目で見てる人がいるかもしれないことは心の片隅では意識している。

 

 

通り過ぎるだけの人は気にならないが、長居をしたり居座る人はとてつもなく注視される、見ぬふりはしてるかもしれないが。

 

かつてのニューヨークの地下鉄が象徴的な割れ窓理論というのがある。

 

1枚の割られた窓ガラスをそのままにしていると、さらに割られる窓ガラスが増え、いずれ街全体が荒廃してしまうという、アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング博士が提唱した理論。

 

 

瓶や缶や吸い殻その他ゴミのポイ捨てや放置も割れ窓理論に含めて良い。

 

 

上記で紹介したツイートの反論はウィットに富んでいるので不快な感じは受けないが、人生の歯車が少し狂っただけでも明日は我が身だと思わされてしまう。

 

たかが文字入力とは言ってられないかも

3年前のベストセラーだったスマホ脳(アンデシュ・ハンセン著)を読み返していて、当時はスマホをデジタルの象徴として読んでいたことに気付いた。

 

文中でもスティーブ・ジョブズが自分の子供にはiPadを使わせなかったことが書かれていたから。

 

しかし、読み返していて思ったのはスマホというサイズ感が問題のような気がしてきた。

 

片手で持て、片手でも操作できるというサイズ感。

 

 

そんな思いを後押しするような記事が出ていた。

 

 

スマホ操作、15~24歳女性の半数が「フリック入力」 ガラケー世代は敬遠傾向 

 

 

この記事を読んだ人のTwitter上での発言にはさまざまあり、「8割以上じゃないの?」や「フリック入力以外にあり得ない」や「ローマ字入力の方が早い」などが目立っていた。

 

この記事に対する反応は、文字入力への反応だったり、どういう環境で入力してるのかという前提の統一ができてない自説が多いようだが、大袈裟に捉えるなら脳活動の世代間ギャップが生じてるように感じられた。

 

 

この記事でガラケー世代と書かれてる人にはさまざまな人がいるだろうが、ガラケー世代にとってはデジタルの基本はPCだからキーボードを使う。

 

キーボードを使う日本人にとっての設定上の選択は大きく二つで、かな入力かローマ字入力か。

 

今フリック入力を多用する人の中にはデジタルデバイスのスタートがスマホという人が多いかもしれないし、中にはスマホしか知らないという人も少なくないかもしれない。

 

そういえばと思い出したのがコロナ前の頃の新入社員にキーボードが打てない人が増えているという話。

 

おそらく、入社前の生活環境でPCとの接点がないという層が出現していたのだろう、当時の記事ではPC離れなどと銘打たれていた。

 

 

たかがデジタルデバイスの文字入力だが、スマホにしか馴染めない人とデジタルに馴染めてる人の間には大きな壁というか溝ができてるように感じる。

 

接してる情報には大差なくても、この文字入力に関する差が脳活動や思考に大きく影響してるかもしれないと思えてくる。

 

 

PCの登場と普及で日常生活で文字を手書きすることが極端に減った人が増えた。

 

手書きが減ったことで大きな脳の劣化を招いているという指摘もある。

 

確実に知識は増えてるはずだが、脳が劣化してるかもしれないというのは興味深い。

 

スマホネイティブでも受験勉強をやってるような子は手書きの頻度は高いだろうが、そうではない子は手書きもしないし物理キーボードも打たないとなると、さらに脳だって変化するはずだ。

 

 

一体どうなることやら?

下手な鉄砲数撃ちゃ当たる?

一見バカな元教師だなと思うだけの記事だった。

 

女子高生にわいせつで懲戒免職、退職金1914万円がゼロはおかしいと提訴の元教諭が敗訴

 

詳しくは記事を読んで頂くとして、気になったのは、

 

原告の代理人弁護士は読売新聞の取材に対し、「何もお話しすることはない」とした。

 

との一文。

 

きっとこの代理人弁護士が元教諭を『お金取り戻せまっせ』と焚き付けたのだろう、と思ってしまった。

 

 

司法試験合格者を増やすために法科大学院が誕生したのは2004年。

 

それ以降増えすぎた司法試験合格者は売れない弁護士を大量生産することになり、過払い金返還請求に群がることになったのは記憶に残ってる人も多いはず。

 

本当は大企業の企業法務担当になりたいと志望した者が多いかもしれないが、そういうところは有名事務所や大御所先生が独占してるので、不本意ながら底辺を彷徨ってる名ばかり弁護士が巷には溢れてるはず。

 

売れないというよりも、本当はこんなことがやりたかったわけじゃないという弁護士が増えてそう。

 

コミュ力が高ければ活路が見出せるかもと、冒頭のような案件を見つけて営業してるのだろう。

 

テレビを見ているとB型肝炎は儲かるぞと活動してる弁護士がいることが分かる。

 

B型肝炎が儲かるのか、ただの撒き餌なのかは分からないが、それなりのコストを掛けてCMを打ってることだけは感じられる。

 

ただ一つだけ確実に言えそうなのは儲かるかどうかよりも、案件として進めるに当たってストレスが少なそうな方向が悪目立ちしてるのだろうなということ。

 

ある程度ストレスを覚悟してる人達ですらストレスはイヤなのだ。

 

だからこそ狙い撃ちではなく、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるを追うのだろうなとついつい思ってしまう。

 

これも時代のせいだろうか?

