有名人の生きかたから学べることがある。
スターやヒーローばかりが注目されるような気がする芸能界だが、いつの頃からか脇役の方が味を感じられるようになってきた。
売れてても売れてなくても、自分の頑張りとは無関係な尺度で評価される。
一般のビジネスの世界では、売上という結果が全てだという評価にほぼ完全に移行したように見える。
そんなビジネスの世界は、非情でブラックだと言われる。
芸能界では、売上の替わりに人気というバロメーターで評価が測られる。
ストレスの度合いは、一般ビジネスとは大違いだろう。
たとえばお笑い芸人の永野。二〇一五年に大ブレイクを果たすまで二〇年以上、売れる兆しすらなかった。そんな永野が電話帳から消せない人は、かつての事務所の先輩であるさまぁ~ずの大竹一樹だという。テレビで売れっ子の大竹が自分の電話帳に入っていることが、売れない芸人を続けていく精神的なモチベーションになっていたというのだ。自分は売れっ子の連絡先を知っているんだとその電話帳が心の支えになっていたのだ。番組側は、一度もかけたことのない大竹へ電話をしてみませんかと提案。震えながら電話をかけるドキドキ感を視聴者も共有する。だから、実際に繋がったときの永野の何とも言えない嬉しそうな表情が一層胸に迫ってくるのだ。
心に拠り所を持たないとキツイことが多いだろう。
とてもタフに見える長嶋一茂だが、彼もパニック障害を患っていた。
芸能人が無名であるがゆえにストレスを抱えるかと思えば、超有名人の息子という立場がストレスだったのだろうか?
芸能界に入る前のプロ野球時代だ。
不安は、鍛えた体も蝕む。
長嶋一茂、『パニック障害』発症で自殺衝動も…父から30秒の戦力外通告
引退後は、以前から憧れていた極真空手に傾倒した。楽しいことに夢中になって気を紛らわせる-。それがパニック障害克服の鍵のひとつだと気づくのは、かなり後だった。
ビジネスの世界でも、芸能界でも、スポーツの世界でも結果が求められる。
教育の場では、「結果よりもプロセスが大事」と言われてた頃があった。
受験が全てではないと言う意味で、不合格の子を慰めるためのことばとして使われていた。
結果ばかりが求められると、結果さえ出せばすべてが正当化されると考える人が増えるのは当然だろう。
だから詐欺まがいビジネスが増えている。
結果に拘る人が、心と体を病む。
どこかがおかしいと思ってる人は大勢いるはずだ。
そんなおかしさにオードリーの若林正恭が言及している。
休みなく働くことが褒められる社会はおかしい…オードリー若林正恭が訴えた新自由主義的な日本社会への違和感
〈結果は値がすぐに変わる。いや、下がるんだ。毎日のように現場で一緒だった芸人仲間が数ヵ月すると会わなくなる。そんなことを何度も体験した。
ぼくは、そんなことを体験するうちに「結果」というものを唯一の社会への参加資格としていたならば、値の変動に終止一喜一憂したまま人生を送っていかなければならない。と感じた。そして、「結果」というものが楽しく生きることにおいて自分にはあまり有効なものではないように感じ始めた。
ぼくは「結果」以外の基準を探そうと思った。
「結果が全てだ」という考え方が世の中には蔓延している。プロなら過程は問題ではない。「結果を出せ」という考え方だ。しかし、ぼくの胸には「結果」自体は強くは残らなかった。それは実感だった。自分の胸を探ると、掴めるのはいつも過程だった。
結果は自分以外の人にわかりやすい価値を示すが、自分にとっては一瞬のできごとだ。
プロセスは自分にしか意味がない、他人にはどうでも良いことだ。
だから、プロセスを大事にするということは、自分を大事にすることになる。
負け惜しみではなく、プロセスを重視することが大事!