違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

嫌いだなんて言ってられない

先日の衆議院選挙での自民党の圧勝(=中道の惨敗)は、その後の世間の声を聞く限りは高市早苗さんの圧勝だったようだ。

 

個人的には、私は高市早苗さんが苦手なのでその良さには全く気付かなかった。

 

しかし、どうやら当選した自民党議員の中にも自分の実力や人望ではとても勝てなかったと今更ながら思ってる人が多数いるように感じられる。

 

そういう当選者は、選挙応援で高市さんが来た後から流れがガラッと変わったことを実感してるようだ。

 

高市さんはまさに信任を得ることに成功した、いや成功し過ぎたのだ。

 

結果として、自民党内の勢力図はガラッと変わったはずで、重鎮議員を含めて高市さんに逆らえる人は大幅に減ったはず。

 

さて、高市早苗さんはなぜそこまで信任を得ることができたのか?

 

世間の声を拾うと、まず女性だからが上がる。

 

もちろん女性であれば誰でも良いわけではないが、男社会の日本で初の女性総理ということで、男性中心ヒエラルキーにうんざりしていた人を惹きつけていたようだ。

 

その上で、演説の際に①未来を語る②敵の悪口を言わない、この二つがあることで、従来の政治家が未来は語らず現状の不満を語るだけ、さらに他党の悪口しか言わない演説と完全に差別化できていたことが大きかったようだ。

 

演説内容で勝負というよりも演説スタイルでの差別化に成功したのだ。

 

自民党の当選議員の中に人間性が怪しい人物がいたとしても、その人間性を発揮できないかもしれない、そう思わせる追い風を吹かせたのだ。

 

従来のおじさんやお爺さんの政治では、圧勝すると暴走が起こる懸念が大きいが、高市さんが女性として女性有権者や若者から自分が支持された理由をきちんと自覚すれば、多分その気持ちを裏切るのは非常に苦しいはず。

 

吉と出るか凶と出るかは不明だとしても、高市さんが自分の意思を貫ける環境は強まったと言えそう。

 

 

ここまで来たら、嫌いだなんて言ってられない、期待を込めて見守るしかない。

 

減点法と加点法

昨日の衆議院選挙の自民党の圧勝のような中道改革連合の惨敗のような結果に対して、自分なりに納得できそうな理屈を当てはめてみた。

 

昨日から今日にかけてのさまざまな意見や考えをさまざまなメディアやSNSでのやり取りで見た上で、自分とは違う意見にも否定で入らないようにした結果行き着いたのが、減点法と加点法という尺度の違いだった。

 

減点法とは、最初に満点(100点)を与えられミスや間違いがあると減点され、最終的な持ち点が何点かで評価されるやり方で、代表的なのが運転免許の実技試験のようなもの。

 

減点法では上手であることよりも確実でミスがないことが大事になる。

 

 

加点法は、最初は0点から始まりポイントを積み重ねるやり方で、ミスを恐れるよりも積極的に攻める姿勢が大事になる。

 

もともと日本は伝統的には減点法が主流だったが、今では完全に加点法が主流になっている。

 

チャンスをものにしたいという気持ちや努力と加点法は相性が良いことも大きいはず。

 

選挙に話を戻すと、今回の選挙はどの政党も似たような政策をアピールしていた、もちろんそうすることで争点を曖昧にするという戦略に基づいてだろうが、結果として加点の獲得が難しい状態だった。

 

そんな中で加点を狙おうとすると、敵の減点を狙うという戦略も選択肢に上がってくるのは必然。

 

敵の減点を狙う最も簡単な方法が相手の悪口だ。

 

 

SNS上で複数の指摘を見るまで気付かなかったが、高市早苗さんは他の政党の悪口が無かったらしいのだ、わたしはその辺をちゃんとウオッチングしてなかったのでその指摘をそのまま信じるしかないが、多くの政党は自民党の批判や非難に終始していたような気がする。

 

