違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

メルカリが開くかもしれない新しい未来

故障が少なく、完成度の高さが高評価を得るが、そのかわり"好きで魅了する力"に欠けるのが、日本のモノづくりだった。

 

評価されるのは、コストパフォーマンスの高さ。

 

 

日本人気質とものづくり

外国人から見た、日本人の特徴がどんなものかを見ていくと、わかりやすいかもしれませんね。日本人のイメージは、礼儀正しい、親切、秩序だっている、冷静で感情的にならない、誠実で嘘をつかない、完璧主義、きれい好き。ステレオタイプですが、外国人が日本人を褒めるとすると、こんな感じですね。逆に貶めると、表面は礼儀正しく親切でも、腹の中は読めない、融通が利かない、日和見主義、といったところでしょうか。いい意味でも悪い意味でも、こうした日本人の特徴は、ものづくりに必要なものです。完璧主義の日本人は、独創的なアイデアを生み出しはしませんでしたが、実用化できずにいた技術を商業ベースにのせることに成功し、大きくて扱いづらい製品を小型化させ、代替技術を生み出して、ものの形を変化させてきました。

 

 

 

 

クレームが出ないことを第一に考えるから、日本ではメーカーがユーザーを啓蒙しない。

 

だから品質の高いものを作っても、文化が感じられないので、新しい物が出るとジャンク化する。

 

 

結果的にメードインジャパンが獲得したのは、「故障が少なく、長持ちする」という「クレームが少ない」というクオリティだけだった。

 

 

 

これは製造の現場に人間がいた時代には差別化として成り立っていたが、その後製造現場の機械化、自動化が進むと、日本と日本以外でクオリティに差がなくなっていった。

 

 

 

日本で生産される製品は優れているのに、生産性が低いと言われる日本。

 

それらしいキーワードで検索すると色んな考えが出て来る。

 

日本特有の背景が理由に挙げられたり、そもそも指標としてどうなんだ的な意見も出て来る。

 

「日本の生産性は先進国に比べて低い」という数字を疑って見る~1人あたりという罠~

物凄く単純に考えると、金持ちを増やせば、国における1人あたりの労働生産性は上昇するようです。金持ちが平均を押し上げてくれるからです。

 

こうした背景を無視した「日本は生産性が低い!」という議論に、私は違和感を抱かずにはいられません。それは散々忌み嫌われた地方の東京化ではないでしょうか?

 

 

日本では、国の運営も、企業(規模が大きいほど)の運営も、どちらもコンサル的皮算用化が進んでいるように見える。

 

日本の生産性の低さは、現場の非効率性にあるように捉えられてるが、実際は経営側の非効率性にあるのではないだろうか。

 

 

 

 

だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」 (4/5)

「日本型資本主義」というものが、「下」に責任とリスクを押し付け、「上」が延命をはかっていくシステムになっていることだ。

 

だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」 (5/5)

「上」にプレッシャーをかけて、時価総額向上を達成できない経営者をどんどんクビを刎(は)ねていけば、日本型資本主義という病におかされた経営者がどんどん駆逐される。社員や下請けという「下」に責任を押し付けて延命をはかるようなブラック経営者も当然あぶりだされていく。つまり、戦時中の「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別することになるので、「1人当たり」の生産性もあがっていくのだ。

 

 

しかし、この話はしょせん昔の「資本家」VS「労働者」の図式で、どちらが悪いか合戦をしてるだけにしか見えなくて、おもしろくない。

 

 

そう思ってたら、これはおもしろいかもという動きを感じさせるものがあった。

 

新しい市場を創ったアプリとして有名になった「メルカリ」だが、伝え聞く話はあまり良いものではなかったが、良い傾向も生まれ始めていた。

 

 

62%の「好き」が、新しい経済と社会をつくる

そんなフリマアプリ。実際にどんな商品が売られているのか見てみると、出品者のほとんどは、自分が使わなくなった中古の物品を売りに出しています。もちろん「フリマ」なので、それは当たり前といえば当たり前。ですがそんな中にあって、自分が手作りしたアクセサリーなど、いわゆる「ハンドメイド品」を販売し、収益を上げている人たちの姿もちらほらと見受けられます。

 

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得られる金額の多寡はありますが、小遣い・副収入の存在は個人の消費意欲にポジティブに作用するでしょう。そして何より、自分の「好き」がお金に変わった(=誰かにとっての価値として認められた)という実感は、生活者に気持ちのハリや充足感、活力をもたらしてくれるでしょう。

 

日本型資本主義が新たな活路を見出すためには、これまでにない流れが必要になる。

 

日本人の多くは、これまで「好きでもない仕事」をお金を得るためだけに続けてきたという歴史がある、少なくとも戦後は。

 

商品やサービスに興味があって好きで始めても、好きになれなくなるのが日本型資本主義ビジネスだった。

 

 

売るのも買うのも個人という市場がきちんと確立すれば、「好き」を価値の中心に置くことが出来る。

 

ルールや運営を巡っての混乱も発生するだろうが、多くのビジネスが詐欺化してることを考えたら、悪くはない、リテラシーを高めれば良いだけなのだから。

 

クレームがない事は良いことだが、クレームがないだけでは心を満足させることはできない。

 

満足は好きに宿るとするならば、クレームがないというだけでは価値がないということになる。

 

メルカリが定着させるかもしれない「売るのも買うのも個人」という市場は、日本の救世主になるかもしれない。