情報の「のどごし」についての3回目になる。
「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて
弊誌のあるスタッフが「バズ」という現象についてうまいことを言っていた。記事が食べ物だとするなら、いま「読まれる記事」は、とにかく「のどごし勝負」だと言うのだ。栄養価でも、味でもなく、ただひたすら「のどごし」のいいもの。それだけが読まれ、消費されていく。
最近、情報の「のどごし」について考えているが、「のどごし」を求める人の特徴が受け身で行動することにあると思える。
受け身で行動する前提は、立場で行動することが関係してるかも。
ポジショントークとは、株式・為替・金利先物市場において、買い持ちや売り持ちのポジションを保有している著名な市場関係者が、自分のポジションに有利な方向に相場が動くように、市場心理を揺さぶる発言をマスメディア・媒体などを通して行うことを指す和製英語[1]。有価証券の価格変動を目的として行われる「風説の流布」は虚偽の情報を流すことを指しているが、ポジショントークは「虚偽」ではなくあくまで「市場予測」であるため、これをもって風説の流布として摘発された事例はない。ただし明白に虚偽とは言えなくとも、合理的な根拠のない情報であれば罰せられるおそれがある。
元々の意味は限定的だが、すべての人には、仕事や趣味や遊びなどを通じての価値観や人間関係があり、それらが総合して独自の世界観をつくりだす、その世界観がポジションとなるという意味では、人がする発言はすべてポジショントークとなる。
ポジショントークは、自分の立場が都合よく反映されるので次のような特徴が生じる。
・相手には義務の履行を強く求めるが、自分は義務の履行に熱心ではない
・自分の権利は強く主張するが、相手の権利主張には無頓着
・自分の価値観は尊重してほしいが、相手の価値観には鈍感
・自分の感情やプライドには配慮してほしいが、相手の感情やプライドにはあまり配慮しない
発言はすべて何らかのポジションに基いてなされるという意味では、公正中立な情報は無いということになる。
だから、どういうポジションから発せられたのかを考える必要がある。
その情報に関連する登場人物(機関)は誰なのかを考える必要がある。
今、詐欺を含めて全てのビジネスが、「考えない人」をターゲットにしている。
「考えない人」の中には、考えてるだけで行動しない人も入ってる気がする。
行動するとは、体を動かすという程度の意味だが、それすらしない人が増えている。
「のどごし」とは、都合の良さの「つまみ食い」かも。
たまたま、自分の考えと似た情報に出くわすと、「やっぱり私は正しかった」とばかりに、無条件に信じてしまったりしてるのではないだろうか。
私自身にも当てはまる。
これは現代社会の落とし穴で、SNSやネット上で自分が選択した情報がタイムラインで流れる中で生活してるので、自分の偏りに気付かなくなる。
自分や自分が賛同する意見や考え方がメジャーであると勘違いする傾向にある。
これは、自分自身が陥る錯覚であるし、付き合ってる人がもたらす錯覚でもある。
現代社会では、好きな情報を「狭く深く」求めがちだが、並行して「広く浅く」という視点も必要になる。
自ら広い情報を求めるのはけっこう大変だし、そもそもアンテナが機能しないだろう。
だから、なんでも良いから誰か広く情報アンテナを張り巡らしているネット上の人を複数フォローすると良いかもしれない。
人間関係とコストのしがらみがないのがメリットだ。
デメリットと言うか注意点が一つある。
自分のリテラシーを高めてないと変な人を選択するかもしれない。
今という時代は、意見が異なると不快感を感じることが多いが、意見が異なるお気に入りの人を見つけられれば考え方や感じ方の幅が広がり、許容範囲が広がる。
ポリシーだと強く思ってる価値観も、たまたま所属してるポジションに迎合してるだけの場合が多いかもしれない。
自分自身の、立ち位置の確認は大事だ。