お歳暮やお中元に似ているのが、年賀状。
虚礼の廃止なんて言われ始めて久しいが、まだ習慣としては続いてると言えるだろう。
ただ若い世代には引き継がれないだろう。
送る方も送られる方も楽しめる小学生までは成立するかもしれないが、それ以上の年齢ではやってる人でも、本当はやめたいと思いながらも止め時が見いだせずに続けてる人がたくさんいるだろう。
やってる人が好きでやってる場合は全く問題ない。
メールやSNSが発達した今、そもそも関心がない人に対して、わざわざ手間暇+コストを掛けて年賀状を出すというのは、相当なモチベーションが必要だ。
お中元やお歳暮と年賀状の共通点に、送る(贈る)という気持ち以外に、見返りを期待するという仕入れの感覚に近い気持ちが隠れてるような気がする。
【意味】
海老で鯛を釣るとは、小さな投資や労力で大きな利益を得ることのたとえ。
すぐに結果や効果は出ないかもしれないが、継続すれば良いことがあるかもと期待している。
期待は必ずしも報われるわけではないが、今更止めるわけにも行かないというジレンマを生む。
なぜこのような変化をもたらしたのだろうか?
お中元、お歳暮、冠婚葬祭のしきたり、年賀状を始めとする季節の挨拶はなぜ、虚礼と言われ廃れ始めたのだろうか?
そもそも起源はどうなってるのだろうか?
正月に祖先の霊を祀る「御霊祭(みたままつり)」の為に
子供達が親や本家等に供え物を持ち寄った事が起源とされています。
そこから、年末に帰省できなくなった分家した人や嫁ぎ先からお正月に
歳神様を迎える為にお供え物や祝い肴を親元に送った事が起源になったそうです。
お中元よりもお歳暮の方が重要視されていますので、お中元を贈った方には必ずお歳暮を贈ります。
本来は祖先の霊を祀り、供え物の食べ物を親戚一同や
近所の人たちで分け合って食べた風習が起源と言われています。
中国から伝わった7月15日の中元の日は、贖罪(とくざい・しょくざい)・・・つまり、今まで犯した罪を償う日として、その日一日、庭で焚き火をする習慣がありました。
お歳暮は暮れに家々で行われた祖先の霊を祭るときの供え物を、近所の人やゆかりの人に分け合うことから始まったのです。お歳暮は物品によって相手を豊かにしようというものではないので、水引やのしをつけて贈ります。たとえ扇一本だとしても、それに託されるのは魂ですから、心がこもっているのです。
生きることが困難だった時代には、生きて無事に過ごせてることが何よりもありがたいことだった。
そんな時代の習慣と捉えると見え方が変わるが、思いは引き継がれて無さそうだ。
時間の経過は、伝えたい気持ちを分断することがある。
テレビ(2011年8月 TBS 報道特集)でも報道されたことだが。
福島県南相馬市から新地町にかけて、東日本大震災の津波の影響を受けた海側の神社84社を訪れ、被災状況を確認したところ17社が流出・全壊だったが、67社はすべて無事だった。
「延喜式」と呼ばれる文書(927年)に記載されている神社を「式内社」と呼ぶが、福島、宮城、岩手の式内社100のうち全壊・半壊したのは3社のみだった。
貞観大津波が起きたのが869年、当時の人々が後世に「津波が起きたら神社に逃げろと」いう思いを込めて神社を建立したことが想像できる。
しかし、そのメッセージに気付いたのは、津波が起きた後だ。
諺や言い伝えなど古いことをどう捉えるかは結構難しい。
現代人には、10万年間伝え続けなければならないことがある。
伝えられたとしても後世の人には、古臭いおとぎ話にしか感じられないかもしれない。
人間の営みに関して問題や課題が発生する場合、答えはないだろうが、解決のヒントは過去に見出だせるかもしれない。
ロシアには、こんな諺がある。
「歴史を忘れる者は片目を失い、歴史に固執する者は両目を失う」