違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

宴の余韻は治まった?

WBCの準々決勝の日本対ベネズエラの試合をradikoを聴きながらYAHOOの試合速報を見ていたら、radikoが微妙に遅れる(打者で一打席から二打席分くらい)ので、音声を聴いてるとまるで速報が予言を連発して、ことごとく的中させてるような錯覚を感じ予想外に楽しめた。

 

もちろんピークは一回裏の先頭打者の大谷翔平がホームランを打ったところ。

 

きっと予定調和のように大谷ジャパンの優勝なのかなと、この時は思っていた、そしてその後日本が三点リードしてるところまではその思いは確かだったが、終わってしまうと負けていた。

 

 

宴はいつか終わる、宴が有終の美で終わった場合には余韻は長く続く、まさに前回のWBC以降今日までそれは続いていたのだ。

 

宴の終わりは夢から覚めるようなもの、夢が素晴らしかった場合は、寂しさやがっかりが大きくなる。

 

前回のWBCの感動はきっと一期一会のはず、3年前に心の中でそう感じていた。

 

仮に今回連覇を達成したとしても盛り上がりや喜びはきっと質的に違うはずだと思っていた。

 

しかし、今日の試合の一回裏に大谷翔平が先頭打者ホームランを打った時には、もしかしたらそんな空気も吹き飛ばすかもしれないと感じていた。

 

試合終了後、買い物に出かけ、戻ってからTwitterを見るとトレンドに『ネトフリ解約』が上がっていた。

 

宴の余韻から目が覚めた人の反応だなと一人納得している。

 

今回のWBCに盛り上がりがあったとしたら、それは実は前回の余韻だったのだ。

 

たぶん余韻の波紋はもう消えてしまったかもしれない。

 

 

自分を自分だと証明するのは意外と難しい

まさにタイトル通り。

 

いくら自分だと言い張っても、証明する何かを求められる。

 

最近だとマイナンバーカードだろうが、長らく最も重宝されたのが運転免許証や保険証など、余談だが免許証のことを日常では「めんきょしょ」と発音しがちで音の響きから「証」を「書」と勘違いしてる人は少なくない。

 

他には学生証や社員証やパスポートなども、証明するという機能を本人に代わって果たしているのだ。

 

 

デジタル社会やネット上の仮想空間では、自分を自分だと証明するためにアカウントが用いられる。

 

IDとパスワードの組み合わせで構成されるのがアカウントだ。

 

一般的にIDはメールアドレスが使われる、だからIDは比較的忘れにくい、一方で任意に設定するのがパスワード。

 

初期のアカウント設定では、パスワードは設定者本人が確実に覚える必要があった。

 

覚える必要があるから、覚えやすい設定になるのは必然だった、忘れた場合はとてもめんどくさいことになるからだ。

 

しかし、やがて悪意を持つ他人にアカウントを乗っ取られることが起きるようになった、個人情報が漏れると或いはうっかり教えてしまうと、覚えやすく設定されたパスワードは類推し易くなる、そこを突かれることで自分以外の者がアカウントを突破できるようになるのだ。

 

こういうプロセスを経て、セキュリティという概念が高まり、最近ではパスワードはデバイスが生成する全く意味を持たない数字や記号を含んだ文字列を用いることが推奨されるようになった。

 

こうなると、パスワードは自分で覚えないものというパラダイムシフトに晒されるのだ。

 

このパラダイムシフトを受け入れるとセキュリティは高まるが、最大のハードルが、自分のセキュリティを自分が覚えきれない自分が作ったわけでもない文字列に委ねることを生理的に気持ち悪いと感じることだ。

 

ChatGPTに聞くと、男性女性や年齢や世代に関係なく感じてるらしい。

 

 

自分の下に位置してるのがマイデバイスのはずだったが、セキュリティ対策をすればするほど、自分自身がマイデバイスの下に位置するように思えてくる。

 

アカウント管理が高度化すると、使いこなしてるつもりのマイデバイスの機嫌を取りながら逆に使われてる場合すらあるように感じられる。

 

日常生活そのものは変化してなくても、実際にはとても大きな変化が起きている、そういう意識は持っていて損はない気がする。

 

 

自分を自分だと証明することは、一歩間違うととんでもなくハードルの高い作業に、これからますますなって行くのかもしれない。

 

便乗値上げ

アメリカ、イスラエルがイランを攻撃し最高指導者ハメネイ師を殺したのが2月28日、その後数日に続く攻撃で3月9日にトランプ大統領は軍事作戦はほぼ終了と発表したが、そんなイランは3月9日にホルムズ海峡を封鎖した「1Lの石油も輸出させないと」。

 

