世の中の変化のスピードが大きくなっている。
情報を発信し伝える術が大きく発達したことが関係してるだろう。
少し前だったらあったことすら知られない事実が多かった。
次から次に事件が起き、その経過が伝えられる。
そして、次から次に忘れていく。
どの出来事も、どこかで聞いた話に感じる
個人差が大きいとは思うが、風化に耐えると言うテーマで話をしてみたい。
拉致された13歳の少女 横田めぐみさん 内閣官房 拉致問題対策本部事務局
昭和52年(1977年)11月15日の出来事だ。
今の若い人は、どのくらい認識してるのだろうか?
拉致被害者の中で、横田めぐみさんだけが風化しない。
他にも大勢被害者がいるが、感情移入出来るのは横田めぐみさんだけかもしれない。
違いはどこにあるのだろう?
- 被害遭遇時の年齢が13歳だった
- 両親がマスコミにも登場し活動しているから
- 報道するマスコミにとってネタとしての価値がある
折りに触れ接することが、触れるたびに感情移入出来ることが、風化に耐える理由のような気はするが、若い人には昔話すぎて感情移入できない人も多いかもしれない。
リアルタイムで遭遇した時は、色褪せる気がしなかったのが1995年だ。
この年は、年明け直後に阪神・淡路大震災が起き、その2ヶ月後から地下鉄サリン事件が起き、残りの1年間はすべてオウム一色だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/オウム真理教事件
関東大震災をリアルタイムで知らない日本人にとって、初めて遭遇する大地震だった阪神大震災。
しかし、その後各地で起こる大地震とともに記憶は薄らぎ、東日本大震災が発生すると、完全に過去のものになった。
オウム真理教事件も、奇妙な事件だったが、現在オウム真理教は消滅こそしてないが弱体化したことで記憶から消えかけている。
麻原彰晃というアイコンがいなくなると、途端に印象が薄くなった。
印象の強烈さと成し遂げたことの凄まじさがスティーブ・ジョブズを連想さえする。
両者とも真似することができない存在という意味でだけ似ている。
オウム真理教は、教団幹部が頻繁にテレビで会見を開いていたことを記憶してる人も多いだろう。
この時の映像を見ると、何故かライブドアが一世を風靡してる頃、頻繁にテレビに出ていた堀江貴文と広報の乙部綾子を思い出す。
マスコミを利用しようとする態度が似ていたのだろう。
そしてついつい見てしまうキャラクターの強さが大事なのだろう。
キャラクターは、共感を呼んでも、反発を誘っても、どちらでも良いだろう。
しかし、出続けなければ風化してしまうし、飽きられたら出続けられない。
記憶に残るというのは、不自然な意図的なものかもしれない。
伝え続けることは難しい
ほんの数十年伝え続けることですら大変なのに、10万年後の人類に伝えなければいけないことがある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/100,000年後の安全
ドキュメンタリー核廃棄物「地下深く 永遠に ~100,000年後の安全~」文字おこし
核廃棄物の最終処分が難しい理由は、実はその先である。
廃棄物が出す放射線が、生物にとって安全なレベルに下がるまで、
欧州の基準では少なくとも10万年かかるとしている。
最も危惧されているのは、
今の人類が姿を消したあとの未来の知的生物が処分場に侵入し、
放射線が漏れ出してしまうシナリオだという。
たぶん人類は大事なことを後世に伝えられないという意味で、同じ過ちを犯し続けるだろう。
発生してまだ2週間の糸魚川火災だが、既に去年の出来事。
http://www.fdma.go.jp/bn/糸魚川市大規模火災(第8報).pdf
http://crisis.yahoo.co.jp/evacuation/15/15216/
年末に、鍋の空焚きから起きた火災。
フェーン現象で乾燥した強風に煽られるという不運にも見舞われ大火災になった。
火事の恐怖を目の当たりにしたはずなのに、その後全国で例年にないくらい火事が起きているような気がする。
飲酒運転による死亡事故が起きるたびに、飲酒運転を止めようという声が上がるが全然減らないことによく似てる気がする。
平和や安全や安心は簡単には成立しない。