もちろん加点法で得点を稼ごうとしたのだろう、それに対し争点が明確化されない中で相手の悪口ばかりを聞かされてると、大衆の心理としてはいつの間にか基準が減点法になり、悪口や批判や非難だけというのは減点対象になっていたのかもしれない。

 

自民党に幸いだったのは、個々の立候補者が実際にどうだったかよりも、高市早苗さんの印象におんぶに抱っこが成立したことも追い風だったはず。

 

実際の選挙では、減点法と加点法が混在し、どちらか一方に固定化されてるわけではなく、その見極めができることが追い風を吹かすことにつながるのだ、もちろんただの偶然によるラッキーという場合もあるはず。

 

得点で勝負する場合、減点法なのか加点法なのかで戦略も戦術も大きく変わるのは当然だが、これにポピュリズムやルッキズムその他の評価軸が介入すると、ゲームの途中で減点法と加点法が入れ替わったりしうるのだ。

 

今回の自民党は追い風をつかんだという意味ではラッキーだったが、これは選挙が減点法になったという意味ではないし、ついでに言うと自民党が勝って国民がアンラッキーだったと言うことすらあり得ると言う意味ではまだ決着はついてないことになる。

 

 

人の自由意志に評価を委ねる場合、減点法と加点法の両方が混在するので、両方に対策することが必須なのだ。

 

 

 

果たしてどうなることやら?

2月8日投開票の衆議院選挙は、事前のメディアの予想通りの結果になった。

 

現在午後10時なので最終確定ではないが、メディアは自民党の圧勝だと報じてる。

 

しかし、当選状況の政党別の内訳を見ると、自民の圧勝というよりも中道の惨敗という気もする。

 

解説としてはどちらでも良いような印象を持つ人も多いかもしれないが、違いは大きいのではないだろうか?

 

自民の圧勝と捉えると、自民の政策が支持されたと解釈できるが、中道の惨敗と捉えると、そもそも中道は与党の器ではないと解釈できる。

 

もし、自民党の政策を良いとは思ってないけど、それ以上に中道にウンザリしてる人には敵は中道に見えたかもしれない。

 

そうなると、自民以外の政党に票が向かうかというと、そうはならない。

 

ウンザリしたりアンチの意識が芽生えると、その敵を支持したくなるのだ、敵の敵は味方だと。

 

そうとでも思わないと納得できない自分がいる。

 

そうは言っても結果オーライならば嬉しい誤算だが、予想通りの結果ならば大きなツケを背負うことになる。

 

 

果たしてどうなることやら?

 

 

みんな勝ち馬に乗りたい

きっと世の中が混沌としてるからだろう。

 

自分が未来を切り開くよりも、未来を切り開いてくれそうなものに依存したくなるのだろう。

 

未来を切り開いてくれそうとは、マウント合戦に勝ちたい、優越感に浸りたい、自己肯定感が欲しい、などといったレベルの欲求も含まれる、いやただ含まれるというよりもそのレベルが大半なのかもしれない。

 

もともとどんな時代であっても未来はよく分からないものだが、自然現象も地球環境も従来とは違ってきて、人間社会の秩序も大きく変化してると感じると、信じられるものが少なくなる、その連鎖が混沌に拍車をかける。

 

そうなると、正論はあまり意味を持たなくなる、結局誰も未来なんて分かってないのだから。

 

それでも大衆の心理は意外と簡単に読める。

 

大衆は自分で自分の未来を切り開こうなんて思ってない。

 

誰に依存し寄生するのが得かばかりを考える。

 

漠然と、強いものに、強そうに見えるものに、くっ付いていたくなるのは自然なことなのだ。

 

だからと言って、かつては存在していた村社会の忠誠心や秩序のようなものはもはや無い。

 

そんな忠誠心も秩序も無い集団がどんなに膨れ上がっても所詮砂上の楼閣なので、強いものの地位すら安泰とは限らない。

 

 

弱い結びつきで構成された集団の構成員は、頃合いを見計らって、次に依存できそうなものを見つけて依存サーフィンを繰り返すだけだ。

 