それから数日、早くも日本のガソリンスタンドで値上げが始まった、そんな様子に対して次のような反応が増えた。

 

最初は自動車評論家。

 

 

 

おそらく日常的にガソリンや燃料を消費してる方達は、「なんで今?」と思っているようだ、なぜなら

 

 

 

運が良い方は、まさに値上げの瞬間をギリギリ回避したようだ、逆に言うと、現場での値上げは急遽予告なく実行されているのだ。

 

 

 

そんな世間の動きや反応に気付いたからか、この人も動いた。

 

 

 

 

しかし、これって便乗値上げの便乗分を税金で補填するだけで、便乗を防ぐわけではない。

 

だから、皮肉が好きな大御所も黙っていられなくなる。

 

 

 

 

ところで便乗値上げという概念は、日本以外の国の人でも感じるのだろうかという疑問が湧いて、ChatGPTに聞いたら色々教えてくれて、どうやら他の国でもあるようだが日本人は他国の方と違い、値段や価格設定と道徳が結びつきやすいという特徴があるらしいと教えてくれた。

 

日本人が便乗値上げを感じている時は納得してないし、納得できないから便乗値上げを感じる、つまり不満なのだが、その不満は道徳の無さに対してなのかもしれない。

 

 

 

脱力の時代

老いも若きも老後が心配、そんなことを感じさせる記事だった。

 

 

片山財務大臣、広がる“NISA貧乏”に「ショックを受けた」「積み立て自体の目的化は全く意図しておりません。金融経済教育を全員に」

 

 

次のような質問から始まった衆議院の財務金融委員会でのことだ。

 

 

「20代は投資額をすごく増やしているんですけど、消費は伸び悩んでいるそうです。漠然とした将来不安を抱えて20代、30代以下は75%が『公的年金には期待していない』。以前、『とにかくNISAだ』と。『老後1000万円(必要)』とありましたが、今は2000万円、3000万円とも言われるようになり、将来のライフデザインを描く前にとにかく不安に駆られて『とりあえずNISA』『とりあえずインデックスだ』ということが増えているそうです。積み立て自体が目的になってしまうと。20代は投資も必要ですが、自分への投資、また様々な活動、いろいろなことをする大事な時期です。現状について、(片山)大臣の認識を教えてください」

 

 

童話「アリとキリギリス」は、せっせとコツコツと将来に備えるアリに対しキリギリスは青春を謳歌することがすべてというように描かれていた。

 

実際の生態とはかけ離れた解釈の上に成り立っていたというツッコミはさておき、物語では将来に備えなかったキリギリスは厳しい冬を乗り越えられなかったと描かれていた。

 

 

将来に備えることと今を楽しむことが、トレードオフの関係に思える現代人は多いはず、人生100年時代なんて言われるから尚更だ。

 

 

現代人は力み過ぎなのだ。

 

頭も身体もお金も鍛えることがすべてを解決する、そう思い込んでる人だらけの一方で、すべてを諦めることで悩みから解放されたいと感じてる人もいるはず。

 

睡眠の重要性は分かっていても、生き方が力み過ぎてる人は寝ようとしても寝れなくなる。

 

力んでる人に対して、「肩に力が入り過ぎてる」とは昔からよく言われていたが、大抵の場合言ってる人も言われてる人もよく意味が分からずに使っていたはず。

 

言いたいことは、「力むなよ」「リラックスしろ」なのだが、言ってる人も言われてる人も力まずリラックス出来てる状態をよく理解できてないことがほとんど。

 

世間でお手本のような生き方をしてると評価されてる人の中にも、力み過ぎてる人がたくさんいる、そういう人は周りから思われてるほど幸せではないはず、常に力んでないと不安だからだ。

 

生きることは戦いでもあるが、現代の戦いは力んでも良いことは少ないのだ、むしろ脱力がキーワードになる。

 

脱力って、言うは易く行うは難し。

 

脱力に比べたら力むのなんて簡単だ、力めるのは何も考えてないのとほぼ同じだから、つまり脱力は頭を使うしおそらく人それぞれに最適なやり方が違うはず。

 

まずは脱力を意識することが必要だが、意識し始めたら無意識のうちに力んでるだろう。

 

検索したり生成AIに聞いたりするといろんな情報や知恵は得られるだろうが、拠り所は試行錯誤だけ。

 

だから、意識して繰り返すしかない。

 

そして、自分なりの脱力らしきものが見えてくると、ストレスが減っていることに気付けるだろう。

 

脱力は、休息や睡眠とはまったく違い、上昇志向を伴った意識的な行動で、力まないギリギリで力は使っている。

 

スポーツの世界でも異次元の活躍を見せる人は鍛える上で脱力が重要なことを意識してるはず。

 

