豊洲市場で本来 ”盛土”がなされるべきところに、コンクリートの空間が設けられてることが発覚したことに端を発するゴタゴタは現在未解決。
この問題を見ている目線には、大きく5種類ある。
- 当事者としての目線
- 関係歴代都知事以下この問題に結果関与した東京都関係者
- 豊洲市場の設計建築に関わった業者
- 豊洲市場で働く予定の人々
- 利用者としての目線
- 報道その他この問題を利用、活用したい目線
- 真実を知りたい目線
- 傍観者の目線
そしてこの問題のどこに関心を持っているかは、大きく3種類ある。
- 豊洲市場で起きてることはなんなのか?
- 豊洲市場はどうなるのか、どうするのか?
- 誰がしたのか?
リンク切れになってるので下記を代わりに(10月21日)
豊洲市場担当記者@日刊食料新聞 にこんな言葉がある。
私を含め多くの人がこの問題に関して得る情報は、報道を通じてや、報道を見て感じた誰かの意見や考えだったりするだろう。
この問題を見ていて、福島第一原発と一緒じゃないかと感じた。
違うのは、福島は事故が起きて問題があったことがわかったが、豊洲は事故が起きる前に問題がわかったという点である。
仮に豊洲で取り返しのつかない事故が起きる、または取り返しのつかない問題が発覚するとして、それは何年後だろうか?
取り返しのつかない問題や事故が起きて、因果関係の立証にどれだけ時間が掛かるかを考えると、豊洲にGOサインを出した人は責任を取らされる事はなく逃げ切れると思ってるだろう。
豊洲を巡るゴタゴタを見ていて注目すべきは、都知事交代のタイミングで発生したということだ。
成立していた利害関係の大勢に小さな亀裂が生じ、阿吽のバランスが少し崩れ、起きた問題だろうという事だ。
大きな組織には、表の権力と裏の権力がある場合がある。
肩書の頂点に位置する人はお飾りで、別の人物が真の頂点の役回りを演じてる場合がある。
豊洲の問題は、正義 VS 悪、正しいこと VS 間違ってること と言う対立軸で発生した事件ではなく、圧倒的に強い利害勢力に下克上を挑む別の利害勢力という図式ではないかと考えてる。
ここで展開されてるのは大人の喧嘩だ。
超陰湿な戦いだ。
真実は何かに関心を持ち、追求するフリをしながら、どちらが勝つかを見極め、勝ち馬に乗ろうとする人や組織もいっぱいいるだろう。
その争いの場では、すべての人や組織が、それぞれの立場で正論を言う。
傍観者の目には、正義 VS 正義に映り、正解がわからなくなる。
この中に、下記の文がある。
「明確な発言をすると、責任がついてまわりますよね。昔から日本人は、責任の所在を分散させて、問題が起きたときに誰か1人が責めを負うことがないよう配慮してきたのです」(内藤先生)
曖昧さの効用として他に、負けた人間に敗北感を感じさせず、勝って支配する側に対して、仲間感を感じさせることもできる。
負けた人間は、敗北感を感じてないから、負けることを嫌悪しない。
結果、負け癖がつく。
同時に勝つ側に、”勝ちの方程式”的パターンが出来上がる。
日本人特有の曖昧さを最大限活用していたのが、裏の権力者だ。
表に出ない裏の権力者を、表に出そうとする動きが今だ。
この豊洲の問題が、どう決着をつけるかは、日本人のメンタリティに影響を及ぼす可能性がある。
長い物には巻かれろ VS 長い物には巻かれるな
追記 10月20日
福島第一原発の凍土壁処理と同じパターン。
自然の動きをコントロールするなんて無理、無理!!
もう少し具体的には、