そういう目で世間や世の中を眺めるとしっくり来る、ということはその考えが当たらずとも遠からずだからだろう。

 

 

そんな混沌の時代では、真の忠誠心が向かうべきは自分自身しかない。

 

これは自分さえ良ければ良いという考えと似ているが違う、また、一時期よく使われた突き放すような意味での自己責任とも違うが、重なる部分はある。

 

混沌の時代で信じられるのは自分自身だけだが、その解釈は多様なはず。

 

 

誰もが自分自身を信じるように勝ち馬を探している。

 

 

強いアピールは大体フェイク

退職代行モームリの話題は、仕事や職場に対する意識や一緒に仕事をしてた人に対する意識が希薄だと感じさせるが、それは請け負う側にも当てはまりそうだと感じていた。

 

それが良いとか悪いと論じたいわけではなく、今という時代の空気がそういうものだからなのかもしれない。

 

数だけで見ると圧倒的に少数派なのだが、そこに時代の空気が反映されてるとすれば、及ぶ分野は多岐に渡るはず。

 

次の記事もそれを感じさせるものだった。

 

警察の懲戒処分、10年で最多 勤務中ゲーム「職務放棄」増加

2025年に懲戒処分を受けた全国の警察官や警察職員は337人(前年比98人増)このうち逮捕者は64人(7人増)で、業務上の処分は102人(49人増)。勤務中にスマートフォンでゲームをするなどの「職務放棄」に当たる処分が増加傾向

 

処分理由で最も多かったのはセクハラや盗撮、不適切交際を含む「異性関係」で104人(26人増)。「窃盗・詐欺・横領等」が63人(11人増)、「職務放棄・懈怠等」が44人(37人増)と続いた。

 

都道府県警別では兵庫が50人で最多。神奈川34人、警視庁30人、大阪26人、福岡18人

 

 

都市部に多そうに感じるのも特徴の一つだろうが、大人数の環境下で働いていても人間関係はきっと希薄なのだ、結果としてみんな嫌々仕事をしてるのだろうと感じる。

 

上記の記事に寄せられてる警察OBで現役時代は指導的な地位にいた方がコメントで『警察官のサラリーマン化』と表現していた。

 

嫌々仕事をしてるのは、生活のためにお金を手に入れるためだけに仕事をしてるからだろう、今という時代には確かにそういう空気が漂っている。

 

 

一方で出回る情報や目立つ情報は能動的で充実が溢れたような情報ばかり、うんざりした気持ちにさせるものが世間には溢れている、自分以外は充実してそうに見えてしまい被害妄想を拗らせるのかもしれない。

 

昔から言われてることがある、本当に幸せな人は幸せであることをアピールしたりしない、つまり充実をアピールしてる人に真に充実してる人などいないのだ。

 

充実をアピールする人もコンプレックスで病んでいるのだ。

 

そう思えるだけで気持ちはずいぶん軽くなるはず、そして少し気持ちが軽くなると、自分取り巻く環境はそんなに悪くないぞと気づけるかもしれない、あるいは何もかも悪く良いところなどないと思っていても、悪い点はほんの少しでそれは気持ち一つでどうにでも改善可能だと気付けるかもしれない。

 

何事もビジネスライクに展開されるようになった結果、本音とは裏腹なことをプレゼンテーションと称して熱弁を振るってアピールすることに罪悪感を感じないことが当たり前になった。

 

 

昔は裏読みなど必要なかったかもしれないが、現代はアピールに余念がない人は要注意だ、そのアピール内容がどのようなものであろうと。

 

心がどんよりする時は、誰かのアピールに毒されているだけかもしれない。

 

強いアピールは、フェイクだと思うくらいがちょうど良い。

 

モームリの連鎖

退職代行というサービスがある。

 

正規の手続きに基づく退職届に応じないブラック企業を相手に退職の意思を伝える代行を行うことが始まりだったように記憶している。

 

やがて、そういう理由だけでなく、退職の意思表明に付きまとうめんどくさいやりとりを省略するために利用する人が増えた、というように記憶している。

 