侍ジャパンではなく大谷ジャパン

2026年のWBCは日本では地上波の放送がない。

 

Netflixが放映の権利を独占したからだ。

 

だから、見たい人でリアルタイムにこだわるならNetflixに加入するしかない。

 

Netflixに加入するのが嫌な人で、リアルタイムにこだわる人はラジオを聴くか、ネットの文字情報での速報を追うしかない。

 

私は、見たいのは結局大谷翔平だけだから、文字情報での速報を20分間隔くらいでチェックし、他のことをしていた。

 

そして気付いたのが、こういうやり方の方が楽しめるかもしれないということだった。

 

もちろん日本チームが戦った直近の2試合に限ってだが、大谷が活躍したからだ。

 

速報を見ると、大谷がホームランを打ったと出るが文字だとそれがどんなホームランかは分からないから妄想してしまうのだ、とんでもない飛距離のホームランを。

 

これが結構楽しいし、脳が快感を感じてることが実感できるのだ。

 

これが実際の映像を直接見てると、一瞬は盛り上がっても全ては予定調和に感じられ、盛り上がりの終息も速いのだが、妄想だと持続時間が長いのだ。

 

実際に大谷翔平が活躍したからこそ受けた印象だが、これがもし全然活躍しなかったら、やっぱり見なくて良かったときっと思うはずだと思うと、地上波のテレビ放送がないことをラッキーだと感じてる。

 

真の野球ファンやWBCファンからすると、私のような人間はファンでもなんでもないと見えるだろうが、私のような人間は意外と多いんじゃないかと思っている。

 

私のような人は誰もが思っているだろう、侍ジャパンではなく大谷ジャパンだと。

 

さらに言うと、見たいのは活躍する大谷翔平だけで、後は全ておまけ、二刀流で投手もやってれば楽しめる時間は長いが、指名打者だけであれば大半の時間は見なくても良い時間なのだが、テレビで放送していたらそんな器用な使い分けはできない。

 

自分ではなんとなく気付いていたが、今回のWBCが地上波でリアルタイム放送がないことで、自分が野球ファンとしてはすごく低レベルで野球界にはなんらプラスをもたらさない存在だということを再認識した。

 

もし、ここまでの時点で大谷翔平が活躍してなければ一体私はどんな反応をしてるのだろうかと思うと、活躍は期待してるが決してファンではないと再認識できる。

 

球場には行かずに野球を見てる人の中には、私のような人は少なくないと感じる。

 

WBCが終わってシーズンが開幕したらプロ野球の試合は見るだろうがただの暇つぶし以上にはならないはず。

 

大谷翔平が活躍してる間は、自称野球ファンは減らないかもしれないが、日本の野球市場は大谷翔平に依存してると言っても過言ではないはずなので、数年後が非常に気になるどんな変化を見せるのかと。

 

 

何もかもが色褪せて見えるようになる日はそう遠くないのだろう。

 

枯れた技術とコロンブスの卵

ホリエモンが関わってる宇宙企業のインターステラテクノロジーズ株式会社は、ロケット一機の打ち上げ費用を8億円にするのが目標らしい、これがJAXAだと50億とか100億になるらしい、ちなみにスペースXのスターリンク用のロケットは一機4億円らしい。

 

NASAの打ち上げ費用がいくらだったのかは知らないが、イーロン・マスクがロケットの打ち上げに革命を起こしたことは間違いない。

 

このような超高度な技術の分野でコスト的な革命が起きる場合の主役は、枯れた技術の水平思考と呼ばれる。

 

目的が壮大であればあるほど、最初期の段階では専用設計で専用部品を用いらざるを得ないかもしれないが、直接間接と技術が発展すると、本来そのために作られたわけではないが、はるかに安価な部品が問題なく使えると気付ける場合がある。

 

そんな安価な部品は決していい加減なものではなく、別の分野で様々な試行錯誤の結果熟成されて、安価でありながら高度な要求をクリアしている、そういうものが枯れた技術と呼ばれる。

 

応用や活用の範囲を大きく広げられる可能性は秘めているが、新規性には乏しいので過小評価されがちでもある。

 

枯れた技術は、別の表現をするとコロンブスの卵的でもあり、言われるとなるほどと思うが地味な感じは否めない、イノベーションに必要なこともこういうことなのかもしれない。

 

 

こういう事って、健康における医学情報や証拠やエビデンスに対する民間療法や自己流対策にも似てるように感じる。

 

要は、勝てば官軍負ければ賊軍の世界観で、突き放すような言い方をするなら自己責任や確信を伴う覚悟が、枯れた技術を本来とは違う分野で活用する場合には求められるのかもしれない。

 

