不適切会計を公表した企業数が過去最悪を更新 売上げの過大計上などの粉飾が最多
週刊エコノミストの12/20号で、「粉飾 ダマし方見抜き方」という特集をやっていた。
会社法の重鎮久保利英明弁護士は、東芝の不正会計事件に関して監査法人の有り様にも厳しい。
新日本監査法人は東芝に「だまされた」か「グルだった」かのどちらかだ。
「無能」であるなら話は別だけど。もし東芝にだまされたのなら、
新日本監査法人の方から「三行半」を突きつけるのが筋だろう。
信頼関係が根底から崩れたはずだから。
ところが、そんな動きは見えてこない。
「監査法人のローテーション制」、結論先送り
繰り返される不正見逃しに危機感乏しく 日経ビジネス
金融庁で議論されている「監査法人のガバナンスのあり方」の中で、欧州で取り入れられてる、企業と監査法人の癒着を防ぐために、一定期間で監査法人を交代させる「監査法人のローテーション」を日本にも導入しようと議論が出たが、監査法人が大反対し見送られた。
監査法人側がどこまで本気かは不明だが、自らの存在意義が問われてることは意識してるだろう。
クライアントに1社だけ厳しいことを言ったのではクライアントに逃げられるが、みんなで言えば怖くない、ついでに、言ってるのはAIでわたしではありませんと言えるからAIに期待するかも。
会社は誰のもの
10年ほど前の出来事だった。
当時のごく普通の日本人は会社は誰のものかと問われたら、社員(経営者含む)だと思っていた。
そんな時代に現れたのがホリエモンと村上世彰だ。
主張した内容は、明快でわかりやすかった。
「お金儲けは悪いことですか?」
古臭い経済界のトップに切り込んでる感もあり、新鮮だった。
震え上がった経営者も多かったらしい。
気がついたら村上さんは表舞台から消えていた。
でも、そのイズムはしっかり根付いていた。
冒頭のエコノミストの記事を読みながら、粉飾の有り様にも違いが出てることを感じた。
粉飾や不正会計は経営者の自己保身であることは今も昔も一緒だが、最近は意識してる相手が違ってきてるなと感じた。
昔は、自分を起用した先輩経営者や自分が経営者に起用するであろう後輩という、内輪の人間関係が関心の中心だったため、不正を見逃す温床になり、不正が代々続くという流れを生んだ。
東芝の不正会計の発覚は2015年だが、15年間、歴代3社長続いたという意味では、古いタイプの不正だ。
村上さんが現れて以降、会社は確実に社員のものではなくなりつつある。
株主のものになりきれてるわけではないが、確実に株主の立場が強くなっている。
会社は、株主を意識して動くようになってきた。
最近発覚する不正は大きく2つの傾向に別れてる。
経営者が株主を意識して行う不正と会社に対する不満を私腹を肥やすことで晴らそうという不正だ。
会社が社員を不満にさせる存在になっている。
これも、ブラック化を加速させる要素だ。
株主を過剰に意識するようになると、時間を掛けて成長するということが許容できなくなる。
目先のことばかりになる。
結果、実業から虚業にシフトする。
投資で儲ける等にシフトする。
投資だったらまだ良いが、詐欺に目が向くのは必然だろう。
今更ながら、日本人には、「会社は社員のもの」の方が合っていただろう。
しかし、過去には戻れないし戻らないだろう。
日本人のメンタリティを考えると、個人の業績が厳しく求められる今、社員同士が同じ価値観を共有してまとまることはできないので、もう会社という存在が拠り所にならなくなる。
生きていくには拠り所は必要だ。
「会社が社員のもの」でなくなり始めた時期と、インターネットやいろいろなコミュニケーションの発生がシンクロしてるのは偶然ではないだろう。
目の前にいないけど、リアルな知り合いではないけれど、感じ方や考え方が共感できるなら、繋がることができるようになってきた。
シェアとか新しい価値も生まれてきてる。
今は、古い価値と新しい価値が混在して、せめぎ合っている。
人生はサーフィンに似ている。
波に飲み込まれたら、また次の波に乗ればいい。
映画「ソウルサーファー」より
新しい拠り所は、きっと波のようなもの。