心の底で考えてることは今も昔も皆ほぼ同じ

生き方や価値観は人の数だけあるもの、いや人の数だけあっても不思議はない、と表現される。

 

しかし実際にはそうでもない。

 

やってることは違っても背後にある価値観はほぼ同じだったり、価値観は違っていてもやってることは似通っていたり、これらの範囲に収まってる場合がほとんど。

 

以下の話が当てはまるのは大人に関してだが、最近は小学生でも当てはまるような子が出てる。

 

 

持ってる価値観は大きく分けると次の三つの組み合わせで構成される。

 

 

 

 

①体裁良く

 

②楽して

 

③儲かる(成果が上がる)

 

 

①も②も③も人によって解釈の幅が大きい。

 

①に関しては世間から高(好)評価が得られるものから世間に迷惑を掛けることでさえなければ十分だとするぐらいの幅がある、その幅ゆえに『職業に貴賎はない』と表現されたりもするが、最近では見つからなければ(バレなければ)犯罪だってやって構わないというレベルまで解釈は広がってる。

 

②に関しては、文字通り頑張らないでもできるという解釈で、仕掛けや仕組みに任せて後はほったらかしというものから、頑張りや経験や情報収集の積み重ねで要領のレベルを高めるというようなものまである。

 

③は、金銭が中心で多ければ多いほど良いとする考えから、自分が納得できる水準が保てれば良いとするものまであるが、その際の基準が何かで解釈の幅が極端に変わる、比較が基準になると泥沼化する。

 

 

この3つには分類し難いものに自分だけの美意識や美学もあり、自分の幸せを求めてるつもりで他人の不幸を追いかけるというようなパラドックスも起こりうるが、これらも想像の範囲に収まることが多い。

 

 

多様性の時代などと価値観の裾野が広がっているとする話は増えてるが、実際には今も昔もほぼ同じな気がする。

 

神は拾ったものを捨てる

11月5日阪神タイガースの日本一決定で日本のプロ野球の2023年の試合は終了した。

 

終了と同時に現役選手にとっては最も厳しい1ヶ月が始まる。

 

 

11/6:日本シリーズ不出場チームの戦力外通告期間終了

11/10:日本シリーズ出場チームの戦力外通告期間終了

11/6〜14:FA宣言期間

11/15:FA宣言選手の公示

11/15:トライアウト

11/28:NPB AWARDS

12/2:保留者名簿公示

12/8:現役ドラフト

 

 

今では耳慣れた『戦力外通告』という表現だが、昭和の頃に使っていた記憶がない。

 

たまたま私がそうなだけで実際には使われていたのか、ザッと検索したりWikipediaを見たがよく分からない。

 

戦力外通告という表現は今ではどんな分野でも使われる。

 

一般企業におけるクビとか肩たたきと同じだ。

 

クビや肩たたきをリストラと呼ぶようになったのは90年台のバブル崩壊以降のように記憶してるが、その当初にはリストラを戦力外通告とは表現してなかったような気がするので、戦力外通告という表現は最近のものだと思ってしまう。

 

 

2004年からしかデータがないGoogleTrendsで推移を見ると、

 

 

 

 

2008年にリストラの嵐が吹き荒れていたことを思い出す。

 

リーマンショックによる世界的な景気低迷の影響を日本の大企業もまともに受けていた。

 

一方で、戦力外通告の認知の普及は緩やかで2000年台初頭はプロ野球せいぜいプロスポーツ限定の専門用語だったように感じられる。

 

 

『戦力外』の部分は『構想外』と使われることもある。

 

どちらにしても、すでに交渉の余地が無いことを最小限のことばで伝えることができるので便利な表現とも言える。

 

戦力外や構想外をいつ突き付けられるか分からない、いや何となく予感はあるはずだが、その悲哀を知っているからこそ年俸交渉やFA(フリーエージェント)宣言など権利の主張に強気で臨むのはよく分かる。

 

開く一方の格差を可能にしてるのは、戦力外通告やリストラのおかげなのだと思うと、捨てる神あれば拾う神ありを思い出す。

 

ついつい捨てられる方に感情移入しがちだが、捨てられる者は拾われた者でもある。

 

 

神様をあてにしてると最後は捨てられる。