人は眼から入手する情報が8割でその他が2割と言われる。
ネットで検索すると8割の部分は、80%〜90%の間で諸説ある。
私がこの話を聞いたのは1990年台の後半だった。
テレビが生活に浸透し一家に一台から、1人に一台に近づきはじめたころからこの傾向が顕著になり始めた気がする。
テレビが一家に一台で、視聴時間に家庭ごとの制限が掛かってた時代は、眼からの情報は活字を読むことを通して得られることが多かったので、映像を想像するという作業が伴っていた。
また、テレビが伝える映像情報が不鮮明だったり、小さかったりしたので、やはり想像するという補完作業を伴っていた。
だから、全く同じ情報なのに頭に浮かべている情景は人それぞれ違うということがあった。
映像には一目瞭然性があるので、高画質化と大画面化でテレビの情報は圧倒的な力を持つようになり、現代人は無意識的にテレビ的な反応をするようになっているが、テレビの大画面化が普及したのは21世紀に入ってからの話だ。
- 映像の一目瞭然性が、ことばによる説明を上回る
- ひと目で判らなものに対して、拒否反応を示す
- 視聴者が受け身であれば無意識のうちに予定調和を求める
現代人は、老若男女問わず、このテレビ的な反応を無意識のうちにしてるだろう。
デジタルネイティブと言われる、生まれた時にはインターネットが当たり前の世代やテレビを全く見ない人でもこの映像至上主義的な反応は共通だろうし、映像の編集や加工の技術はテレビの枠を越えてはいないだろうから、テレビを見ないと言うのは違うチャンネルを見てるという意味にしかならないだろう。
こうやって考えると、物心ついた人にとって「映像=知識」が成立する。
だから、映像化されたものは予定調和化していく。
わかりやすい映像化がもたらす予定調和が、人々から「感じる喜び」を奪い、「考えない習慣」を定着させてるようにみえる。
どの感覚器を通じて情報が取り込まれるかで受け取り方が変わるというか、受ける影響が違ってくることがある。
日本音響研究所が、このCMの音の解析を行ったところ、
●音がランダムで飽きない
●本能的に振り向く音が多い
●音楽の途中でリズムが変わる
赤ちゃんの興味を引くポイントがつまった曲だそうです。
『ひよこクラブ』赤ちゃんの好きな歌1位です。
視覚障害者の反応を、観光に活かすための考察がある。
わかりやすい映像情報に慣れてしまうと、怖い映画を見ても、怖さが予想の範囲内ということはよくある。
意図された映像情報は、予定調和に収束していくのが今という時代なのだろう。
上記にあるように、五感の中で情報量が最も多いのが聴覚ならば、現在の映像中心の視覚至上主義は、聴覚にアピールする戦略にシフトして行けるかもしれない。
聴覚情報には、一期一会感がありそうだが、映像とセットになると知識がジャマして予定調和になってしまう傾向にあるかもしれない。
監視カメラで見るよりも、盗聴器の音情報だけのほうが多くを伝えるかもしれない。
映像は知識化し、音は心に影響を及ぼす。
そう考えると、前触れもなく突然鳴り出す緊急地震速報の警報音と振動の恐ろしさに勝る恐怖映画は、当分創られないだろうという気がする。