そして、その退職代行を世間に啓蒙したのが『退職代行モームリ』。

 

私はてっきり『退職代行モームリ』が社名だと思っていたが、サービス名に過ぎなかったようで、会社名は株式会社アルバトロスというもの。

 

そんなアルバトロスがモームリに関して弁護士法違反で代表とその妻が逮捕された。

 

逮捕される数ヶ月前から弁護士法違反をしてるのではないかと噂されていた。

 

退職に付きまとうストレスを軽減できるという意味では依頼者からは歓迎されていたサービスだと思うが、モームリを使って退職される企業側にとっては何ともストレスは大きいだろうことは想像できるので、憎く思う者も少なからずいたはず。

 

敵を作る側面が強い分だけ粗探しの目も厳しかったのかもしれない、それが真相なのかなと思っていた。

 

しかし、何とブラック企業に対抗するかのようなこのアルバトロスでは代表の社員に対するパワハラが凄まじかったという話が週刊誌ネタになった。

 

敵は会社内部にもいたことになる、社員からすると代表こそが敵だったとも言えそう、弁護士法違反に関する情報や証拠は内部からもリークしていたことだろう。

 

ビジネスというのは負けが許されないという意味で戦争の戦略や戦術が応用されることが多い。

 

勝ち負けのある世界には、感情の燻りは避けられない。

 

かろうじてスポーツの世界では感情の燻りから抜け出そうとしてるが、きっとそれだって表面的な話に留まるのかもしれない。

 

 

現代社会には、至る所にモームリの落とし穴がある、そんな落とし穴に落ちないためには何が有効か?

 

 

ブルース・リーが燃えよドラゴンの中で言った『Fighting without Fighying(闘わずして勝つ)』、実際にどのような方法を採るかは人それぞれとしても、ストレスのない勝ち方をしたいなら参考にしたい言葉だと改めて思った。

 

 

原理原則を意識しよう

最近はネガティブな取り上げ方をされることも多いイーロン・マスクだが、イノベーターであることは誰もが認めるはず。

 

そんなイーロン・マスクは何かに取り組むに当たっては原理原則の理解から入る。

 

原理原則を理解する前段階にはどんな分野にも既存の常識があるが、その既存の常識をまずは要素ごとに分解する。

 

要素ごとに分解した中には今現在の科学的あるいは物理的その他技術的な基準からすると、組み合わせのさらなるバリエーション増や改善可能なものが見つかる。

 

それらを現代の基準で再構築することがイノベーションに繋がる。

 

スペースXがNASAを超えられたのは、NASAですら既存の常識に縛られ原理原則に立ち返ることができなかったことを示している。

 

つまり、原理原則に立ち返るというのは簡単なようで簡単ではないのだ。

 

そういえばと思い出した話がある。

 

養老孟司先生が、木について語っていた話。

 

縄文時代の突然の火山の噴火であっという間に埋没した森がのちに発掘され保存されてるのを見ると、残っている木は巨木ばかり。

 

昔の巨木信仰の名残りだろうかと思ったら、当時の斧などの道具のレベルでは太い木はとても切れないからというのが真相だったらしい。

 

また、今の日本の森林面積は国土の約70%と言われるが、江戸時代の頃は今より森林が少なかったらしい、何となくの常識だと現代は都市開発等が森林を減らしているので昔はもっと森林が広かったと思いがちだが、実際は逆なのだ。

 

その理由は、森の木を伐採し薪などの燃料にしていたからだ、もちろん住宅や建築需要も多かった上でだ。

 

地球温暖化で燃焼という行為や現象が悪者扱いされるようになっているが、少なくとも木を燃やす程度では地球環境を動かす力は無かったのかもしれない、まあ当たり前だが化石燃料の燃焼がそれだけ凄いのだ。

 

養老先生の木の話は原理原則というにはやや情緒的な要素の介入も感じるが、身近なところにも何となくの常識が原理原則を見えなくしてるなと感じられる。