「即戦力」というのが今のビジネスの価値観だとしたら次の価値観は何になるだろうか?
即戦力が意味することが、結果がすぐに出るということならば、対極に位置するのは「教育や研究」のようにも感じるが、振り返ってみると、「即戦力」を求めるようになる前が「教育や研究」に重きを置く時代だったのではないだろうか。
もう少し突っ込んで考えてみると、「教育や研究」が時間を掛け産み出した成果を、形にするために集中的に取り組んだことが「即戦力」という価値観を導いたのではないだろうか?
それらは一定の成果は上げたがネタ枯れの様相を呈し始めている。
「即戦力」の次の価値をどう見つけるか?
次世代の価値はやはり「教育や研究」にあるような気がする。
また、「即戦力」が見捨てた価値のなかにも宝が眠ってるような気がする。
その宝は「何の役に立つかわからない」という扱いを受けていることが多い。
だとすれば、覚悟しなければいけないことがある。
- 時間がどれだけかかるかわからない
- マネタイズの方法があるかわからない
自然を相手に行う「生産」は循環を考える必要があったが、産業革命以降「製産」にシフトすることで持続可能な循環が崩れた。
「役に立つ」ことが明らかでありそうなことにエネルギーが注ぎ込まれ、効率化に注力され、
それ以外は切り捨てられながら現在に至った。
日本発のノーベル賞は減っていく……」 科学界に不安が広がる理由 2016/10/06
今年、ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典さん(東工大栄誉教授)の発言が注目されている。基礎研究についての発言だ。
「『役に立つ』ということが、とても社会をだめにしていると思っています。科学で役に立つって『数年後に起業できる』ことと同義語のように使われることが、とても問題だと思っています」
「役に立つ」という価値観は、わかりやすさとセットで機能したように感じる。
わかりやすいから売り易いし、買い易い。
「役に立つ」から、すべての人に当てはまる、だから大量生産と馴染む。
効率化された大量生産は高品質だが、同時に陳腐化を加速させ、まだ使えるモノをゴミにしていった。
気がついたら、欲しいものや買いたいものが少なくなっていき、買うとしても今じゃなくてい
いとなり、何が売れるかがわからないに繋がってる気がする。
「役に立つ」という価値観は、発展途上の状況で求められる価値観ではないだろうか。
その背後にあるのは、「正しい↔間違い」、「良い↔悪い」という対立軸ではないだろうか。
もちろんこれらの価値観が悪いわけではなく、表に出過ぎたことが問題なのだろう
これから求められるのは、「役に立つ」という価値観の次の価値観であり、そしてその答えの一部は、「役に立つ」という価値観が切り捨てた中にヒントが見出だせるのではないだろうか?
役に立つという価値観は、「自分にとっては」という本来パーソナルな特殊なものなのかもしれないのに、一律の大量生産商品で汎用として対応させようとしたから拒否を招いているのではないだろうか?
汎用から手作り・自分流・オリジナルへシフト
いつの頃からかDIY(DO IT YOURSELF)が普及してきた。
出典:年間総売上高とホームセンター数の推移 社団法人 日本ドゥ・イット・ユアセルフ協会
ホームセンターの売上であり、DIYだけではどうなのかは不明だが、リーマンショックの前後から売上は横ばいだが、出店は増え続けている。
解釈は、何通りかあるだろうが、儲からないなら出店はしないだろう。
出店数の伸びが継続的なことを見ると、儲かってると判断してるのだろう。
DIYは節約志向で安くあげたいからだと言われたりもするが、実は汎用品では満足できないから普及しているのではないだろうか。
おまけに自作の満足感は何ものにも代えがたいし。
ハッカソンという言葉がある、ITに関連し、オープンな場で、課題となるテーマに、異なる立場の複数の人物が協力、協調することを意味していたが、現在では分野を限定せず用いられている。
このハッカソンを100均の材料だけでやろうというのが「ヒャッカソン」だ。
このような動機で動く時、人にとって大切なことは「勘定」ではなく、「感情」だ。
情報が、稀少なものから過多に移行している。
情報が、「ありがたいもの」から「ありふれたもの」へ移行している。
増える情報に反比例するように、「満足」が減っていくように見える。
IT技術やデバイスの発達で、計測可能なデータが増えている、そして蓄積されている。
あらゆる情報が、ビッグデータ化している。
ビッグデータ化が可能にするのは「予測、絞込、見える化」で、それが「傾向と対策」に繋がる。
傾向が見つかるのか?
対策が導けるのか?
気付けるか気付けないかが、大きな分かれ道というのはよくある話。
蓄積されるだけでは、ゴミと同じだ。
2012年12月12日 12時19分 更新
全世界のデジタル情報量、2020年には40ゼッタバイトに
過去2年間でデジタルユニバースは倍増しており、2012年には2.8ゼッタバイトになるとIDCは予測する。特にマシン生成データがけん引しており、デジタルユニバースに占める割合が2005年の11%から2020年には40%にまで上昇すると見ている。
一方で、データの活用は進んでいないのが現状だ。2012年のデジタルユニバースの23%(643エクサバイト)は、ビッグデータとして活用可能でありながら、タグ付けされているデータはその3%にとどまり、分析が行われているデータの割合は1%未満だという。
計測するために集められてるデータもあれば、勝手に集まるデータもあるが、デジタル化のおかげで計測可能なデータが増えている。
社会インフラのデジタル化は避けられないし、むしろ良いことのほうが多いだろう。
だとすれば、人間の強みや魅力はアナログな存在であるということになるのでは。
自分が好きなもの、欲しいものがわからないという人が増えているらしい。
これも「役に立つ」ものを選びたいと考えるからではないだろうか。
つまり、自分自身の価値観ではなく、世間の価値観で選ぼうとしてるからではないだろうか。
人の数だけ生き方があると言うが、「自分らしく」と考えてる人は結構少ないかもしれない。
自分自身の人生を、汎用品にしている人が多いのだろうが、人生こそDIYが楽しいはず、完成度は高くても低くても満足度は高いはず。