ブラック企業問題は、何を教えているのだろうか?
ついついグローバル化や資本主義の行き詰まりという視点で見てしまうが、違う見方がある事に気付いた。
「karoshi」とそのままアルファベット化された単語が海外でも取り上げられるほど、働きすぎによる日本人の「過労死」は深刻な問題です。
海外で過労死が「karoshi」と表現されるということは、働き方に関連するブラックは、日本固有のものかもしれない。
気付いたキッカケは、下記の記事。
北米市場でビジネスモデルの話をしていると、現地の人からこう言われることが多い。
「もう他ではやってないけど、日本企業は今でも代理店というやり方でモノを売っているよね?」
世界中でアライアンスという概念がビジネスの主流になってからは、代理店制というやり方は衰退し、販売モデルはがらりと変わった。しかし、日本はいまだ代理店が幅を利かせている。代理店をはさんだビジネスは主に機械系製造業で盛んで、日系大手商社を使った展開が多い。
ブラック企業を生み出すメンタリティ
確かに改めて考えると、日本にはアライアンス(同盟、連合、提携)という概念が生活の身近に実感できない。
歴史やビジネス書に出てくる用語的な感じで意味合いはなんとなく理解できるが、じゃあアライアンスに基いて行動するにはどうしたら良いかと考えると????となる。
上記の記事によると、代理店制が衰退しアライアンスに移行したとなっている。
代理店という制度は、本部が上に位置し、代理店が下に位置する。
「わかってる本部」が、「わかってない代理店」の面倒を見るという意味での上下関係は当然だが日本ではこれに本部が代理店を支配するという意味合いがこもる。
この代理店制度が日本型のフランチャイズシステムに繋がっているだろう。
基本的には、本部が上前をはねるためのシステムである。
このシステムの傘下に入ると、抜け出すのが困難になる。
数少ない本部との逆転劇が演じられることもある。
ほっかほっか亭では、九州や東日本のエリアフランチャイジーであったプレナスと本部が対立した結果、プレナス側がほっともっとという新チェーンを立ち上げ、当時あったほっかほっか亭の店舗のうち60%以上がほっともっとに転換するという事態となったほか、本部もほっかほっか亭のエリアフランチャイジーであるハークスレイの傘下となっている。
代理店制のモデルになったのは「のれん分け」だろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/のれん分け
奉公人や家人に同じ屋号の店を出させる(出すことを許可する)ことを言う。
商標等を共有しながら円満な形で独立することも指す。
生き続けるブラックメンタリティ
上に立ち、下を支配するというメンタリティは、年貢に苦しめられた民が、自分の受けた苦しみを他人を苦しめることで晴らそうとするもののように見える。
まるで学校の部活で、「先輩は後輩をシゴクものだ」とシゴキが伝統として受け継がれるように。
今語られてるアライアンスには、ウィン・ウィンの関係が前提のような気がする。
ビジネスは弱肉強食で生き馬の目を抜くようなものだと語られてきたが、ルールは変わり始めていて日本は世界から遅れているのかもしれない。
日本人は日本のことを過大評価し過ぎてるかもしれない、しかしそれは巧妙に仕組まれた結果かもしれない、だから外国人には奇妙に見えるだろう。
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「どうでもいいと思ってる」
最初に戻ると、ブラック問題は改めるべきという視点で見てしまいがちだが、そうするとホワイト化すれば良いじゃないかという答えに行き着いてしまう。
しかし、それではブラックを生み出したメンタリティはどこかに生き残り続けるかもしれない。
ブラックを定義し、その定義から外れれば良しとする方向性では、悪しき日本のメンタリティは生き残り続けることになる。
ブラックメンタリティはしつこい伝染病
だとすれば、ブラックを生み出すメンタリティに消えてもらうしかない。
そのためにはブラック企業のホワイト化ではなく退場が必要だ。
そうすると、ブラック企業でブラックな環境を許容してる人達も巻き込まれてしまうが、そういうプロセスを経てでも、一方的な支配を志向するブラックメンタリティを消す必要がある。
ネイティブの日本人だったら、あるいは外国人でも日本で生まれて日本で育った人ならば、ブラックに苦しんでいる人やブラックを憎んでる人の心の中にも、ブラックなメンタリティがひっそりと生き続けてるかもしれない。