これって心理的には意外とハードルが高いから誰でもできるわけではないし、どちらかというと不利な条件の元で勝算を描くような、ものづくりの分野でプロトタイプを作る場合のようでもある。

 

つまりは、試行錯誤の範囲の問題であり、それって携わる人のセンスや感受性と知識や情報の合わせ技の結果でもある。

 

 

そういう意味では、他人から「あいつ何をやってるんだ?」と思われることは案外悪くないのだ。

 

どこに向かっているのか

言われてみればなるほどと思うことの多くは、はっきり指摘されないと意外と分からない、そんなことを感じさせる記事だった。

 

「一社専従はもう限界です」 自動車ケイレツの終焉か? 地銀8行が踏み切った“やむなき自己防衛”、559万人雇用を背負う産業再編とは

 

戦後の日本の自動車産業は、完成車メーカーを頂点とし、一次、二次、三次と連なるピラミッド型のケイレツ構造を構成した。この仕組みは、安定した発注と技術の共有、そして長期的な信頼関係によって機能してきた。

 

 

今回の広域連携は、銀行が自らの収益源を確保し続けるための厳しい自己防衛策である。

 

 

本来、技術の塊である自動車や家電という分野は、要が優秀な人の技術に依存して成立していた時代には、そのことが大きな参入障壁になるので一定の社歴を築ければ強さに繋がっていた。

 

しかし、人に依存していた技術やデザインが機械化され自動化され、さらにソフトウェアで統合されるようになると、技術関連の大半はコピペの対象となり差別化は難しくなる。

 

つまり、系列(ケイレツ)という縦型の構造で守り維持された独自のノウハウですらオープン同然でコピペの対象になってしまったのだ。

 

その結果、フットワーク良く機能するはずだった系列関係は、動きを悪くする足かせのようにすらなったのだ。

 

誰かが悪くてそうなったというよりも、古い成功体験にしがみついたからそうなったのだが、それは時代がそういう方向にシフトしただけとも言える。

 

 

こんな構造を表現してるかのようなことばに、親亀転けたら小亀も転ぶがある、由来は明治時代の流行歌らしい。

 

類似した表現としては以下のようなものもある。

 

      • 親が親なら子も子
      • 親の背を見て子は育つ
      • 一蓮托生

 

ちなみに、一蓮托生を英語で表現すると、

 

We're in the same boat

 

 

となるようで、とてもわかりやすい。

 

 

同じ船に乗ってるのだから、船が遭遇する困難の影響は、乗ってる人すべてに及ぶのは当然だ。

 

 

突然のアメリカ・イスラエルによるイランへの攻撃で、石油の供給が一気に不安材料になった。

 

水不足が懸念される日本で石油不足も懸念事項になったのだが、これって日本という船に乗ってる日本人という意味では一蓮托生となるのだろうか?

 

小松左京が描いた『日本沈没』は地殻変動で国土としての日本が海中に没するという話で、これだとまさに一蓮托生だが、国土に不安が無ければ贅沢や便利を過度に享受してなければせいぜい不満を感じるくらいで収まるような気がしないでもない。

 

国土の不安という意味では、南海トラフ地震等の大地震の方が不安の度合いは大きい。

 

 

ところで、一蓮托生は仏教用語で死後も運命を共にするという意味、そういう意味では上記で紹介した英訳では不十分。

 

しかし、実際に一蓮托生という表現が使われる場では、『上位の立場が弱い立場に特攻隊精神を押し付ける』という意味で使われてるように感じる。

 

 

系列(ケイレツ)とか一蓮托生は由来はともかく、系列上位はコストや納期で無理を押し付ける代わりに、系列下位は自らの営業コストを負担しない、というこれまで成り立たせていた双方向依存が持続不可能になってきたのだ。

 

 

最近では弱まったが、日本には縁故やコネが昔から蔓延っている、これらも広義の系列と言えそうな気すらする。

 

 

 

系列(ケイレツ)とは製造業界隈の話として受け取りがちだがそこに縁故やコネが加わると、新聞テレビ雑誌など各種の情報メディアやそれを取り巻く広告宣伝界隈にありがちな話になっていくし、さらに言うと、系列や縁故やコネの究極は世襲及び世襲的な界隈で政治や伝統芸能まで拡大する、如何にもThe Japan的。

 

そんなThe Japan的な存在を象徴するのが、系列であり縁故やコネや世襲で、つまるところは依存の世界。

 

 

日本通のカレル・ヴァン・ウォルフレンが『人間を幸せにしない日本というシステム』を書いたのは1994年。

 

 

それから30年以上経ち、そんな強固な日本というシステムも壊れる部分は増えてるように感じるが、日本がはどこに向かっているのかは分からない?