「癒やし」や「萌え」という言葉が単独で意味を持ち、感情や気持ちを表す言葉として機能している。
ニュアンスは分かるような気がするが、いまひとつピンとこないところもある。
こういう時は、反対語を考えると意味することが浮かび上がるというのが持論だ。
癒やし
さっそく検索してみると、
「癒やし」の反対は、辞書的には病むということらしい。
実際の使いかたとしては、病気で病んでる状態の反対ではなく、病んでるのは「心」であり、状態としては「疲れてる」「緊張してる」に近そう。
「癒やし」は、リラックスに近い状態とも言えそうだ。
疲れや緊張を生み出す大元はおそらくストレスだろう。
だから、マッサージやアロマなど。体や心をリラックスさせるものが流行るのは理解できる。
しかし、おそらくこのストレスがすごく幅広い意味を持っている気がする。
「癒やし」は人を表現するときにも使われる。
「癒やしキャラ」で検索すると男性からの視線を気にする女性に向けての内容が多いことに気付く。
「癒やしキャラ、男」で検索すると、
と出てくるので、男女どちらにも当てはまるようだ。
しかし、「癒やし」に関しては主導権は女性にありそうだ。
芸能界や美容師など女性が高い関心を払う業界にオネエと言われるキャラクターが増えているのは、「癒やし」と関係してるかもしれない。
癒し系の男子の条件を見ると、女性にストレスを与えないことが求められてるように見える。
癒し系男子からは、たとえ正論であっても厳しいことは言われたくなさそうに見える。
しかし女性の側も、厳しいアドバイスを求めてないわけではなさそう。
そういう役回りをオネエキャラに求めているかもしれない。
百花繚乱!ゲイ・ニューハーフ・女装家!オネエ系タレント名鑑!
オネエ系とは一線を画す、バラエティで高まるジェンダーレス男子の需要
「ここ数年、マツコ・デラックスを筆頭にオネエ系毒舌キャラがバラエティ界を席巻していますが、そろそろ飽和状態になっているようです。つまりはマツコさんが絶対的な存在となり過ぎてしまい、それ以外のオネエ系タレントが横並び状態なんですね」(キー局テレビ制作スタッフ)
「オネエの次に来る枠として、需要が高まっている」として注目したのが、ジェンダーレス男子である。オネエ系とは異なる、男性にも女性にも衝撃を与える不可思議な生態と発言。その場にいるだけでファッションやメイクが目を引き、イケメン要素も踏まえていたりする。さらに、SNSで鍛えた自己プロデュース力で、自分の“魅せ方”をある程度わかっているあたり、テレビ的にもフックになりやすい。
癒やしの世界も進化してるようだ。
萌え
「癒やし」は、女性が主導権を持ってると書いたが、男の私でも理解しやすい。
しかし、「萌え」はいまひとつピンとこない。
この言葉は、どちらかというと男のほうがよく使ってる言葉のような先入観を持ってる。
さっそく検索してみると、
https://ja.wikipedia.org/wiki/萌え
萌え(もえ)とは本来の日本語では、草木の芽が出る(伸びる)様を言う。
一方でサブカルチャー文化におけるスラングとしては、主にアニメ・漫画・ゲームソフトなどにおける、登場キャラクターなどへのある種の強い好意などの感情を表す言葉として使用されている。また、そこから転じた若者言葉では、同様の意味がより広い対象に対して用いられる[1]。
架空のキャラクターに対する「萌え」には性的興奮の意味合いが含まれることもある[9]。「萌え」という単語が、「美少女やおっぱいがたくさん出てくる」という文脈で理解される場合もある[10]。かつての「萌え」はキャラクターに対する純粋な好意を意味していたのが、次第にそうした意味合いを強くしていったとも言われる[11]。
社団法人コンピュータエンターテイメント協会(CESA)は2006年4月24日、一般消費者を対象とした「2006年CESA一般生活者調査報告書」を発刊した。「萌え」の認知度・利用状況については、全国の3~79歳の1103人を対象とし、萌えに関する調査を行った[24]。CESAにおける萌え定義は「マンガ・アニメ・ゲームの登場人物(キャラクター)などに愛情を抱くこと」とされる。この定義で認知度を測ってみたところ男女性別平均の認知度は男性548人中66.4%、女性555人中65.6%であった。「よく知っていて自分でも使っている」と答えたのは男性の場合20~24歳の8.9%、女性の場合15~19歳の12.1%が最高であった。
私が「萌え」を分かりづらいのは、若者ではないからだということがわかった。
「萌え」の定義を子供っぽくて可愛らしげな女の子を形容する言葉だと思ってませんか。
その相手自身を「可愛い~」と誉めているんじゃないんです。
オタク用語としての「萌え」は基本的に、キャラクターとしてよくできている、
この私をよくぞ喜ばせてくれた、ナイスプロデュースだ、グッジョブ!という賞賛の言葉なんです。
あくまでも「作られたもの」に対する、その作られ方への評価です。
ですからその対義語は、一定レベルをクリアしていない、作りすぎ、センスがズレてる、バッドプロデュースだ、
という、落胆を表わす「萎え」になるわけです。
「癒やし」も「萌え」も、同じノリを持った人を探してるように見える。
それは、ストレスから逃避できる自分の拠り所になるコミュニティをつくるために。
恨む
昔は、ストレスから逃げる時に「恨む」ということが多かった気がする。
コミックでも大きなテーマだった。
古くは「魔太郎がくる!!」というのがあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/魔太郎がくる!!
見た目も性格もパッとしない典型的「いじめられっ子」である主人公・浦見魔太郎。毎回様々な人物からいじめを受けるが、どうしても許せない行き過ぎたいじめや悪行に対しては自身の持つ超能力「うらみ念法」やオカルトアイテム、残虐な手段をもってして夜な夜な復讐しにまわる。
新しい所では(充分古いが)、「笑うセールスマン」というのがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/笑ゥせぇるすまん
『セールスマンの喪黒 福造(もぐろ ふくぞう)が現代人のちょっとした願望をかなえてやるが、約束を破ったり忠告を聞き入れなかった場合にその代償を負わせる』というプロットから成る一話完結のオムニバス形式。この作品の本質は単なるブラックジョークではなく、寓話的な意味合いを兼ねている。また、人間の本質であるいい加減さ、愚かさ、弱さが描かれた物語が多い。
どちらも藤子不二雄Aの作品。
「恨む」は、ストレスの元が無くなることを祈るのに似てる。
恨みを晴らそうとすることは、ストレスの元を絶とうとする思いと、同じストレスを味あわせてやるという復讐の二つがある。
人間は、合理的に考えて行動してるようで、実は原始的な脳機能に影響を受け行動する事が多い。
自分の利得は多少減少しても相手の利得を大幅に増やす親切行動や、
自分の利得を多少減らしても相手の利得を大幅に減らす意地悪行動が、
何かしらの感情や自己の金銭的利得を最大にする合理性に関わる脳領域が相互に
絡み合う形で意思決定が行われている可能性がある。
人間は、感情の振れ幅が大きい生き物だから、親切行動と意地悪行動のどちらも起こす。
「癒やし」や「萌え」も「恨み」もストレスからの逃げ場所かもしれない。
しかしストレスがなければ、そもそも必要ない。
ストレスの多くは、究極的には人に行き着く。
だから、誰か相手が存在する。
「人は一人では生きられない」とすると、たぶん生きることそのものがストレスだ。
もうすぐ、ストレスの逃げ場所を示す別の新しい言葉が生まれるだろう。